懐かしい匂い
何年ぶりの家だろうか。
俺たちが暮らしていた家は俺の家の隣の街だった。
兄ちゃんと過ごした懐かしい日々を思い出しては俺は少し頬を緩めた。
もうじき、自分の家に着くだろう。
歩く足を少し早めた。
浮ついた気持ちは一瞬にして、ドン底に落ちて行った。
綺麗な青々しい木々や草原も、小さいながらも澄んだ水の川も、俺たちの帰る家も、それらはもう違う物となっていた。
木は、黒く染まり、草は茶色く変色し、川はひからびている。
そして、何よりも焼けた後なのか、俺の家の半分は壊れていて真っ黒に焦げている。
「家が……」
俺たちが帰れる……唯一の家が。
小さい頃だったからか、記憶がとても薄いのだが、この家で楽しい事と辛い事があったのは覚えている。
でも、細かい事は覚えていない。
兄ちゃんを探すにはその記憶が必要なのに。
昔の俺だったら、泣いていたのだろうが、大人になったのか涙はこぼれなかった。
しかし、落ち込んでいられるのも少しの間だけだった。
足音がしたと思ったら、いきなり後ろの襟元を掴まれた。
立たされ、後ろを振り向かされると白い毛並みで薄いシワの入った奴の顔が目の前にあった。
「……は?」
思わず間抜けな声を出したが、目の前の男は、ニヤニヤと笑った。
「兄ちゃん運が悪かったなぁ。
こんな、治安の悪い所に弱っちぃ奴が居たら、金を搾り取られるぞ?」
「兄貴ぃ。
それは、俺らがこれからやる事でしょう」
おそらく二、三人はいるのだろう。
俺の周りを囲むようにして立っている。
こんな時に剣が役に立つのかもしれないが、剣を振るう練習はノートンに軽く教えてもらってからたいして行っていない。
こんな奴らに負けるのも癪だが、ここでむやみに剣を振り回しても殺されるかもしれない。
「兄ちゃんよぉ、持ち金全部渡すだけで無傷で帰れんだぜ?」
「悪いけど、俺にはやんなきゃいけねぇ事があるんだよ」
空いている右足で目の前の男の腹部を蹴りつける。
受け身をとっていなかったのか、悲鳴を一瞬あげて、後ろによろめいた。
「こいつっ!」
周りにいる取り巻きが刃物を持って俺に構えた。
これは、ヤバイ。
逃げなくては確実に死んでしまう、
しかし、取り巻きの二人にあっという間に体を抑えつけられ、身動きが取れなくなってしまった。
兄貴と呼ばれた男が蹴られた場所をさすりながら、怒りのこもった表情でゆっくりと俺に近づいてくる。
手にはナイフと思われる物を握って。
「舐められたもんだよなぁ。
素直に渡せば死なずにすんだものをっ!」
ナイフを俺にむかって突き刺そうと足を大きく踏み出した瞬間、俺は目を強く閉じた。
しかし、待っても痛みは訪れる恐る恐る目を開けてみると、先ほどまで俺に敵意をむきだしだった男は目の前でだらしなく泡を吹いて倒れていた。
その横には、白い毛並みで黒い瞳をした男が立っていた。
耳は大きいわりに、間隔が狭い。
男は、無表情のまま俺を抑えている取り巻きを見ると、落ちているナイフを拾いこちらに投げつけた。
「っぐぅっ!!」
刺さった先は俺の体を抑えている一人の取り巻きだった。
取り巻きの腕に刺さったらしく、地面にうずくまりもがいていた。
俺を抑えている力が弱まり、未だ無傷の男は顔を真っ青にして、ナイフか刺さったままの男を担いでその場から立ち去って行ってしまった。
兄貴と呼ばれた人をその場に残して。
「大丈夫かい?」
「お、おう。
お前強いんだな」
俺の頬に、返り血が少しついていたようで、触ると毛が濡れているのがわかった。
手でこすると、伸びてしまって意味がない。
そうやっていると、目の前の男が俺にタオルを無言で渡してきた。
受け取るのに、少しだけ迷ったが男の視線が痛いので受け取り、頬の返り血を吹いた。
「お前、なんでココにいるんだ?」
タオルを男に返すと、男はタオルを黒いマントの中にしまった。
そして、俺の質問の回答を考えるかのように、目を閉じて首を捻った。
数秘もしないで、目を開けると表情を変える事なく言った。
「ココにくれば皆に会えるかなと」
「そうか……」
俺の質問のせいか、しんみりとしたような雰囲気が流れた。
申し訳なく思い、何か別の話題を言おうとした時、相手が口を開いてくれた。
「君は?」
「俺は、九年前にいなくなった兄ちゃんを探しに来たんだ」
「……!」
男は、無表情を少しだけ崩して目を大きく開いた。
何か気になるフレーズでもあったのだろうか。
それとも、この男も誰かを探してる?
