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28, 月夜の晩に

 時間差攻撃、というものがある。その夜、エリシア・シュレイルを襲ったものはまさにこれだった。

布団にもぐりこんで目を閉じたと同時に、柔らかな感触をまざまざと思いだし、鏡を見ずとも顔が赤くなっているだろうことはよく分かった。瞼の裏に「ケーチ」と唇を突き出したルシアーノ・ケイトの顔が思い出され―――このままでは眠れそうにないと結論付けた彼女は、身を起してから深々とため息をつき、上着を羽織ると、そっと部屋を後にした。


途中リビングを通ったが、すっかり夜も更けていたので村長夫婦の姿は見えなかった。熱くなった頬を見られずに済みホッとしつつ、ひたひたと静かな廊下を通って外へと向かう。

玄関ポーチの石階段に腰を掛けて空を見上げると、暗い空に青白い月が滲んでいた。遠くで虫が鳴いている。断続的なその音にぼんやりと浸りながら、どうしたらいいんだろう、と考えるのはそればかりだ。頭を抱え、眉間にしわを寄せると、うむむと唸るような声を零した。


時折吹く夜風が火照った頬を柔らかく撫でる。

ふ、とその流れが変わったような気がして思わず振り返ると、何時からそこにいたのか、視界に誰かの足元が映った。だれだろうと思う暇もなく、怪訝そうなテノールが落ちてくる。


「眠れないわけ?」


視線を上げて全身を捉えると、目を見開いておろおろとするしかなかった。


「う、あ、る、ルシアーノさん、な、なんでここに」


動揺も露わなその問いに、ルシアーノは無言で家の方を指した。そちらを見やれば、窓の開いた部屋が見える。


「あそこ、おれの部屋」


頭を抱えるエリーがばっちり見えていたらしい。

なるほど、と呟きながら、何か変なことは言っていなかっただろうかとエリーは思い巡らせた。


一人ぐるぐるする彼女を見つめながら、ルシアーノは、小さくため息をついて石階段に腰掛けた。エリーの座る段より下、人一人分くらい離れた位置だ。数秒間の沈黙が流れた後、


「……なんていうかさ、とりあえず、からかってゴメン」


そう口火を切って、頬を指で掻いた。


からかってゴメン?


予想外の言葉に、何のことかとエリーはぽかんとして言葉を失い、ハッと我に返って口を開く。どうやら件のデコチュー挨拶で、彼にからかわれていたらしい。

なるほど、尻尾のタブーに触れて恥ずかしい思いをさせた自分を、今度は獣人(彼ら)式の挨拶で恥ずかしがらせてやろうという、細やかな意趣返しだったのだ。大成功でしたとは、言わずとも分かりきっているだろう。してやられたと悔しがる気にもならず、むしろ、ホッとしている。我ながら単純だなと、内心でそう自嘲する。お相子だなんて、虫が良すぎるだろうか。


「いえ、こちらこそ、知らぬ間にその、さ、誘うような妙なことを…尻尾のタブーに触れて、すみません」

「あー…」


ルシアーノはバツが悪そうに視線を泳がせ、盛大なため息をついて脱力した。


「あれ、あの、ルシアーノさん?」

「―――正直言うと、尻尾うんぬんはさ、別に大したことじゃないんだよ。割と気安く使うし、卑猥な表現でもないしね。よくよく思い出せば、おれが言わせた感もあるしさ」

「ひ…」


エリーはさらりと言われたその言葉に絶句したが、ルシアーノは苦笑して続ける。


「我ながらなんであんなに狼狽えたのか、よく分かんなくってさ。ただ、なんていうか、あんたにあんなにまっすぐ訊かれて、おれの日常との落差に衝撃を受けたというか。結局のところ、おればっかり恥かいて、あんたもちょっと狼狽えれば気がすむかな、と。おれにとっては慣れたことだけど、人間のあんたには、馴染みないだろうからって、思ったわけ」


意外と子供っぽい所もあるのだなあとエリーは思う。

自分が17歳の時は、きっと彼のように、自分の言動を振り返って、素直に反省することは難しかっただろうけれども。


「…………あー、おれってホント、偏ってるっていうかホント…。とにかくさ、あんたが言うと、普通のことも変に生々しいというか、イラっとするというか、あー!…ってなる」


