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お隣さんはヒグマでした。  作者: 浅木原忍
1章 試される大地にやってきた
4/27

あっ、リス!

「そいえばありす、教科書買った?」

「あ、まだだけど」

「よし、じゃあありすの教科書買って、そのままカラオケ行こっか!」


 ――そんなわけで、わたしたちは3人で北24条に来ていた。このへんは初めて来るけれど、どうやら飲食店街らしい。100円ショップや24時間営業のスーパーなんかもある。徒歩圏内にお店が多すぎて、どこに買い物に行ったらいいのか困ってしまう。

 ともかく、小さな本屋さんで高校の教科書を買い、隣のカラオケ屋さんに入った。


「そういえば、青森ってカラオケあるの?」

「か、カラオケぐらいあるよ! 青森市は30万都市だから、みつねちゃんが思ってるほど田舎じゃないよ! ……たぶん」


 ちょっと嘘ついた。本当は30万人に届いてないし、わりと田舎だと思う。


「……登別にだってカラオケぐらいあった」


 ぼそっとひなちゃんが言う。ひなちゃんは登別からこっちに来たのだそうだ。


「えー、ひなっちそれホント? 登別ってヒグマしかいないでしょ」

「ヒグマだけじゃなく人間もいる。……そっちこそ、北見はキツネしかいないんじゃないの」

「やだなー、北見だって人間もいるしカラオケもあるし、キツネだってカラオケ歌うよ」


 みつねちゃんは笑う。これが北海道ジョークというやつだろうか。北海道は奥が深い。

 2時間でとった部屋に3人で入る。「飲み物何にするー?」「あ、じゃあオレンジジュース」「……じゃあ、ウーロン茶」「ほいほい。すいませーん、ジンジャエールとオレンジジュースとウーロン茶!」みつねちゃんが手慣れた様子で注文し、早速リモコン(そういえばこのタッチパネルの名称ってリモコンでいいの?)のタッチパネルを操作して、「なーに歌おっかなー」と楽しげに検索し始める。


「みつねちゃん、カラオケ好きなの?」

「うん、歌うの好きだよー。ありすは?」

「わたしは、あんまり上手くないから……歌える曲も少ないし、聞いてるよ」

「えー、ありすもなんか歌おうよ。なんでもいいからさ」

「う、うん……じゃあ、何か歌えそうなの探してみる」

「そうそう、せっかくだから歌わなきゃ。ひなっちは? 意外と歌上手そうに見えるけど」

「…………」


 みつねちゃんがそう振ると、ひなちゃんは急にぎくりと固まって、俯いてしまった。


「ひなちゃん?」


 わたしが覗きこむと、ひなちゃんはちょっと顔を赤くして、


「……初めて来た」


 ぼそっとそう答えた。


「え、ひなっち、カラオケ初めて? さっき登別にもカラオケあったって言ったじゃん!」

「……あったとは言ったけど、行ったことあるとは言ってない……」


 大きな身体を縮こまらせて、恥ずかしそうにひなちゃんは言う。


「ほっほーう、そうかそうか、熊谷殿はカラオケ初体験でおじゃるか。知っておるか熊谷殿、カラオケで一曲も歌わずに店を出ると個室を非合法に悪用した疑いありとしてブラックリストに載り公安警察の監視対象にされてしまうのでおじゃるぞ」

「……そ、そうなの……?」

「みつねちゃん、変なこと吹きこんじゃ駄目だよ……」


 冗談を真に受けたのか心配げなひなちゃんに、わたしは苦笑して首を横に振る。


「ま、とにかくカラオケの醍醐味は恥を忘れて思い切り歌うことだよ。ストレス解消になるしさー。というわけで一曲目、いくよー」


 聞き覚えのあるJ-POPのイントロが流れ始め、みつねちゃんが立ち上がってマイクを掴む。楽しげに歌い始めるみつねちゃんは思ったより上手くて、わたしは思わずひなちゃんと一緒に普通に聞き惚れてしまった。


