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お隣さんはヒグマでした。  作者: 浅木原忍
2章 学校生活が始まった
12/27

うちのお姉ちゃんは手がかかる

 お鍋の中で、シチューがコトコトと音をたてている。炊飯器がご飯の炊き上がりを告げ、私は反射的に時計を見上げた。たぶん、そろそろ帰ってくる頃だろう――。

 そう考えた直後、がちゃり、と玄関のドアが開く音。私が台所から顔を出すと、予想通りお姉ちゃんが帰ってきたところだった。


「おかえり、お姉ちゃん」

「ただいまあ、美幌ちゃああああん」


 ふえええん、と情けない声をあげて、お姉ちゃんは私に抱きついてきた。こうなることは解っていたので、私はお姉ちゃんの身体を抱き留めて、胸に顔を埋めたお姉ちゃんの頭を、よしよし、と撫でてやる。まったく、私より8つも上とは到底思えない。どうせまた、学年主任の坂崎先生にでも怒られたのだろう。


「よしよし、お姉ちゃん、どうしたの?」

「また坂崎先生に怒られた……先生としての自覚が足りないってえ……」

「よーしよし、大丈夫、大丈夫。お姉ちゃんが頑張ってるのは、私がちゃんとわかってるから」

「うう……美幌ちゃああん」


 なでなで。お姉ちゃんの髪の毛はもふもふ、ふわふわで、撫でていると私も幸せな気持ちになってくる。すんすんと鼻を鳴らしたお姉ちゃんは、私の顔を見上げて口を尖らせた。


「美幌ちゃんは学校で冷たいし……」

「あ、あれはお姉ちゃんが、学校で私のこと名前で呼ぶから。学校では他の生徒と同じように苗字で呼んでって、いつも言ってるじゃない」

「でもでもぉ、何もしなくていいとか、死んだふりしてろとか、いくらなんでもぉ」

「……だったらお姉ちゃん、あの場で私がこうやって、お姉ちゃんぎゅーってして、よしよしって頭撫でてあげればよかった? 担任のクラスの子が3人もいる場で」

「うっ」

「お姉ちゃんただでさえ頼りないって言われてるのに、家でもこうやって8つも下の従姉妹に身の回りのことなんでもやってもらって、子供みたいに甘やかされてるダメな大人だって、学校で言いふらされちゃってもいいの?」

「ううううう。美幌ちゃんのいじわる……」

「冗談だってば。お姉ちゃんはダメじゃない、立派、立派。先生になって2年目でもう、ウチの学校でクラス担任を任されてるんだから、ちゃんと期待されてるんだって。だから学校ではしっかり、ちゃんと先生らしく澄ましてればいいの。家に帰ったら私がいくらでも甘えさせてあげるから。よーしよし」

「はふ……うん、がんばる……」

「うん、がんばれお姉ちゃん。ほら、着替えて手洗ってきて。もう晩ご飯できるから」

「ん……もうちょっと」

「もう、シチュー焦げちゃうってば。しょうがないなあ、お姉ちゃんは」


 なでくりなでくり。台所のシチューの鍋を気にかけつつも、お姉ちゃんの頭を撫でるのを止められないのは私も一緒だった。いくつになっても子供みたいに甘えん坊のお姉ちゃんが、かわいくて仕方がない。お姉ちゃんを人としてダメにしている自覚はあるけれど、お姉ちゃんが私離れできないのと同じように、私もお姉ちゃん離れできないのだった。




 私――清里美幌と、お姉ちゃん――砧真美は、8つ離れた従姉妹の関係にある。お姉ちゃんの父が私の母の兄で(つまり母の旧姓が砧だ)、家も近所だったので、子供の頃からよく一緒に遊び、実の姉妹のように育った。一緒に遊んだと言っても、私がお姉ちゃんに遊んでもらった、ではない。内気で同級生の友達が少なかった中学・高校時代のお姉ちゃんにとって、小学生の私は数少ない友達だったのだ。

