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「──使用人の方々に伺ったところ、オーウェンさんが病を発症したのは2週間前だそうです」
ミッチェル邸からランドルフ邸に移動するとそれぞれが聞いた事を話し合った。
「その前に何かあったか?」
医師イライアスの報告にグレアムがリードに尋ねたると、リードは何か思い当たったのか「そう言えば……」と言葉を続けた。
「確か、丁度《嘆きの森》の霧が晴れた頃ですね。オーウェンは周辺住人に事情を聞きに行っています。《嘆きの森》に直接入る訳では無いので、問題は無かった筈です。他に数人の兵士と同行していましたが、他のメンバーは特に異常は無かったと記憶しています」
リードの言葉に医師イライアスは頷いた。
「その後体調を崩したそうで、家人は《嘆きの森》の呪いではと言っていました」
「何だと?」
グレアムが眉間に皺を寄せる。グレアムと魔道士フレディは医師イライアスの診察中にミッチェル子爵夫妻と応接間にいた。しかし、夫妻からそんな話は無かった。恐らく、先遣隊として派遣されたグレアムやリードを慮っての事だろう。
「ですが、一度回復してから、一気に悪化したようでして……。その頃先遣隊が行方不明になったと騒ぎになっていたので連絡が遅れたそうです」
「オーウェンは一度は回復していたという事か?」
「はい、執事や使用人達の話によるとオーウェン様は起き上がれる程度には回復していたようです。ただ、先遣隊が行方不明になった頃に一気にあの状態になったと言っていました」
彼らの言っている事が事実ならば、ミッチェル子爵夫妻は決して隠してい訳では無いということになる。彼ら自身、酷く困惑していた事だろう。応対していた彼等の顔は酷く青白かった。
「ならば、尚更オーウェンが先遣隊に参加していたというのはやはりあり得ない事だろうな」
「それは……どういう事ですか?」
グレアムの言葉に医師イライアスが首を傾げた。グレアムとオーウェンは顔を見合わせてから、療養中である筈のオーウェンが《嘆きの森》に現れた事。昨日までの出来事を掻い摘んで話した。
「では、先遣隊に参加していなかったにも関わらず、オーウェンさんは《嘆きの森》に現れた。また、ナナシちゃんを気に掛けていた。オーウェンさんがもし《悪魔憑き》だとするならば、ナナシちゃんに何か関わりがあると……?」
医師イライアスが診察したところ、オーウェンの病状は末期と言って良いものだった。《嘆きの森》へ行くことなど到底出来ないだろう。現在は薬師ドミニクによって薬を処方しているが、薬の効果を見るには、やはり数日はかかるだろう。オーウェンから直接話を聞くことなど出来ないだろう。
「で、魔道士殿。貴殿の見立はどうであろうか?」
「オーウェンさんはその……《悪魔憑き》なのですか?」
グレアムとナナシが魔道士フレディに尋ねる。魔道士フレディは首を左右に振った。
「《悪魔憑き》の可能性はありますね。それに、あの痣に見覚えがあります」
そう言って古い資料を取り出した。そこには鬣のある獣の絵が描かれている。
「随分と古い文献で、もう殆どお伽話と言っていいものになります。嘗て大陸中に疫病をばら撒いた悪魔がいたそうです。その悪魔は精霊教会の精霊使いによって退治されたとされています」
「退治された?」
「実は封印しただけで、消滅させた訳では無いのではと私は思っています」
「では、その悪魔が復活したとでも言うのか?」
「可能性はあると思います。その悪魔の名は《バルバス》疫病を撒く悪魔です」
「……どうしてそんな資料を?」
リードが訝しげに魔道士フレディを見た。
「実はこの地方への派遣が決まった時に資料を集めておいたのです。この地方のみに疫病が流行るのは何か理由があると。なので少しでも関係のありそうな資料を片っ端から調べました」
そう言って、更に鞄からドッサリと資料を出す。一体鞄の何処にそんなに入っていたのかわからないくらいの量に一同が目を丸くした。
「それにこの地方は昔から精霊が棲む珍しい地方でもありますから余計に力が入りました!」
とても生き生きした表情で語る魔道士フレディに一同が若干引いている。
「ナナシちゃんを本当に狙っているのならば何か理由がある筈ですよね? 何か心当たりは……もしかすると」
魔道士フレディが一同を見て、覚悟を決めたように言い放つ。
「《精霊の盾》ではありませんか?」
「「《精霊の盾》?」」
グレアムとナナシの声が同時にハモった。その横でケヴィンが目を瞠った。グレアムとケヴィンの反応を見比べた。
「ケヴィンさんの反応を見る限り、正解だと思って良いようですね。しかし、グレアム様はご存知ありませんでしたか?」
魔道士フレディが今度は目を丸くする。グレアムは静かに頷いた。
「そんなものはお伽話だとばかり思っていたが……」
「大多数の者はそう思っていますよ。しかし、精霊教会や魔道士の中にはそれが事実だと今も研究している者がいます」
「それもナナシちゃんが本当にナタリー・ランドルフであるならの話です」
「どうしてですか?」
ナナシが首を傾げた。
「《精霊の盾》はフォーサイス王国建国の際、精霊王から与えられた《精霊の武具》の一つで三大侯爵家に与えられたものです。それを継ぐことができるのは侯爵家の血を引いた適性のある者だけだからです」
「では、この子がランドルフ家の正式な跡取りというのか?」
グレアムが声を荒げる。突然現れた子供がランドルフ侯爵家の正式な跡取りだと言われても到底信じられないだろう。それも50年前に失踪した少女だと言う。
「仮定の話です。しかし、グレアム隊長が実際体験したように《嘆きの森》は時が狂っているのかもしれません。だとすると、50年前の人間が現れるという事もあるのではないでしょうか?」
魔道士フレディの言葉にグレアムは「うむ……」と口籠る。事実、グレアムを初めとする先遣隊の隊員達は《嘆きの森》に入り、気付けば一週間経っていたのだ。これは疑いようの無い事実である。
「まあ、精霊様に直接聞くのが一番手っ取り早いですね。全てを知っていらっしゃる様子です。幸いあちらからご招待を頂いている訳ですし」
リードが苦笑いを浮かべた。『精霊様』という言葉に魔道士フレディの目が輝く。
「勿論! 私共も同行いたします!」
「いや、同行させもらうのはこちらだが……、いや、その際は宜しく頼む」
目をキラキラと輝かせながら、ビシッと手を上げる魔道士フレディにグレアムが若干引いていた。その様子を横目で見ながら見てナナシは
──魔道士って皆こんな感じなんだろうか?
と一瞬関係の無い事を考えてしまった。
──精霊様に会えば分かるのかな?
そう頭を過る不安を抱えながら、昨夜の美しい人の姿を思い浮かべた。