妖狐の彼女は壁ドン・床ドン・顎クイをご所望です。
「はるあき、壁ドンとはなんだ?」
妖狐の玉藻ことたまちゃんから突然そんなことを尋ねられた時、オレは飲んでいた味噌汁を盛大にぶちまけた。
「うおおい、何をするッ! せっかく貴様のために作った味噌汁なのに!」
「げほげほ、ごめん。でも何? いきなり」
「いや、昨日な。街をブラついてたら目の前の女どもがその話題で盛り上がっていたのだ」
「き、昨日?」
「そう、昨日。貴様が大学とかいうところに行ってる間に」
「え、外出たのッ!? マジでッ!?」
オレの問いかけに、たまちゃんは「てへ」と可愛らしく笑った。
いや、顔は全く笑っていないから、可愛くもなんともないんだけど。
「たまちゃんはまだ封印から解放されて間もないんだから、あんまり出歩かないでって言ったじゃん!」
「ふん、人間ごときに指図されるわらわではないわ」
エプロン姿でドヤ顔されても説得力がない。
「それ以上に、たまちゃんはただでさえその容姿で目立つんだから部屋で大人しくしといてもらわないと……」
「安倍晴明とかいう輩に封印されていたわらわを解放してくれたことには感謝している。だからこうして貴様の身の回りの世話をしているのだろう? だが、毎日毎日この“あぱーと”で貴様の帰りを待っているなど、退屈で仕方がないのだ」
「気持ちはわかるけど、1000年以上も封じられてたんだから大人しくしててよ。まだ今の人間の世界には馴染んでないでしょ?」
「そうだな。わらわがいた頃よりだいぶ様変わりしているからな」
きっかけは本当に偶然だった。
誰もが知る平安時代の凄腕の陰陽師、安倍晴明と遠縁の親戚だったウチの家系は、どんな巡りあわせか、妖狐を封じ込めた勾玉を代々受け継いでいたらしい。
それを先日、春休み中に帰省していたオレが蔵の奥で見つけ、ずいぶん昔になくした首飾りと間違えて持って帰ってしまったのだ。
それだけならまだよかったんだけど(あまりよくはないが)、運が悪いことにその勾玉を一人暮らしをしているアパートの部屋の中で落として割ってしまった。
その時、まばゆい光と白い煙とともに現れたのが、この妖狐の玉藻ことたまちゃんだった。
長い黒髪に太い眉、赤い唇にふっくらした頬。
赤い着物に、透き通るような青い眼。
……そして頭部に生えた耳。
一目で人外の者だと気づいたが、不思議なことにそんなに驚きはしなかった。
彼女の放つ高貴なオーラがそうさせるのか、オレの中に流れる安倍一族の血がそうさせるのか。
とにもかくにも、この妖狐たまちゃんは封印を解いたオレに礼として身の回りの世話を買って出て、オレはすんなりそれを受け入れたのである。
「……わかった。貴様に免じて今後の外出は控えよう。そんなことよりもだ」
たまちゃんは味噌汁のお椀におかわりを注ぎだしながら、言った。
なんかこっちのほうが悪いような言い方に聞こえるんだけど。
「最初の質問に戻る。壁ドンとはなんだ?」
味噌汁を注ぎ終わったあと、オレにお玉を向けて尋ねるたまちゃん。
外見や言動はクールビューティーなくせに、いちいち行動が伴ってない。
今だって、お椀からこぼれた味噌汁に親指が当たって「熱っちぃッ!」とか叫んでるし。
なんだろう。
たまちゃんに壁ドンを教えるとあまりよくないことが起こりそうな気がする。
「とにかくだ!」
たまちゃんがテーブルの上に味噌汁を置くと、身を乗り出した。
「壁ドンについて教えろ」
「教えろと言われても……」
「人間の女どもが言っていたのだ。壁ドンされた日には一日中頭がポーッとして、何も手につかなくなると!」
それ、アイドルがファンに対してやるレベルだよ。
ものすごく高い壁ドンだよ。
「わらわが思うに、壁ドンとはこの時代で新たに生まれた呪法に違いない。なぜならこの世のすべての術を知り、使いこなせるわらわが知らないのだからな」
「呪法……といえば呪法かもね」
一部の人間にとっては。
「やはりそうか! くっ、わらわが封印されておる間に新術が開発されていようとは……。はるあきよ、どうかわらわにその壁ドンなるものを教えてくれ!」
気が乗らない。
というより、たまちゃん相手にそんなのやりたくない。
高貴な彼女のことだ。
もしかしたら壁ドンをした瞬間「無礼者!」とか言って殺しにくるかもしれない。
オレはどうしたものかと味噌汁をすすった。
「あ、そうそう。そう言えば人間の女どもは他にも『床ドン』『顎クイ』という言葉も使っていたな。同じものか?」
瞬間、オレはまた「ぶふうー!」と味噌汁を噴き出してしまった。
「うおおおーいッ! 貴様、そんなにわらわの味噌汁がまずいのか!」
「ごめんごめん。ビックリしちゃって……」
慌てて謝り、近くにあった布巾でテーブルを拭く。
まずい、これ以上たまちゃんを怒らせないようにしないと。
にしてもいったいどんな会話をしていたんだ、その「人間の女ども」は。
「まったく失礼なやつだ」
「だからごめんて」
「まあいい。それよりもだ。会話の内容を聞いていると、どうやら顎クイも壁ドンと同じ効果があるようなのだ」
「ま、まあ、似たような状況で使われるからね」
「床ドンにいたっては『軽く死ねる』と言っていた。よほど強い呪法に違いない」
「……そうね、軽く死ねるかもね」
どうしよう、さっきからものすごく誤解されてる気がする。
「くくく……。相手を軽く殺せる呪法か。ぜひとも知りたいものだな」
ここまでくると滑稽だ、と思いながらオレは白ごはんを口の中にかき入れた。
「はるあき、お願いだ。わらわにその呪法を教えてくれ! ぜひ!」
「あー、いやー……」
「嫌か?」
「う、うん……」
「断るなら、おぬしのもっとも近しい者を別の呪法で呪い殺すぞ」
き、鬼畜!
