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お隣さんはヒグマでした。  作者: 浅木原忍
2章 学校生活が始まった
14/27

ひなちゃんはわたしが守らなきゃ

「演劇部?」

「うん、今日はそっち見に行こうと思うんだけど、ありすとひなっちはどうするー?」


 翌日の放課後。色んな部活を見学だけする、という計画は予定通り進行中だったようで、みつねちゃんはそう言いだした。


「……エルムの演劇部って、確か全国大会の常連じゃなかったっけ……」

「演劇部に全国大会ってあるの?」

「あるよー。高総文の演劇部門こと全国高校演劇大会。エルム高校は最優秀校を獲得したこともある名門だってさ」

「へえ。確かにみつねちゃん、すごく舞台似合いそう」

「……わかる。声通るし、度胸あるし……なんていうか、華がある……」

「おおー、もっと褒めたたえよー」


 ドヤ顔で胸を張るみつねちゃん。実際、友達の贔屓目を抜きにしても、みつねちゃんは充分美少女の部類だと思う。歌も上手いし、アイドルとかやってても不思議じゃないかも。


「ま、入るわけじゃないけどねー。見学だけ。ありすも行かない?」

「わ、わたしは……舞台の上とかはちょっと……」


 慌ててわたしは首を振る。ひなちゃんも同じように首を振っていた。


「やー、さすがにひなっちに舞台に上がれとは言わないけどさー。ありす、小学校で劇とかやったでしょ? ありすの可愛さなら当然主役だったでしょ!」

「ええー? そんなことないよ、わたしは全然……。五年生のときに、桃太郎と浦島太郎と赤ずきんを合体させたみたいな劇やったけど、わたし桃太郎のお供のキジ役だったっけ」

「その劇の内容気になるけど、ありすがキジかー。リスなのにねー」

「その頃はリスだなんて知らなかったもん。キジ役って言ったって、羽根の飾りつけて手をぱたぱたさせてただけだし……」

「それはそれでかわいいと思う!」

「ええー!?」


 ――とまあ、そんなやりとりがあって、結局演劇部に行くのは、わたしもひなちゃんも遠慮することにした。体育館に向かうみつねちゃんと別れ、ひなちゃんと二人で教室を出る。


「わたしたちはどうしよっか?」

「……これ、返しに行く」


 わたしが尋ねると、ひなちゃんは鞄から文庫本を取りだした。昨日、文芸部の部長さんから借りた『ぶたぶた』だ。わたしはひなちゃんが買ったのを借りたけど、昨日は結局一番最初の短い話しか読めていなかった。

 本当に部長さんの言った通り、中年男性のぶたのぬいぐるみがベビーシッターとして登場する話だったし、その娘さんも出てきたのでびっくりである。続きは今夜読もう。


「あ、読み終わったの?」

「……うん。すごくよかった」

「そっか。ごめんね、わたし借りたの、まだ一番最初の話しか読めてないや」

「ん……大丈夫。続きたくさんあるから。ありすはゆっくり読んでいいから……」

「うん、じゃあ、昨日の図書準備室に行けばいいのかな」


 というわけで、図書室の方に歩き出す。その途中、廊下の掲示板に、いろいろな部活のポスターが貼られているのを、ふたりで見上げた。なかなかデザインの凝ったものが多い。どこかで見たようなキャラクターのイラストがついたものも結構あるけど、何か問題あったりしないんだろうかとちょっと心配になる。

 と、そうしてポスターを眺めていると、不意に誰かが背後に立つ気配があった。わたしが振り返ろうとするより早く、その気配が声を発する。


「貴方、1年3組の熊谷ひなたさんね?」


 わたしとひなちゃんは、その声に同時に振り向いた。ひなちゃんを見つめていたのは、さすがにひなちゃんよりは背が低いけれど、それでも女子としては充分に長身の部類に入る生徒だった。ユニフォーム姿に、小脇に抱えたバレーボールが、その素性を如実に物語っている。バレー部の人だ。彼女は爽やかな笑みを浮かべて、ひなちゃんに手を差し出す。