私も今、この場で「あーっ」と頭を掻きむしってもいいはずだ、とエリーは思う。困惑するばかりで、苛々とすることはなかったけれども。

ともかく、自分よりよほど人としてしっかりしている彼にも、悩みはあるらしい。その内容はよく分からないが、原因は自分らしいと判断して、疑問調で「すみません?」と返した。それなのに、「なんで謝るの」とルシアーノが唇を突き出したので、その理不尽さに唖然とするしかない。


「えーとその、私も薄々、その手の表現ではないかとは思っていたので、調子に乗ってしまったかなあと」

「その手のって…エリーってけっこうエロい?」


こてん、といつにない可愛らしさで小首を傾げるルシアーノ。美男子はずるい生き物だ。


「エ…」


復唱できるほどエリーは大人ではなかった。

寝間着にカーディガンという普段より幼い出で立ちのルシアーノの、その穢れない美しい顔とあまりにも落差がありすぎて――精神的衝撃に咳き込むこと数度、再び真っ赤になった顔で、目じりに涙をにじませ、相手を睨みつける。


「ち、ち、違いますよ! そ、その、親愛表現の一つだとかそういう可愛らしいもので…!」

「だから、セック」

「わーわーわーわーわー!」


何言ってるんですかと一人わたわた手足を動かすエリーを、ルシアーノは至極珍しそうに眺めている。何か面白いものを見つけたような、それでいて心の底から不思議そうな顔だ。


「なんか、あんたって、どうなわけ」

「ど、どうとは?」

「いや、おれもよくわかんないんだけど…、あんたと話してると苛々するっていうか、どうしていいのかわかんないってかんじ」


眉間にしわを寄せるでもなく、淡々と「イライラする件」を再び告白されたせいか、結構ひどいことを言われた気がするというのに、なぜか上手く悲しんだり落ち込んだりできなかった。苛々するから消えてくれるかと、そう言われなかっただけ有難いことなのかもしれない、と妙な思考が浮かぶ。


「ええと…つまり、私、黙っておいた方がいいですか?」

「黙るの?」


む、とルシアーノの眉間にしわが寄った。さて、お気に召さないということか。


「たぶん、黙ってても何してても、なんかムッとするかも。レイランドさんといるときとか、まあその他いろいろ。なんでだろ、わかる?」


それって、いっそ消えてくれということ? 


エリーは表情を引きつらせる。


「え、っと、わかるというか、もたもたしていて苛々すると言われたことはあります。優柔不断な性質なので、そういうところが癇に障るのだとおっしゃる方はいるかと…」


おそるおそるそう返せば、ルシアーノは「へぇ」と感心したように口角を上げた。どこか楽しそうなその表情に、エリーは困惑を隠せない。


「考えてみると、おれ、あんたのことあんまり知らないね。だからかな」

「ええと、だから、というのは?」

「イライラするの、あんたのこと知らないからかなってさ」


なるほど、とエリーは思う。

彼は好奇心旺盛な性質なのだろう。知らないものがあると、知らずにはいられないのだ。尻尾のタブーについても、訊けばいいと言っていたし、それ以前にも、分からないことがあったら訊けばいいと言ってくれていた。他人にそう勧めるくらいなのだから、彼も同じようにしてきたのだと考えていいだろう。


「私のことを知って、ルシアーノさんのイライラが解消するなら、訊いてくれたらいいんですよ」

「訊いたら教えてくれるわけ?」


乗り気なその言葉を聞いて、エリーは内心ホッと息をつく。彼はどうやら知識的欲求が満たされずに苛々していたらしいと、そう結論付けたからだ。少なくとも嫌われていないらしいと前向きな結論が出て、ようやくにっこり笑うことができた。


ルシアーノはふと視線を落とし、長く細い指を弄りながらうろうろと彷徨わせる。その耳は少し赤い。年相応だろうその様子に、なんだかちょっと可愛いなとエリーは思う。


「なんだっけ、こういうの。おれ、はじめてかも。おれ、あんたの術の師匠だし、年下だし、でも、あんたも、おれのこと知りたいって思う? おれは、あんたにとって何になるんだろ?」


