10月28日 水曜日 午後1時27分 新港市 港警察署 刑事課
10月28日 水曜日 午後1時27分 新港市 港警察署 刑事課
犯行現場である取調室から、すでに遺体は搬送されていた。打ちっぱなしの殺風景な部屋で、床に固定されたスチール製の机と、椅子の他には何もない。小窓があり、内側に鉄格子が嵌められている。乾いた血の痕跡がある。ビニールテープで遺体の姿勢が示されていた。
白衣を着た科学捜査班の職員が、携帯型の分光分析器で、破壊された扉の物性を調査している。超能力の使用された痕跡を調べている。
「私たちが突入したときには、すでに被害者は死んでいました」
「しかし、室内には犯人も凶器もなかった。いわゆる密室殺人だ」
そのとき、リュウに紙コップ入りのコーヒーを差しだす手があった。
「どうぞ」
「どうもありがとう」
「港警察署刑事課のネムロ巡査部長です」
「市長司法調査室のリュウです」
トウノも挨拶をする。
「わざわざ悪いですね」
「いや、市の予算で購入したコーヒーサーバーから注いだだけですよ。市も、もっと別なことに予算が必要だと理解してくれればいいんだが」
「なら、次はティーサーバーにしますよ」
ネムロは鼻で笑った。ネムロはバーバリー・チェック柄をしたブラウンのスーツを着ていた。神経質そうな顔で、髪を丁寧に左右に撫でつけている。
「私の部下で、副班長をやってもらっています」
「この署に超能力者は?」
「私の部下がそうです」
そう言って、ドイは二人を刑事課に案内した。
「ダグ・ハンプソン巡査部長とアヤ・リースマン巡査部長です」
ドイは二人を紹介した。
ダグは筋骨隆々たる若者だった。厚い胸板をしていて、肩から首筋にかけて筋肉が発達している。顔は面長で、頬肉が厚く、人のいい笑みを浮かべている。髪は角刈りにしていた。
「どのような超能力ですか?」
「光子の投射です」
そう言うと、ダグは右腕に力こぶをつくって、拳を発光させた。
「市民の権利を守る」
ポーズをとる。
「は?」
リュウが怪訝そうな顔をする。ダグは残念そうな表情を浮かべた。
「うまく伝わらなかったか? 光と権利をかけているんだ。待って。もう一度やらせてくれ」
「いや。いい」
リュウは頭を掻くと、視線をアヤに転じた。
アヤは小柄な若い女だった。髪を後ろでまとめている。白いシャツに細身のスラックスを合わせている。シャツに骨ばった肩の輪郭が浮いていた。ジャケットを着ていないため、ショルダーホルスターが剥きだしになっている。
アヤは胸ポケットからタバコの箱を取りだすと、一本咥えた。空中でタバコの先端が点火する。
「これが私の超能力だ。急速な酸化反応で物質を燃焼させる」
そう言って紫煙を大きく吸いこむと、喉元で激しく咳こんだ。
「なにをやってるんだ?」
「超能力で火をつけるところをみせたくて吸っているが、体質に合わないんだ。このおかげで医療保険にも入れない。貯金が大変だ」
ネムロは首筋に手を当てると、リュウたちに言った。
「残念なことに、この二人が本署の『リーサル・ウエポン』なんだ」
リュウは同意を示すように軽く頷いた。
「五人と言ったが、あと一人は?」
周囲を見渡したとき、刑事課の入口から近寄ってくる男がいた。黒人で、赤いシャツに黒いサージのジャケットを着ていて、目立つチェック柄のネクタイを締めている。
「警部補! 本部の男が」
「ニコル巡査部長だ」
ネムロが耳打ちする。
刑事課の入口からスーツを着た男が現れた。長身で胸板が厚く、堂々とした体格をしている。鼻梁が通っていて、威圧感を与える鋭利な目つきをしていた。
「内務部の内木警部補だ。捜査責任者は誰だ?」
「私です」
ドイがナイキの元に向かう。
「署内の捜索は済んだか?」
「すべての部屋を確認しました」
「署長室は?」
「まだです」