「はじめまして、私は女子バレー部の部長。熊谷さん、バレー部に入らない? 貴方のその身長を最も活かせるのはバレーボールしかないと思うの! 貴方なら私たちを道大会に連れて行ってくれるはず! ぜひ我が女子バレー部の救世主になって!」


 ああ、来てしまった。ひなちゃんの長身は女子の新入生の中でも目立つから、そりゃあ、バレー部やバスケ部が放っておくはずがない。


「ちょっと待ったあ!」


 と、そこへ割り込んでくる別の影。今度はバスケットボールを小脇に抱えた女子生徒が、つかつかとバレー部の人に歩み寄る。


「抜け駆けとは卑怯千万! 熊谷さんには私たちバスケ部が先に目をつけていたんだから。熊谷さん! ぜひ我が女子バスケ部に! 貴方のその身長があればすぐにでもレギュラーになれるから!」

「万年初戦敗退の弱小バスケ部は引っ込んでてくれない? 熊谷さんは地区代表を目指す我がバレー部にこそ必要な戦力よ!」

「なーにが地区代表を目指す、よ。予選グループ突破が関の山のくせに」

「なにをー! 熊谷さん、貴方はバレー部に必要な人材なの! バレー部に来て!」

「バスケ部だってば!」


 バレー部とバスケ部が、それぞれひなちゃんの腕を掴んで引っ張り合いを初めてしまう。これはあれか、かの有名な大岡裁きというやつか。掲示板前に人だかりができる中、わたしはどうしていいかわからず、おろおろと視線を彷徨わせるしかない。

 両腕を引っ張られるひなちゃんは、泣きそうな顔でわたしを見つめる。ううう、そんな顔で見つめられても、この状況でわたしに何が……。ああ、みつねちゃんがこの場にいれば……。


「熊谷さん、バレー部に!」

「いやバスケ部に!」


 ひなちゃんの返事を聞く気もないとばかりに腕を引っ張り合う2人。すっかり怯えた様子のひなちゃんは、声もあげられずによろよろと左右によろめいている。

 ああ、ダメだ、このままではどっちが勝つにしろ、ひなちゃんはそのまま体育館に引きずられていってしまうだろう。気弱なひなちゃんのことだ、強引に入部を迫られたらたぶん抗えない。運動部は入りたくないって言っていたのに……。

 みつねちゃんが居ない今、それを止められるのはわたししかいない。わたしが、ひなちゃんを守らないといけないのだ。わたしは息を決して、大きく息を吸い込み、


「やっ、やめてください!」


 そう叫んだ。ひなちゃんを引っ張り合っていた2人が、虚を突かれたように振り向く。


「ひっ、ひなちゃんは嫌がってますから! ひなちゃんは、運動部には入りませんっ!」

「え、なに? 私は熊谷さんと話をしてるんだけど」

「は、話なんかしてないじゃないですか! ひなちゃんの返事も聞かずに一方的に……! 無理矢理引っ張りこむようなことは、や、やめてください!」


 わたしはひなちゃんの腕を掴んで、引っ張り合っていた2人の手を振りほどいた。そうして、ひなちゃんの前で両腕を広げて立ちはだかる。わたしなんかが立ち塞がっても、なんの迫力もないことはわかってるけど、でも、今ひなちゃんを守れるのはわたしだけだから……!

 振りほどかれた2人は、むっとしたような顔で私を見下ろす。うっ、とわたしは少し後ずさった。後先考えずに飛び出してしまったけれど、この状況、ひょっとしなくても、わたしってかなりピンチ?

 ああうう、やっぱりダメだ、助けてみつねちゃん――。

 思わず目を瞑って心の中でそう叫んだ、次の瞬間。


「はいはいはい、ちょーっとお邪魔しますよー」


 と、その場を囲んでいた人垣の中から、第三の声が割り込んでくる。みつねちゃんではない。でも、聞き覚えのある声。


「申し訳ないけれど、そこの熊谷さんと添島さんはもうウチの文芸部に入部希望ってことになってるから、運動部は口出ししないでもらえないかなー」


 ぱんぱんと手を叩きながら姿を現したのは――文芸部部長の清里美幌さんだ。


「は? 文芸部?」

「そう、文芸部。どっちもおあいにく様、そこの2人は廃部寸前の我が文芸部の救世主、希望の星なの。ねえ熊谷さん、そうよね?」

「……え、あ、ええと……はい……」


 ひなちゃんが、眼をぱちくりさせながらそう答える。部長さんはにっと笑った。


「はい、そういうこと! じゃ2人とも、部室行きましょ。ほらほら」


 部長さんはそう言って、わたしとひなちゃんの手を掴んで強引に歩き出す。ぽかんとそれを見送るバレー部とバスケ部が、我に返って「ちょ、ちょっと待った!」と叫んだときにはもう、わたしたちは図書室へと向かう階段を部長さんに引っ張られて駆け上がっていた。

