【短編】蜘蛛女の暴露
「ごめんなさい、ハルト。ここから少しだけ歩いてもらえると、すごく嬉しいのだけど……」
「……え?」
突然に足を止めたシズクから投げかけられた言葉に、空を見上げていたハルトが驚いて振り返る。
顎のあたりまで伸ばした黒い髪を、シズクが指で耳元までかきあげる。
互いに顔を後ろに向けた状態で、シズクとハルトがしばし見つめ合った。
「えっと……。俺、何か怒らせるような事を言ったか?」
「違うの。ちょっと、問題が起きたの……」
「問題?」
彼女の意図することが理解できなくて、首を傾げるハルトをよそに、シズクが大きな黒いお尻を地面に降ろす。
下半身が巨大な蜘蛛のアラクネ種であるシズクが、いつものように片側の2本足を上げる。
先程まで楽しく談笑していたはずの彼女から、明らかに普段と違う様子を感じたが、ハルトは素直に彼女の指示に従った。
ハルトが両腕で支えながら腰をずらすと、伸ばした足をシズクの太くて黒い蜘蛛の足へのせる。
転げ落ちないように、背中と足を優しく身体を支えられながら地面に下ろしてもらう。
「足を怪我したのか?」
「……そうじゃないの」
地面を降りてすぐに、ハルトが真剣な表情で黒い巨大蜘蛛の身体に視線を走らせる。
当然のように身体を労る行動を取ったハルトを見て、思わずシズクの頬が緩くなってしまうが、すぐに表情を引き締めた。
「ちょっと、面倒な知り合いがいて……」
「知り合い?」
ハルトが視線を前に向けると、遠くの方からこちらへ歩いて来る人影が目に入る。
森を拓けて作られた街道に、人ならざる者がいた。
しばし様子を見ていると、その詳細がはっきりと認知できる。
光沢の目立つ白銀の全身鎧を着て、右手に戦斧と槍を合わせた長柄武器の1つであるハルバードを握り締めている。
そして、その全身鎧よりも目立つ下半身に、思わずハルトの目が釘付けになる。
(あっ、アラクネだ。しかも黒鉄種のシズクと違って、白銀種か? 初めて見るな……)
白銀の8本の足を動かしながら、目の前まで来た白銀種のアラクネが足を止めた。
大きくて丸いお尻を地面に降ろすと、「フーッ」と息を吐きながら白銀に輝く兜を外す。
下半身と同じ白銀の髪を後頭部で結んだ、ポニーテールの美しい女性の顔が現れる。
色白のシズクと違って健康的に焼けた肌。
意志の強さを感じさせる金色の瞳が特徴的な女性だ。
右手にハルバードを持ち、左腕に白銀の兜を抱える姿は、女性ながら格好良いとハルトは思った。
「シズクじゃないか。巡回か?」
「ええ、そうよ」
街と街を繋ぐ街道には、人を襲う魔物が現れる。
魔物使いとして組合に登録してるハルトは、シズクの協力のもと街道を定期的に歩いて、危険な魔物を見つけては退治する仕事をしていた。
「リーズはどうしたの? 今日は、巡回の日じゃないでしょ?」
「ああ。母に頼まれて、急な用事ができてな」
「……」
シズクの後ろに立っていたハルトの視線が、モゾモゾと動くシズクの手元に移る。
さりげなく後ろに回していた手から、シズクが指輪を外す。
そして、左手の薬指にはめていた指輪を、人差し指に付け替えたのをハルトは見逃さなかった。
(なんか、訳アリっぽいな?)