 お姉ちゃんがエルムから北大の教育学部に現役で合格した年、我が家は父の仕事の都合で函館に引っ越すことになった。お姉ちゃんと離れて5年を函館で過ごし、私はエルム高校を受験して札幌に舞い戻った。そうしてお姉ちゃんの家に厄介になることになったのだが……。

 何の因果か、昨年春、お姉ちゃんが教員採用試験に受かって、私のいるエルム高校に採用が決まるとともに、今度は伯父さん(ちなみにお姉ちゃんと同じく高校教師)が、よりにもよって釧路に異動になったのである。特急で4、5時間かかる釧路まで札幌から通勤はさすがに不可能で、伯父夫婦はお姉ちゃんを残して釧路の教職員宿舎に入ることになり、札幌の家には私とお姉ちゃんだけが残された。

 かくして、生活能力のないお姉ちゃんの面倒を私が見る生活が、現在2年目に突入したところなのである。


「ごちそうさま」

「おそまつさまでした」


 夕飯を終え、後片付けをしようと私が立ち上がると、お姉ちゃんが意を決したように「み、美幌ちゃん!」とほぼ同時に立ち上がった。


「なに、お姉ちゃん」

「あ、後片付け、私がやるから……美幌ちゃんは、先にお風呂入ってて」

「……え? お姉ちゃんが? ど、どういう風の吹き回し? もう酔った?」


 全く思いがけない発言に、私は狼狽を隠せない。普段のお姉ちゃんなら、そのままリビングのソファーに寝転がって「おなかいっぱい~」と幸せそうにだらけるはずなのに……。夕飯と一緒に飲んでいた缶ビールで酔っぱらってしまったのか。訝しむ私に、お姉ちゃんはテーブルに手を突いてぐっと身を乗り出す。


「だっ、だって、美幌ちゃんはもう受験生なんだし! 先生の私が、美幌ちゃんの大切な勉強時間を家事で削らせてばっかりなんて、やっぱり、ダメだと思うの!」

「お、お姉ちゃん……」


 自分の身の回りのことにかけては自堕落が服を着て歩いているようなお姉ちゃんから、こんな台詞が出るなんて……。感動ものである。あるのだが、感動する前に、経験則から不安の方が立ち上がってしまう自分が悲しい。


「……だ、大丈夫? お姉ちゃん、洗い物できる? 食洗機の動かし方わかる? 洗剤を入れないと食器は綺麗にならないんだよ?」

「でっ、できるってば! これでも去年美幌ちゃんが修学旅行のときは――」

「あのときお姉ちゃん全部ホカ弁で済ませてなかったっけ……?」

「大丈夫! 大丈夫だから! 美幌ちゃんはお風呂入って!」


 お姉ちゃんに背中を押され、私は台所を追い出されてしまう。


「そ、そこまで言うなら任せるね……がんばってね、お姉ちゃん」


 私はお姉ちゃんの手を握ってそう言い、後ろ髪を引かれながらバスルームに向かった。不安しかない。さて、果たして私が服を脱ぐまで保つだろうか……。

 結論から言えば、案の定でしかなかった。私が脱衣所で髪をほどき、部屋着のトレーナーに手を掛けたところで、台所から盛大に食器の割れる音。ああ、1分も保たなかった。私は慌てて台所へとって返す。


「お姉ちゃん、大丈夫?」


 台所を覗きこむと、流し台のところの床に、お姉ちゃんがビールを飲むのに使っていたグラスが砕け散っていた。それは予想通り、むしろ被害がそれだけで安心したぐらいのものだが、はて、肝心のお姉ちゃんの姿が見当たらない……。


「お姉ちゃん? ……あ、いた」


 ちょっと探すと、すぐにその姿は見つかった。お姉ちゃんはテーブルの下に転がって、毎度の死んだふりをしている。――モフモフしたタヌキの姿になって。


「お姉ちゃーん、もう、また死んだふりして……」


 タヌキになってしまったお姉ちゃんを抱え上げて、私はひとつため息。何か失敗するたびにお姉ちゃんが死んだふりの狸寝入りを決め込むのはいつものことだけれど、タヌキの姿になってしまうのは重症だ。10分ぐらいはこのままだろう。