 そのまま図書室に逃げ込み、奥の第二準備室に辿り着いて、はあ~、と3人で大きく息を吐く。部長さんは顔を上げ、ぐっと親指を立てて笑った。


「あはは、逃走成功かな?」

「あ、ありがとうございます!」

「……ありがとうございます」


 わたしたちが頭を下げると、「いやいや」と部長さんは苦笑して首を振った。


「こっちこそごめんね、なんか困ってるみたいだからつい口出しちゃったけど、成り行きで勝手に2人とも文芸部入部決定みたいな言い方しちゃって。なんか恩の押し売りしたみたいで申し訳ない」

「……いえ、そんな……助かりました……」


 ひなちゃんは首を横に振り、ちょっと困ったようにわたしの方を見やる。その視線で、ひなちゃんが何を考えているのか、なんとなく解った。ピンチを助けてもらった恩返しってわけではないけれども……。


「ま、とにかくお茶淹れるね。そういえば今日は北崎さんは一緒じゃないの?」

「あ、みつねちゃんは演劇部の見学に……」

「演劇部かー。あー、確かに北崎さんには似合いそうだね、文芸部なんかよりは」

「いえ、あの……みつねちゃんはちょっと特殊で」

「特殊?」


 昨日も座った準備室の席に腰を下ろし、部長さんの淹れたお茶を受け取りつつ、わたしはみつねちゃんの「いろんな部活に顔だけ繋いで帰宅部」計画について説明した。それを聞いた部長さんは楽しそうに笑う。


「なるほど。北崎さんは何事にも束縛されたくないタイプね。風の吹くまま、自由人だねえ」


 ああ、自由人というのは確かに、みつねちゃんを一番的確に表した言葉かもしれない。自由すぎて普段何を考えてるのか、未だによくわからないところがある。


「……そうだ、部長さん、これ」


 と、ひなちゃんが鞄から『ぶたぶた』を取りだし、部長さんへ差し出した。


「あれ? もう読んじゃった?」

「はい。……すごくよかったので、全巻買いました」

「え、昨日の今日で!?」

「ひなちゃん、昨日の夜に慌てて紀伊國屋に駆け込んで、まとめ買いしてましたから」


 わたしが補足すると、「え、ホントに?」と部長さんは目を白黒させる。


「いやー……他人に本薦めて、ここまでの反応が即返ってきたのは初めてだわ……。熊谷さん、どの話が良かった?」

「……全部好きですけど、私立探偵がぶたぶたさんを尾行する話が特に……」

「あー、あれいいよね! そっか、そこまで気に入ってもらえたかー」


 うんうん、とすごく満足そうに部長さんは頷く。他人に薦めたものを喜んでもらえたというのは、確かに嬉しい。わたしも覚えがあるから、なんとなくわかる。

 そんなご満悦の部長さんの前で、ひなちゃんがおずおずと手を挙げた。


「ええと……それで、なんですけど……私、入ります」

「ん? え、入るって?」

「文芸部……」

「………………ええええええっ!?」


 ひなちゃんの言葉に、部長さんは素っ頓狂な声をあげて立ち上がる。


「えっ、い、いいの!? いや、さっきの私の言葉はその場凌ぎだから別に気にしなくていいんだからね!? 無理して入ることないからね!?」

「いえ……今日は最初から、入部するつもりで来ました……」

「え、ひなちゃん、そうだったの?」


 それは初耳だ。てっきりさっき助けてもらったのがきっかけだとばかり。


「……うん。本当はこれ読んだ時点で決めてた……」

「あ、そ、それは本当にありがたいけど……。本当にいいの? うち、一応創作活動がメインの部活だから……。まあ、読み専でも構わないけど、創作しないとあんまりうちの部にいても楽しくないと思うよ?」

