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お隣さんはヒグマでした。  作者: 浅木原忍
3章 楽しいことを見つけよう
18/27

大家さんって何者なの?

 野球を見たあと、ひなちゃんと一緒にみつねちゃんの部屋を出ると、ちょうどマンションの玄関から見覚えのある人が入ってくるところだった。大家さんだ。見送りに出てくれていたみつねちゃんと3人で挨拶する。


「あっ、大家さん、こんにちは」

「こんにちはー、大家さん」

「……こんにちは」

「ああ、こんにちは。3人で遊んでいたのかい?」


 振り向いた大家さんは、相変わらず爽やかなイケメンスマイルをこちらに向ける。ううん、いつ見ても格好いい……。こういう女性になることは、わたしの身長では望むべくもないのが悲しい。


「はい、ちょっと3人で野球を見てて……」

「おや、それは今日のオリックス戦のことかな?」

「大家さんもファイターズファンですかー?」

「ふふふ、何を隠そう、ファイターズが北海道に来て以来のファンだよ。私もさっきまで試合をラジオで聞いていたところだ。今日は梨原がナイスピッチングだったね」

「……ひなちゃん、日本ハムが北海道に来たのっていつ?」

「15年ぐらい前だったはず……」


 それってわたしたちが生まれた頃ではないか。大家さんって何歳なんだろう?


「大家さん、それはー?」


 みつねちゃんが大家さんの手にした荷物に目をやる。折りたたみ式の踏み台と何かの入ったビニール袋。何かの作業だろうか?


「ああ、午前中に見たら2階の廊下の蛍光灯が切れかけていたのでね。交換に来たんだ」

「ははあー。大家さんってそういう雑用もするんですねー」

「管理人だからね。君たちも何かこの建物のことでトラブルがあったら、いつでも連絡してくれたまえ。何でも直せるわけではないが、大抵のことは対処できるからね」

「はーい」


 では、と軽く手を挙げて2階に向かおうとする大家さんに3人で手を振ると、階段に足を掛けたところで「おお、そうだ」と大家さんは何か思いついたように振り返った。


「君たち、ファイターズに興味があるなら、来週の日曜に札幌ドームに行かないかい?」

「え、ちょうど3人で来週行ってみようって話してたところですよー」

「おお、それはいい。3人ともドームは初めてだろう? 私が案内しよう。なんだったら私が奢ってあげよう」

「ええ? い、いいんですか?」

「高校生が遠慮することはない。後で4人ぶんチケットを買っておこう」

「大家さん、あなたが神か! ごちになりまーす!」


 みつねちゃんが万歳し、わたしとひなちゃんが「いいのかな……」と顔を見合わせているうちに、大家さんは「それじゃあ」と今度こそ2階へと上がって行ってしまった。




 その日の夜。例によって千鶴さんに呼ばれ、七城さんも含めて5人で千鶴さんの部屋で晩ご飯を食べることになった。ああ、千鶴さんのご飯が美味しすぎて自炊が上達しない……。


「そういえば、来週大家さんに札幌ドームに連れてってもらえることになったんですけどー」


 雑談の中、みつねちゃんがそう切り出すと、七城さんが「ああ」と頬杖をつく。


「あの人熱狂的な日ハムファンだから」

「去年私たちも誘われたことあったわよね。羽紗美が嫌がって流れちゃったけど」

「私は別に野球興味ないし、だいたいあの人について行くと碌なことが……」

「そんなこと言って、けっこう楽しんでるでしょ? 羽紗美」

「そんなわけないでしょ。私はただ実利があったから……」


 千鶴さんが笑い、七城さんがふて腐れたように口を尖らせる。何の話だろう?


