表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お隣さんはヒグマでした。  作者: 浅木原忍
3章 楽しいことを見つけよう
16/27

小説ってどうやって書くの?

「文芸部に入ったからには、あたしたちも日頃から文芸部らしいことをしよう!」


 4月13日、金曜日。3人で文芸部入部を決めた翌日の放課後、みつねちゃんが教室でそんなことを言いだした。わたしとひなちゃんは目をぱちくり。


「文芸部らしいことって、読書量を増やすとか?」

「……日記を書くとか」

「おお、ひなっち、それは文豪っぽいねー」

「日記かあ。中学のときつけようとして3日でやめちゃったなあ……」


 何のきっかけで書こうと思ったのかは忘れたけれど、書くことが思いつかなくてやめた記憶がある。朝起きて学校に行って友達とおしゃべりして帰宅してテレビ見て勉強して、寝る前に日記をつけようとして「……書くほどのこと無かったよね今日」と気付いてしまった思い出。


「3人で交換日記とか?」

「……いつも一緒にいるから、わざわざ日記に書いて報告すること無い気がする……」


 確かに。お互いの家は徒歩数秒の距離、クラスも登下校も一緒じゃ、誰が書いても同じ内容の日記になってしまいそうだ。


「みつねちゃんは何か考えがあるの?」

「ふっふっふー、あたし、アレやってみたいんだよね」

「アレって?」

「そりゃもちろん、温泉宿でカンヅメ!」


 ……缶詰?


「浴衣着て、机の前で真っ白な原稿用紙を前に難しい顔であたしが唸ってる後ろで、ありすとひなっちが畳に正座して『先生、どうか1枚でも2枚でも玉稿を』『うちの会社は輪転機を止めて待っているんです』ってやるの」

「……みつね、それいつの時代の文豪のイメージ……?」


 たぶん今の時代、そんな小説家はいないと思う。


「だいたい、みんなパソコンで書いてるんじゃないの? 今って」


 そう言ったところで、「あ」とわたしは気付く。そういえば……。


「ねえ、わたしたちの中でパソコン持ってるのって、ひなちゃんだけだよね」

「あ、そういえばそうだねー」

「……確かに」


 スマホを持っていないひなちゃんの部屋には、インターネットに繋がったパソコンがあるけれど、わたしとみつねちゃんはスマホだけだ。お父さんはデスクトップもノートパソコンも持っていたけれど、スマホがあれば大抵のことができるから、わたし自身はパソコンが必要という意識が全くなかった。


「やっぱり、何か書くならパソコンあった方がいいのかな……?」

「いやいやありす、文章ならスマホでも書けるってー。プリントアウトするときは学校のパソコン使うなり、ひなっちのパソコン借りるなりすればいいんだし」

「あ、そっか」


 でも、パソコンを前にキーボードで小説を書いている小説家は想像できるけれど、スマホのフリック入力で小説を書いている小説家って、なんだか想像しにくい……。

 いや、何より想像できないのは、わたしが小説を書くということなんだけど。まあ《春楡》を読んだ限りだと、小説じゃなくてもいいみたいだけど、詩とか随筆も同じぐらいには想像できない。文芸部に入ったのはいいけど、わたしにそんなことできるんだろうか……。日記に書くことすら思いつかないような人間なのに。

 いちおう、中学までは優等生で通ってきたので、文章を書くという行為そのものには、苦手意識はそれほどない。でも、別に得意という意識もなかった。読書感想文や作文で賞を取ったことがあるわけじゃないし……。国語の成績は良かったけど、わたしは全教科同じぐらいの成績という、自分でも得意教科が何なのかわからないタイプなのである。

 そもそも、小説とか詩とかを書くって、どういうことなんだろう。今まで読んできたいろんな本も、誰かが書いたからそこに存在するということはわかっているけれど、それを書いた人がどんな風に書いたか、というのは、どうも想像がつかないのだ。