 私はタヌキのお姉ちゃんを居間のソファーに運んで、床のグラスの破片を片付ける。それからお姉ちゃんがほとんど何もしないままの片付けと洗い物に取りかかった。といっても食洗機があるので、洗い物の大半はざっと水で流して食洗機に突っ込み、入らないものだけ手洗いするだけだから、大した手間ではない。

 食洗機に洗剤を投入してスイッチを入れ、片付いたテーブルを布巾で拭いて一息。結局全部自分でやることになってしまったし、どう考えたって私がやる方が早い上に、私自身が自分でやった方が安心できるわけである。

 お姉ちゃんは、とリビングを覗くと、まだタヌキの姿で、ソファーの上で死んだふりを続けている。毛玉のようなモフモフの塊を見下ろしていると、ちょっと手がうずうずしてきた。せっかくお姉ちゃんがタヌキになってるんだし……。


「お姉ちゃん、モフモフしていい? 沈黙は肯定と見なすよ?」


 私の問いにも、お姉ちゃんはまだ死んだふり。


「OK、モフモフー!」


 お姉ちゃんの冬毛に両手を埋めると、両手から多幸感が全身に伝わってきて、私は陶然とお姉ちゃんをなで回す。ふわふわの髪の毛も好きだけど、タヌキ状態のときの、特に冬毛のお姉ちゃんのモフモフ感は何物にも替えがたい至高のモフモフだ。ああお姉ちゃん、貴女はどうしてモフモフなの。お姉ちゃんの毛皮をなで回していると、もう頭がモフモフのことしか考えられなくなる。私をダメにするモフモフ。はふう、と私は幸せのため息をついてお姉ちゃんの毛皮に顔を埋める。ああ、あったかい、お姉ちゃんの匂い……。お姉ちゃんのモフモフに包まれていると、世界の恒久平和が到来したような気持ちになる。一家に一台お姉ちゃんのモフモフで世界平和を実現だ。モフモフは世界を救う。間違いない。

 お姉ちゃんはこうやってタヌキになるけれど、私は変身できない普通の人間だ。子供の頃は、かわいいタヌキになれるお姉ちゃんが羨ましかったけれど、今は普通の人間で良かったと思っている。だってこうやってタヌキになったお姉ちゃんをモフれるんだもの。ああ、どんなぬいぐるみや毛布よりも心地よいモフモフ……。

 そうしてうっとりとお姉ちゃんの毛皮に顔を埋めて耽溺すること、しばし。


「……み、美幌ちゃん?」


 ふっと頬に当たる毛皮の感触が消えて顔を上げると、いつの間にかお姉ちゃんが人間の姿に戻っていて、私はソファーに横になったお姉ちゃんのお腹に顔を埋める格好になっていた。


「あ、お姉ちゃん戻っちゃったの?」

「え? あ、私またタヌキになってた……?」

「なってた。もうお姉ちゃん、まさか学校でタヌキになってないよね?」

「な、なってないから! さすがに学校では変身しないってば! ……ってあれ? じゃあ、後片付けは……」

「私がやったよ。お姉ちゃんが割っちゃったグラスも掃除したし」

「あ……うううう、ごめんね美幌ちゃん、ダメなお姉ちゃんでごめんね……」

「おお、よしよしお姉ちゃん、大丈夫大丈夫。私はお姉ちゃんが気遣ってくれた、その気持ちだけで充分だよ。よーしよし、お姉ちゃんは偉い、お姉ちゃんは立派」

「美幌ちゃあああん……うううう」


 またお姉ちゃんを抱きしめて、よしよしと頭を撫でる。タヌキのお姉ちゃんをモフモフして、人間のお姉ちゃんをよしよしして、そうする時間が私の一番の幸せなのだ。お姉ちゃんには内緒だけど。ああ、お姉ちゃんがかわいくて生きるのが楽しい。


