04, 隊商宿にて
たくさんのお気に入りと評価をいただき、恐縮です。本当にありがとうございます。
拍手のほうも、簡易メッセージを入れていただいて、拙作を読んでくださっているのだなと、とてもうれしく拝見させていただいております。
かつて青海が「黄金の死の海」と呼ばれていた時代、冒険心豊かな一人の天空の民が、蜥蜴に積めるだけの食料と水を積んで、青海を探究せんと旅に出た。高聖力保持者だった彼は、我こそはと自信たっぷりに、砂の大地を歩きはじめた。
燦々と輝く太陽は彼の白い肌を容赦なく焦がし、幾重も重なる砂の波は行かせまいと彼の歩を阻んだ。
蜥蜴は身に積まれた荷物の重さに耐えかねて倒れ伏した。
一人きりとなった彼は、持てるだけの水を持って、まるで浮浪の民のごとく金の大地をさ迷い歩く。
ゆらゆらと揺れる視界の中、死の扉をその端に捉えたとき、陽炎の向こうに彼は見た。
瑞々しい果実の並ぶ屋台。囲いから顔を出す蜥蜴たち。
人々の喧騒、蜥蜴や馬の声。
白い布張りの屋根の下、行商人たちが声を上げて客寄せをする。
彼はその光景に、故郷の街並みを思い出して泣いた。
「これが、隊商宿に関する最初の記述だそうですよ」
“貸し蜥蜴”の大きな看板の下、カイル・レイランドは清算を待つ間を惜しむかのように、ある昔話を語った。幼いころ、彼の父―アラン・レイランド本部長に聞いた話だと言う。
エリーとアルメダは、店の前を行き交う人々を眺めながら、ぼんやりとその話を聞いていた。店の人はまだだろうかと、何度か店内を窺ったが、誰も現れる気配がない。
“貸し蜥蜴”の通りを挟んで向かい側には“貸し馬”の店舗が立ち、同じく清算待ちの客が、柵から顔を出す馬と戯れている。
羨ましいな、とエリーは思う。カイルが昔話から飛んで別の話を語り始めたが、すでに聞いてはいなかった。
ちらと視線を送った先には、囲いの中から長い首を伸ばし、道行く人々をじっと見ては不思議そうに小首をかしげる蜥蜴たちがいた。なんて可愛いんだろう。癒されるなあ。
「エリシア・シュレイル、私の話はそんなにつまらないですか」
はっと我に返り、カイルの顔を見やって、その形相に内心「まずい…」と顔色を変えて、ぼそぼそと謝罪の言葉を述べる。
「い、いえ、そんなことは…。す、すみません」
すでに知った話だったので、それほど興味をそそられなかった、などと言えるはずもない。
「そしてアルメダ、あなたは何をしているのですか」
「何って、林檎だよ。お腹が空いてね。エリーもどうだい?」
シャク、と音を立てて、アルメダは赤い果実を一口齧った。“貸し馬”の隣には青果店があり、アルメダは話の途中でそちらに向かったようだ。足元に置いた紙袋の中から林檎を一つ取出し、エリーに差し出す。
「ありがとうございます。いただきます」
素直に受け取ったエリーにニコニコと笑いかけて、また一つ取出し、不機嫌顔のカイルに一つ投げてよこす。
「暑い砂漠を通ってきたんだ。暑苦しい冒険譚なんて求めちゃいないよ。美味しい林檎でも食べて、眉間のしわを消したらどうだい」
「…お気遣いどうも」
林檎を受け取って、カイルは口元に微笑みを浮かべたが、その目は全く笑っていない。
「あの、部長。部長の話は大変興味深く、拝聴させていただきました!」
「白々しいにも程があるでしょう。なんですそのフォローは」
「い、いえ、フォローなどではなく…」
「もういいです。あっちに行って林檎でも齧っていなさい。ちょうど店の者が戻ってきたようですしね。くれぐれも、アルメダから離れないように」
言い捨てて、カイルはさっさと店の奥に歩いて行ってしまう。
大失態だ…と肩を落とすエリーの背を、アルメダは元気づけるように軽く叩いた。
