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31, 退屈なる客車の中で(1)

時間を少し遡る。


アルデ村村長――ルシアーノ・ケイトの父と義母に別れを告げたのち、うっかり手をつないだまま客車の前へと現れたエリーとルシアーノを迎えたのは、“わくわくドキドキ”と好奇心いっぱいに目を輝かせたカナリー・ジェルクと、生ぬるい目で二人を見つめる御者ソムドである。カナリーと自分の荷物はすでに積み込んでしまっていたらしく、客車の外で二人の到着を待っていたのだろう。その視線をつながれた手のあたりに彷徨わせたものの、彼は「おはようッス」とあいさつをして、二人の荷物を客車に載せ始めた。



「ルシアーノさま、どうしてエリーさんと手をつないでいるんですか?」


カナリーの問いに、客車中からブッと噴き出すような音がした。そちらに胡乱気な視線を送った後、ルシアーノはふと自らの手に視線を落とす。「すいません…!」とソムドの慌てた声が聞こえたが、返答はしない。


「あー…エリーが遅いから、引っ張ってあげたんだよ」


言って、ゆるく繋いでいた手をするりと解く。困ったようにエリーを振り返ったその耳は、少し赤い。

普段の師匠にあるまじき親切なその行為に驚いたのか、カナリーは目を大きく見開いた。


「ええっ!」

「なんなわけその驚きは。おれだって友達にはそれくらいできるよ」

「と、友達? も、もしかしてエリーさんがッスか?」


ムッとしたルシアーノに、割り込むようにして会話に入ってきたソムドが訊ねた。びきっと空気が軋む音がしたのを、音源の隣にいたエリーは確かに聞いた。「ひ」とソムドの顔色が蒼くなる。


「そ、ソムドさん、荷物ありがとうございました!」


非常に嫌な予感がしたので、エリーは自ら危険に飛び込んだ。


「あ、い、いえ、とんでもないッス! そ、そうだ、そろそろ出発の準備をするッスね!」


危機を救われたと悟ったらしく、ソムドは冷や汗を掻きつつ、そそくさとその場を後にする。ガタゴトと慌てて御者台に登る音がしたあと、「ぐぎゃー」という蜥蜴の不満げな声が聞こえてきた。

ふぅ、とルシアーノはため息を吐き、ちらとエリーを見やる。よくも奴を逃がしてくれたな…。いつだったか読んだ小説の場面が蘇り、エリーはぎこちなく顔を引きつらせる。


「……。変な顔してないで、おれたちも乗るよ。ほら、カナリー先乗って」

「へ、変な顔…!」


先ほどとは違う意味で顔をひきつらせたエリーを軽く笑い、ルシアーノは客車に乗りこむ。

追いかけるようにしてエリーが乗り込んだその数秒後、ソムドの出発の合図に合わせ、蜥蜴はアルデ村を後にした。











アルデ村を出発した次の目的地は、西の辺境都市レスレムだ。そこに至るにはまだ、広い草原地帯を過ぎ、次いで彼らを迎えるだろう森林地帯を抜けなければいけない。――とはいっても、とルシアーノは前置いた。


「夕方には森の方に着くけどね。それまではひたすら、この退屈極まりない景色を愛でるしかないわけ」


以前にその退屈さを体験したことがあるのだろう、随分と気持ちの籠ったため息をつく。ふと隣を見やって、一眠りしようかなと独り言ちるが、すぐに首を振り、呆れ顔になって、テーブルに突っ伏して眠る弟子の頬をつついた。


「起しちゃだめですよ」


エリーはその微笑ましい様子に笑って、書きかけの便箋を幼い少年の頬の下から抜いた。便箋の綴り目のおかげで、赤い筋が頬に残っている。やや揺れたせいか、カナリーは何やらムニャムニャと寝言を口にして、その顔を別の方へと向け、再び深い眠りに落ちていった。

からん、と手にしていたペンが床に落ちる。あ、とエリーがその転がる方へと視線をやるが、客車の端まで転がってしまい、拾おうとして「あとでいい」とルシアーノに止められた。


