お隣さんはいいひとでした
スマホのアラームで眼が覚めた。布団の中から手を伸ばし、手探りでスマホを掴んで、着信でも通知でもなくアラームであることに違和感を覚える。あれ、目覚まし時計は……?
「うー……ああ!」
ようやく現状認識が追いついて、わたしは飛び起きた。青森の自宅とはまるで違う、殺風景な部屋。――そうだ、ここは札幌だ。ファーリーハイツの102号室だ。
備え付けのカーテンを開けて、わたしは伸びをする。なんだか変な夢を見たような気もするけど、新生活最初の目覚めとしては悪くない。今日は午前中に業者さんが家電とか家具とか持ってきてくれるから、その前に今ある段ボールをちょっと片付けておかないと……。
段ボール箱を見ていたら、空腹を覚えた。まず朝ご飯にしよう。朝ご飯……。って、だからあの段ボール箱の中の食料は電子レンジが必要なものばっかりなんだってば。どうしよう。
「あ、そっか、コンビニ行けばいいんだ」
そのことに思い至るのに数分かかってしまった。歩いて五分とかからない場所にコンビニがあるのだ。青森とは違う。食べ物がなくてもいつでも買いに行けるんだ。札幌すごい。
というわけで、顔を洗って髪をまとめ、軽く着替えて外に出る。マンションの玄関を出たところで軽く伸びをして朝の空気を吸っていると、後ろで玄関が開く音がした。
「お、ありす。おはよー」
「あ……みつねちゃん、おはよう。それ、ゴミ袋?」
「うん、今日月曜日だから燃えるごみの日ー」
みつねちゃんは黄色いゴミ袋を提げて私の横を通り過ぎると、マンションの脇の駐輪スペースに設置されたゴミ収集ボックスに放り込む。
「燃えるごみは月木、燃えないごみは水曜、ビン・カン・ペットボトルは金曜ね。あんま分別うるさくないから適当で大丈夫だよ。燃えるごみと燃えないごみの袋は指定だからコンビニかどこかで買わないとだけど。ありすはどうしたの?」
「あ、コンビニに朝ご飯買いに行こうと思って……」
「じゃ、セイコーマート行こうか」
「あれ、ファミマの方が近くなかった?」
「セコマの方がいろいろ安いよー」
「え、そうなの?」
「セコマは北海道の貧乏学生の味方なのだ。こっちこっち」
「ま、待ってよー」
先に歩き出したみつねちゃんの背中を、わたしは慌てて追いかけた。
というわけで歩くこと数分、オレンジ色のコンビニに私たちは足を踏み入れる。看板には6時から1時の表記。そういえばコンビニなのに24時間営業じゃないんだ……。
「ホットシェフもいいけど、学生の味方はこれこれ。100円パスタ! もう100円じゃないけど」
「え、これで118円なの? わたしたぶんこれひとつで充分だよ」
「なんとポテトサラダをつけても200円台!」
「札幌すごいね……」
そんなわけでパスタとサラダと飲み物、ついでにゴミ袋を買ってセイコーマートを出る。みつねちゃんは隣のパン屋さんを指して「あそこも安くて美味しいよー。夜の8時過ぎから売れ残りの半額セールやるし」と教えてくれる。すぐ向かいにはチェーンのお弁当屋さんもあった。少なくとも、安上がりに食べるものには困らなさそうだ。
みつねちゃんも一緒に朝ご飯を買っていたので、そのままわたしの部屋で一緒に食べることにした。まだ殺風景な部屋で、段ボール箱をテーブル代わりに袋からパスタを取り出す。
「……あれ、パスタなのにお箸ついてきてる」
「ん? セコマのパスタは箸で食べるものだよ」
「ええー? みつねちゃん、それほんと?」
「ほんとほんと」
そう言ってカルボナーラを箸で食べ始めるみつねちゃん。ううん、札幌の常識は、やっぱりよくわからない……。
「で、引っ越し屋さん午前中に来るんだっけ? 手伝うよー」