「気にすることじゃないさ。つまらないならそう言ってやった方があの子のためだよ。ま、悪かったって思うなら、次はエリーから話しかけてやれば機嫌なんてすぐ直るさ。私の分までよろしく頼むよ」
はっはっは、と豪快に笑って、アルメダは二個目の林檎にかじりつく。
見習って、エリーも一口食べた。しゃくり、と音を立てて砕けた欠片が、舌の上を転がる。甘い香りが鼻孔をくすぐる。唇の端からこぼれた果汁を指先で拭うと、その美味しさに思わず笑みがこぼれた。
現在彼女たちのいる“貸し蜥蜴”を含むすべての店は、総称して隊商宿と呼ばれている。その光景は、カイルの語った昔話をそのまま描き出したように見えた。
白い布張りの屋根の下、様々な出店が並んでいる。その間をたくさんの人々が行き交い、他愛ない会話を楽しんだり、商売人同士で交渉に励んだり、露店や店を冷やかしたり、と思い思いに過ごしていた。
商売人のほとんどは、大地の民といっていい。まあ、“貸し蜥蜴”の店主は変わり者ってことだね。アルメダは林檎を齧りながらふとそう言った。
聖力の薄れた青海を倦厭する天空の民とは違い、大地の民――とりわけ行商人――は、制限のない青海の地を好んで、たいてはこうして、監視の目を逃れるかのように、大地本土から離れた場所で商売に勤しむことが多いのだ、と説明する。
「まあ、こうして旅人も有効活用しているからね、中央もそれほど煩く言うことはないそうだよ。ほとんどが普通の行商人だからね。ただ、奥に行くと危ない奴らがいるそうだから、私から離れるんじゃないよ」
そう注意喚起をされたものの、活気に溢れた市場の人々は誰も彼もにこやかで、精力的に商売に励んでいて、そんな彼らの表情から、裏の市場の姿というものを垣間見ることは難しそうだとエリーは思う。
「……大地の人って、自由ですね」
「そう思うかい? でもね、エリー。世の中に、“いい”ものだけで創られたものなんてないんだよ」
言い終えて、アルメダは何か言いたげなエリーに片目をつぶって見せた。
「だから面白いんだ、この世界は。私が旅を好むのは、そういうわけだよ」
空を見上げたその金の瞳が映すものを、私もいつか見てみたいとエリーは思う。
ああ、すっかりべたついちまったねえ、と果汁まみれの指を舐めて、再び袋に手を突っ込み、林檎を取り出すアルメダの横顔を見つめながら、以前より抱いていた彼女への憧れが、よりいっそう強まるのを感じていた。
「なんです、あなたたち。まだ食べ終わっていないんですか」
和やかな雰囲気を破ったのは、そんなきつい小言だった。清算を終えたらしいカイルが、腰元に手を当て、げんなりとした表情を浮かべている。
ちょうどアルメダは最後の一口だったようで、芯を袋に放り込み、カイルを振り向いた。
「おや、部長殿、いいところに。何か拭くもの持ってないかい? 手がベタベタして困ってるんだ」
「ありませんよ。まったく、拭くものって。子供じゃあるまいし…。ああ、あそこに水場がありますよ。洗ってきてはいかがですか」
「それもそうだね」
肩をすくめて、アルメダはさっさと水場の方に向かった。
「まったく……。それで、エリシア・シュレイル。あなたはそれ、何個目ですか」
「ひ、一つ目ですが……」
「それを聞くと、アルメダの一口の大きさが尋常でないことがよく分かりますね」
アルメダならば、たくさん食べられていいだろう、とでも返しそうだが、エリーは適当な返事が思い浮かばず、無言で林檎を一口齧る。隣に並んだカイルのほうから、しゃく、と同じような音が聞こえて、思わず振り向く。
視線に気づかないカイルは、濡れた唇を指で軽く拭い、口角を僅かに上げた。
エリーはその口元に視線を奪われて、残りわずかとなった林檎を落としてしまう。
「あ……」