「うーん……」

「ありす、どったの? やっぱりパソコン買う?」

「え? あ、いや、そうじゃなくて……。なんていうか、文芸部でわたしが何をするのかっていうのが、想像がつかなくて。小説書く人って、どうやって書いてるんだろう」

「そりゃ、キーボード叩いて書くんじゃない?」

「いや、そうじゃなくて」

「……お話をどうやって作るのか、ってこと……?」


 ひなちゃんの言葉に、わたしは頷く。

 みつねちゃんも「なるほどー」と頷いて、それからにっと笑った。


「なら、そういうことは先輩に聞きに行けばいいじゃん!」




 ――というわけで。


「あら、今日も3人揃って来てくれたの? 別に部室に来るのは義務じゃないのに」


 文芸部の部室である第二図書準備室。ドアを開けると、今日も部長さんがいた。本を読んでいた部長さんは、顔を上げてわたしたちを見やり、笑顔を向ける。


「どうもー。うさ先輩は来てないんですかー?」

「七城さんは来たり来なかったりね。お茶でも淹れる?」

「ありがたくごちになりまーす」


 というわけで、昨日と同じ席に座る。部長さんがお茶を淹れてくれたのを恐縮しつつ受け取って、熱い緑茶を啜りながら、みつねちゃんに促されてわたしは切り出した。


「あの……部長さん。部長さんは、小説書いてらっしゃいますよね」

「ん? ああ、うん。基本は幻想小説というかファンタジーというか」

「《春楡》に載ってたやつ読みましたよー」

「あ、ありがと」


 みつねちゃんの一言に、部長さんはちょっとくすぐったそうに笑う。そういえばみつねちゃん、昨日七城さんに感想言ってたっけ。わたしはまだ読めてない……って、そうじゃなくて。


「ええと……小説って、どうやって書いてるんですか?」


 わたしのその問いに、部長さんはきょとんと目をしばたたかせた。


「それは、執筆環境についての話? それとももっと根源的なやつ?」

「あ、根源的なやつです」

「そっちかー。そっか、そうよね、添島さんたちは小説書いたことないのよね?」

「あたしもないでーす」

「……同じく」


 みつねちゃんとひなちゃんも軽く手を挙げる。部長さんを腕を組んで唸った。


「小説の書き方、小説の書き方かあ……。改めて訊かれると何て説明すればいいのかしら。だいたい私も他人に偉そうに指南できるようなプロじゃないんだけど、部長の私が新入部員の質問にそんなこと言っちゃいけないよねえ……」


 しばし考え込むようにして、部長さんは何度も首を捻り、


「……ま、万人に当てはまる正解はないと思うから、とりあえず一例として聞いて?」


 と前置きして、話し出した。


「これはあくまで私の場合なんだけど……私の場合は、まずひとつ、『これが書きたい』っていう台詞とか場面とかイメージとか、そういうものを基点に話を考えるの。去年の《春楡》に載せた『翡翠はささやく』だと……ええと、読んでくれては、いないよね?」

「読みましたー」手を挙げるみつねちゃん。

「あ、一番最後に載ってたのでまだ……」これはわたし。

「……同じく」ひなちゃんも身を竦める。

「えーと、じゃあ、短い話だし、先に読んでもらえるかな? 原稿用紙換算で30枚ぐらいだから。まあ読むの遅くても15分もあれば読めると思うし……」


 部長さんは本棚からまた《春楡》を取りだして(いったい何冊残ってるんだろう?)、わたしとひなちゃんに差し出した。みつねちゃんは「じゃ、あたしはその間他のバックナンバー見てていいですかー?」と言っている。

 わたしは《春楡》を手に取って、終わりの方のページを開いた。『翡翠はささやく』作・清里美幌(二年)――。


 彼女はいつもベランダで翡翠を耳に当てていた。

 子供が母親の心音を聞くように、安らかに瞼を閉じて、その碧い石の中から響いてくるどんな音も聞き逃すまいとするように、翡翠の音色に耳を澄ませていた。

 何の音が聞こえるのですか、とわたしが彼女に問うと、

 ――鳥の声が聞こえるのです。

 彼女は決まって、そう答えるのだった。


 そんな書き出しから始まる、幻想的なお話だった。登場人物はたった2人、「わたし」と「彼女」だけ。固有名詞は一切出てこないし、「わたし」が男性なのか女性なのか、何歳ぐらいなのかもよくわからない。ふたりの関係は、きょうだいなのか、恋人なのか、友人なのかもはっきりしない。そもそも、舞台が日本なのかどうかもわからない。

