元神父と子供
真っ暗な世界。
藍色に染まった世界。
逃げても逃げてもこの世界からは逃げられない。
映像のように、流れ始めるのは悲しい瞬間ばかり。
目を閉じて、耳を塞いで。
音も、世界も閉じてしまって。
カーテンの隙間から射し込む光が目元にあたり、眩しさのあまり目を開いた。
見慣れない天井が目に入る。
まだ眠たい目を擦りながら上半身を起こし、あたりを見回そうとした時真横から声が聞こえた。
「よく寝れましたか?」
「わっ!!!」
いきなりの事で、後ろに仰け反ると頭を壁に思いっきりぶつけてしまった。
あまりの痛さに涙目になりながらも頭を抱え目を閉じた。
すると、耳と耳の間を暖かい物が往復する。
「よしよし。
大丈夫ですよ。
痛かったですね」
目を開けると、薄い緑の毛色で耳の先が内側に折れて細くつり上がった目のした神父が着る洋服を着た男が俺の頭を撫でた。
その手は兄ちゃんのように暖かくて、涙がこぼれそうになる。
「そんなに痛かったですか?」
心配そうに、片眉を下げて男は俺の顔を覗き込む。
今目頭に溢れている涙は痛みのせいでは無い事をばれぬように、男と正反対の方向を向いた。
「べ……つに、そんなに痛くねーし」
「そうですか。
それなら、良かったです」
横目でチラリと見ると、安心したような表情で俺を見てくる。
その視線から逃げるように俺は急いで視線を壁に戻した。
それにしても、ココはどこなのだろうか。
どう見たって、俺の家ではなさそうだ。
俺が顔を戻すタイミングを失ったころ、椅子を引いて立ち上がる音が部屋に響く。
「お腹が空いてるなら、下に来て下さいね」
それだけ言うと、階段を降りて行く音が聞こえた。
俺は、階段を降りる音が止むと顔を廊下の方に向けた。
お腹が空いてるのは事実。
何日か、水と少しのパンでしのいで来たのでお腹は限界値をすでに突破している。
だが、知らない人から貰うのも危険な気がするけど……。
俺は空腹に耐えかね、ベッドから飛び降りると、足早に階段を降りた。
美味しそうなお肉の匂いと、スープの香り。
念のため、ドアの隙間からコッソリと部屋の様子を伺う。
男はせかせかとご飯の準備をしているようだ。
それも二人分。
悔しい事に、俺が来るのは想定内のようだ。
「そんなところにいないで、入ってきたらどうですか?」
「!!」
お皿を持ったまま男は呆れたように言う。
ばれていたという恥ずかしさで、俺はゆっくりと部屋の中に入った。
木で出来た壁に白いクロスのかかったテーブル。
その上には、俺の家じゃあ絶対に食べられないような豪華な食事が乗っていた。
口の中にヨダレが溜まる。
「ほら、座って下さい。
お腹、空いてるんでしょう?」
男は意地悪そうに微笑む。
俺は椅子に座ると、両手を膝の上に乗せて豪華な食事を見つめた。
キラキラと輝いていて、いい匂いが鼻腔をくすぐる。
「食べて下さい。
今日は奮発したんですよ」
手元のフォークを掴み、目の前の肉に刺すとかぶりついた。
ちょうどいい焼き加減で、口の中に入れると溶けるように美味しい。
思わず頬が緩んでいくのがわかった。
一生懸命にかぶりついて、どれくらいか長い時間が経った頃、俺の腹は恐ろしいほどいっぱいになっていた。
しかし、長い事食事を取る量が少なかったからか、以前ほど食欲がわかなくなっていた。
俺はテーブルに突っ伏してた息を吐き出した。
「ふひぃー……」
「もう満足ですか?」
「あ……うん。
ありがとうな」
俺は照れを隠すため、顔を見ないまま答えた。
いくつか疑問があったのだが、それをいつ聞こうかと考えていると男が話始めてしまった。
「あぁ、そうそう。
私の名前はノートンと言います。
よろしくお願いしますね」
「俺は……ギコラス」
「ギコラスは、なぜあんな所で寝ていたのですか?」
いきなりの質問で俺は固まってしまった。
幸せの絶頂から、いっきに落とされた気分だ。
俺は、机に顎をつけてノートンの顔を見つめる。
見たところ、兄ちゃんより凄く年上に見える。
「……。
なんでもいいじゃん」
「ま、いいですけど」
「ていうか、ココどこだ?