「うん、ありがとうみつねちゃん。9時に来るって聞いてるから、もうすぐのはず。大家さんも立ち会ってくれるはずなんだけど……大家さんってどんな人?」
「あ、そっか昨日は千鶴さんが迎えに行ったんだっけ。大家さんはねー」
朝ご飯を終えて、みつねちゃんとそんな話をしていると、インターホンが鳴った。
「外からじゃないね。噂をすれば大家さんかな」
みつねちゃんが言う。わたしは立ち上がって部屋の玄関に向かった。
「はーい」
「おはよう。おお、君が添島君か、はじめまして」
ドアを開けると、立っていたのは中性的な顔だちに爽やかな笑みを浮かべた女性だった。20代半ばぐらいだろうか。
「え? あ、ええと……」
「大家の鹿賀枝実子だ。正確には大家はうちの祖母なんだが、祖母は歳なのでファーリーハイツの管理は私がやっている。よろしく」
「あ、は、はい、添島ありすです。よろしくお願いします」
差し出された右手を握ると、大家さんは白い歯を見せて人なつっこく笑った。女の人だけど、イケメンという言葉しか浮かばない笑みである。動作もきびきびとしてかっこいい……。
「お邪魔するよ」
「はい、ど、どうぞ……まだ散らかってますけど」
「あ、大家さんおはよーございまーす」
「ん? ああ、北崎君か。おはよう。新入生同士、さっそく仲良くなったのかな」
「へへへー。ありすの手伝いに来ました」
「感心だな。添島君も、昨日来たばかりでまだ慣れないだろうが、何かわからないことや困ったことはないかい?」
「あ、はい、今のところは……」
「そうか。まあ、何かあったらいつでも遠慮なく連絡してくれ」
大家さんがスマホを取りだしたので、アドレスを交換する。
そうこうしているうちに、今度は壁に取り付けられた受話器が鳴った。わたしが立ち上がるより早く大家さんが取り、横のオートロック解錠ボタンを押す。
「業者が来たよ」
大家さんがそう言うのと同時にインターホンが鳴り、どやどやと引っ越し業者さんが大荷物を抱えてやって来た。
「洗濯機はそこ、冷蔵庫はそのへんに……添島君、ベッドはどこに?」
「あ、ええと、じゃあ、ここで……」
「そこだとコンセントが隠れてしまうが、大丈夫かい?」
「うぇ? あ、ホントだ……ええと、じゃあ、こっちかな。こっちは机で……」
大家さんが場を仕切って、てきぱきと引っ越し業者さんを誘導する。わたしはところどころ配置の考えを求められたが、だいたい大家さんが決めてくれたようなものだ。ともあれ、ベッドやら洗濯機やらの大きな家電は大家さんと業者さんがコンセントの位置も踏まえて設置してくれて、あとは追加の段ボール箱が部屋に積み上がっていく。
「では、これで。ご利用ありがとうございました」
「おつかれさまでした」
引っ越し業者さんが立ち去った後の部屋は、今までのがらんとした印象から、ぐっと人の暮らす部屋らしくなった気がした。「おー」とみつねちゃんも感嘆の声。
「添島君、問題ないかい?」
「あ、はい、大丈夫です。あとは自分でやるので……ありがとうございました」
「何かトラブルがあったらいつでも電話してくれ。ああ、それと、一応うちはそれなりに壁が厚いから、通常の生活音程度なら隣室の迷惑にはならないと思うが、何事も限度はあるから、特に夜中は気を付けて。玄関はオートロックだけど、部屋の戸締まりもしっかり頼むよ。女の子のひとり暮らしなんだから」
「はい、心がけます」
それじゃあ、と辞去する大家さんを見送って、わたしは部屋の玄関を出る。と、それとほとんど同時に、隣の101号室のドアが開いて――熊谷さんが顔を出した。なんだか不機嫌そうな半目で、熊谷さんはじろりとこちらを見る。
「おや、熊谷君。おはよう」