 いつも翡翠を耳に当て、「鳥の声が聞こえる」と言う「彼女」の奇妙な癖を、「わたし」はありのままに受け入れていた。けれど、ある日突然「彼女」がいなくなってしまう。蒸発したのか死んでしまったのか、部屋に残されていたのは彼女がいつも耳を澄ませていた翡翠だけだった。残された「わたし」は、「彼女」がいつも聞いていた鳥の声を聞こうと翡翠を耳に当てるけれど、どれだけ耳を澄ませても、翡翠の中からは何の音も聞こえない。

 どうして聞こえないのか、「わたし」は色々な方法を試すけれど、結局翡翠から鳥の声が聞こえてくることは一度もなく、やがて「わたし」は、「彼女」も本当は鳥の声なんて聞いていなかったのではないか――と考え始める。

 諦めた「わたし」は翡翠を部屋の隅に片付けて、「彼女」のいない生活に慣れていく。時間が経ち、ある日「わたし」は埃を被った翡翠を見つけ、何年かぶりに「彼女」のことを思いだし、何の気なしに「彼女」がそうしていたように、ベランダで耳に当ててみる。

 そのとき、翡翠の中から、鳥の鳴き声が聞こえた。驚いた「わたし」は、その翡翠を落としてしまう。翡翠はベランダから地面に落ちて砕け、その中から一羽の小さな鳥が羽ばたいて、青い空に消えていった……。


 読み終えて現実の世界に戻ってきて、わたしは思わず息を吐いた。綺麗で不思議なお話だ。ラストの、砕けた翡翠から鳥が羽ばたいて消えていく場面のイメージが鮮やかで、なんだかいろんな読み方ができそうに思うんだけれど、うまく言語化できない。


「…………」


 ひなちゃんもわたしの隣で《春楡》のページを閉じて顔を上げる。


「ええと、どう思ったか、聞いていい?」


 ちょっと不安そうな顔で、部長さんが問う。わたしはひなちゃんと顔を見合わせ、わたしから口を開いた。読んだときの印象を、なんとか言語化しようと頭を捻る。


「ええと、すごく良かった、と思います。最後、翡翠の中から飛び出した鳥が、そのまま空に消えてしまうところが、切ない喪失感があって……なんていうか、そう、なくしちゃったものは取り返しがつかないんだなあって」

「そ、そう? いやあ、なんか照れくさいなあ……。く、熊谷さんは?」

「……ちょっと、辛いお話だと思いました。翡翠から鳥の声が聞こえるってことを、主人公に信じ続けてもらえなかった『彼女』のことが……なんだか、かわいそうだなって……」


 ――あ、ひなちゃんはそういう感想になるんだ。

 わたしは思わず、ひなちゃんの顔を見上げて目をしばたたかせる。わたしは語り手の「わたし」の視点で読んでいたけど、ひなちゃんは「彼女」の方の視点で読んでいたみたいだ。「わたし」は「彼女」の癖を受け入れていたし、信じようとしたけれど、結局は諦めてしまう。わたしはそれは仕方ないと思ったけれど、ひなちゃんは語り手に最後まで信じ続けてほしいと思ったのか。ううん、「彼女」は「わたし」にどうしてほしかったんだろう?

 わたしが考え込んでいると、不意に部長さんが、「添島さん! 熊谷さん!」と机から身を乗り出してわたしたちの手を掴んだ。顔を上げると、部長さんの感激したような顔。


「ありがとう! ありがとう! そういう感想がほしかったの!」

「あ、えと、はい」

「あああ、そう、そういう風に素直に読んで欲しかった……! そりゃ技術的には未熟だし、合評会の目的は褒め合いじゃなく研鑽だから問題点は指摘してもらえた方がありがたいんだけど、でも、でもやっぱり素直に読んだ普通の感想が欲しいのは当然じゃない! 『まるっきり小川洋子ですね』とかそういうんじゃなくて! そんなの自覚してるから!」