「……国語は得意だし……。喋るより、文章で書く方が、自分の気持ち、ちゃんと表現できる気がするから……大丈夫、です」


 訥々とそう語って、ひなちゃんは部長さんをまっすぐ見つめた。

 部長さんが困ったように目をしばたたかせているのを見て、わたしも意を決する。


「えと、わたしも入ります!」

「へっ!? そ、添島さんまで!?」

「あ、ありす? ……いいの?」

「うん。昨日のひなちゃん見てたら、なんだかいいなあって思ったし……。部誌の砧先生の文章も良かったから、わたし、ぜんぜん読書家でもなんでもないけど、ひなちゃんや部長さんや砧先生となら、何か読んだり書いたりするのも……面白いかなって」


 実のところ、手を挙げた時点でそこまで考えていたわけではなかった。ただ、なんとなくこのまま文芸部に入っちゃってもいい気がして、その理由を考えて言語化してみたら、そういう説明になったのである。

 何より、昨日のキラキラしたひなちゃんが、なんだか羨ましかったのだ。1冊の本にあれほどキラキラした顔ができるひなちゃんが。


 ――わたし、今までなにかにそんなに夢中になったこと、あっただろうか。ふと、そんな風に思ってしまった。入りたい部活も決まらないし、自分が何が好きなのかも、考えてみるとよくわからない。本も漫画も映画もテレビも音楽も動画も、人並み程度に触れてはきたけれど、あんなにキラキラするほど何かに夢中になったこと、ないような気がした。

 高校の部活って、たぶんそういう、何か新しい夢中になれることを見つける場所なんじゃないか――っていうのは、青春部活ものの漫画とかドラマとかの刷り込みなんだろうし、文芸部が舞台のそういう作品は見た記憶も読んだ記憶もないけれど。でも、こういうのはきっと巡り合わせが大事なんだと、なんとなくわたしはそう思う。


「添島さん……熊谷さん……あっ、ありがとう!」


 部長さんは、感激した顔で身を乗り出し、私たちの手を握る。


「……あの、よ、よろしくお願いします……」

「よろしくお願いします!」


 わたしたちが頭を下げると、部長さんは「え、あ、うん、よろしく」と一瞬戸惑ったように声をあげ、「あっ、そっか、新入部員だ!」と今気付いたように声をあげた。


「新入部員が2人! あと1人入れば来年の廃部は回避だ! よっし!」


 ぐっとガッツポーズする部長さんに、「……あの」とひなちゃんが手を挙げる。


「……たぶん、みつねも入ると思います……」

「へ? みつねって、北崎さん? 帰宅部主義じゃないの?」

「……ありすが入るから……たぶんありすと同じ部活を優先する……」


 わたしを優先するのかどうかはともかく、わたしとひなちゃんが入部すると言えば、みつねちゃんもたぶん一緒に入部することになると、わたしも思う。


「ほ、ホントに?」

「……あとで話してみます……」


 ひなちゃんが頷く。部長さんはしばし呆然として、そして高く両手を掲げた。


「勝った! 第三部完! 廃部回避だー! ありがとう七城さん!」

「どうしたんですか、部長。何騒いでるんです?」


 そこへ、新しい声が割り込んでくる。振り向くと、七城さんが呆れ顔でこちらを見ていた。わたしとひなちゃんの存在に気づき、七城さんは眼鏡の奥で目を丸くする。


「ありすにひなた? また来たの?」

「七城さん! こちらにおわすは恐れ多くも新入部員様よ! 我が文芸部を廃部の危機から救った救世主様にあらせられるわよ! 崇めなさい!」

「は? え、なに、あんたたち、ホントに入部する気?」

「……はい」

「よ、よろしくお願いします……」


 わたしたちが頷くと、「ええー……」と七城さんはこめかみを押さえて、部長さんの隣の椅子に腰を下ろした。


「いやまあ、誘ったのは私だけど……部長、どんなあくどい手を使ったんです?」

「何もしてないわよ。いや、ちょっと既成事実は作ったけど」

「何やったんですか」

「ちょっとした人助けだってば」


 七城さんにじろりと睨まれて、部長さんは肩を竦める。それから七城さんはわたしたちの方を振り向き、机に肘を突いて息を吐いた。


「……あんたたちもホントにいいの? 千鶴じゃないわよ? 私のいる部活よ? だいたい文芸部なんか入るのは本ばっかり読んで創作なんて特殊な趣味にハマって社会性を喪失してしまったのを、自分は読書家という知的人種であるという歪んだプライドで糊塗してるような社会不適合者よ? 周りにそう見られていいの?」