「お姉ちゃん、お風呂一緒に入ろっか」

「……うん」

「お風呂上がったら、お姉ちゃんの好きなリンゴ剥いてあげる」

「うん、うん」

「よーしよし、お姉ちゃんはいいこ、いいこ」

「いいこじゃないもん、大人だもん……」

「大人が子供に甘えたっていいんだよ、お姉ちゃんが甘えてくれるのが私の幸せ」

「あふ……美幌ちゃんのせいでダメな大人になるぅ……」

「お姉ちゃんはダメじゃない、お姉ちゃんは偉い、お姉ちゃんは立派な大人。よーしよし」


 いつまでもこうしてお姉ちゃんを抱きしめてなでなでしていたい。お姉ちゃんが好きすぎてダメになってるのは私の方だと解っていても、やめられないとまらない。お姉ちゃんの柔らかさを感じながら、私はいつまでも幸福に浸っている。




 そんなわけで、お姉ちゃんと一緒にお風呂である。

 お姉ちゃんが髪を洗っているところに、湯船から身を乗り出し、私は「そういえば、お姉ちゃん」と声をかけた。


「今日部室に来てた3人ってお姉ちゃんのクラスなんだよね?」

「北崎さんたち? そうだけど……」


 わが文芸部の後輩、七城羽紗美が連れてきた新入生トリオ。羽紗美さんと同じマンションの住人だというけど、あのコミュ障ミステリマニアがよくもまあ、ご近所付き合いなんてものをしているものだと思う。羽紗美さんといつも一緒にいる料理研のあの子――千鶴さんだったか。彼女が主導しているのだろう。


「お姉ちゃんから見て、どんな子たち?」

「ううん、私もまだクラス持って3日目だから、生徒の個性はあんまり掴めてないんだけど。北崎さんはたぶん、この3日で一番目立ってる子。ちょっとお調子者だけど、社交的で明るくて人なつっこい、いい子よ。……添島さんと熊谷さんは、北崎さんといつも一緒にいて。3人とも遠方から来て独り暮らししてる子だから、同じマンション同士、入学前に仲良くなったんだと思うけど……」

「国語教師のお姉ちゃん的に、文芸部向きの人材だと思う?」

「まだ授業始まったばっかりだから……。でも、3人ともそんなに、私や美幌ちゃんみたいに暇さえあれば本を読んでる、っていうタイプではなさそうに見える……」

「やっぱり? 今日3人の話聞いてる限りでもそんな感じだったんだけど。望み薄かなー。羽紗美さんへの義理で来たんだろうし。別に本好きである必要はないけど、やっぱり何か表現したいって意欲がないと、文芸部いてもつまんないと思うからね」

「そうね……。でも、新入生3人入らないと来年にも廃部だし……」

「羽紗美さんひとりだけになったらもう廃部確定みたいなものだから、私がいるうちに何とかしないと。お姉ちゃんのクラスに、他に文芸部向きっぽい子いない?」

「男子でひとり、休み時間に本読んでる子がいたけど……サブカル研に行くみたい」

「ああー、やっぱりそっちかー」


 私は湯船に顔の半分まで沈め、ぶくぶくと泡を浮かべる。お姉ちゃんの前、私が1年のときの顧問だった黒田先生のやらかしが、今も尾を引いているのだ。問題のラノベ禁止事件は私の入学前の出来事だけど、私が入部したときも噂として「文芸部は純文学以外ダメ」みたいな尾ひれがついていた。まあ、実際黒田先生はいかにもな文学嗜好の人だったし、私と一緒に入った子は2人いたんだけど、黒田先生についていけず、どっちも1年のうちにやめてしまった。黒田先生を覚えている3年生が残っている限り、文芸部のカタいイメージは消えないだろう。いまどきそんなイメージが囁かれていては、文芸部に部員が集まらないのも仕方ない。


「やっぱりもうちょっとポスター多めに作って読書会の宣伝するしかないかー。それともいっそビブリオバトル部にでも方向転換するとか……いや、私と羽紗美さんだけじゃビブリオバトルにならないか……」