普段よりずっとたどたどしい口調は、彼の戸惑いを十分に感じさせた。

意外と遠慮がちな人なんだな、とエリーは妙な所で感心した。秘技、斜め上思考、である。


「え、もちろんルシアーノさんさえよければ教えてください。何というのは、ええと…友人、とかですか?」

「ゆうじん…?」

「私はその、それほど多くの友人に恵まれているわけではないので、一概にそうだとは言い切れないのですが、他愛ないことを話したり、一緒に出かけたり、お互いに助け合ったり、あとはええと、心に描くとほんわかするんです。その人と、繋がっているなあと感じるというか。……あ、でも、ルシアーノさんが嫌だったら」


シルビア・ヘイリースランをふと思い出しながら語ったあと、ふと言葉を切り、相手を窺う。

やや不安げな彼女に、ルシアーノはいつにない屈託のない笑みを返した。


「いいよ。おれは、あんたにおれのこと知ってほしいし、おれも知りたいからさ。あんたに興味があるって言われたとき、イラっとしなかった。なんていうか、その、悪くなかったって感じ。あんたがおれを頼ったり、くだらない話をしたりするってのが“友人”っていうなら、それがいい」


魅力たっぷりの甘さを含んだその笑みにしばし見とれた後、慌てて視線を外し、エリーは軽く頬を掻く。


「あ、改めて言われると、その、なんだか照れますが、私は友人関係をそのように認識しているので」

「――ただし、おれのこと、あんまり褒めたりするのは止めてよね。なんか、あんたに言われると物凄く精神的ダメージというか、なんていうか……照れる」

「はぁ、なるほど。了解です。褒めるのはなし(・・)ですね」

「た、たまには褒めていいけどさ」


つまり、適度に褒めろということか。ちょっとめんどくさい人だな、とエリーは生ぬるい笑みを浮かべた。


「あとは、獣人(おれたち)について聞きたいことがあったら、まずはおれに相談すること。おれに言うときも、ちゃんと前置きして。でないと今回の二の舞になりそうだし。他の奴に相談するのはダメだから」

「き、肝に銘じます」


いや、もう尻尾については尋ねまいと誓う。

エリーの素直な返事に、ルシアーノは大変満足そうだ。「よし」と言って、尻尾をゆらゆらさせている。


それにしても、ルシアーノさんとお友達。なんだかくすぐったい。

シルビアさんに報告しよう、とエリーがお気楽な考えに浸っていると、ルシアーノがふと何かを閃き、口を開いた。


「あのさ、レイランドさんは? あの人って、エリーにとってなんなの?」


部長? 


ルシアーノの問いに、繋がっているなどと言えば、嫌そうに睨まれそうだとそんな想像をした。易々と描けたそのイメージに胸にツキンと痛みが走ったが、無理やり思考を切り替えた。


「……部長は、部長です。友人にはなれません」


他愛ないことを話そうとしても困ってしまうし、一緒に出掛けたことはあるが不可抗力に近く、互いに助け合うどころか一方的に助けられてばかりで、何も返せていない。心に描くと――心に描くと、不甲斐ない自分が浮き彫りになる。


「ふーん。友人じゃないなんて、可哀そうだね」


そんなふうに呟かれた一言に、エリーはぎこちなく笑った。












 翌日の朝、エリーは腕に抱えきれないほどのお土産を渡されて大変困っていた。畑で採れた野菜や、手作りチーズ、独特の民族文様が描かれた布などなど。ルシアーノの義母サリアナはどれが似合うだろうかと新たな布を差し出してくるし、父アスラルは無言のまま、エリーが辛うじて腕に引っ掛けている藁カゴに新たな野菜を入れようと、妻の隣でうずうずしていた。


すでに出発の用意は済んで、足元に置かれてある。お土産を受け取るので手いっぱいだったからだ。何事もなくリビングを過ぎてから、まさか玄関先でこのような歓待に遭うとは夢にも思わなかった。