大家さんの挨拶に、熊谷さんは「……おはようございます」とぼそりと答えて頭を下げた。大家さんはわたしを振り返り、「熊谷君とはもう挨拶はしたかい?」と訪ねた。「あ、はい」とわたしは頷く。
「君たちも同じ新入生同士だ。仲良くな。それじゃあ」
颯爽と手を振って、大家さんはマンションを出て行く。後には、部屋のドアから半身だけ出した格好で、わたしと熊谷さんが見つめ合う状況が残された。
「あ、あの……」
じーっと、感情の読めない半目で見つめられて、わたしはたじろぐ。昨日は、思ったよりいい人かも、と思ったけど、やっぱりちょっと威圧感があって怖い……。
「えと、すみません、うるさかったですか……?」
ひょっとしたら、寝ていたところを起こされたせいで機嫌が悪いのかも。そう思ってわたしがおそるおそる尋ねると、熊谷さんは肯定も否定もせず、「……引っ越し業者が来たの?」と低い声でそう問い返してきた。
「あ、は、はい……」
「…………なにか、手伝おうか」
「え」
思いがけない言葉に、わたしは目を見開く。
「い、いえ、そんな……大丈夫です」
思わず遠慮して首を振ると、「……そう」と熊谷さんはまた感情の読めない低い声で応え、俯くように視線を落とした。ええと……この状況、わたしはどうすればいいんだろう。
「あれ、ひなっちじゃん。起きたの? おはー」
と、そこへわたしの後ろから顔を出したのはみつねちゃんだ。気安く手を振るみつねちゃんに、熊谷さんは軽く睨むように目を細める。
「……おはよう」
「あ、ひなっちひなっち、せっかくだからありすの部屋の片付け一緒に手伝ってよ。ありすひとりじゃ大変そうだからさー」
「ええ!? み、みつねちゃん、そんな、迷惑だよ」
いきなりそんなことを言い出すみつねちゃんに、わたしは慌てる。
「……わかった。今行く」
だけど、熊谷さんはぼそりとそう答え、一度ドアを閉めて部屋の中に戻った。わたしが呆気にとられていると、ほどなく熊谷さんはジャージ姿で再びドアを開けて現れる。
「え、く、熊谷さん? あの、いいんですか……?」
「……力仕事なら任せて」
見上げて尋ねたわたしに、熊谷さんはそう頷いた。みつねちゃんが「おー、ひなっち、いらっしゃーい」と手を振ってドアを開け放ち、熊谷さんはわたしの横を通って「……お邪魔します」と頭を下げて部屋の中に上がり込んでしまう。わたしは慌てて後を追った。
「……それで、何からやればいい?」
「え、あ、ええと……どうしよう」
わたしは部屋に積み上がった段ボールを見渡して、改めて途方に暮れる。大きな家具の配置は終わったとは言っても、この整理はいったいどこから手を着ければいいのか……。
「んー、片付けるにしても、まず片付けるための棚とかが必要だよねえ。ありす、棚とかは今もう設置してある分だけで全部? とりあえずクローゼットとチェストはあるけど」
「あ、ええと、自分で組み立てる本棚とカラーボックスがあるはず……」
「ああ、これだね。んじゃ、まずこれ組み立てよう!」
「……わかった」
「んで、片付ける場所が出来たら残りを分担して整理しようよ。服とかありすのプライベートなものは任せるから、そうでないものはあたしとひなっちでやるって感じで」
「あ、うん、ありがとう、みつねちゃん」
「よーし、じゃあ作業開始!」
かくして、みつねちゃんの仕切りで、わたしの部屋の片付けは驚くほど順調に進んだ。みつねちゃんがテキパキと組み立てた本棚とカラーボックスを、熊谷さんが抱えて設置する。
「おおー、ひなっち力持ちだねえ」
「熊谷さん、大丈夫ですか? 重くないです……?」
「……平気。……本棚、ここでいい?」
「あ、はい」
あとは段ボールを中身で仕分けして、分担して片付けにかかる。3人でやると、膨大に見えた段ボール箱がみるみる空いていった。人海戦術、侮るべからず。