 ――小川洋子ってたしか、『博士の愛した数式』の人だっけ。中学のときに読んだけど、言われてみると確かに雰囲気が似てる気がした。

 ていうか、それを言ったの、たぶん七城さんなんだろうなあ……。

 昨日はみつねちゃんが七城さんの作品の美点と欠点を指摘して、七城さんにすごい感謝されてたけど……小説を書く人も、欲しがる反応は人それぞれ……なんだろうか。


「って、ああ、そうだ、小説の書き方の話だったね」


 こほんとひとつ咳払いして、部長さんは苦笑する。


「ええと、さっき言った通り、私はひとつの台詞とか場面とかイメージを基点にするんだけど……この『翡翠はささやく』だと、一番最後の場面」


 砕けた翡翠の中から、一羽の小さな鳥が羽ばたいた。

 青い鳥は空の色に溶けて、もうどこにも見つからなかった。


「宝石のヒスイと、鳥のカワセミが同じ《翡翠》の字を使うから、ヒスイの中からカワセミの鳴き声が聞こえる。そのヒスイを割ると中からカワセミが飛び出して逃げてしまう……っていうイメージが、この小説の出発点」

「あ、このシーン、すごく綺麗だと思いました」

「そ、そう? わりとありがちだと思うけど……。こほん。ええと、じゃあそのイメージを物語にするとすればどうするか、ってことで。最終的にヒスイが割れないとこのイメージが書けないから、カワセミの鳴き声が聞こえるヒスイを主人公が手に入れて、最終的に何かの理由で割ってしまう話……っていう大枠が決まるよね。で、ヒスイが割れて中からカワセミが逃げてしまうっていうのは喪失のイメージだから、主人公は何かを失ってしまった人。だったら失ったのは大切な人で、ヒスイはその遺品だろう……。じゃあ、大切な人の遺品を砕いてしまう理由とか原因はどんなことだろう。うっかりか、それとも自発的に壊すのか。自発的に壊すならその理由は? うっかりだとしたら何がきっかけで?」


 そこまで言ったところで、部長さんは我に返ったように苦笑して頬を掻く。


「……って、まあ、実際に話を考えているときは、ここまで理詰めで考えているわけじゃなくて、もっと無意識っていうか、ぼんやりした輪郭が、書いているうちにだんだん定まってくる感じなんだけど……」

「ははー、ラストシーンからの逆算なんですねー」


 みつねちゃんが端的にまとめる。なるほど、この翡翠が割れてしまうラストシーンからお話や設定が作られているんだ……。


「そうね、この作品の場合はそう。逆に冒頭だけ思いついて、そこから書きながら発展させていくこともあるし……。何にしても私の場合は、ひとつのイメージからどんな物語が想像できるかっていうのを、ひたすら頭の中で転がしてみる感じかな。だから、緻密なプロットとか作らないし、あんまり参考にならないかな。ごめんね」

「……プロットってなんですか」ひなちゃんが問う。

「え? ああ、本文を書く前に作る小説の設計図みたいなもの。基本はあらすじだと思ってくれればいいよ。最初から最後までの通しのあらすじを一度作ってみるのがプロット。長編一本書くのにプロットだけで何百枚も書く人もいるし、逆に3行ぐらいのプロットで長編書いちゃう人もいるし、そもそもプロット作っちゃうと書けなくなるっていう人もいるらしいし……。小説の書き方はホントに人それぞれだから、結局は書いてみて、自分に合った書き方を見つけるのが一番なんだけどね」


 そうまとめて、部長さんは「……参考になった?」と自信なさそうに小首を傾げた。


「参考……というか、お話ってそういう風に作られるんだなあって、不思議な感じです」


 わたしが答えると、部長さんは困ったように頭を掻く、


「いやあ、私のはあくまで一例だし……。技術的には、それこそ作文書くのとそんなに変わらないよ? 要するにその作品の中で何を書きたいかというポイントを決めて、そこにたどり着くように文章を設計するわけだから……。作文の場合はたどり着くべきポイントは自分の意見とか感想だけど、小説の場合はそれがイメージとか場面とかアイデアになるってだけで。まあ、キャラクター作ったり世界観作ったりはまた別だけどね」

「はあ」

「何にしても、まず大事なのは『これが書きたい!』っていう何か、ワンシーンでも一言の台詞でもなんでもいいから、それを見つけること、かな?」

「どうやって見つけるんですかー?」みつねちゃんが手を挙げる。

「え? それは……まあ、いろいろ本を読んだりしてるうちに、不意に思いつくというか降ってくるというか。アイデアの出し方がわかれば苦労しないね……。書いてるときも、キーボードを叩いてる時間より、パソコンの前であれこれ悩んでる時間の方が長いもの」