ハルトの記憶で思い出す限りでは、シズクが指輪を左手の薬指以外に嵌めてる所を見た事が無い。
下手に口を出さずに見守る方が良さそうだと判断すると、女性達の会話を見守る。
「シズク。そちらの御仁は?」
「えっと……。私の……依頼主です。街道の散策をしたいという事で、巡回のついでに護衛をしてるのです」
初耳な話を聞かされて、ハルトの眉根が中央に寄る。
ハルトの視線に気づいたシズクがチラリと後ろを向くと、目を合わせた瞬間に気まずそうな表情でハルトから目を逸らした。
「そうか、なるほどな……。しかし、荷馬車を使えば良かったのではないか? 街まで、まだかなり距離があるぞ? 徒歩で行くには、流石にキツイと思うが……」
「大丈夫です。歩き疲れた時は、私が背中に載せて運びますから」
「……ふむ。そうか」
「……」
妙な沈黙の間ができる。
いつもと変わらぬ表情を作るシズクだったが、彼女との付き合いが長いハルトは、シズクがこのやりとりを早々に切り上げたい心境である事に気づく。
昔に比べたら大分マシになったが、シズクは感情が顔より足にでやすいタイプなので、隠し事をしてる時は足を見てれば大抵わかる。
案の定というか、一番後方にある1本の足が、貧乏ゆすりをしてるみたいに、小刻みに揺れていた。
横目でそれに目敏く気付いたハルトだったが、シズクの意図する事は未だに理解できない。
会話に加わることで問題が複雑化する事を恐れて、結局は見守る事しかできずにいた。
「ごめんなさい、リーズ。お話をしたいところだけど、仕事の途中なので先を急ぎますね」
「まあ待て、シズク。どうしても、1つだけ聞きたい事があるんだ」
話を切り上げようとしたところで制止されて、シズクが訝しげな表情を作る。
「……なんですか?」
「いやな……。私の見間違いでなければ、いつも嵌めている指輪の位置が変わってるんだが、どうかしたのか?」
「……チッ」
「おい、シズク。今、舌打ちをしただろ」
「あー、そうでした。今日は寝坊して慌てて出て来たので、ついうっかりつけ間違えてました」
早口でまくしたてるように言い訳をすると、シズクが指輪を右手の人差し指に嵌め直す。
「さぁ、ハルトさん。行きましょう」
笑顔を作ったシズクがハルトに顔を向けると、黒い前足でやや強引にハルトの背中を押して、前に進もうとする。
しかし、白銀の身体が前に出て来て、シズク達の進行を遮った。
「おい、シズク。私の話は終わってないぞ。なぜ、わざわざ利き腕ではない左手に嵌めていた?」
「だから寝坊して、つけ間違えたのです」
「寝坊しても、後で魔法を使う時に気付くだろうが」
(確かに……。それは、すぐ違和感に気づくな)
リーズの至極もっともな指摘に、ハルトが心の中で頷く。
「じゃ、邪魔ですよ、リーズ。そこをどいて下さい」
「いいや、どかないね。お前、その指輪は親から貰ったと言ってたが、それは本当か? 親から貰った指輪を、なぜ左手に嵌めていた?」
「リーズ。いい加減にしないと、怒りますよ」
シズクの黒い蜘蛛の身体が右へと動くと、白銀の蜘蛛の身体も同じ方向へ動く。
「リーズ。そこをどきなさい!」
「断る!」
前を行こうとするシズクとそれを遮るリーズの奇妙な攻防が、何度も繰り返される。
(カニみたいだな)
右へ左へとちょこまか歩く2人を見て、蚊帳の外にいるハルトはそんな感想を心の中で呟く。
「杖からわざわざ指輪に替えた時に、うすうすおかしいと思ってたんだ。妙にニヤニヤして。まるで……恋人ができたみたいに、気持ち悪い笑みを浮かべながら、指輪を撫でて」
気持ち悪いという言葉が気に障ったのか、シズクの顔が明らかに不機嫌なものへと変化する。
ハルトはリーズの話を聞いて、指輪を手で撫でながら嬉しそうな笑みを浮かべるシズクを想像して、可愛いなと思ってしまった。
「失礼ですね! リーズは結婚指輪を貰ったことがないから、そんな事が言えるのです!」
「おい、シズク。今、何て言った?」
凍り付いた表情のリーズと、怒った表情でリーズを指差したシズクが、互いをしばし見つめ合う。
「……あ」
消え入りそうな小さな声を漏らすと、シズクが慌てて両手で口を押さえる。
しかし、時すでに遅し。
「もしかして、シズク。その人は……」
動揺するリーズの顔が、ハルトの方へ向けられる。
しかし、その視線を黒い身体が遮った。
(流石にこれは、言い訳のしようがないな)
「そうなのか、シズク?」
「……」
「シズク」
ハルトが声を掛けると、シズクの身体がビクッと跳ねる様に大きく反応する。
黒い蜘蛛の身体がチョコチョコと小走りに移動すると、シズクが半円を描くようにハルトの後ろへ回った。
「ごめんなさい、ハルト」
「いや、別にいいけど」
(むしろ、わざわざ知り合いに隠してた方が、気になるんだが……)
まるで親に叱られた子供のように縮こまりながら、シズクが指輪をいつもの位置につけかえる。
「もう、言っちゃっていいの?」
「……うん」
シズクがハルトの横へ移動すると、黒くて丸いお尻を地面に下ろす。
「リーズ。紹介します」
「待て、シズク。やめろ、言うんじゃない!」
聞きたくないとばかりに、リーズが両手で耳を押さえる。
「夫のハルトです」
「どうも。ハルトです。妻がいつも、お世話になってます?」
シズクが結婚指輪を見せるように左手を上げたので、ハルトもそれを真似して左手を上げる。
薬指に嵌められたお揃いの指輪を見せられて、リーズの目が大きく見開かれた。
歯をギリギリと食いしばり、ワナワナと身体を震わせながら泣きそうな顔で、リーズがシズクを睨みつける。
「ぬ……」
(ぬ?)
両手で頭を掴むと、リーズが身体を仰け反らせた。
「ぬわぁあああああああ! この裏切りものぉおおおおお!」
リーズの叫びが、街道に木霊した。
魔物娘が普通にいる世界で、蜘蛛娘は不人気な世界のお話でした。