「わー、みつねちゃん上手ー」

「へへへー」


 曲が終わって、思わず拍手したわたしに、みつねちゃんが照れくさそうに頭を掻く。ひなちゃんもわたしの横でこくこくと頷いていた。そこへタイミング良く店員さんが飲み物を運んで来て、わたしはオレンジジュースを手に取る。


「はいひなちゃん、ウーロン茶」

「……ありがと」

「ってか、2人ともあたしが歌ってる間に何も入れなかったの? 入れないならあたしが2曲目入れちゃうよー」

「え? ああ忘れてた……ひなちゃん、何か歌ってみる?」

「……じゃあ……ええと、これ、どうするの……?」

「ええと、ここで曲を検索して、歌いたい曲を選んで、ここを押せば……」

「……わかった」


 こくんと頷いたひなちゃんは、ちょっと躊躇いながら曲を選び、「……これでいいのかな」と言いながらタッチパネルを押す。画面に「一曲目に予約されました」の文字とともに曲名が出る。――『旅立ちの日に』。


「卒業式かよ!」


 そう突っ込んだみつねちゃんに、ひなちゃんは「……知ってる曲、あんまりないから……」と困り顔で答えた。イントロが流れ出し、わたしはひなちゃんにマイクを手渡す。ひなちゃんは少し緊張した顔でマイクを握り、画面に出る歌詞を見ながら歌い始め、


「――しかもめちゃくちゃ上手いし!」

「ひ、ひなちゃん凄い……」

「……そ、そう……? そうかな……」

「ひなっち、ねえちょっと動画にして投稿していい?」

「……それは、恥ずかしい」


 またひなちゃんは大きな身体を縮こまらせる。さっきから、ひなちゃんの意外な一面をたくさん見せられて、わたしはなんだかそれだけで楽しかった。

 ――結局、そのカラオケは多彩なレパートリーを披露するみつねちゃんと、学校で習った合唱曲をすごい歌唱力で朗々と歌い上げるひなちゃんの歌合戦が2時間続くことになった。

 わたしは合間に、某国民的アニメ映画の主題歌を歌ったところ、みつねちゃんに「やっぱりありすはかわいいなあー!」となぜかハグされてしまった。なんでだろう……。




 カラオケの後は近くのドーナツ屋さんでおしゃべりしているうちに、気付けば夕方になっていた。みつねちゃんは「このへんで晩ご飯食べてかない?」と言ったけれど、わたしはドーナツ食べたらお腹いっぱいになっちゃって、しばらくご飯は入りそうにない。わたしがそう答えると、みつねちゃんはわたしとひなちゃんを交互に見て、


「ちゃんと食べないと大きくなれないぞー」


 と笑った。うう、確かにそれはそうなんだろうけど……。わたしはひなちゃんを見上げて、お昼にぱくぱくたくさん食べていたひなちゃんの姿を思い出す。やっぱりあのぐらい食べられないと、ひなちゃんみたいに大きくはなれないのかな……。

