丹羽千鶴は七城羽紗美がわからない
――千鶴、あんただったらどうする?
何の邪気もなく、羽紗美は私にそう尋ねた。
――…………さあ、どうするかしらね。わかんないわ。
私は、笑ってそうはぐらかした。
どうして、そんなことを私に訊くの。それ以外、どう答えればいいというの。
……羽紗美の、ばか。言えない言葉は、口の中で苦味になって消えていく。
* * *
昼休み。クラスメートがお弁当組や学食組、購買組に別れてめいめいグループで昼食を取り始める中、わたしはお弁当箱を手に教室を出て、別のクラスへと向かう。2年2組、羽紗美のいる文系クラス。
クラスメートとの付き合いをスルーして毎日お昼に別のクラスに行っていたら、中学ではハブられていたかもしれない。進学校だけあってエルムの生徒はみんなマイペースで、いちいちそんなことに目くじらを立てないのは、エルムに進学して良かったと思うことのひとつだ。
私もクラスで仲良くしている友達はもちろんいるけれど、その子たちも昼休みに私が別のクラスに行くことはとうに解っているから、「じゃあ」「はいはい、いってら」で済む。
――彼女たちは、私と羽紗美のことを何だと思っているのだろう?
そのことはちょっと気になるけれど、面と向かって訊くのも変なので、そのへんはいまひとつよくわからないままだ。
ともかく、自分のクラスである2年6組と同じぐらい見慣れた二年二組の教室を覗きこむ。隅っこで本を読んでいる羽紗美の姿を探すけれど……あれ? いない。
「七城さんなら、教室出ていったけど?」
「あ、ありがとう」
既に顔見知りになっている2組の女子生徒にそう言われ、私は頷いた、はて、羽紗美が昼休みにすぐ教室を出て行く理由とはなんだろう。いつもは教室で本を読みながら、私がお弁当を持ってくるのを待っているのに。スマホを見てみるけれど、特に羽紗美からの連絡はない。お手洗いだろうか?
5分ほど教室の前で待ってみたが、羽紗美は戻ってこなかった。誰かに呼び出されたのだろうか。羽紗美を呼び出しそうな人なんて、文芸部の砧先生か、清里先輩ぐらいだろう。先生が呼び出したなら、放送なり教室に来るなりしそうだ。砧先生は今は1年の担当なので2年の授業は受け持っていないはずだし。そうすると、清里先輩か。
すると3年の教室……いや、文芸部の部室がある図書室の方か。文芸部の活動で呼ばれたのだとすれば、私が行ったらお邪魔になってしまうだろうか。でも、羽紗美にお弁当渡さないといけないし。手にしたふたりぶんのお弁当を持ち直して、私は頷く。
朝のうちに渡しておけばいいということは解っている。私がお昼までふたりぶんを持っているのは、羽紗美にお弁当を届けるという、一緒に食べる口実が欲しいだけだ。羽紗美もそれを解っていて受け入れてくれているのだとは思うけど……。
ううん、とにかく図書室の方に行ってみよう。私はそちらへと足を向ける。
そうして図書室へと続く階段を上っていくと、案の定、図書室の前に見慣れた後ろ姿が頭上に見えた。羽紗美、と呼びかけようとして――聞き覚えのある話し声が聞こえてきて、私は足を止める。
そちらも案の定、文芸部部長、清里美幌先輩の声だった。そのまま階段を上がって羽紗美に声をかければ良かったはずなのに、私はついこそこそと、踊り場から羽紗美と清里先輩の様子を伺ってしまう。
「……部長、何か恨みでも買ったんですか?」
「うーん、バレー部とバスケ部の大岡裁きから熊谷さんを救ったぐらいしか覚えがないけど」
「なんですかそれ」
「熊谷さんと添島さんがバレー部とバスケ部に勧誘されて困ってたのを助けたの。それがきっかけで3人が入部してくれたんだけど、熊谷さんをアテにしてたバレー部とバスケ部からは恨まれたかなあ」
「ああ、あの3人が入部したの、そんな理由があったんですか」
「あ、熊谷さんは元から入部する気でいてくれたらしいよ?」
「どっちでもいいですよ、そんなの。で、これどうします?」
「まあ、ポスターは余ってるから貼り直せばいいだけなんだけど……」
――何やら文芸部絡みでトラブルが発生しているらしい。羽紗美が清里先輩に呼び出されたのはそのせいみたい。はあ、と私は自分でも意味のよくわからない息を吐き、階段を上がって羽紗美に呼びかける。