「何の話ですかー?」


 みつねちゃんが問うと、ふたりは顔を見合わせ、千鶴さんが苦笑する。


「まだ内緒」

「えー。千鶴さんまで隠し事なんてやらしーですよー」

「そのうちわかるから。ま、身を以て体験すればいいわ、あんたたちも」


 七城さんがそんなことを言うけれど、わたしたちは首を傾げるしかない。


「……そもそも、大家さんってどういう人なんですか?」


 ふと思いついた疑問を口にしてみる。今日は蛍光灯の交換に来ていたけど、大家さんは別にこのファーリーハイツに住んでいるわけではないらしい。このファーリーハイツに住み始めて2週間、わたしはまだ今日を含めて数回しか顔を合わせていなかった。背が高くてすらっとした中性的なイケメン女性というイメージしかない。ああいう人が女性にモテる女性なんだろうなあ。よく知らないけど宝塚みたいな……。


「あ、確かにあたしも大家さんのことまだよく知らないやー」

「……私も」

「どういう人って言われてもね。まあ、変な人よね」

「そうね、変と言えば確かに変かしら」


 七城さんと千鶴さんがそう言って頷き合う。へ、変な人? 全然そんな風には見えないけど。


「……どのへんが変なんですか」


 ひなちゃんが問うと、七城さんが肩を竦める。


「それを言っちゃうとネタバレになるから、私はノーコメント」

「じゃあ、私もノーコメント」

「ええー。ちょっとおふたりとも、リアルでネタバレってなんですかー?」

「あんたたちもそのうち嫌でも解るってこと。あの人の変さは。ね、千鶴」

「そうね、そのうちね」


 秘密を共有した者同士の笑みを浮かべる2年生組。いったい何なんだろう? かえって謎が深まるばかりである。


「むーん。じゃあ質問の方向性変えますけどー。大家さんって普段何やってるんですかー?」

「そりゃ、ここの管理業務でしょ。掃除したり点検したり」

「私たちが学校行ってる間に玄関や廊下の掃除したり、冬は雪かきしてくれたりしてるのよ」

「そういうのって、なんか老後にやる仕事ってイメージですけどー。大家さんってどう見てもまだ20代ですよね? それに、このマンションの家賃だけじゃ大した収入じゃない気がするんですけどー」


 確かに、6部屋しかない小さなマンションだ。おまけにまだ1室空いている。


「大家さんのところ、持ってるマンションはここだけじゃないのよ。他にもいくつか持ってるんですって。ここはほとんど大家さんのお祖母さん、このマンションの本当の大家さんね。その道楽でやってるみたいなものって聞いたことあるわ」


 ――ああ、そういえばマンションの持ち主は大家さんのお祖母さんだって、最初に会ったときに言っていたような。


「家賃収入で若くして悠々自適ってわけですかー。羨ましいなー」

「……ま、確かに羨ましい生き方かもね」

「自由人だものね、大家さん」


 頬杖をついて呟く七城さんと、笑う千鶴さん。……ホントに何があったんだろう?


「ああ、そういえば」


 と、千鶴さんがぽんと手を叩く。


「大家さん、砧先生と知り合いのはずよ」

「え、砧先生と?」


 意外な名前が出てきた。いったいどこで繋がるんだろう。


「前に札幌駅の喫茶店で大家さんと砧先生が一緒にお茶してるの見かけたことあるの。なんだか仲よさそうにお話してたから、お友達なんじゃないかと思うけど」




 週が明けて月曜日。ホームルームが終わって放課後、わたしたちは廊下で砧先生を追いかけた。みつねちゃんが「砧せんせー」と呼びかけると、先生は不思議そうに振り返る。


「あら……3人揃って、どうしたの?」

「先生、うちのマンションの大家さんとただならぬ仲って本当ですかー?」

「たっ!?」


 砧先生、硬直。というかみつねちゃん、誰もただならぬ仲なんて言ってないのに、勝手に話を膨らませるのはどうかと思うよ……。


「せんせー、立ったまま狸寝入りしないでくださいよー」

「タヌキじゃないです砧です! というか誰ですかそんなことを言ったのは!」

「せ、先生、みつねちゃんの冗談ですよ。ただ、先生とうちの大家さんが仲よさそうにしているところを見たって聞いて……」


 わたしがフォローすると、「あ、ああ、そうですか……」と砧先生は安堵の息を吐く。


「……枝実、じゃなくて鹿賀さんとは、高校と大学の同級生なんです」


 忘れそうになるが、大家さんの本名は鹿賀枝実子さんである。


「はへ? 先生ってこの学校のOGですよね。てことは大家さんも?」

「ええ、高校のクラスメイトでした。揃って北大に進んで……私は教育学部で、鹿賀さんは経済学部でしたから、大学では講義で一緒になることは少なかったですけど」

「てことは大家さん、先生と同い年なんですかー。見えませんねー」

「……北崎さん、それは私があまりに頼りなくて鹿賀さんとは精神年齢に大幅な開きが感じられるという意味ですか……?」

「いえいえ、先生はとてもお若く見えるという意味です!」

「まだ25でそう言われても微妙に複雑なんですけど……。いいですわかってます、鹿賀さんは高校の頃から快活でモテモテで陸上部のエースでスクールカースト上位で、教室の隅っこで辻村深月を読んでいたような文芸部員の私とは本来住む世界が違うんです……」

