10月27日 火曜日 午後8時11分 新港市 港警察署 刑事課
【超能力基本法】
第一条(目的)この法律は、超能力の不正な使用を禁止し、また超能力者に対する不当な差別を禁止することにより、超能力者とその他の国民の共生する社会の実現を図り、もって国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。
第二条(定義)
一 この法律において「超能力」とは、個人が身体の運動及びその二次的効果によらずして、外部に影響を与える能力のことをいう。
二 この法律において「超能力者」とは、長期的かつ継続的に超能力を行使することのできる個人のことをいう。
10月27日 火曜日 午後8時11分 新港市 港警察署 刑事課
港警察署は五階建てで官庁様式の建物だ。ルネサンス風の外壁で、中央に重厚な造りをした玄関が据えられている。
刑事課は四階にある。壁はライトグリーンに塗られたモルタルで、天井が高く、蛍光灯が吊架されている。事務机が島に分けて配置されている。机上はいずれも捜査資料や手続書類で雑然としていた。奥まった課長室は、窓ガラスの嵌められた内壁で区切られている。天井でファンがゆっくりと回転していた。
刑事課には五人の刑事が残っていた。
若い刑事が言った。
「薬局でソフトドラッグが売っているのに、どうして法を犯して個人業者から合成麻薬を買うんだ?」
「買いたくても買えないヤツもいる。未成年や妊婦。運転手、機械操縦士、高所作業員、それに――」
「超能力者」
先月、港警察署の管内で、合成麻薬を服用した超能力者が超能力を乱用して街灯を倒壊させ、その下敷きになった小学生が死亡する事件がおきた。超能力者はすぐに過失致死罪で送検されたが、原因となった合成麻薬の出所を捜査し、また違法薬物の売買を一掃することを市長が宣言した。この日の午後、港署に違法薬物が売買されているという匿名の通報があり、現場で不審な男を身体検査したところ、個人使用の量をこえる合成麻薬を所持していたため、麻薬の営利目的所持で現行犯逮捕した。
男は市警本部の刑事、孫を呼べと言い、それ以降は黙秘を続けている。刑事課の一人、根室が孫のことを知っていた。麻薬課の刑事だ。しかし、ソンに連絡することはしなかった。麻薬課は分署の刑事たちを軽侮しており、分署の刑事たちも麻薬課を嫌っていた。できれば、自分たちの手で重大事件の犯人を送検したかった。
男は逮捕以来、取調室に軟禁されている。長期刑を示唆したり、取引をもちかけたり、硬軟あわせて揺さぶりをかけていたが、沈黙を貫いていた。
「通報者は誰なんだ?」
「報復を恐れた善良な市民。あいつに借金のある薬物中毒者」
「それに商売敵だ」ネムロが言った。「通報者の情報をチラつかせて他の売人を売らせよう」
そのときだった。突然、室内の照明が落ちた。窓外の明かりを残して、室内が暗闇に閉ざされる。刑事課だけでなく、全署が停電していた。署員の一部が部屋ごとに設置されているマグライトを点灯させ、幾条かの光線が暗闇に交錯した。
中年の刑事、土井がペンライトで内線の一覧を照らし、総務課に電話した。
「どうなっている」
総務課で、肥満した体を制服に包んだ警官が受話器をとった。
『分からない。今、電気設備室に向かう。携帯にかけなおしてくれ』
時間が経ち、ドイがかけなおそうとしたとき、電話機が鳴った。
『まずいぞ』
「どうした」
『この停電は人為的なものだ。高圧遮断器側の回路が焼き切られている。時限装置が仕掛けられていたんだ』
ドイは息を詰めた。
「復旧にはどれくらい時間がかかる」
『回路の交換が必要だ。検電の手間を省いても三十分はかかる』
「署長には俺から連絡する。すぐに人を遣る。気をつけろよ。単独行動は絶対にするな」
ドイの声は緊迫していた。刑事たちに命令する。
「ネムロ、当直の人間と電気設備室に行ってくれ。他はここに残れ。今から署長に連絡して各部署に署内を捜索させる」
そのとき、破裂音が二つ響いた。
「取調室の方だ!」
取調室は刑事課の背面にある。刑事たちはショルダーホルスターから拳銃を抜いた。ドイが事務机からマグライトを取りだす。両腕を交差させ、マグライトを掲げる腕で拳銃を構える腕を支えるようにする。刑事たちは中腰の姿勢で取調室に向かった。先頭はドイと若い刑事、ダグだ。ダグは両手で拳銃を構えていたが、その前方は懐中電灯を使ったように照らされていた。ダグの超能力だった。
取調室のある一画に進む。通路に取調室の扉が整然と並んでいる。奥は行き止まりだ。最奥の扉以外は、すべて開け放たれていた。
各部屋をマグライトで照らしつつ進み、最奥の扉に到達する。
ノブを激しく揺する。
「オートロックの電子錠だ」
「電源が回復するまで待つか?」
「時間がない! 装備品保管庫から破城槌をもってこい!」
ダグが破城槌を抱えて戻ってくる。取調室の扉にぶつける。轟音が響く。数度目で金具が破壊され、扉が勢いよく開いた。
男がシャツの前面を血に染めて倒れていた。誰かが悪態をつく。シャツに穴があいていて、そこから銃弾の射入口が傷口を形成しているのがみえた。土井が首筋に手を当てて脈をとる。すぐふり返った。
「ネムロとダグは当直の人間と出入口を封鎖しろ! 他はこの階から順に室内を捜索しろ!」
ドイは携帯で署長に連絡した。しばらくして、電源が回復した。署内の照明が点く。
署内の通信指令室から全署に館内放送がされる。
『全職員に通達。署内で殺人事件が発生。各職員は不審人物の捜索に当たれ。加害者は銃を所持している模様。人相風体は不明。各職員は武装すること。なお、これ以降の出入りは禁止する。くり返す――』
港署の玄関ホールは吹き抜けになっている。玄関の正面に受付台が設置され、二人の制服警官が執務している。受付台の背後から階段が二階に伸びている。階段から制服警官が列を成して下りてくる。
「必ず二人一組で行動しろ!」
ネムロの指示で、制服警官たちが拳銃を構えて玄関から出ていく。拳銃とマグライトを両手で構えて路地を捜索する。
警察署の屋上では投光器の電源が入れられた。曇天の雲が投光器に照らされる。
血溜まりのできた取調室で、ドイは死体の前に屈みこんでいた。それを他の刑事が見守る。
「事件当時、この部屋の扉は開閉できなかった。犯人と凶器はどこに行ったんだ?」