 と、わたしの視線に気付いたか、ひなちゃんは困ったように眉尻を下げて、


「……ありすは、別にそのままでいいと……思う」


 ぼそっとそう言った。


「ふえ?」

「おやおやひなっち、そのこころはー?」


 みつねちゃんがなんだか意地の悪い笑みを浮かべてにじり寄る。ひなちゃんは困ったように視線を逸らし、何かを言いかけて口をつぐみ、それから、


「……私の身体、燃費が悪いから……独り暮らしだと、燃費がいい方が経済的……」

「あー、たしかにひなっちのあの食欲だと、ありすの3倍ぐらい食費かかりそうだねー」

「……親元離れて実感した。ご飯って、思ったよりお金がかかる……」


 しみじみと言うひなちゃんの背中を、「わかるー」とみつねちゃんがぽんぽんと叩いた。


「でもやっぱりありすはもうちょっと食べた方がいいと思うぞー。のり弁一個でも多いとか、ドーナツ一個でお腹いっぱいってんじゃ、女子力が足りない!」

「え、じょ、じょしりょく?」

「これ即ち甘い物は別腹力!」

「……それは女子力とは関係ないと思う」

「なにをー。そういやひなっちは自炊するの?」

「……一応、練習中」

「おお、偉い。あたしは早くも挫折気味だよー。ありすは?」

「え? ま、まだ冷蔵庫とか届いたばっかりだし……一応、やろうとは思ってるけど」

「じゃあ、スーパーで食材買ってこうよ。あたしとひなっちで荷物持ちするから」

「え、いいの?」

「まかせよー。ひなっちもいいよね?」

「……うん」


 というわけで、3人で24時間営業のスーパーに向かう。


「ありすって実際料理できるの? なんか得意そうに見えるけど」

「え、そんなことないよ。……家庭科の調理実習以外はほとんどやったことないレベル……」

「あたしと同じレベルじゃん! 千鶴さん連れてくれば良かったかなあ」

「……とりあえず、今は明日の朝ご飯の分だけ買えばいいと思う……」

「おお、なるほど妙案。下手の考え休むに似たり、明日千鶴さんに色々聞けばいいよね。ありす、それじゃ明日の朝何作るの?」

「え? えーと……じゃあ、簡単そうなところでトーストと目玉焼きかなあ……」

「じゃあ食パンと、卵と、サラダ油とー」

「……レタスとベーコンぐらいは一緒に欲しい」

「それだ。あとパンに塗るバターとかマーガリンとか」

「あ、それなら……ピーナッツクリームがいいかな……」

「くおー! ありすはかわいいなあー!」

「え、な、なんでそうなるのー!?」

「……先、行ってる」

「あ、ひなちゃん待ってー!」


 そんな調子で最低限の食材を買って、ファーリーハイツへの帰路につく。みつねちゃんがオートロックを開け、ひなちゃんが、「……はい、これ」と、持ってくれていた食材と教科書をわたしに返してくれた。教科書も全部まとめて買ったので結構重かったのである。


「ありがとう、ひなちゃん」

「……ん」

「ありす、また何かあったら誰か呼べばいいよー。拙者はいつでも馳せ参じようぞー!」

「うん、みつねちゃんも今日は本当にありがとう。カラオケも楽しかったよ。また誘ってね」

「おー。じゃ、今度は千鶴さんとうさ先輩も誘って5人でどっか行こっか。ねえ、ひなっちもいいよね?」

「……任せる」

「おっ、ひなっちが心を開いた! へへへー、これから仲良くやろーね」

「…………うん」


 みつねちゃんに見上げられ、ひなちゃんは照れくさそうに頷いた。


「じゃ、まったねー」

「うん、またね」

「……ん」


 わたしの部屋のドアの前で別れ、それぞれ自分の部屋に帰っていく。わたしも自室に入り、食材を冷蔵庫に入れ、教科書を机の上に載せると、そのままふらふらベッドに倒れこんだ。

 楽しかったけど、片付けとカラオケでちょっと疲れた……。お腹もすいてないし、なんだか眠くなってくる。こんな時間に寝ちゃったら、夜眠れなくなるのに……。頭でそう考えるけれど、睡魔には抗えない。新しいふかふかのベッドの柔らかさに抗えず、わたしの意識はゆっくり暗闇に吸い込まれていく。




 ………………。

 目が覚めたとき、なにか強烈な違和感があった。

 しまった、寝ちゃってた――と思うより早く、その違和感にわたしは混乱する。何かがおかしい。けれど、何がおかしいのかがよくわからない。そもそも、ここはどこだろう。なんだか異様に大きな白いふわふわの上に、わたしはいる。起き上がろうとしたけど、足元がふわふわして覚束ない。

 なんだか身体のバランスも変で、立ち上がっても二本の足で立っているような気がしない。妙にお尻のあたりが重いし、そもそも立ち上がっても景色にほとんど変化がない。

 とにかく、この白いふわふわの海から脱出しないと。わたしは四つん這いになってふわふわの海をもがいて進む。と、いきなり白い海が途切れ、わたしはそこから転げ落ちた。


 ――ぷぎゃっ。


 べしゃ、とフローリングの床に落ちて、わたしは首を振って起き上がる。そうして改めて周囲を見回して――自分の目を疑った。

 そこは、どうやら誰かの部屋の中のようだった。ただ――何もかもが、異様に大きい。

 テーブルは足しか見えない。本棚らしき棚は、一段がわたしの身長以上ある。見上げるほど大きなストーブ。――ということは、さっきまでいた白い海は、たぶんベッドだ。

 なにここ、巨人の部屋? そう思いながらわたしはフローリングの床の上を歩こうとして、上手く歩けずにべしゃっと前のめりに倒れた。部屋の大きさだけじゃなく、身体もなんだか変な感じがする……。