「七城さん、それは自虐なの? それとも悪口なの?」部長さんが口を尖らせる。

「自虐以外の何だって言うんですか。自分がそういう人種だっていう自覚ぐらいありますよ。部長も気を付けた方がいいですよ、本を読まない人間を露骨に見下す読書家って、つまり本を読むと本を読まない人間を露骨に見下すような人間になるっていうことですから」

「本の虫一家育ちとしては耳が痛いわねえ……」

「べ、別に誰もそこまで言ってないと思いますけど……」


 わたしが両手を挙げて言うと、七城さんは「ま、あんたたちがいいなら、いいけどね」と息を吐いて、手にしていた鞄から文庫本を取りだして読み始めた。相変わらずマイペースだ。

 と、そうだ。今のうちにみつねちゃんに連絡しておこう。わたしはスマホを取りだして、みつねちゃんにLINEを送る。


《わたしとひなちゃん、文芸部入ることにしたよー》


 十数秒後。


《今行く!》


 返信が来た。「……どうしたの?」と覗きこんできたひなちゃんにスマホの画面を見せていると、ばたん、と準備室のドアが開く。現れたのは、当のみつねちゃんである。


「北崎みつね、ただいま参上! 文芸部に入部しに来ました!」

「早っ!?」


 ちょっとみつねちゃん、来るの早すぎない?

 わたしが呆気にとられていると、部長さんはもっと目をまん丸にしていた。


「き、北崎さん?」

「はい!」

「……今、ホントに入部しに来たって言った?」

「言いましたー!」


 がたっ、と音を立てて立ち上がり、部長さんはみつねちゃんに抱きついた。


「ありがとう! そしてありがとう!」

「あっはっはー、どういたしましてー」


 突然抱きつかれても平然としているみつねちゃんは、やっぱり大物だと思う。

 部長さんから離れ、「やっほー」とみつねちゃんは、わたしの隣の席に腰を下ろす。


「助かったよー、ありす」

「え? どういうこと?」

「やー、演劇部の見学してたら、部長の人にいきなり舞台に上げられて台本の台詞読まされてさー。そしたら今すぐ入部しろってすごい勢いで迫られちゃってたんだよー。ありすからLINEが来たのを口実にようやく逃げてきたわけ」

「あ、あはは……」

「……みつねも大変だったね」


 みつねちゃんはみつねちゃんで、さっきのひなちゃんみたいなことになってたらしい。

 一方、そんな騒ぎには関心がないとばかりに文庫本に目を落とす七城さんに、みつねちゃんが「あ、そうだ、うさ先輩」と声をかける。


「……何?」

「『湖底館の殺人』の、《窓から西日が差し込んでいる》っていう描写で犯行現場を誤認させるトリック、犯人特定の決め手ともちゃんと直結してて、面白かったですよー。犯人の一人称だからギリギリアンフェアじゃないと思いますしー」

「…………」


 七城さんが、無言でがたっと立ち上がった。そしてゆっくりと、みつねちゃんに歩み寄る。

 おお? と顔を上げたみつねちゃんの肩を、七城さんは掴んで、


「――ようこそ文芸部へ、歓迎するわ」


 今度は七城さんが、みつねちゃんをハグした。


「お、おおー? うさ先輩、どうしましたー?」

「やっと! やっと私の意図が伝わった! 部長も砧先生も、去年の3年生も、誰ひとり理解してくれなかったのに! 『これ間違いじゃない?』って言われたときの私の失望を理解してくれる相手なんていないと思ってた! みつね、あんたミステリ読むセンスあるわ!」