「まだ力のコントロールが甘いんだよ。だから眠くなる」


弟子の様子を端的に述べ、ルシアーノは書きかけの便箋に目を落とす。宰相たる叔父への手紙の末尾は、ミミズがのたくったようになっていた。


「よく、見てるんですね。カナリー君のこと」

「それほどでもないよ。一々気に留めなくたって、あっちから色々聞いてくるし、言ってくる。師匠を相談相手かなんかと思ってるんじゃないの。ほら、さっきみたいにさ」


ルシアーノは思い出す様に目を細めた。

客車に乗ってしばらく、なぜエリーと友達になったのかと「どうして」「どうやって」を繰り返していた弟子の姿を思い出しているのだろう。


「カナリー君、素直で人懐っこいですし、気にしなくてもすぐにできると思いますけど」


不思議そうなエリーに、ルシアーノはぽつりと返す。


「ただの子供だったら。――結局はそういうことでしょ。そういうところは、おれとホント似てる。力を持つと――、周りはすべて、自分とその他になる。それがどういう力かまだ分からないうちに、線引きがへたくそになるんだ。自分を守る事ばっかりでね。何が大事か、そういうことじゃなく、必要不必要で物を捉える。そのうちに、自分一人で十分じゃないかって、結論が出るわけ」


どこか遠い目をして語った話が一体誰のことなのか――彼自身のことだということはエリーにもすぐに分かった。


「それが、ルシアーノさんの理由ですか」

「友達を作らなかった理由? そう。そうだね。自分の周りに壁があるとするでしょ。すごく高いやつだよ。そこに窓を付けるとか扉を付けるとか、そういう考えがなかったな。積み上げることだけは得意だった。強くなれた気がしたんだ」

「……ちょっと、分かる気がします」

「うん。まあそれも、ばあちゃんに引き取られて、少し違うなって分かったけどさ」


ばあちゃん――治療師協会協会長ルミを思い出し、エリーは目を丸くする。


「あれ、言ってなかったっけ。ちょっとアレな村のアレな女のところに生まれて、おれの力はアレレって感じで、アレな待遇だったものだから、父さんがおれをばあちゃんに預けたんだ。逃がしたともいうね」


“アレ”。再三使われたその言葉の意味は、言わずとも知れた。閉鎖的な村では、力は必ずしも好意的に受け入れられない。異端――そう呼ばれたかどうかは、ルシアーノの曖昧な表情からは読み取ることができなかった。


「アルデ村のこと、ではないですよね」


「詳しくは聞かされてないけど、おれがばあちゃんに引き取られてから、父さんもあそこを出て、流れ着いたのがアルデ村、サナさんの故郷ってわけ。おれは勝手に、拾われたんだと思ってる。それがなんで村長になってるんだって聞いたら、成り行きだって。しばらくして落ち着いてから連絡がきて、ホントあの時は驚いたし」


「アスラルさん、威厳があるというか、頼りになりそうというか――サナさんのことを本当に大事に思ってらっしゃるように見えました」


「ふーん、エリーにはそう見えたんだ? おれにはもう、ゲロ甘いというか…あのおっさんが尻尾絡ませ…あー、いや、はじめて見たときはホント……。まー、なんていうか、おれの知ってる父さんじゃなかったってわけ」


「素敵でしたよ。本当に、将来もし結婚したらお二人のようになりたいなと思えるくらいで」


うっとりと目を細めるエリーに、ルシアーノは感心したように頷いた。


「へぇ、結婚願望あるんだ。なんかエリーって、のほほんとしてるから」

「あ、ありますよ結婚願望くらい」

「こぢんまりした庭付きの家に優しい旦那さん、悪戯好きで可愛い子供たちにペットがいくらか?」

「ペット…いえ、蜥蜴が何匹か…じゃなくてですね!」

「なに。だいたいそんなとこじゃないの?」


ぐ、とエリーは言葉に詰まる。図星だったからだ。


「そんなのだったら、おれでもできそう」


ルシアーノはふむふむとしばらく考えて、そう結論付ける。なるほど、一流の治療師である彼ならば、庭付き一戸建てくらいすぐに購入できそうだ。蓄えのないエリーには羨ましい話で、思わず目を眇める。