 起き上がろうとして、わたしは床に手を突いて、

 その手が、人間の手の形をしていなかった。


 ――え? えええ?


 わたしは自分の身体を見下ろす。手のひらには肉球。手も足もやけに短く、身体中にモフモフした毛が生えている。後ろを振り向くと――背後に、わたしの身体ぐらいあるふわふわした物体が直立している。

 わけがわからないまま、わたしは四つん這いで歩き出す。立ち上がるより、こっちの方が自然と身体がスムーズに動いた。四つ足で、まるで動物みたいに床の上を歩いて、

 クローゼットらしき大きな壁の横に、姿見がある。

 そこに、わたしの身体が映し出された。


 一匹のシマリスが、そこにいた。


 わたしが首を動かすと、鏡の中のシマリスも同時に首を動かす。

 わたしが直立すると、鏡の中のシマリスも直立する。

 ――ということは、このシマリスは、わたしだ。

 そして、鏡に映った部屋の中の光景を改めて見て気付く。――ここは、わたしの部屋だと。

 つまり、この状況は、すなわち。


 ――わたし、リスになっちゃってる?


 いやいやいや、意味がわからない。そんなことが現実にあるはずがないではないか。これは夢だ。やけに現実感があるけど、こんなのは夢に決まっている。どうしてわたしがリスになっているのだ。そりゃまあ、クルミのケーキは子供の頃からの好物だけど――。

 呆然と鏡の前で立ち尽くしていると、不意に、ピンポーン、と甲高い音がした。インターホンの音だ。そして、玄関の方から誰かの声。


『おーい、ありすー』


 みつねちゃんの声だ。わたしは思わずそちらに四つ足で駆け出した。人間の足なら数歩の距離がやけに遠い。半開きになっていた、玄関とリビングダイニングの間のドアの隙間をくぐり抜けて玄関に出る。

 目の前で、ガチャ、と玄関のドアが開いた。帰ってきたときにチェーンをかけておいたので、ドアはちょっと開いたところで止まる。


「チェーンかかってる……ってことは、ありす寝てるのかな? おーい」

「あらあら、どうしましょうか」千鶴さんの声だ。

「まだ晩ご飯食べてないだろうし、起こしてあげないと。もっかいチャイム鳴らしてみます」


 みつねちゃんがそう言ってドアを閉めようとする。待って待って! と心の中で叫びながら、わたしは玄関に向かってダッシュした。やたらと大きい自分の靴の脇を通り抜け、閉まりかけたドアの隙間をくぐって、間一髪外に飛び出す。


「わっ、なんかでてきた!」

「あらあらあら――まあ、リスじゃないの」


 足元に飛び出してきたわたしの姿に、みつねちゃんと千鶴さんが驚いて声をあげる。リスの姿になったわたしの目線から見上げるふたりの姿は、まさに巨人だった。千鶴さんは晩ご飯のお裾分けにでも来てくれたのか、お鍋を手にしている。


「リス? え、なんでありすの部屋からリスが出てくるの?」


 ――みつねちゃん、わたし、わたし!