「いじけないでくださいよー」


 しゃがみ込んで床にのの字を書き始める砧先生。わたしとひなちゃんは何とフォローしたものかと顔を見合わせて苦笑するしかない。


「でも、先生と大家さんはお友達なんですよね?」


 わたしが問うと、砧先生は顔を上げ、「……はい」と頷いて立ち上がった。


「ひとつ、共通の趣味があったので、それで仲良くなって……今も仲良くしています」

「共通の趣味ってなんですかー?」


 みつねちゃんのその問いに、砧先生、再び硬直。


「……な、内緒です」

「ははーん、バレると教職がヤバいやつですかー?」

「内緒です!」

「あっ、先生逃げた! 先生が廊下を走らないでくださーい!」


 タヌキなのに脱兎の勢いで逃げ出す砧先生。わたしとひなちゃんは顔を見合わせるしかない。


「うーん、謎は深まるばかりだねー」

「とりあえずみつねちゃん、あんまり砧先生いじめちゃだめだよ……」

「えー? 純粋な疑問を投げかけてるだけなんだけどなー」


 みつねちゃんが首を傾げる後ろで、「砧先生! 教師が廊下を走らない!」と他の先生の雷が落ちる声と、「すみませんすみませんすみません!」と砧先生の泣きそうな声が聞こえてきた。ああ、砧先生、ご愁傷様です……。みつねちゃんがご迷惑をおかけしてごめんなさい。




「ねーねー、大家さんの名前で検索してみたら、こんなの出たよー」


 帰り道。スマホを弄っていたみつねちゃんが、そう言って画面をわたしたちに差し出した。7年前の北海道の高校陸上の記録らしい。確かに、鹿賀枝実子(札幌エルム)という名前がある。っていうか。


「……走り高跳びで全道1位になってるね……」

「わ、すごい」


 25歳の砧先生と同い年なんだから、大家さんも7年前は18歳の高校3年生ということになる。7年前って、わたしはまだ8歳だ。


「全道1位の陸上部のエースが北大を出て今はマンションの管理人かー。何かドラマがありそうな経歴だねー。過去を悔いて山奥で隠遁生活してる天才剣士みたいな」

「あんまり勝手に詮索するのもよくないと思うけど……。日曜に野球見に行くときに直接訊いてみるのが早いんじゃない?」


 そんなことを言っていると、不意にひなちゃんが立ち止まった。


「ひなちゃん?」

「……今、大家さんがそこ右に渡っていった」

「なんですとー?」


 ひなちゃんが指さしたのは目の前の交差点。ファーリーハイツのすぐ近所の幼稚園があるところだ。わたしたちは東に向かって歩いているので、大家さんが目の前を右に横切ったなら南に向かっていることになる。この通りは南に行くとちょうど北18条駅のところに出る道のはずだけど……。

 みつねちゃんが交差点に出て南を振り向き、「あ、ホントだ」と手招きする。わたしたちも交差点のところから南を見ると、確かに見覚えのある後ろ姿が南へ歩いていた。


「確かに大家さんみたいだけど」

「どこ行くんだろーね? 少なくともファーリーハイツじゃないし」


 ファーリーハイツに行くなら向かうべきは東である。北18条駅から地下鉄に乗るのかな。


「ちょっと尾行してみよ!」

「あ、みつねちゃん!」


 みつねちゃんが大家さんの後を追って南に歩き出す。わたしはひなちゃんと、どうしようか、と顔を見合わせ、結局みつねちゃんを追いかけた。

 小さなバッグを肩から提げ、大家さんは南へ歩いていく。1ブロックぶんぐらい距離を空けて、わたしたちはその背中を追う。いいのかな、こんなことして。他人を尾行するなんて初めてだ。探偵か警察か、いや3人で1人を尾行する探偵はいないと思うけど。


「熊谷警部、こちら北崎、マルタイは北18条方面へ移動中」

「……了解、監視を続行せよ」


 みつねちゃんがスマホからひなちゃんのガラケーに通話を掛けて言い、ひなちゃんもなんかノリノリで答える。刑事ドラマか何か?