 部長さんはそう言って苦笑した。小説ひとつ書くにも、いろいろと苦労があるんだなあ、とわたしは思う。そういう苦労なんて、ただ本を読んでいるときには想像もしなかった。

 準備室の本棚に並んだ本の背表紙を、わたしは見やる。こうしてここに並んでいるたくさんの本も、そうやって誰かが頭を捻り、考え、実際に書いたから、本という形でここに存在するのだ。そのことが、なんだがものすごく不思議なことのような気がした。


「あら? 北崎さんたち、今日も来てたの……?」


 と、そこへ準備室のドアが開く音。振り向くと、砧先生がそこにいる。


「あ、タヌキ先生ー」

「タヌキじゃないです砧です! というか昨日のことは忘れてください……」


 みつねちゃんの軽口に、砧先生は子供のように頬を膨らませ、それからがっくり肩を落とした。昨日、わたしたちの見ている前でタヌキに変身してしまったのはわりとトラウマらしい。というか砧先生まで動物に変身するって、北海道ではこの体質の人、本当にどこにでもいるんだなあ、と改めて実感した。部長さんは変身しないらしいけど……。


「先生、添島さんたちが小説の書き方が知りたいらしいですけど、顧問から何かあります?」


 部長さんが意地悪そうな笑みを浮かべて、そう言った。「え?」と砧先生は目をしばたたかせてわたしたちを見やる。


「小説の書き方……?」

「あ、はい、聞いてみたくて」わたしは頷く。

「……先生も小説書くんですか」質問したのはひなちゃん。

「えっ? あ、え、ええと……そ、そうね、たまに、趣味でね……」


 なぜかちょっと慌てたように砧先生はそう答える。


「先生はどんなの書いてるんですかー?」みつねちゃんが手を挙げる。

「そ、それはその、……な、内緒です!」

「内緒? せんせー、それってひょっとしてバレたら教職がヤバいやつですかー?」

「違います! そんなんじゃないです! 健全です健全!」


 ……健全?


「そっ、そんなことより、しょ、小説の書き方、でしたよね」


 ごほん、と咳払いして、砧先生は強引に話題を元に戻した。自分が書いている小説には触れられたくないらしいけど、いったい何を書いているんだろう……?


「そうね……ええと、美幌ちゃんは何て説明したの?」

「だから学校で美幌ちゃんって呼ばない!」部長さんが口を尖らせる。

「あ、ご、ごめんなさい」

「いやまあ、もうバレてるからいいけど……」


 部長さんはため息をついて、さっきわたしたちにしてくれた説明を端的に繰り返した。それを聞いた砧先生は「なるほど……」と頷く。


「それなら、私からは――ええと、添島さん。誰か好きな作家はいますか?」

「え? ええと……全部読んでるとか、新刊出たら必ず買うとか、そういう作家さんはいないです……。小説は本屋さんで見かけて面白そうだと思ったのを買うぐらいなので、作家さんの名前で買ったりとかはあんまり……」

「あー、いいわね、そんな純粋な読者だった頃に戻りたい……」


 わたしの答えに、部長さんがなぜかため息をつき、砧先生は少し困ったように小首を傾げる。


「そう……じゃあまずは、いろいろ読んでみて、何か気に入った作家や作品を見つけてみてください。見つかったら、それを真似してみるといいと思います」

「え、真似ですか?」

「そう、真似。文章のリズムとか表現とか、物語の展開のさせかた、キャラクターの作り方、なんでも最初は好きなものを真似ちゃっていいんです」

「せんせー、それってパクリじゃないんですかー?」

「ネットに投稿したりして不特定多数に公開するならともかく、そうでない、自分の楽しみのために書くうちはパクリでも構いませんよ。もちろん、ただの剽窃じゃなく自分の文章を書こうという気持ちは必要ですけど、真似したいところはプロの真似をしちゃえばいいんです。そうやって最初は好きなものを好きなように書いて、まずは小説を書くことを楽しいと思ってくれればいいと、私は思います。書くことが楽しくなれば、自然と書き続けられますし、書き続けていくうちに自分の書き方、自分の文章が見つかっていきますから」

「はあ……」


 わたしは思わず目をしばたたかせた。好きなものの真似をしちゃえばいい――ということを、まさか先生から言われるとは思わなかった。パクリ、って何かすごく悪いことのような印象がぼんやりとあっただけに。