 わたしはそう叫ぼうとするけど、リスの身体なので人間の声が出ない。立ち上がって手を広げるわたしを見下ろして、千鶴さんが「あら、かわいい」と目尻を下げた。


「野生のリスがどこかから入り込んだのかしら?」

「ありすの部屋に? それだったらありすが騒いでそうな……」


 ふたりは首を傾げる。そりゃそうだ、まさか足元のリスがわたしだなんて、ふたりが想像するはずもない。それでもなんとか気付いてほしくて、わたしはみつねちゃんの足にしがみつき、ズボンに爪を引っかけてよじ登った。――まるで床の上を歩くみたいに、するするとわたしはみつねちゃんの足を登っていく。


「わわわっ」

「あらあら」


 慌てるみつねちゃんの肩まで辿り着いて、わたしは手――この場合は前足と言うべきなんだろうか、とにかく手でぺしぺしとみつねちゃんの頬を叩いた。


「んー?」


 みつねちゃんはそこでようやく、わたしがただのリスじゃないと察したのか、怪訝そうに目をすがめ、肩の上のわたしに手のひらを差し出す。わたしがその手のひらに乗り移ると、みつねちゃんはわたしを目の前に運んで、「まさか……」とわたしをじっと見つめた。


「……ひょっとして、ありす?」


 ――気付いてくれた! わたしはこくこくと頷く。さすがみつねちゃんだ。たった一日半の付き合いなのに、わたしがリスになっても気付いてくれるなんて……。

 わたしがそう感動していると、次の瞬間――。


「ちょ、ちょっとありす、なんでそんな格好で出てくるのさー! 恥ずかしいじゃん!」


 みつねちゃんは、わたしの想定とは全く別のベクトルの驚きを表明していた。

 ――へ?

 ぽかんとみつねちゃんを見上げたわたしに、「ええ?」と千鶴さんが首を傾げる。


「みつねさん、ありすさんは内地の人でしょ? 青森出身なんだから」

「え? あ、そっか……でも、今この子、頷きましたよ?」

「そんなまさか……本当にありすさんなの?」


 千鶴さんがわたしを覗きこむ。わたしはまた、必死にこくこくと頷いた。


「ほら、頷いてる!」

「あらあらあら――ありすさん、北海道は初めてじゃなかったの?」


 不思議そうに、千鶴さんは全く意味のわからないことを言う。わたしはわけがわからず、ただ首を傾げることしかできない。

 みつねちゃんと千鶴さんは顔を見合わせ――「あ!」とみつねちゃんが声をあげた。


「ひょっとして……ありすの家、内地に行った道民の家系なんじゃ? 自分がそうだと知らなくて、北海道来てからわかってびっくりした内地の人がいるって話、聞いたことありますよ」

「ああ、そういうこと――それならありすさんも、びっくりしてるでしょう」


 ふたりは何か納得したように頷き合うけれど、わたしには何が何だかわからない。


「どうしよ。とりあえず、あたしの部屋連れてった方がいいですかね?」

「そうねえ。ありすさんが知ってるなら、いきなりこんな格好で出てこないでしょうし」

「ですよねー。じゃ、ありす、ちょっとじっとしててね」


 ――というわけで、わたしはみつねちゃんの手のひらの上に乗ったまま、みつねちゃんの部屋に連行された。ドナドナされる仔牛の気持ち……とは、ちょっと違うけれども。


「ほい、ありす降りて」


 わたしはテーブルの上に降ろされ、クッションに腰を下ろしたみつねちゃんと千鶴さんに見下ろされる。巨人のようなふたりを改めて見上げて、変な気分になった。リアル不思議の国のアリスだなあこれ、と今さらのように連想する。


「さてと……ありすさん、人間の姿に戻れる?」


 千鶴さんが心配そうに首を傾げた。わたしは首を横に振る。戻れるかと聞かれても、何をどうしたらいいのか、さっぱりわからない。


「あー、やっぱりそうか。ありす、自分がリスの家系だなんて知らなかったでしょ」

「正確には、たぶんエゾシマリスね」


 家系って……え、じゃあこれは遺伝的な体質か何かっていうこと?

 目をしばたたかせるわたしに、「うーん」とみつねちゃんが腕を組んで唸った。


「人間への戻りかたって、どう説明すればいいのかなー」

「え、みつねさんも変身できるの?」

「そうですよー」

「あら、私もよ」

「おおー、お仲間でしたか。このファーリーハイツって、なんか同類が集まってたのか」

「そうみたいね。羽紗美もそうだし」

「なんと、うさ先輩まで! こうなると、ひょっとしてひなっちもそうなのかな」

「そうかもね。別にそう珍しいわけじゃないし。……うーん、私たちも変身してみせる?」

「そですねー。ちょっと恥ずかしいけどそれがいいかも」


 え? え? えええ?