 あの羽紗美さんにビブリオバトルができるとは到底思えないのが最大の問題だ。


「私も……自分が顧問の間に文芸部を潰しちゃったら、OGとして申し訳が……」


 お姉ちゃんはうちの高校の卒業生であり、文芸部OGである。8年ぐらい前の部誌にはお姉ちゃんの書いた、いかにも江國香織あたりの影響を受けてそうな短篇小説が載っている。本人は恥ずかしがっているが、そんなに悪い出来じゃないと思った。


「だよねー。何にしても、あの3人を確保しておくに越したことはないかあ」


 もちろん本人の意志は尊重するけど、うちの高校は文化部の掛け持ちオッケーなんだし、とりあえず籍だけでも置いてって頼んでみよう。3人いれば来年の廃部は回避なんだから。いざとなれば1年の教室に押しかけて拝み倒す覚悟で。部室を放課後のたまり場にしてくれるだけでもいい。3人とも同じマンションでひとり暮らしだというから、校内のたまり場の必要性は薄いかもしれないけれども。

 浴槽のへりに頬杖をついてそう考えていると、お姉ちゃんが濡れた髪をタオルでまとめながら微笑んだ。


「美幌ちゃんも、部長さんらしくなってきたね」

「……そうかな? まあ、他の部員が羽紗美さんだけじゃ、私がやるしかないもん」


 去年までは4人の先輩がいて、特に前部長は推薦であっさり受験を終わらせたこともあり、私と羽紗美さんだけで合評会も読書会もままならなくなった部に顔を出し続けてくれた。ありがたかったけど、おかげで私は少し部長としての貫禄に欠けるかもしれない。まあ、部員2人の部活で貫禄も何もないと言えばその通りだけど。

 髪をまとめたお姉ちゃんは、私の入っている浴槽に身を沈める。ふたりぶんの体積が沈んで、お湯が溢れた。この家の浴槽は広めだけど、さすがにふたりだとちょっと狭い。


「だから……これは顧問として、あるいはOGとして、現部長への助言なんだけど」

「うん?」

「部員を集めないといけないのは確かだけど……文芸部があんまり派手なことする必要は、ないと思うの。……高校時代の私がそうだったみたいに、文芸部っていう部活は、集団に馴染むのが苦手な子のための居場所としての必要性があると思うから……。七城さんみたいに」

「……お姉ちゃんにそれ言われると反論しにくいなあ」

「もちろん、美幌ちゃんが部長としてもっと和気藹々とした文芸部を作りたいっていうなら、それは尊重するけど……。読書も文章創作も、基本的にはひとりで黙々とやる行為だから。その孤独な行為に誰かのレスポンスが欲しくなったときのための場としてあるのが、文芸部の役割じゃないかな……って」

「…………」

「だから……そういう子のための隠れ家であることは、大事にして欲しい、かな」

「せんせー、隠れすぎてて廃部寸前なんですけどー」

「ううっ」

「だったらお姉ちゃんも、隠れ家への道案内役をやってよ。授業持ってるクラスに、それっぽい子がいたらさりげなく声を掛けて……。……お姉ちゃんにそれは無理かな」

「うううう……」


 ぶくぶくと顔の半分を沈めて唸るお姉ちゃんに、私は苦笑した。




 ――そんなことを言っているけれど、そもそも私がどうして本好きになり、自分でも小説を書くようになったかといえば、元を質せばお姉ちゃんのせいなのである。

 忘れもしない、私が小学3年生、お姉ちゃんが高校2年生のときだ。それまでもお姉ちゃんが本を読んでいる姿はよく見ていたが、私が「なんのごほんよんでるの?」と尋ねても、お姉ちゃんは適当にはぐらかしていた。それが、珍しくお姉ちゃんが、そのとき読んでいた本を私に貸してくれたのである。結局その本は私のものになり、今でも私の本棚の取り出しやすい場所に大事に並べてある。その本の作者は星新一。新潮文庫の『ボッコちゃん』だ。