「お前、名前なんて言うんだ?」
「……ジェラルド」
今度は目を伏せて落ち込むような表情をしたが、再び無表情に戻った。
意外とクルクルと変わるんだな。
「俺はギコラス。
よろしくな」
「あぁ、うん」
手を差し出すと、ジェラルドも手を重ねた。
軽く握手を交わし、俺たちはお互いの状況を話した。
別にジェラルド自体に最初は興味は無く、気持ちを紛らわせるために話していたが、ジェラルドの話を聞いて行くうちにジェラルドに興味が湧き始めた。
「え!?
お前、天使なの!?
ふざけとかじゃなくて!?」
「声でかいよ。
ま、“元”だけどね」
「すげぇな」
俺はため息をつきながら、地面に座る。
そんな俺をジェラルドは、上から見下ろすように見る。
「君って、精神的にも身体的にも弱そうだよね」
「うるせぇよ。
いーんだよ、天使様にゃあわかんねぇだろうけど」
枯れ切った草の上に寝そべると、チクチクと体に刺さりくすぐったい。
空は次第に赤く染まっていき、あっという間に夕方になってしまった。
ジェラルドの白い毛並みがオレンジ色に染まる。
「強くなりたい?
身体的だけだけど」
「だな。
強ければ、兄ちゃんを探すのも楽になるからな」
俺は起き上がり、体についた草をはらった。
せっかくもらった新品(?)のマントも草なんかで汚れてしまってはもったいない。
ジェラルドは、その場に座り俺の額に手をつけた。
「あ?」
「おとなしくしててね」
体の中が暖かくなり、眠りそうで眠らないという気持ちの良い間をさまよう。
細めた目でジェラルドを見ると、息があがり冷や汗と思われるものが頬を伝っていた。
ヤバイと、思う時には体が動いていてジェラルドの手を引き離していた。
「おい!
大丈夫かっ!?」
「……っ、大丈夫…」
頭を抱えて地面にうずくまる。
俺はどうすればいいのか、わからずただジェラルドの背中をさすった。
しばらくすると、ジェラルドは落ち着いたのか俺から少し離れた。
「とりあえず……。
僕の力を半分ほど渡したから……ちゃんと使ってよね」
「え……?」
そこまで言うと、ジェラルドはその場に倒れた。
今度こそ死ぬのかもしれないと思い酷く焦り、気づいた時にはジェラルドを担いでノートンと暮らしていたあの家の中に俺は座っていた。
隣を見ると、額にタオルを乗せてジェラルドは眠っていた。
死んではいないようだ。
ホッと息をつくと、安心したのか強い眠気が俺を襲う。
起きていようと、頬をつねったり耳を強く引っ張ったりするものの、俺は眠気に負けてしまい、気がついたら目を閉じてしまった。
窓からの月明かりで、目を開ける。
起き上がると、乗っていたタオルがパサリとベッドの上に落ちた。
自分が疲れに負けてしまって気絶してしまったという事だろう。
隣でベッドに突っ伏して眠っているギコラスに目を向けた。
まさか、僕の事を覚えていないとは。
フレッドを失ったショックから、記憶が抜け落ちていたのかと思ったのだが、フレッドの事自体は覚えていた。
つまり……誰か、誰かが記憶を操作したという事になるのだろうか。
いや、それにしても都合良く僕のところだけ取ることが出来るのだろうか。
頭を軽く横にふり、考えを消すと僕はもう一度ベッドに潜り込み目を強く握った。