 ふたりの会話が理解できず混乱するわたしの前で、千鶴さんは「じゃあ、私から」と右手を挙げ、立ち上がって目を閉じた。

 ――次の瞬間。

 千鶴さんの姿が消え、代わりにその場所に――ばさり、と白と黒の美しい翼を広げた、タンチョウヅルがいた。リスになっているわたしから見ると、とんでもない巨鳥に見えるが、確かに旧千円札でおなじみの天然記念物だ。それがみつねちゃんの部屋の中にいるという、非現実的な光景に、わたしはぽかんと口を開ける。――いや、そもそもわたしがリスになっている時点で、現実的も何もあったものではないけれども。


「おおー、タンチョウヅルだ!」


 みつねちゃんが歓声をあげる。次の瞬間、ぽんと鶴の姿は消え、また千鶴さんの姿が現れた。


「人前で変身したのなんて、小学校のとき以来だわ」


 恥ずかしそうに千鶴さんは言う。みつねちゃんが「いいもの見させてもらいましたー」と両手を合わせて拝み、「恥ずかしいからやめて」と千鶴さんが頬を膨らませる。


「じゃ、私もやってみせるよー。ありす、ちょっと隣いい?」


 手を挙げて立ち上がったみつねちゃんが、よいしょとテーブルに腰を乗せる。そして、千鶴さんと同じように目を閉じた。

 ――次の瞬間、みつねちゃんの姿はその場から消え失せ。


「あらあらあら、かわいい」


 テーブルの上、わたしの横に、キタキツネが座っていた。キツネはわたしの方を振り向き、黒い鼻をすんすんと鳴らすと、その目を笑うように細め――。

 次の瞬間、キツネは消え、テーブルの上にはみつねちゃんの姿が戻っていた。


「こんな感じ。ありすも慣れればすぐ戻れるよ」

「みつねさん、それじゃありすさんが困るでしょう。――そうね、ありすさん、目を閉じて。ゆっくり息を吸って、心を落ち着かせて……自分の人間のときの姿をイメージしながら、胸のあたりに軽く力を入れてみて」


 千鶴さんが言う。わたしは言われた通りにしてみた。目を閉じて……ゆっくり息を吸って。心を落ち着かせて……普段の自分の姿をイメージして……。

 ――ふっと、なにか解放感のようなものがあった。プールで水中から顔を出したときのような、あるいは暑い外から冷房の効いた室内に入ったときのような……。


「はい、目を開けて」


 千鶴さんの声。わたしは目を開け――世界が縮んだことに気付いた。

 いや、違う。元通りに戻ったのだ。わたしの前に、違和感のないサイズに戻ったみつねちゃんと千鶴さん。わたしは自分の手を見下ろす。――人間の手だ。


「おー、戻った戻った。ありす、ちゃんと戻れてるよ」


 みつねちゃんが鏡を取りだしてわたしに向ける。そこには、見慣れたわたしの顔があった。

 ――戻れた。わたし、人間に戻れたんだ。

 息を吐いた瞬間、ぶわっと身体の奥から溢れてくる安堵の感情に、わたしはたまらず目の前のみつねちゃんに抱きついた。


「みつねちゃああん!」

「わっ、あ、ありす、おーよしよし、もう大丈夫、大丈夫だよー」


 驚いたようにわたしを受け止めたみつねちゃんは、優しくわたしの頭を撫でてくれる。わたしは鼻をすすり上げて、みつねちゃんの胸に顔を埋めた。みつねちゃんはあったかくて、なんだかおひさまのような匂いがした。


「何も知らなかったなら、不安だったでしょう。良かったわね」


 千鶴さんも、ぽんぽんとわたしの背中を撫でてくれる。

 頭の中ではまだ様々の疑問が渦を巻いていたけれど、とりあえずそれは棚上げにして、わたしはもうちょっとだけ、ふたりの優しさに甘えることにした。

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