「羽紗美、ここにいたの」
「千鶴? なんでここに」
「羽紗美が教室にいないから探しに来たの。あ、清里先輩、こんにちは」
「あら、丹羽さん、こんにちは。羽紗美さんのお守りは大変ね」
「ええまあ、手の掛かる子で。はい羽紗美、お弁当」
「あんたは私の母親かっての」
私が差し出したお弁当を、羽紗美は口を尖らせながら受け取る。清里先輩はそれを見て「そうやって餌付けしてるわけだ」と楽しそうに笑った。
「それで、どうかしたんですか? 何か、恨みがどうとか聞こえましたけど……」
こそこそ立ち聞きしてたことを悟られないように、自然を装ってそう尋ねてみる。すると清里先輩は少し困ったような顔をして、「これ」と目の前の壁に視線を向けた。図書室の入口脇にある掲示スペースだ。図書室のイベントの告知なんかが貼られているところ。
そこに、貼られていたポスターらしき紙の残骸がこびりついている。
「……もしかして、文芸部の勧誘ポスターですか?」
「そう。昨日の放課後はなんともなかったんだけど、今日見たらこうなってて。羽紗美さんに任意で事情聴取してたところ」
「恨みを買う覚えなんてないですよ。買うなら部長か砧先生でしょう」
「そんな、私たちを極悪非道みたいに。私もお姉ちゃんも善良な読書人よ」
「その爛れた関係がどこかに露見したんじゃないですか?」
「爛れてないから!」
清里先輩は、文芸部顧問の砧先生と従姉妹同士で、同居生活をしている。プライベートでは清里先輩は砧先生を「お姉ちゃん」と呼んでいて、学校でもときどきそれが出てしまうのだとか。
ともかく、要するに図書室の入口に貼ってあった文芸部の新入部員勧誘ポスターが何者かに破り捨てられてしまったということらしい。それで緊急の文芸部部員呼び出しがかかったというわけか。みつねさんたち1年生トリオがいないのは、何かのゴタゴタだったときに新入生を巻き込みたくないからなのだろう。
「……ねえ羽紗美、これ羽紗美の好きなアレみたいね」
「日常の謎って言いたいの? 日常の謎にしたってポスターが1枚破られただけじゃ面白いミステリにはなりそうにないけど。何らかの不可能状況ならともかく……部長、これ見つけたのいつですか?」
「2時間目と3時間目の間の、教室移動中」
「昨日、部長が最後にポスターを見たのは?」
「5時に部室閉めて出たけど、そのときには異常なかったと思う」
「下校時刻は6時ですよね。ということは昨日部長が図書室出てから校内の生徒の下校完了時刻までと、今日学校が開いてから部長がこれを見つけるまでの間が犯行時刻ってことになりますけど、それだとまあ全校生徒および教職員全員に犯行が可能ですね。図書委員に聞き込みすればもっと犯行時間絞れるでしょうけど。やりますか?」
「うーん、別に犯人探ししたいわけじゃないんだけど」
「じゃあ、別の場所のポスターは無事ですか?」
「あ、そっちは確認してない」
「じゃあ、確認してください。そっちも破られてたら嫌がらせ、そうでなければ何かの事故です。図書委員が帰り際に別のポスター剥がそうとして手が滑ったとか。今のところはそれだけ確認すればいい。もし嫌がらせが濃厚だったら先生なり生徒会なりに訴えてください。余所の部活のポスターを悪意を持って剥がして捨てるのは問題行動には違いないでしょうから。嫌がらせでないようなら、ポスターを貼り直して終わりでいいでしょう」
珍しく長広舌の羽紗美に、清里先輩は目をしばたたかせる。
「……なんだか活き活きしてるね、羽紗美さん。やっぱりミステリ的な謎だから?」
「これのどこがミステリなんですか。千反田えるだって気になりませんよ、この程度」
「そのわりには楽しそうに見えるけど? ねえ丹羽さん」
「え? あ、そうですね。羽紗美が本の話以外でこんな長く喋るの珍しいです」
「千鶴」
羽紗美は眉を寄せて私を軽く睨み、疲れたように息を吐いた。
「ふたりとも私を何だと思ってるんだか知らないけど、私も犯人探しする気はないから」
「やらないの? 羽紗美さん。貴重なリアル日常の謎でしょ?」
「だからこの程度を日常の謎って言わないでください。本格ミステリの謎はたとえ日常の謎でも、せめてもうちょっと奇妙で不可解なものじゃなきゃ読者が食いつきません。それに」