「でも、おれ優しくないからなあ」


己を鑑みてそうぼやいたルシアーノに、お相手はいるのかとエリーは尋ねた。

返事は早かった。


「おれ、(つがい)としてはかなり優秀だからね」


彼なりの表現なのか、それとも獣人独自のものなのか。どちらか判断はつかないが、エリーは胡乱気な目となる。

顔よし、収入良し。治療師として優秀ならばたしかに引く手あまた。

――そういう意味の答えなのだろう。しかし違う。そういう意味で訊いたわけではない。


「違いますよ。特定の…その、いわゆる好きな人というか…」

「好きって何。どういう定義の感情?」


甘さの欠片もない、怪訝そうな面持ちで問われる。定義など、エリーにも判然としなかった。小説の受け売りでいいのならば披露してもいい。甘酸っぱいとか、きゅんとするとか、胸がドキドキするとか…。

いや、そんなことをいったところで、今や現実主義者の代表格と化したルシアーノならば、不整脈じゃないの、とでも切り捨ててくれるにちがいない。

ぐるぐると悩み始めたエリーに、ルシアーノは大して興味もなさそうに質問を重ねる。


「だいたい、結婚のメリットって何。次代を残さなきゃって貴族的なそれじゃないならさ、おれが結婚して何かいいことあるの?」


考えようによれば、17歳らしい素朴な、かつ辛辣さも備えた質問…なのだろうか。エリーはちょっと泣きたくなった。


「それはちょっと、わかりませんが…」


そう切り出して、自身に言い聞かせる。――妄想せよ!


「…私は、旦那さんになる人に一番にお帰りなさいって言って、お風呂にするか食事にするか…、い、いえ、その、とにかく私の料理を食べてもらって、そ、そうですね、今日はこんなことがあったって、他愛ない会話を交わす相手になれたら…」


今日の料理は一段と美味しいね、隠し味は何かな。――いやだ、気づいているくせに、愛よ。


…というくだりは理性の働きによって省かれた。


「エリー?」

「あっ、ええと、そんな風だったら、きっと幸せだろうなって思います。旦那さんそっくりの可愛い子供に「お母さん」って呼ばれたり、そんな子供たちを抱きしめたりして…優しい気持ちになることとか、……上手く説明できませんけど」


正直に言えば、時折そんなことを夢想するくらいで、具体的な未来予想図は描けていない。恋愛経験もないから、聞く人が聞けば、夢見がちな乙女の考えだと一蹴されても仕方がないだろう。ただ、根底にあるのは、どんな物語にも必ず一つは描かれそうな、ごく当たり前の、平凡な暖かい家庭の一員となることだった。


「それって、相手が好きだからなわけ?」

「それ…そうですね。好きだからです。好きじゃないと、始まらないですよ、きっと」

「ふーん。好きだから一番に迎えちゃうんだ? 料理作って待ってたいの?」

「私は、ですけれど」


世の中には色々な女性がいる訳だから、自分の意見が一般論とは思っていない。そう思い、その言葉を強調した。


「エリーの子供は、素直そうだよね。悪い大人に騙されそう」


ルシアーノは意地悪そうにそんな感想を述べた。


「それ、どういう意味ですか」

「べつにー」


鼻歌でも歌いそうな上機嫌な彼に、エリーはむっとして言い返す。


「ルシアーノさんの子供は、いじわるになりそうですね」

「ふーん。じゃあエリーに似たほうがいいね」

「え?」

「うん。想像するとちょっと面白いかも。だれかがさ、結婚は人生の墓場だって言ってたから。エリーの意見は貴重だね。ちょっといいかもって思えた」


これは、考え方を変えてくれてありがとう、という意味だろうか。エリーはふむ、と考えて、やや疑問調に答えた。


「そ、それは重畳?」


ぶっ

と噴き出すような音がした後、


「なにさまなわけ?」


そう言って、ルシアーノは笑った。


ご無沙汰しております。

拙作を楽しみにしてくださっている方には、長い間お待たせしてしまって本当に申し訳ありません。なかなか次の展開が決まらず、いろいろと試行錯誤して、二話ほど書き上げましたので更新いたします。

このあともう一話ありますので、楽しんでいただければ幸いです。

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