10月28日 水曜日 午前10時56分 新港市 市庁舎 市長室
10月28日 水曜日 午前10時56分 新港市 市庁舎 市長室
新港市は道州制への移行に伴い、南関東州に設置された東京湾を有する市だ。旧東京都を内包し、首相官邸と国会議事堂が所在する日本の首都でもある。
新港市の市長司法調査室の刑事部に所属する二人の職員、劉と唐野の二人は、秘書からの呼び出しをうけ、市長室に出頭した。
秘書室を通り、市長室に入る。
部屋には空間をあけて、磨かれたオーク材の執務机が置かれていた。執務机の背後の壁は、一面のガラスになっている。高層ビルの並ぶ景観が一望できた。
市長の桂は四十半ばの小男だった。小さな顔に丸メガネをかけ、薄い頭髪を一方向に撫でつけている。ジャケットを脱いで、シャツにサスペンダーの姿でいた。
「昨夜、港警察署の署内で殺人事件があったことは知っているかね」
「ええ」
リュウが返事をする。リュウは長身で肩幅があり、灰色のブランド物のスーツを着ていた。面長の顔に頑丈な顎をしていたが、丸い瞳をしていて、それが童顔にみせていた。
「被害者は麻薬の売人だったそうだ。組織犯罪や汚職の可能性も高い。市に調査委員会が設置されることもありうる。君たちは捜査に参加して、捜査の様子を監視してもらう」
「難しい問題であることは分かりました」
リュウが言いにくそうにする。
「しかし、私は今月末で市警本部に帰任する予定なのですが…」
「月末まで今日を含めて四日ある。問題がなければ別の者に引き継がせる」
「問題があれば」
「帰任は延期だ」
「問題はあります」トウノが言う。「担当が途中で変わるのは不都合が多い」
トウノは小柄で、黒のスーツを着ていた。彫りの深い顔立ちをしていたが、寄せられた眉が弱気な印象を与えた。
カツラはメガネの上から二人を見据えた。
「被害者が死亡した現場は密室だったそうだ」
「密室?」
リュウが眉をひそめる。
「ああ」
「超能力関係ですか?」
「そうだ。だから君たちを呼んだのだ」
リュウは鼻から息を抜いた。
「担当の地区検事は誰です?」
「未定だ。追って連絡する」
カツラは二人を見据えた。
「薬物犯罪は市民生活に対する直接的な脅威だ。とくに、薬物使用による超能力の乱用は緊急の対策を要する。組織犯罪にしろ、汚職にしろ、病根は除去しなければならん。市民の生命の保護は市長の義務だ。これ以上、市民の血が流されることがあってはならん」
市庁舎の廊下をリュウとトウノの二人は早足で歩いていた。
「来年が市長選だから躍起になってるんだ」
リュウが呆れたように言う。
「市民の生命の保護は市長の義務だ」
「票だからな」
「市民の血が流されることがあってはならない」
「血? インクの間違いだろう」
二人はエレベーターに乗車した。トウノが言う。
「せっかくの帰任だったのに残念だったな」
エレベーターが降下をはじめた。
「市警本部の広報室だって?」
「ああ」
「いいポストだ。マスコミとのコネもできる。政界に転身する足がかりになる」
「まあな」
トウノはリュウの横顔をみた。
「寂しくなるよ」
「俺はそうでもないさ」
トウノは声を抑えるようにして笑った。