 幸い大家さんは振り向くことなく真っ直ぐ歩いて行く。やっぱり北18条駅へ行くのかな、と思っていると、その手前のパン屋さんを過ぎたところで折れ曲がって建物の方へ姿を消す。マンションみたいだけど、ここも大家さんが管理してる建物なのだろうか。


「いや、喫茶店みたいだねー」


 みつねちゃんが言う。見ると、道に看板が出ていた。どうやらマンションの1階が喫茶店になっているらしい。あ、こんなところに喫茶店あったんだ……。

 看板のところまで来て、わたしたちが店の方を振り返ると――。


「あっ」


 道路に面したガラス張りの壁の側の席に座った大家さんと、思いっきり目が合った。

 ガラスの向こう、大家さんは「おや」という顔でわたしたちを見やる。わたしたちは思わず顔を見合わせた。見つかってしまった……どうしよう?


「熊谷警部、マルタイに気付かれました!」

「……いやみつね、もう尾行する状況じゃないし」


 ひなちゃんが首を振る。と、大家さんが立ち上がって手招きしている。わたしたちは再び顔を見合わせた。


「……大家さん呼んでるみたいだけど、制服のまま喫茶店入って大丈夫……?」

「え、ええと……校則には、たぶんダメとは書いてないと思う」


 わたしは生徒手帳を取りだしてパラパラめくるが、それらしき校則は見当たらない。


「見つかっちゃったならしゃーない。お邪魔しよー」


 みつねちゃんがそう言い、店の方に足を向ける。わたしとひなちゃんもその後を追った。

 チェーン店じゃなく、個人経営の喫茶店らしい。細長い店内にテーブル席が3つとカウンターがあるだけの小さなお店だった。ジャズが流れる店内におそるおそる足を踏み入れると、カウンターにいた男性が「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」と振り返って言う。


「マスター、この子たちは知り合いなので私も席を移って構わないだろうか」


 立ち上がった大家さんが言い、マスターが「どうぞ」と頷く。そのままわたしたちは大家さんと一緒に4人掛けのテーブル席に座ることになってしまった。


「やあ、奇遇だね。学校帰りかい?」

「あははー、奇遇ですねー。このへんの喫茶店入ってみたかったんですよー」


 しれっと笑って答えるみつねちゃんに、わたしとひなちゃんは小さく肩を竦めるしかない。


「大家さんは?」

「ここは行きつけでね。喫茶店で本を読むのが好きなんだ」


 バッグから文庫本を取り出す大家さん。ああ、いいなあ、喫茶店で読書。ちょっと憧れる。


「……それは、お邪魔してしまってすみません……」ひなちゃんがぺこりと頭を下げる。

「いやいや、たまには若い子とお茶も悪くない」


 爽やかな笑みを浮かべる大家さん。いつもながらのイケメンぶりである。

 そこへ、マスターがお水とメニューを持ってやって来た。


「本日のコーヒーはグアテマラをご用意しています。ケーキは紅茶のシフォン、ガトーショコラ、くるみのタルト、それからズコット……チョコレートとオレンジピールの入ったロールケーキ風のものをご用意しております。お決まりになりましたらお呼びください」


 くるみのタルト! あ、いいな、それにしよう。


「なんでも好きなものを頼んでいいよ」

「いいんですかー?」

「大人だからね。子供は素直に奢られたまえ」

「やったー! じゃ、あたしズコットとカフェラテ!」

「じゃあ、わたしはくるみのタルトと……アイスティーかな」

「……ガトーショコラと、ブレンドコーヒー」

「では、私は紅茶のシフォンにしようかな。マスター、お願いします」


 というわけで注文成立。マスターがカウンターに戻っていくと、後にはゆったりとジャズが流れる静かな空間が残った。店内にわたしたち以外のお客さんはなく、落ち着いた雰囲気。確かにこれなら読書も捗りそう。