「すぐにやらせろ。その後、指揮権を私に預け、あんたを含めて当夜、署内にいた刑事は全員自宅にて待機しろ」
「なんだって?」
いきり立ったのはリュウだ。
「あんたは」
「市長司法調査室のリュウだ。市長の命令で本件の捜査に参加するように言われている」
「同じく、トウノです」
リュウはナイキとの距離を詰めた。
「部外者が。まるでドラマの『相棒』だな」
「『相棒』の特命係は明確な行政権限をもたないから自由な捜査ができるんだ。俺たちは市長の行政命令で正式な行政行為として本件の捜査に参加している」
「なら『あぶない刑事』だ。もっとも、あんたは舘ひろしにはみえないが」
「舘ひろしはあんただろう。タフガイぶって、まるで『新宿鮫』だ」
二人はしばらく睨みあった。
「市長は指揮権が移ることを知らなかった。誰の命令なんだ?」
「キム第二副本部長だ」
「あいつか」
キムは移民政策の一環で第二副本部長に登用された男で、汚職の噂も多い。カツラ市長とも折りあいが悪い。ここで内務部に指揮権を移せば、以降、捜査に参加するのが難しくなるのは間違いなかった。
「内務部はデスクワークが仕事だろう。現場に出張ってこられては迷惑なんじゃないか?」
「警察署内の事件だ。当然、警務警察の仕事だ。この署の人間に捜査をさせるなんて、正気で言っているのか? 事件の容疑者だぞ。とくに事件当夜、署内にいたこの五人は本件の最有力容疑者なんだ」
「この五人のなかに犯人がいると?」
「まあね」
聞いていた五人の顔色が変わる。顔に怒りを浮かべたダグが大股でサイキに近寄る。その途中、姿勢が不自然に崩れ、右腕が背後で空中に捻りあげられた。不自然な姿勢のまま空中に固定される。念動力だ。ナイキの超能力だろう。
「あんたの言う通り、俺の仕事はデスクワークだ。警察署内で殺人事件をおこしたクズの供述調書をとって、検察に送致しなければならん。邪魔をするな」
生半可な説得は通じそうにない。リュウの表情にも焦りが浮かびはじめていた。
「事件は密室でおきたんだ。超能力者の照会には自治体の首長の許可が必要だ。市長を敵に回すと厄介だぞ」
「そうでもないさ」
ナイキは余裕そうに言った。
「例えば、逮捕された男に拳銃と豚の血でも入ったビニール袋を渡しておく。そして、警察署から脱出させるから死体のふりをするように言う。男は停電で署内が混乱した間に空砲を撃ち、豚の血をかぶる。『キャリー』みたいにな。扉が開けられたあと、死体のふりをした男と二人きりになり、男を着替えさせ、今度は本当に射殺する。どうだ?」
「『キャリー』は超能力者だぜ」
そう言ったきり、リュウは口を閉ざしてしまった。
トウノが言う。
「ドイ警部補」
「なんですか」
「被害者は麻薬の売人だった。なおかつ、事件が警察署内ということも考えると、犯人は犯罪組織の殺し屋ということもありうる。警察庁捜査局に協力を要請しましょう」
「やめろ」ナイキが言う。「連中に協力を要請したが最後、使い走りをさせられるのがオチだ」
ドイはしばらく逡巡していたが、トウノの方をみて頷いた。
「分かりました。そうしましょう」
「書類を作成して申請するまで三日の時間がある。それまでに私たちで事件を解決すれば問題ありません」
ナイキは憤懣やる方ないという表情を浮かべていたが、踵を返すと、足音を立てて猛然と刑事課を出ていった。空中に固定されていたダグが解放される。
「ドイ警部補、申し訳ありません。余計な差し出口をして」
ドイは首をふった。
「私たちにも面子というものがあります。私たちが逮捕した容疑者が、署内で殺されたことにはやるせないものを感じていました。私たちで犯人を逮捕する他、この不名誉を返上することはできません」
周囲をみると、他の四人の刑事も真剣な表情をしていた。この刑事たちと、三日で犯人を特定し、逮捕しなくてはならない。