――そうして、数時間後。
「おー、片付いた、片付いた」
みつねちゃんがぱちぱちと手を叩き、熊谷さんが息を吐いて額の汗を拭う。家具が配置され、その中身が整理されて詰め込まれた部屋は、ピカピカの新居、という言葉が似合う輝きを放っていた。部屋の隅の、畳まれた段ボールの山と、整理しきれず押し入れに突っ込まれた段ボール箱だけが、引っ越し作業の名残として残っているだけだ。
わたしひとりだったら、この作業に何日かかったかもわからない。みつねちゃんの的確な仕切りと、熊谷さんの力仕事があってこその、数時間での作業完了だった。
「こんなに早く片付くなんて……ふたりとも、本当にありがとう!」
わたしが頭を下げると、みつねちゃんは「なに、あたしらもついこの前、千鶴さんやうさ先輩に手伝ってもらってやったことだしね。ねえひなっち」と笑い、熊谷さんも頷く。
「……役に立てたなら、良かった」
熊谷さんはそう言って、目を細め――次の瞬間、ぐう、と派手な音が鳴った。
「え?」
「お? 今の音って」
「…………」
「ひょっとして、ひなっちの腹の虫?」
熊谷さんがお腹を押さえて俯く。時計を見ると、とっくにお昼を大きく過ぎていた。そういえばわたしもお腹がペコペコだ。みつねちゃんも「わ、もうこんな時間かー」と声をあげる。
「遅くなったけど、お昼にしよっか。お弁当買ってくるよ。ありす、のり弁でいい?」
「え? あ、うん、任せるよ」
「あたりものり弁でいいか。ひなっちは?」
「……のり弁三つ」
「はいはい、じゃあ全員のり弁ね」
「……そうじゃなくて、私のぶん、のり弁三つ」
「え? ひなっち、それ一人で三つってこと?」
「……そう。後で立て替えるから……」
「あはは、そんなにお腹すいたのー? 了解、じゃちょっくら行ってくるねー」
みつねちゃんは笑って部屋を出ていく。あとには、わたしと熊谷さんが残された。
「………………」
「………………」
自然、会話が途切れる。わたしは話の接ぎ穂を探すけれど、いざ熊谷さんと二人という状況だと、何を話したらいいのか。みつねちゃんがいれば、勝手に会話を進めてくれるんだけど。ええと……どうしよう、この状況。
「あ、あの……熊谷さん」
「…………」
「えと、あの……き、昨日は、ご迷惑かけて、すみませんでした……」
結局、それしか話題が見つからなかった。熊谷さんは無表情のまま、
「……別に、気にしなくていいから」
とだけ答える。――会話終了。あああ、どうしよう。間が保たない。
わたしが次の話題を考えていると、熊谷さんはゆっくり部屋の中を見回して、それから不意に立ち上がった。どうしたのかと視線で追うと、熊谷さんはテレビを載せたカラーボックスの方に向かう。テレビを点けるのかと思ったら、どうもそうではないらしく、熊谷さんが手に取ったのは、わたしがテレビの横に置いたぬいぐるみのくますけだった。
「……ぬいぐるみ、好きなの?」
「え? あ、ええと……あの……」
改めてそう問われると、途端に子供っぽくて恥ずかしい気持ちになってくる。
「えと、その子と、横のキツネのコンタは、子供の頃からの宝物で……」
「…………」
「だからその……えと」
「……名前は?」
「え?」
「……この子の。……このクマの名前」
「あっ、ええと、……くますけ、です」
「……そう。……大事にしてるんだ」
熊谷さんはそう呟いて、なんだか優しい手つきでくますけを撫でた。相変わらず無表情な横顔だけれど、心なしかその顔も優しいような……。
「あの、熊谷さん、ぬいぐるみ……好きなんですか?」
「…………」
おそるおそるわたしが問うと、熊谷さんは不意にその動作を止め、それからゆっくりとくますけを元の場所に戻して、わたしに向き直った。お、怒ってる? その表情から感情が読めずにわたしが身を竦ませると、熊谷さんはぼそりと、