「……スポーツの練習で、プロのプレーを参考にする感じですか」ひなちゃんが問う。

「そうね、パクリって言葉がまずければ、そう考えてくれればいいです。小説はとても自由な創作ですけど、それでもやっぱり人の心を動かす作品にはそのための書き方があり、技術があります。そういう基本的な書き方を身につけるにはプロの書いているものの真似をするのが一番の近道ですから。小説もやっぱり書き続けることで上達するものなので、基礎練習はまず先達の模倣から始めよ、です」


 ああ、そっか、基礎練習なんだ。そう考えると、パクリという言葉に対して抱いた疑問が解けていく気がした。練習で上手い人の真似をするのは確かに悪いことではないだろう。でも、真似だけでは決してその本人には追いつけないから、自分のやり方を見つけていかないといけない……。そういうことだと考えれば、砧先生の言うことが理解できるような気がする。


「まあ、これもあくまでひとつの手段ですから、添島さんも自分に合ったやり方が見つかれば、私や美幌ちゃんのアドバイスに無理に従う必要はないですよ。とにかく、せっかく文芸部に入ってくれたんですから、まずはどんな形であれ、創作の楽しさを知って欲しいです」

「創作の楽しさ……」

「はい。楽しいですよ、自分の手で物語を生み出すことは、とっても」


 砧先生はそう言って微笑んだ。その笑顔は、今まで見た中で、砧先生のいちばん先生らしい表情だったような気がした。




 その日の夜。ひなちゃんから借りた『ぶたぶた』を読み終えて、わたしはベッドに寝転んで天井を見上げていた。『ぶたぶた』は面白かった。生きているぬいぐるみの山崎ぶたぶたさんはすごく魅力的で、こんなぬいぐるみだったら中身がおじさんでも欲しくなっちゃう。

 わたしは身体を起こし、ベッド脇の棚の上に置いてあるぬいぐるみのコンタとくますけを手に取る。小学生の頃からのずっとお気に入りの2匹。


「ねえコンタ、くますけ、ふたりとも実はわたしのいないところで動いてたりしないの?」


 映画の『トイ・ストーリー』みたいに、わたしが学校に行っている間、コンタとくますけが動きだし、部屋の中で遊んでいる光景が浮かんで、わたしは小さく笑みを漏らした。

 それからふっと思いついて、コンタとくますけをベッドの上に置き、目を閉じてぐっと胸のあたりに力を入れてみる。ぽんっ、と身体が縮むような感覚。目を開けると、部屋の中のあらゆるものが大きくなって、わたしの手はリスの手になっていた。

 ふわふわしたベッドの上で、わたしは自分の身長より大きくなったぬいぐるみを見上げる。見慣れたコンタとくますけがなんだか別のものみたいに見えて、ひどく不思議だった。

 目を閉じて、胸に力を入れると、すぐに人間の姿に戻る。変身するのもだいぶ慣れてきた。この調子なら、この能力というか体質を、便利に使っていけるかも。狭いところに落としたものを拾ったり、高いところによじ登ったりとか……。


「……なんだかみみっちいなあ」


 そういう発想しかできない自分に、わたしは思わずため息をつく。せっかく北海道に来て、この自分の不思議な体質を知ったというのに、北海道ではごく当たり前のことと言われてしまったせいか、そこから何も始まらない。動物に変身できるなんて、物語の中ならきっともっと摩訶不思議な生活が始まるはずなのに、わたしの高校生活は今のところ本当に平凡だ。部活もこの変身能力とぜんぜん関係ない文芸部だし。

 ――ぶたぶたさんも、生きているぬいぐるみが当たり前の世界だったら、あんな風に物語にはならないのかもしれない。みんながぶたぶたさんを見てびっくりするからこそ、そこで特別な物語が始まるのだろうか。

 考えてみると、わたしの15年の人生、特別な、人に話したくなるようなことなんてほとんどない。お母さんがいないこととか、高校生で独り暮らしはちょっと珍しいかもしれないけど、でもやっぱりありふれた境遇には違いないだろう。子供の頃に特別な経験をした覚えもないし、ここに来て知った自分の体質も、北海道の常識だった。


『創作の楽しさを知ってほしいです』


 文芸部の部室での、砧先生の言葉が蘇る。


『楽しいですよ、自分の手で物語を生み出すことは、とっても』


 ……ぜんぜん特別じゃないわたしに、物語を生み出すことなんて、できるのだろうか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