この妖狐、鬼畜!
さわやかな顔で、さらっと怖いこと言いやがった!
「わ、わかったよ。ただ、その呪法は使える条件が厳しいんだよね……」
「条件?」
「それも、かなり限定的」
「どんな条件だ?」
「第一に、使う人物は美男美女でなければならない」
「美男美女? ふむ、ならば問題ない。わらわは唯一無二、歴代随一、古今東西類を見ないほどの絶世の美女だからな!」
……自意識過剰だろ。
まあ、否定はしないけど。
嘘か真か、この容姿で一国を滅ぼしたという噂もあるくらいだし。
「そして第二に、使われた相手が使った相手を慕っていること」
「なるほど、ある程度仲良くなければならないというわけか。これもわらわには得意分野だな。男を落とすなど、容易なことよ」
え、ちょっと怖いんですけど……。
もしかしてオレも落とそうとしてる?
安心させたあとに、パクッと食べようとしてる?
たまちゃんは、そんなオレの不安を感じ取ったのか笑いながら言った。
「ふ、安心せい。こうして貴様にメシを作ってやってるのも、部屋を掃除してやってるのも、純粋にわらわの感謝の気持ちだ。貴様には何もせん」
それを聞いてホッと胸をなで下ろす。
よかった、単純にオレへの謝礼のつもりか。
そうだよね、いくら妖怪といっても、恩を仇で返すなんて……。
「まあ、無意識にパクッといくかもしれんがの」
「ちょっとおおぉぉ! 怖いこと言わないでくれませんッ!?」
やっぱりこの女、くそ妖怪だ。
くそ妖怪。
くそ、くそ、死ね。
「くくく、そう怖がるな。安倍一族はどの家系にも妖力を無効化する血が流れているからな。食べようとすれば、わらわのほうが拒絶反応を起こして逃げ出すわ」
「え、そうなの?」
「安倍晴明を喰おうとした時もそうだった。食べようとした瞬間、わらわは拒絶反応を起こしたのだ。で、逃げてる間にヤツに封じられた」
「へ、へえ……、そうだったんだ……」
「にしても皮肉なものよ。かつて食べようとした者の子孫にわらわがメシを作ってやってるとはな」
そう言われてみると本当に不思議だ。
1000年以上も昔の相手とこうして話をしてて、さらにご飯まで作ってもらってるなんて。
ご先祖様が見たらなんて思うだろう。
「それよりもだ。条件はその二つでよいのか?」
「えーと、あと第三に二人きりの時でなければならない」
「ふむ、今はちょうどおあつらえ向きだな」
たまちゃんはスッと目の前のテーブルをどけてオレの正面に立った。
「今、ここで実践してみてくれ。見たい」
「え、オレがたまちゃんに……?」
「他に誰がいるというのだ」
「いや、でも……」
やっぱりそうきたか。
とてもじゃないけど気が乗らない。
でもここで断ったらまた「近しい者を殺す」とか言うんだろうなー。
オレは観念して立ち上がり、「わかったよ」と頷いた。
「でも、変な気は起こさないでよ?」
ここで言う変な気とは殺意のことだ。
仮にも平安時代の大妖怪。
人間の男に壁ドンなんてやられたら、特大の呪法で反撃してくるかもしれない。
「ふん、わらわを誰だと思っておる。かつては妖怪たちを束ねていた妖狐の玉藻ぞ」
それが逆に怖いっての。
仕方なくオレはたまちゃんの目の前に立ち、その肩をつかんだ。
「む?」
そして勢いよく部屋の壁に押し付ける。
「ぬお!?」
瞬間、たまちゃんの吐息が頬にかかった。
背中がゾクリとする。
美女の吐息、ハンパねえ……。
「ななな、何をしておるのだ、はるあきよ……」
「壁ドンを教えるんだよ」
オレはそう言うと、狼狽えてるたまちゃんの頬近くにドン! と手を押し付けた。
「ひっ!」
「これが壁ドン」
「ち、近い……! はるあき、顔が近い……!」
オレはもう片方の手でわなわなと震えてるたまちゃんの顎に手を添えた。
そしてそのままクイッと顔を上げる。
唇と唇が触れ合いそうな至近距離。