「……敬語じゃなくていいから。……同い年だから」
そう言った。「ほへ」と思わず声をあげたわたしに、「……それと」とちょっと視線を逸らし、
「……あと、名前でいい」
そう付け加える。――え、それってつまり……。
「え、あ、ええと、熊谷さん」
「ひなた」
「ふえ」
「……ひなた、でいい。敬語じゃなくていいから」
「えと……くまが、じゃなくて……」
ひなた――ひなたちゃん? 心の中で呼んでみる。ちょっと言いにくいかも。じゃあ……。
「……ひなちゃん」
わたしがそう呼びかけてみると、熊谷さんは目を見開く。あ、やっぱり馴れ馴れしすぎたかも……。わたしがそう心配していると、熊谷さんは、「……うん」とゆっくり頷いた。
そうして、ためらいがちに、口を開く。
「……私も、ありす、って呼んでも……いい?」
「え、あ――はい、じゃなくて、うん。……いいよ、ひなちゃん」
「……わかった。ありす」
そう、私の名前を呼んだ熊谷さん――じゃなくて、ひなちゃんの口元には、ちょっと見ではわからないぐらい微かだけど、確かに笑みが浮かんでいた。
その顔を見て、わたしの中には、ひなちゃんと友達になれるという、確信が浮かんだ。
ちょっと無口で無表情だからわかりにくいけど――ひなちゃんは、間違いなく優しくて友達想いな子なんだって。みつねちゃんと同じく、きっとこれから仲良くやっていけるって。
えへへ、とわたしが笑うと、ひなちゃんは目を細めてわたしを見下ろした。その無表情に見える笑顔を見上げて、わたしはようやく、札幌での新生活が、きっと大丈夫だという安心を得られた気がした。このファーリーハイツというマンションの人たちは、みんないい人だと。これから高校三年間、いい友達と一緒にやっていける――。
「たっだいまー! ってあれ? ありす、ひなっち、どうしたの?」
と、そこへみつねちゃんがお弁当屋さんのビニール袋を提げて戻ってきた。
「あ、おかえりみつねちゃん。えへへ、なんでもないよ。ね、ひなちゃん」
「……うん、ありす」
わたしがひなちゃんに笑いかけ、ひなちゃんが頷く。みつねちゃんは「へ?」と目をしばたたかせ、それからテーブルに袋を置くと「え、ちょっとちょっと!」と詰め寄ってきた。
「ひなちゃん? ひなちゃんってひなっちのことでしょ? え、なに、あたしがお弁当買ってる間に何があったの?」
「……別に、何も」
「ええー? いやまー、ひなっちとありすの距離が縮まったならいいんだけどさ、あたしが席外してる間に親密感増しすぎじゃない? ねーねー、絶対何かあったでしょ」
「み、みつねちゃん、別にそんな……」
みつねちゃんに詰め寄られてわたしがたじろいでいると、「ん?」とみつねちゃんがわたしの背後の何かに気付いた。振り向くと、テレビの脇のキツネのコンタがそこにいる。
「このキツネのぬいぐるみ、ありすの?」
「あ、うん。キツネのコンタ」
「へー。ありす、キツネ好き?」
コンタを手にして、みつねちゃんは何か楽しげにそう問うてくる。
「え? あ、うん、好きだけど……」
「お、そっかそっか! ありすはキツネ好きか! へへへー」
「み、みつねちゃん? どうしたの?」
「えへへー、そっかー、ありすはキツネ好きかー」
嬉しそうなみつねちゃんに急に抱き寄せられ、わたしは混乱する。どうしてわたしがキツネ好きだと、みつねちゃんがそんなにご機嫌になるんだろう。よくわからない……。
と、ひなちゃんがむっとしたような顔をしていることに、わたしは気付いた。ひなちゃんはくますけを再び手に取って、みつねちゃんに抱きつかれたわたしに差し出す。
「……ありす。……クマは好き?」