「平日のこんな時間に喫茶店で読書って、大家さん優雅ですねー」

「時間の融通が利く仕事だからね。急なトラブルの対処に呼び出されることもあるけど」

「ファーリーハイツ以外にも管理してる建物あるんですかー?」

「もう1軒あって、そちらと巡回管理しているよ。基本的に午前中はファーリーハイツ、午後はもう1軒の点検と清掃をしている。まあ、どっちも住人がちゃんとしているおかげで、こうして私は空いた時間を優雅に過ごせるわけだ」

「いいですねー、若くして悠々自適って感じで」

「そうでもないさ。昨日までは忙しくてね、一段落したからこうしてゆっくりしているんだ、……そういえば、君たちは真美のクラスで、真美が顧問の文芸部に入ったんだって? 砧先生、と呼んだ方がいいかな」

「あ、はい、砧先生が担任です」


 わたしが頷くと、大家さんは「全く、世の中は狭いね」と笑った。


「あの真美が高校の先生だからな。真美はちゃんと先生しているかい?」

「ちょっと頼りないですけど、いい先生だと思いますよー」

「ちょっと、ね」


 大家さんは苦笑する。砧先生はやっぱり昔からああなのだろうか。


「先生から聞いたんですけど、大家さんは砧先生と高校からの……」

「そう、エルム高校のクラスメイトだった。ちょうど君たちのようにね。真美はいつも教室の隅で静かに本を読んでいて、放課後はいつも図書室にいたね」

「……大家さんは、先生とどうやって友達になったんですか……?」


 ひなちゃんの問いに、大家さんは「どうやって、ね」と軽く肩を竦める。


「まあ、共通の趣味があったことかな。それがきっかけでよく話すようになったんだ」

「先生も言ってましたけど、共通の趣味って具体的になんですかー?」

「ん? そうだな……うん、それはまだ秘密にしておこう」


 口元に指を一本立てて、いたずらっぽく大家さんは笑う。


「えー、なんですかー、なんかみんなして秘密主義なんですけど」


 みつねちゃんが頬を膨らませる。確かに、千鶴さんや七城さんといい、砧先生といい、いったい大家さんに関して何を隠しているのだろう?


「世の中、秘密にしておいた方が楽しいこともあるのさ。まあ、近いうちに教えてあげるよ」

「約束ですよー」

「ああ、約束しよう」


 何やら愉快そうに笑って、大家さんはわたしたちをぐるりと見回した。そして何事かを頷き、「うん、これでいこう」と呟く。――いったいなに?

 と、そこへマスターが飲み物とケーキを運んできた。4人掛けとはいえさほど大きくないテーブルに、所狭しとケーキの皿と飲み物が並ぶ。


「あ、みつねちゃんの頼んだの美味しそう」

「ちょっと食べるー? ありすのやつもちょっとちょうだい」

「うん、いいよ」


 みつねちゃんと、ちょっとずつケーキを交換。ひなちゃんの頼んだガトーショコラも気になるけど……とひなちゃんを見やると、ひなちゃんがわたしのくるみのタルトを何やらじっと見つめていた。


「……ひなちゃんも食べる?」

「あ、いや……えと、ありす、くるみ好きなの……?」

「え? あ、うん。小さい頃から、くるみのメープルシロップ味のとか好きだよ」


 わたしが答えると、ひなちゃんとみつねちゃんが顔を見合わせる。


「やっぱりリスだー」

「リスだね……」

「ええー!?」


 そんな。わたしが小さい頃からくるみのお菓子が好きだったのも、やっぱりわたしがリスだったからなの……? うう、まさか人生にそんな伏線があるなんて……。


「むー、じゃあみつねちゃんは油揚げが好きなの?」

「キツネが油揚げ好きってのは俗説だよー」

「だ、だよね」

「……みつね、好きなうどんは?」

「きつねうどん!」

「……好きなお寿司は?」

「いなり寿司ー」

「や、やっぱり油揚げ好きなんじゃないのー!」

「あっはっはー」


 高笑いするみつねちゃんに、つられてわたしも笑う。

 ――結局、大家さんの謎はほとんど解けなかったけれど、大家さんに御馳走してもらった喫茶店のアイスティーとくるみのタルトは美味しかった。日常なんて、だいたいそんなものである。

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