「それに?」
「ミステリの名探偵は最終的に謎を解決できるから、謎に挑めるんですよ。最終的に犯人を突き止められるかどうかもわからないのに犯人探しして、結局解りませんでした、じゃただの痛くて迷惑で無能な人じゃないですか。だいたいこんなことの犯人探ししてどうするんです。犯人がわかったからって何が解決するわけでもないじゃないですか。現状の問題を解決する方法は犯人探しじゃなく、新しいポスターを貼り直すことです」
不機嫌そうに早口でそう言った羽紗美に、清里先輩は両手を挙げて苦笑した。
「どうどう、羽紗美さん、オーケイ貴女の言う通り。バケツの水をこぼしたらこぼした者を叱るより床を拭く方が先、『誰がこぼした!』と怒鳴っても床は乾かない、そういうことね」
「そういうことです。だから部長は新しいポスター貼り直して、他のところのポスターの様子確認してきてください。じゃ、私はお昼食べるのでこれで。千鶴、行こう」
「え? あ、うん」
いきなり踵を返して歩き出す羽紗美。私は清里先輩にぺこりと一礼して、慌ててその後を追った。清里先輩が少し困ったように首を捻っているのが視界の端に見えたけれど、それを気にしているうちに、羽紗美はずんずんと階段を下りていってしまう。
「羽紗美、待って」
階段を駆け下りて羽紗美に追いつくと、羽紗美は踊り場で足を止め、私を振り返った。
「……ごめん、千鶴。探させちゃって」
「う、ううん、それはいいんだけど。先輩さん、置いてきちゃって良かったの?」
「いいの。そもそも私を呼び出すようなことじゃなかったんだから」
はあ、と嘆息する羽紗美。私はその横顔を見て、ふっと目を細めた。
――本以外のことであんなに饒舌な羽紗美を見たのは、本当に久しぶりだった。あのまま、それこそ本当に名探偵みたいな羽紗美の姿を見られるかと思ったのに。
「……なによ?」
羽紗美がじろりと私を睨む。私は笑って答えた。
「ううん、羽紗美が先輩さんに言ったことはごくごく常識的で真っ当なことだとは思うけど、私としては名探偵七城羽紗美が見たかったかなあって」
「……あのねえ」
腰に手を当てて、羽紗美は首を振った。
「ミステリ好きが誰でも名探偵になれたら、この世は名探偵だらけよ」
「犯人は誰とか考えながら読まないの?」
「江神シリーズとかなら考えて読むけど、どうせ当たらないし。半端に根拠のない予想が当たるより、『全然わかんない』と思ってた方が解決でびっくりできるからいいのよ」
「そういうもの?」
「少なくとも私はそういう風にミステリを楽しんでるの。フェアプレイとか伏線の技術とかは再読したときに確認すればいいんだから」
「ふうん」
確かに、ドラマとかを見ながら『こんな展開かな?』と予想するのが当たるより、予想外の展開になった方がびっくりして面白いというのはわかる気がする。
予想がつかないから面白い、というのは、たとえばスポーツ観戦もそうだろう。何が起こるかわからない、先が見えないからこそのスリリングさ。それは確かに楽しいのだけれど――。
「そんなことより、教室戻ってご飯にしよう。お腹空いた」
「あ、そうね。羽紗美の教室でいい?」
「……あんたのクラス行くのはめんどいから、それでいい」
素っ気なく答える羽紗美に、私は微笑んだ。
――そう、確かに娯楽なら、わからない、先が読めないことは楽しいことのはずだ。
だけど……だけど。
それが、人間関係のことになると、どうして不安になってしまうのだろう。
* * *
いつもの5人での夕食のあと。羽紗美も原稿の続きをすると言ってさっさと部屋に戻ってしまい、自室にひとりで残った私は、ぼんやりとベッドに寝転んで天井を見上げていた。
頭の中でぐるぐるしているのは、羽紗美から投げかけられた問い。
それは別に、特に深い意味のない、たぶん羽紗美にとってはただ創作の助言を求めただけなのだろう問いだった。そのことは解っている。解っているけれど――。
……好きな人が、玉砕確定の恋をしているとき、自分はどうするか、なんて。
どうしてそんな質問を、よりにもよって羽紗美が、私にするの。
羽紗美は結局、私のことを何だと思っているのだろう。
ごく普通の友人? それとも、便利でちょっと鬱陶しい家政婦さん?