吸い込まれそうな青い瞳にオレの顔が映っている。
「これが顎クイ」
「う、動けぬ……。妖狐のわらわが動けぬ……。これが安倍一族の力か……」
いや、一族関係ないし。
ただの行為だし。
でも、ああヤバい。
妖狐のたまちゃんをこれだけ間近で見たら、やっぱり心が奪われそうになる。
一国を滅ぼしたという噂は本当かもしれない。
すると、カクンとたまちゃんが膝から崩れ落ちた。
「わっ!?」
その勢いにつられ、オレもたまちゃんの上に覆いかぶさるように倒れ込む。
階下に響いたんじゃないかと思える大きな音とともに、気づけば仰向けに倒れたたまちゃんの上に馬乗りになって床ドンをしている自分がいた。
「あ、ごめん」
「はわわわわ……はるあき……貴様……」
「……えーと、これが床ドンね。不可抗力だけども」
オレの言葉が聞こえているのかいないのか、目の焦点が定まっていない。唇がわなわなと震えてる。
いつもクールなたまちゃんがオタオタしてる姿はなんだか新鮮だ。
と、そんなたまちゃんが何やらつぶやいた。
「……け」
「ん?」
「……どけ」
「……?」
なんだろう、と思った瞬間、オレの胸にものすごい衝撃が走った。
「どけと言っておろうッ! このゲスがッ!」
「うぐふうぅッ!」
掌底!
近距離からのものすごい掌底!
オレは胸を押さえながらひっくり返った。
なにこれ、めっさ痛い……。
息できない……。
死んだ……かも。
「何を考えておるか! 壁ドン、床ドン、顎クイを教えろと言ったはずだぞ!?」
「げ、げほ、げほ……。い、今のがその3つだって……」
「は?」
「壁に手をつくのが壁ドン、顎を持ち上げるのが顎クイ、床に手をつけるのが床ドン。全部やってみせました……」
「は? は? は?」
「だから言ったのに……。変な気は起こさないでって……」
「ま、まさかアレらがそうだったというのか!?」
「アレらがそうだったとです……げふっ」
「す、すまん! いきなり気が触れてしまったのかと……」
抱え起こされたオレは、ジンジンする胸を押さえながらジトーッとたまちゃんを睨み付けた。
「ひどい。自分でやれって言っておきながら」
「だから、すまんて言うておる」
顔を赤く染めているのは勘違いからの恥ずかしさなのか、やられた行為からの恥ずかしさなのか。
何はともあれ、うなだれてる姿はちょっと可愛い。
オレはそれ以上怒る気力もなくなった。
「……ふう、まあいいや。で? どうだった?」
「うん?」
「壁ドン」
「あ、そ、そうだな。に、人間の女どもが騒ぐ意味がよくわからなかった」
「まあ、好きな人同士の限定的な行為だからね」
「と、取り乱しはするがな。うん、なんてことはなかった」
オレが相手だったしね。
……でもわかっていたとはいえ、はっきりそう言われると少し凹む。
「は、はるあきは……いつも人間の女にこんなことをしているのか?」
「いや、したことないよ」
「されたこともか?」
「ないない」
そもそもオレってば、そんなキャラじゃないし。
「そうか、ならば」
するとたまちゃんはオレの顎をクイッと持ち上げた。
え? なにこれ? 顎クイ?
「……た、たまちゃん?」
きょとんとするオレに、冷酷無比な妖狐は言った。
「わらわはそなたにだけ、この呪法を使うとしよう」
言うなり、その綺麗な口唇でオレの口唇を奪った。
「ふ、ふおおおおッ!?!?」
慌ててたまちゃんを引きはがす。
なに!? なに!? なんなの!?
今オレ、何された!?
「ちょ、たまちゃん!?」
オタオタするオレが面白いのか、たまちゃんは「ふふふ」と笑って言った。
「わらわを取り乱させた罰だ」
普段はクールな妖狐の初めて見る笑顔に、不覚にもキュンとなるオレがいた。
お読みいただきありがとうございました。
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