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口の軽い魔法使い  作者: トースト
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失言その1

その魔法使いはずいぶんと長いこと森の泉の側の小屋に住んでいた。

小屋の屋根は苔に覆われ下の屋根板も見えなくなっており、彼が通る獣道の様なか細い小径以外は草木がうっそうと茂っている。窓という窓は白いススの様なもので曇り切っており、おそらく明かり取りとしての機能しか果たしていないだろう。と言うか周りに覆いしげる草木のせいで、明かり取りとしての機能もあやしい。

ツタにまみれた石造りの大きな煙突から絶えずのぼる煙と、夜に曇った窓から漏れる明かりがその小屋の主人の生存を伝えていた。

うっそうと繁る森の木々のせいで、昼間でも薄暗いその泉は、たまに訪れる森の動物以外は滅多に近づかない場所だった。


非常に薄気味悪い場所ではあったが、彼も時たま近くの村に食料などの買い出しに出ていたので村人も彼の住処の存在は知っていた。

しかし不思議な事に彼がいつから村に出入りしていたのか?老人なのか青年なのかをしっかりと覚えている者はいなかった。皆の記憶の中で彼の顔はぼんやりとぼやけており、暗い茶色のフードの中で必要最小限しか稼働しない口元くらいしか記憶に無かった。その印象ですら怪しく、人によっては皺だらけの老人だったとか、髭だらけだったとか、まとまりの無いものだった。

彼はいつも彼お手製の傷薬と風邪薬を村唯一の雑貨屋に持ち込み、その薬とパンや肉、ワインなどの食料品と交換していた。彼の薬は効きが良く皆助かっていたので、あまり彼の個人的な事には首をつっこまなかった。

要は誰も彼の事など気にしていなかったのである。


しかし、どんな集団であれ例外は存在する。

雑貨屋の娘のリリーがそれだった。

栗毛のまだ幼い彼女は、月に一度来る怪しい来訪者が気になって仕方が無かった。何度も店のカウンターの脇から顔をしっかりと視認しようと見上げるが、彼が帰ってしばらくすると思い出せなくなる。娯楽の少ない小さな田舎の村では数少ない好奇心の対象だった。

リリーは母親に彼の事を尋ねたことが何回かあった。

「魔法使いだから」

母親の答えはいつもそれだった。「森の泉のほとりに住んでいる」「彼の薬は良く効く」それ以外の情報は入手できなかった。

村の子ども達も彼には興味が無かった。教会のミサの帰り道で隣の農場のアルに話してみた時も「何でお前はそんな事を気にするんだ?」と言われて会話が終わった。


そこでリリーはついに自ら謎を解明することに心を決めた。

正直、彼は怖かった。得体が知れず、いつもローブのフードを深々と被り茶色い影が歩いている「薄気味悪い」謎だったが、好奇心が勝った。

次に彼が店に顔を出したら、彼に直接尋ねよう。

「あなたは何才なの?森で何をしているの?」と。

他にも聞きたいことはたくさんあったが、店の客に多くを尋ねるのはあまり行儀の良い事では無いのは想像できた。

しかし、いざ決心すると彼が来ない。

毎日自ら進んで店番をしているので両親は褒めてくれるが、今欲しいのはそれじゃない。


毎日の店番がいい加減面倒に感じてきた頃、彼が現れた。

「あれ?いつこの人は店の扉を開けたんだろう?」

最初に頭に浮かんだ事がそんな疑問だったくらいに唐突に現れた。

店の奥を覗く様に彼のフードが動く。両親が見える場所に居ない事を確認したのか、無言でカウンターにいつも通り彼お手製の薬を並べはじめた。

貝殻に入った傷薬の軟膏が3個、陶器の小さな小瓶に入った風邪薬が5本。リリーの顔ほどもある黒パン3つと干し肉1片くらいの量だ。

「黒パン3つと、干し肉1片で良いですか?」

リリーが尋ねるとフードが頷いた。

戸棚から黒パンと干し肉を取り出し、カウンターの上に置く。彼は無言で彼が下げていた麻袋にゆっくり品物を詰めていく。

「お名前は何ていうんですか?」

リリーの口から出たのは、あれだけ入念に選び抜いた質問ではなかった。言い終わった瞬間にリリーは後悔と自分に対する疑問で頭の中がグルグルし、何故かは解らないが自分の顔が赤らんでいくのがわかった。

ゆっくりと干し肉を仕舞っていた彼の手が止まった。

一拍、間を置いて彼の口が開いた。

「お嬢さん、あなたのお名前は?」


リリーは自分の顔が真っ赤になったのがわかった。

そうだ、母親から人に名前を尋ねる際は常に自分から名乗る様にと言われていたのに!

なんと言う失態だろう!私はこの店の上品な看板娘なのに!

リリーは真っ赤な顔と真っ白な頭で自分の意思を振り絞った。これ以上両親を失望させる振る舞いを自らに許してはならない。

「リリーと申します魔法使い様」

魔法使いは既に荷物を全てしまい終わっていた。

「ありがとう、小さなリリー」

彼はそう言うと背を向けて店の扉へと流れていった。


パタンと扉が閉まる音を聞いた時、リリーは自分がさらに失態を犯した事に気付いた。

ああ、彼はお礼を言ったのに自分はいつも習慣の様に口にしている「ありがとうございました」が言えなかった!彼の名前も結局知る事が出来なかった!

ああ、なんという事だろう!せっかく彼の声を聞けたのに、どんな声だったかもどこかへ行ってしまった!


リリーがカウンターに頭を突っ伏して失望の沼に沈んでいると、母親が帰って来た。

「あらリリー、どうしたの?」

優しい母親の声を聞いて心が緩んだのか、情けないやら腹立たしいやら色んな感情が溢れ出し大声で泣きながら母親の胸で事の次第をまくしたてた。

母親はリリーが落ち着くまで優しく抱きしめながら話を聞き、リリーの鼻がクスンクスンと言い出すと優しい口調で教えてくれた。

魔法使いには名前を聞いてはいけない事。それは魔法使いにとって他人に漏らしてはならない秘密だと言う事を。

「なぜ名前が秘密なの?」

リリーが涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で尋ねると、母親は優しく顔を拭きながら「お母さんも知らないわ」と幼い疑問がそう簡単には解決しない事を宣告した。


リリーは思った。望んだ答えは得られなかったが、新しい情報を得られたことは悪くなかったと。

そして次はもっと落ち着いて、上手くやろうと心に決めた。とにかく、こんな無様な失態を挽回しないのは彼女の好みではなかった。

そう、次はもっと上品に事を行わないといけない。

そしてこの好奇心という胃袋を答えで満たすのだ。

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