――羽紗美の面倒を見ているのは、私が好きでしていることだから、後者だと思われても私の自業自得ではある。自分が尽くしているから相手にも同じぐらいに想い返して欲しい、なんていうのはわがままだという自覚もある。
あるけど、あるからこそ、羽紗美のこういうときどき無神経な――でも、それを無神経に感じてしまうのは私自身の問題だとわかっているから羽紗美を責めるのは筋違いだという理解が余計に胸につかえる、そんな言葉が、私を振り回す。
恋愛のことなんて、全然まったく興味ないような顔をして、原稿のこととなると平然とそういうことを訊いてくる羽紗美の、そのマイペースぶりが、私の思考をぐしゃぐしゃにするのだ。
丸1年以上一緒にいて、毎日一緒にご飯を食べて、何くれと世話を焼いて。羽紗美のやること、考えていることはだいたい理解できているつもりだけれど。それでもやっぱり、解らなくなることがある。七城羽紗美という少女のことが。
結局のところ、それはつまり。
羽紗美の瞳に映っている自分自身のことだけが、どうしてもわからないということ。
――自分が、羽紗美にとって一番だなんて簡単に自惚れられたら、楽だったのに。
だけど、現実には。
たぶん、清里先輩の方が、羽紗美のことを理解できるんだと思う。同じ読書家で創作者で、私には解らない羽紗美の創作の悩みとかを、きっとよく理解してあげられるはずだ。
読書と創作が羽紗美の生活の大部分を占めていて、そこは私にとって触れられない領域で。
――だから、どうしても思ってしまうことをやめられない。
羽紗美の隣にいるべきなのは、本当は清里先輩みたいな人なんじゃないかって。
これで、羽紗美と清里先輩が誰の目にもベストパートナーだったら、私もいっそ割り切れたのかもしれないけれど。困ったことに、清里先輩には砧先生がいるのだ。
先生と生徒で、同居している実の姉妹のような従姉妹同士。それだけでももう物語の中に出てきそうな設定なのに、頼りない砧先生としっかり者の清里先輩は、部外者の私が傍から見ていてもベストパートナーだなと思えてしまう。
――以前、札駅のJRタワーで一緒に買い物する砧先生と清里先輩を見たことがある。
街中で恋人同士みたいに手を繋いで歩くふたりに、誰かが割り込む余地があるようには、私にはとても見えなかったから。
たぶん、私と羽紗美は、並んで歩いても、ああは見えない。
きっと、ひどく不釣り合いな、凸凹したアンバランスなふたりに見えると思う……。
タオルケットを抱き寄せてぼんやりしていた私の、そのぐるぐる回り続ける思考を不意に打ち破ったのは、スマホの着信音だった。
机に手を伸ばしてスマホを手に取ると、通話の着信。相手は――羽紗美。
目をしばたたかせ、私は通話に出る。
『あ、千鶴?』
「うん……どうしたの? 羽紗美。原稿はいいの?」
『一段落したから。――でさ』
「うん」
『……さっき私、なんか地雷踏んだ?』
少し、自信なさげな声音で。羽紗美は、あまりにもストレートにそう訊いてきた。
その、不器用すぎるストレートさに、私は思わず小さく吹き出してしまう。
ああもう――私がひとりでぐるぐるしているときに限って、どうして羽紗美は、いつもそうなの。私のぐるぐるした気持ちを、たった一言で壊してしまうの。
「何の話?」
『……いや、別に、何でもないならいいんだけど』
「そう? よくわからないけど、羽紗美、私のこと何か心配してくれたの?」
『――別に』
そのふて腐れたような声に、私は目を細めて。
「……ねえ、羽紗美」
『なに?』
「羽紗美は小説の中で、いろんな登場人物を出して、それぞれの考え方を文章にするわよね」
『……まあ、ね』
「そういう風に、自分じゃない誰かのことを理解するのって、どうすればいいのかしら?」