 星新一で読書の面白さを知った私は、そのあと《ハリー・ポッター》の洗礼を受けてファンタジーにのめりこみ、《ダレン・シャン》や《ライラの冒険》といったあたりを読みあさったあとでお姉ちゃんの勧めで上橋菜穂子に辿り着き、そこから梨木香歩や荻原規子、そして小野不由美というルートでファンタジー沼に沈んで現在に至る。

 そうして私が異世界ファンタジーにどっぷり首まで浸かっている横で、私を沼に落としたお姉ちゃんはファンタジーではなく、エンタメ寄りの文学(奥泉光とか古川日出男とか、あのへん)を主に読んでいるわけだが……。

 そんなわけで読者としてはガチガチに世界観を固めたハイファンタジー好きの私だが、自分で書いているのはもうちょっと現実寄りのものである。中学の頃はそれはもう壮大なファンタジーを書いてやろうと意気込んだものだが、自分が細かい設定を考えるのが決定的に苦手(というか、考え出すと細部が気になってキリがなくなり一歩も進めなくなってしまう)な質だと気付くのに時間はさほどかからなかった。

 なので、日常に不思議が当たり前のものとして共存しているエブリデイ・マジックものを、イメージ優先で書いているけれど、合評会で羽紗美さんに見せても「また小川洋子ですか?」「これじゃ梨木香歩の『家守綺譚』のパクリですよ」とすげない。ミステリ・SF好きの彼女を唸らせるファンタジーを書くのが、とりあえず卒業までの目標である。




 お風呂上がりにお姉ちゃんとリンゴを剥いて食べ、それからそれぞれ自室に戻った。学校の課題をやっつけて少し勉強し、息抜きに本を手に取る。米澤穂信『満願』。次の読書会の課題図書が米澤穂信なので、とりあえず主な作品に目を通しておこうと順繰りに読んでいるところである。今のところ読んだ中では『折れた竜骨』が一番面白かったが、本格ミステリは門外漢なので、これは自分のファンタジー趣味のせいかもしれない。

 そうして文庫本のページをめくっていると、不意に部屋のドアがノックされた。「はーい?」と返事をすると、ドアを薄く開けてお姉ちゃんが顔を覗かせる。私はちらりと時計を見た。おお、もう十一時だ。そろそろ寝ないと。


「どしたの、お姉ちゃん」

「……美幌ちゃん……い、一緒に寝て、いい……?」

「え? いや、いいけど、どうしたの急に」


 お姉ちゃんはチワワのように震えながら縮こまる。タヌキなのに。


「……読んでた本が、ちょっと……あんまりにも、怖くて……」

「子供か! って、なに読んでたの?」

「小野不由美の『鬼談百景』……」

「あー」


 なるほど、あれは確かに怖い。でも、私の本棚にはもっと怖い本がある。


「お姉ちゃん、ここにその百物語の百話目の『残穢』があるんだけど」

「やめて!」


 悲鳴をあげるお姉ちゃんに、私は歩み寄って、いつものように抱きしめて頭を撫でた。


「よーしよし、こわくない、こわくない。一緒に寝てあげまちゅよー」

「ううう、美幌ちゃぁあん」


 シャンプーの匂いのするお姉ちゃんの髪を梳きながら、幸せだなあ、としみじみ感じる。子供みたいなお姉ちゃんを甘やかせば甘やかすほど、自分がお姉ちゃんに必要とされていると感じられる。世間的にはこういう関係を共依存と呼ぶのだという知識はあるが、共依存で何が悪い。私の幸せはお姉ちゃんを甘やかすことである。

 ああ、それにつけてもお姉ちゃんのかわいさよ。25歳がこんなにかわいくていいのか。許せる。かわいいは正義だ。人間の姿でもタヌキの姿でもお姉ちゃんは世界一かわいい。


「お姉ちゃん、一緒に寝る代わりにひとつお願いしてもいい?」

「……なにを?」

「タヌキになって! 寝る前にモフモフさせて!」

「ええー!?」


 ――私とお姉ちゃんの1日は、だいたいそんな風にして暮れていく。

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