「何をしているんですか、あなたは」
「あの、いえ、」
慌てて林檎を拾いつつ、「だって、」と内心思うが、「美味しい」と言うように微笑を洩らしたあなたに見とれてしまったんです、などとは言えるはずがない。間抜けな表情をしていたらしく、不審そうな眼差しを向けられて、今度はなぜか、「これだから美形は!」と理不尽な怒りが湧いてきた。
「なんですか、人の顔をじろじろ見て」
「い、いえ、なんでもないです」
我に返り、怒りは収束した。直視した自分が悪いのだ。きっとそう。
手際の良いカイル・レイランド部長は、“貸し蜥蜴”の店主に頼んで、適当な宿を教えてもらっていたらしい。
“金獅子亭”――宿主は店主の幼馴染だそうだ。
そこで一晩過ごし、翌朝九時に“貸し蜥蜴”に戻って、客車付きの蜥蜴を借りる予定だと、通りの屋台を眺めながら、カイルはそう説明した。
「とりあえず今は、食料を補給しておきましょう。水は店主が積んでおいてくださるそうですから、心配ありません。客車は、少し広めにしておきましたので、少々大目に買い込んでも問題ないでしょう」
「ありがたいね。流石カイル坊ちゃん。頼りになるねえ」
「見え透いた世辞は結構ですよ、アルメダ。食材の選別はエリーに任せます。客車では簡単な調理もできるらしいので、使いやすいものを選んでくださって結構ですよ」
「とかいって、つまりエリーにやらせようってことだね」
バチバチィっと火花が散って、一触即発の睨み合いが勃発した。
「あ、アルメダさん! 私お料理好きなので! ぜひやらせてください!」
「私は消去法でそう判断したまでです。かつて父が青白い顔でこう漏らしていました。アルメダの料理は一種の必殺技だよ、と。必殺とはどういう字を書くか知っていますか? 必ず殺すと書くのです」
「はいはい、何とでも言うがいいよ。包丁なんて持ったことがないだろう、ハイルエルフの坊ちゃんは。ま、消去法ってのは間違っちゃいないね。もちろん、エリーの料理がとびきり美味しいって意味でだよ」
アルメダの言葉に、エリーは恥ずかしげに頬を染めた。
「そ、そんな、普通ですよ…。でも嬉しいです」
叔母に仕込まれたこともあり、料理は得意な方だと自負しているが、舌の肥えているだろうアルメダに褒められるとそう悪い気はしないのだ。
「私が男だったら、ぜひお嫁さんに来てほしいね」
「やだ、アルメダさんったら」
いちゃつく二人に、カイルは人知れず舌打ちする。その額には青筋が浮いていた。
「…エリシア・シュレイル。いつまでのんびり会話に興じているつもりですか」
不機嫌一色の問いかけに、エリーはたちまち顔色を悪くする。
「は、はい、部長。すみません。すぐに取り掛かります」
直立不動で返事を返してすぐ、店の方へ走っていくエリーを眺めつつ、アルメダは呆れたような声を上げた。
「好感度がだだ下がりだよ、部長殿。もっと優しく言えないのかい?」
「……なんですか、好感度って。あなたに彼女の何が計れるというのです」
「何って、アレだよ。乙女心ってやつだよ」
「四十を目前に何をふざけたことを言っているんですか」
「失礼だね。まだ39だ。親切心で教えておくけどね、女に歳の話は厳禁だって肝に銘じな。エリーにも嫌われちまうよ」
そう言い捨てたアルメダは、もう話は終わったと言わんばかりに嘆息し、エリーのほうへと歩いて行った。真剣なまなざしを食材に向けるエリーの横に、大剣を背負ったアルメダが並ぶ。
ちぐはぐなその後ろ姿を眺めたあと、カイルはそっと目を伏せる。
「好かれていないことくらい分かっていますよ」
ぽつりと零して、唇を柔く噛んだ。
アルメダさんの好感度はぐいぐい上がっております。
カイル、頑張ってね…
読了ありがとうございました!