『――――』
私のその問いに、スマホの向こうで羽紗美は数秒沈黙して。
『……千鶴。こういうこと言うと、頭でっかちのコミュ障だって言われるかもしんないけど』
「言わないわよ。なに?」
『人間、他人の全部を理解なんてできないから。絶対に。もし誰かのことを理解したと思ってるなら、それは自分がそう思いたいという風に思い込んでるだけの錯覚』
「…………」
そんな、身も蓋もない。
それを言ってしまったら、人間関係なんて成立しないではないか。
『ていうか、自分の全部を他人に理解されたくなんてないでしょ? 千鶴、あんただって絶対に他人に知られたくない内心のひとつふたつ、あるでしょ』
「…………そうね」
『そう。だったら相手もそうに決まってるんだから、相手を何でもかんでも理解しようなんて嫌がらせ以外の何物でもないに決まってるし、人間理解し合えばみんなハッピーとか思ってる奴は絶望的なバカだから近付かない方が賢明。自分以外の人間は自分じゃないんだから絶対に理解なんてできないのよ。他人に対しては理解したという錯覚ができるだけ』
「…………」
『今、頭でっかちの引きこもりコミュ障の理論武装だって思ってるでしょ?』
「お、思ってないから」
ごめんなさい、ちょっと思った。
『そう。私には今千鶴が何考えてるかなんて解らない。私が考えてることだって千鶴には絶対解らない。――ねえ、それで何か問題ある?』
「……問題あるかって、そう言われても」
『問題ないのよ。私は私だし、千鶴は千鶴。他人は理解できないものだって解ってれば、少なくとも理解したつもりになって誤解するのは避けられるでしょ。他人に「自分を理解して」って言う奴は「自分の都合のいいように自分を理解して、自分に都合のいいように振る舞って」って言ってるだけだから無視していいの』
「そんな乱暴な」
『相手の考えを勝手に決めつけて押しつける方が乱暴。だから、相手のことが知りたかったら直接訊けばいいの。何が欲しいかとか、どうしてほしいかとか、「気が利かない」とか「わかってくれない」とか言って相手に察する労力と責任を押しつける奴はバカ。言いたいことがあるならちゃんと言えってこと』
「――――――」
無茶苦茶だ。そんな誰も彼もがストレートに言いたいことを言い出したら、互いの配慮で成り立ったコミュニティはあっという間に崩壊してしまうだろう。
机上の空論だとは思うけれど――でも、そこまで割り切れたら、きっと私のあんなもやもやした気持ちなんて、どこかに消えてしまうのだろう。
それは、なんだか羨ましいと、そう思えてしまう。
『だから千鶴、なんか言いたいことがあるなら言いなさいよ。気持ち悪いから』
「…………」
私は押し黙る。――そんなに、言いたいことをストレートに言えたら苦労はない。
だけど、ストレートにそう言ってくれる羽紗美の言葉は。
魔法みたいに、私の胸のつかえを溶かしていくのだ。
「……羽紗美」
『うん、なに?』
「さっきの、羽紗美の原稿の話。好きな人が玉砕確定の告白するのを応援するか否かっていうの。……あれ、私だったら玉砕確定だと解ってても、その恋が成就してほしいって思うわ。好きな人には、やっぱり幸せになってほしいから」
『……ふうん。でも今どきそういうの、流行らなくない?』
「悪かったわね、古風で。……でも、私はね、羽紗美」
『ん?』
「……ううん、なんでもない」
『え? 何よ、言いかけてやめるなんて気持ち悪い』
「あら、いいじゃない。人間、理解できないのが当然なんでしょ? 私が何を言いかけたのかは、私しか知らない。羽紗美はそれでいいんでしょ?」
『――――』
スマホの向こうから、羽紗美のうなり声が聞こえて。
私は、そこでようやく笑えていた。