「あっはっはー、もっと褒め称えてくれて構いませんぞー。あ、でもうさ先輩」

「なに?」

「解決編で、現場誤認のトリックと、犯人特定の決め手になる属性の提示と、どっちで読者を驚かせたかったのかが不明確なのが勿体ないと思ったんですけどー。冒頭で仕掛けたのが現場誤認トリックなんですから、解決編で犯人特定の決め手の方を先に出して、現場誤認トリックをもっとばーんとサプライズとして仕掛ければ良かったんじゃないですかー?」

「…………」


 七城さん、固まる。


「……みつね」

「はいはーい」

「次の原稿書いたとき、最初に見て意見くれる? たぶんあんたが一番いい読者だわ」

「いいですよー」


 にっと笑ったみつねちゃんの肩を叩いて、七城さんは自分の席に戻っていった。

 部長さんはそんな七城さんを横目に見やって、机に頬杖をつく。


「七城さん、私そんなに良くない読者だった?」

「せめて叙述トリックのフェアとアンフェアについて勉強してから言ってください」

「うーん、私、叙述トリックものってあんまり好きじゃないのよね……。浸ってた作品世界が急に壊されちゃう感じで」

「そこがいいんじゃないですか。自分の常識とか世界の見え方が一度破壊されて再構築されるのが叙述トリックの醍醐味ですよ」

「……あのー、叙述トリックってなんですか?」挙手して質問するわたし。

「最近多いでしょ。《衝撃のラスト○ページ》とか《二度読み必至》とか《このどんでん返しは絶対に見抜けない》とかオビに謳ってるタイプの作品。全部がそうじゃないけど、だいたいああいうの」

「あ、あの映画になった……」


 わたしがとある恋愛もののタイトルを挙げると、七城さんは「そうそう」と頷いた。


「あれ、読んだ?」

「映画だけ見ました。前半と後半で人変わりすぎじゃないかなって思ってたら……」

「あー、あれは映画版の上手い改変」

「え、そうなんですか?」


 そんな話をしていると、また部室に誰かがやってくる。顔を上げると、砧先生だった。


「なんだか賑やかね。……あら?」

「あ、先生。廃部回避ですよ」

「そう! 新入部員3人ゲット!」


 七城さんと部長さんが言うと、砧先生は目を丸くしてわたしたちを見やる。


「え、ええ? 北崎さん、熊谷さん、添島さん……みんな入部してくれるの?」

「はーい、北崎みつね、文芸部に入部しまーす!」

「よ、よろしくお願いします」

「……よろしく、お願いします」


 わたしたちがそれぞれに会釈をすると、砧先生は目をぱちぱちさせ――それから、感激したように部長さんにしがみついた。


「やった、やったわね、美幌ちゃん!」

「だ、だから学校で名前で呼ばないでってば、お姉ちゃん!」


 ――え、お姉ちゃん?

 部長さんの言葉の意味がわからずに、わたしたちがきょとんとしていると、部長さんは我に返ったように、砧先生を引き剥がす。


「あのー、先生と部長さん、どういうご関係でー?」

「……苗字、違うよね……?」


 みつねちゃんが手を挙げ、ひなちゃんも首を傾げる。確かに、部長さんの苗字は清里だったはずだから、砧先生とは違う。砧先生の手に指輪はないから既婚者でもないだろうし……。


「あー、部長と先生は同棲してるから」


 さらっと七城さんがとんでもないことを言う。


「ど、同棲!?」

「違うから! 私とおね――砧先生は従姉妹で、私が先生の家に厄介になってるの! 子供の頃から『お姉ちゃん』って呼んでたから、つい……」


 慌てた様子で部長さんが首を振り、恥ずかしそうに顔を伏せる。

 あ、ああ、そういうことか。びっくりした……。わたしはほっと息を吐き――それから、砧先生の姿が見当たらないことに気付く。


「あれ、先生は……?」


 どこへ行ったのだろう。わたしたちが視線を巡らせていると、部長さんが悲鳴のように「おっ、お姉ちゃーん!」と叫んで立ち上がる。

 何事かと、思わず立ち上がったわたしたちが、机越しに見たのは――。


 床の上で死んだふりをしている、1匹のタヌキだった。

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