なんで俺を助けた?
あと……神父様?」
ノートンは、微笑みを崩さぬまま俺の目を見る。
そして、ため息をついた。
「そりゃあ、子供がいたなら助けますよ。
家に入って見たものの、人もいませんでしたし、仕方がなく家に連れてきたんですよ。
それと、私は神父はもうやめましたから」
「……」
「それに、あなたも行くところがないのでしょう?
それなら、ココに居てもいいのですよ」
テーブルに両手を置いて、ノートンは少しだけ体を乗り出した。
俺は、上半身を起き上がらせると優しそうなノートンの顔を見た。
悪い事を考えているような顔では無いとは思うのだが、どこか信用ならない雰囲気を出している。
しかし、ここでノートンの家から出て行っても金も何も持っていない薄汚れた子供を誰が拾うだろうか。
「……お前は、なんか信用ならないけど仕方ない。
よろしくお願いします」
「あなたは正直ですね。
はい、よろしくお願いします。
……ところで、子供にしては随分と頭が良いですね?」
「そりゃあ……、兄ちゃんが俺にいっぱい教えてくれたんだよ」
俺が学校に行く前に親が死んでしまい、俺も兄ちゃんも学校には行けなくなってしまった。
兄ちゃんは、そんな俺のために自分の持っている知識を全部俺に教えてくれたんだ。
そんな優しい兄ちゃんだったのに、なんで俺を……。
そんな事を考えていると、また頭に暖かい手が乗っかった。
手の先を見ると、またノートンだ。
俺がしょげたりすると優しそうな笑顔で俺の頭を撫でる。
視界がボヤけ、自分でも泣きそうになっているのが良く分かる。
しかし、抑える事なんて出来なかった。
俺はノートンに抱きつくと声をあげて泣いた。
「よしよし。
どうかしましたか?」
背中をポンポンと叩かれ兄ちゃんの慰め方に似てるから、俺の今の心境、兄ちゃんがいなくなった事、大事な友達がいなくなった事。
全てを涙とともに流し出した。
ノートンは、何も言わずに俺の背中を軽く叩いてくれた。
しばらくたつと、涙は止まり昨日とは違う、スッキリとした気分になった。
「大人になったら……お兄さんを探しに行きたいですか?」
泣き腫らした顔のまま頷いた。
「じゃあ、あなたが大人になるまで私が面倒を見てあげます。
だから、あなたはそれまでにいろいろな事を学びなさい」
頭を軽く撫でる。
ノートンの優しさに再び涙が溢れそうになったが、それを堪えて俺は鼻をすすった。
「さ、じゃあまずはお手伝いからして下さいね」
「う、うん!」
俺は自分よりも背の高いノートンを見上げた。
それから、何年か経ち俺は十九歳になった。
ノートンから貰ったマントと護身用の剣。
それを身につけると俺は玄関に立った。
ノートンは三年前に行方不明になってしまったが、不思議と失望感や悲しみは無かった。
ただ、ノートンは俺がちゃんと育ったと分かり少しのお金と、マントと剣を残し俺の前から姿を消したのだろう。
お礼を言えなかったのはなんとも心残りなのだが、しょうがない事だ。
俺は随分古びてしまった家を見つめた。
短い間だったが、楽しかった思い出ばかりだ。
「今まで、ありがとな」
そう呟くと俺はこの家から、この街から出て行った。