「ふえ? う、うん、クマも好きだよ」
「…………ぬいぐるみじゃなくて、本物のヒグマは?」
「え、本物のヒグマ?」
――咄嗟に昨日、夢で見たヒグマが脳裏に浮かんだ。いや、あれは夢だってば。
「ええと……ど、動物園とかで見るぶんなら……。野生の本物は怖いかな……」
「…………そう」
なんだかちょっと肩を落として、ひなちゃんはくますけを元の場所に戻す。そこで、ぐう、とまたひなちゃんの腹の虫が大きく鳴り響き、ひなちゃんはお腹を押さえてちょっと赤面した。
「あ、そうだお昼。食べよ食べよー。はいひなっち、注文通り三つ買ってきたよ」
みつねちゃんがようやくわたしを放して、袋からのり弁を取りだした。テーブルの周りに座ったわたしたちの前に並べられるのり弁。ひなちゃんの前には三つ積み重ねられている。
「ひなちゃん、ほんとにそれ全部食べるの? 大丈夫……?」
「……うん。いただきます」
「あ、い、いただきます」
「いただきまーす」
手を合わせ、三人一緒に食べ始めたのだけれど――。
「……ごちそうさま」
「あはは、ひなっち、よく食べるねー」
その食べっぷりに見とれているうちに、ひなちゃんはあっという間にのり弁三つを平らげて、まだちょっと物足りなさそうな顔をしていた。
「ひなちゃん……わたしの白身フライ食べる?」
「……いいの?」
「う、うん。わたし小食だから……」
「……じゃあ、ちょうだい」
「ひなっち身体おっきいから、エネルギーが必要なんだねー。実際何センチあるの?」
「……身長? 178……」
「わーお。あたし156ー。ありすは……140ある?」
「あ、あるよ! ギリギリだけど……」
140センチで止まったまま伸びない身長は、わたしの悩みの種だった。せめてあと10センチあれば小学生に間違われることもないのに。やっぱり遺伝なのかな……。
「ひなちゃん、背高くていいなあ……」
「……そんなことない。……ここまで高いと、むしろぎょっとされるし」
「あ……ご、ごめんね」
わたしも、ひなちゃんを最初、ちょっと怖いと思ったのは、その背の高さもあったのは間違いなかった。見上げるほどの同性って初めてだったから尚更……。でも、そうだよね、怯えられて傷つくのはひなちゃんの方に決まってる。そう気付くと、申し訳なくてわたしは俯いた。
「いや……別にありすを責めてるわけじゃ……。怖がらせてごめん……」
「そ、そんな、わたしの方こそ……」
「まーまー、いいじゃん、もうひなっちは怖くないってありすも判ったんだからさ。ね?」
「あ、うん……。ひなちゃん、優しいよね」
「え……」
わたしが言うと、ひなちゃんは目を見開いて、「……そんなことは」と俯いた。
「あれ、ひなっち、照れてるー?」
「……そういうわけじゃ」
「恥ずかしがらなくていーじゃん。意外とかわいいなー、ひなっち。ねー、ありす」
「あはは……」
高い背を丸めて口元を覆ったひなちゃんに、みつねちゃんが絡む。わたしはそんなふたりを前に笑みを漏らして、それからちょっと居住まいを正して、ふたりに向き直った。
「ひなちゃん、みつねちゃん、これからよろしくね」
ぺこりと頭を下げると、ふたりはこちらを振り向いて、
「もちろん」
「……こちらこそ」
みつねちゃんは人なつっこく、そしてひなちゃんは、ささやかに優しく笑った。
「あ、ひなっち今笑った! おー、ひなっちの笑顔初めて見た!」
「…………別に、大したことじゃ」
「やー、ようやくひなっちともお近づきになれた気がするよー。よーし、片付けも終わったし三人でどっか遊びに行こっか!」
みつねちゃんが高らかにそう宣言し、わたしはひなちゃんと顔を見合わせ――えへへ、と笑った。ひなちゃんは、黙ってさっきと同じ、優しい微笑みを返してくれた。