「あ、あの、あの、そんなにたくさんいただくのは…」


蚊の鳴くような声で主張してみても、夫婦にはまるで聞こえておらず、取り合ってもらえない。隣でにやにやと傍観していたルシアーノに小声で助けを求めたが、彼の口から出たのは「サナさん、おれチーズ嫌い」の一言だけだった。


「る、ルシアーノさん! 言うべきはそこじゃないですよ!」

「いいじゃん。くれるんだからもらっときなよ。あって困るものじゃないでしょ」

「も、もちろん有難いことですが、ごらんのとおりすでに持てる範囲を超えていまして…!」

「ふーん。おれには関係ないけど、あんたがどうしてもっていうなら、持ってあげてもいいかな」

「お、お願いします、ルシアーノさん!」

「はや。早いよあんた。もう少し躊躇ってよ。面白くないなあ」


そう言いつつも、その表情はにやにやと愉快気に笑っている。ムッと眉を顰めたエリーにようやく、「仕方がないなあ」と手を出して、荷物のほとんどを受け取った。

エリーの腕が空いたので、サリアナとアスラルは何を思ったか瞳を煌めかせ、「まだ何かあったかしら」などと言いつつリビングに踵を返す。その背を見送って、エリーはやや不機嫌そうな声色で、「ありがとうございました」と隣の青年に呟いた。


「いいじゃんあれくらい。友達っぽいし」

「そういう意地悪は求めてません」


とは言いつつ、文句を言えるようになっただけ、エリーも彼を友人と意識していて、本気で不機嫌なわけではなかった。


「これってケンカ?」

「ケンカ、というほどのものではないと思いますけど…」

「おれ、したことないから、今度しようよ」

「えっ、ケンカですか? 嫌ですよ。痛そうです」

「痛くしないならいい?……って、なんかこれ、別な意味に聞こえそう」


おれのばか…と呟いたルシアーノを、エリーは怪訝そうに見上げている。


「???」

「なんでもない。とりあえず今のうちに行くよ」


ルシアーノは持っていた土産のほとんどを玄関先に置いて、代わりに地面に置かれたままのエリーの荷物を持ち上げた。


「あ、あの、ルシアーノさん、自分の荷物は自分で持ちますよ」

「いや、あんたどう見ても足遅そうだし」

「ご明察の通りですが、しかし」

「黙って出るのは気が引けるから声かけるけど、かけた瞬間すぐにダッシュして、あの二人に追いつかれない自信ある?こんな荷物抱えて」


う、っと言葉に詰まった時点で「ない」と言っているようなものだ。ほらね、と反論を言わせぬ笑みに、エリーは従うほかなかった。

ルシアーノが大声で出発する旨をリビングの方へ伝え、エリーも短く礼を言って―――「まだだめよ」とサリアナの悲鳴のような声が聞こえたのを合図に、二人は勢い走り出す。ちらと振り返ったルシアーノが、「うわ、もう出てきた」と舌打ちした。隣を――走っていたはずのエリーがのたのたと後方を走っているのを見て、どうにも笑いが止まらなかったようで、ぶっと吹き出し、すでにへろへろになっているエリーの手を取った。

きゃー、と嬉しげなサリアナの声が聞こえたような気がした。


「あんた、だめだめじゃん」

「か、かえすことばもありません…もうしわけ、ない?」

「いや、訊かれてもさ。とにかく引っ張って行ってあげるから、もうちょっとがんばんなよ」

「いえ、隊長、私のことはもう捨て置いてください…」

「隊長ってだれ。――ほら行くよ。もう追ってくる気はなさそうだし」


促され、振り返ってみれば確かにサリアナとアスラルが手を振っていた。力なく振り返すと、「また遊びにいらっしゃいねー」と楽しげな声が返ってきた。






 歩きはじめてしばらく、振り返っても二人の姿が見えなくなったところで、ようやく息の整ったエリーが少し前を歩くルシアーノに尋ねる。


「昨日からずっと気になっていたんですが、お二人はどうして、あんなにも歓待してくださったんでしょうか」

「あー、そう言われると、確かに。誰かを連れてきたことなかったからかな」

「今まで一度も? でも、ご友人……あ、ルシアーノさん、お友達いらっしゃらなかったんでしたっけ」


昨晩そんな話題が出たような、とエリーは得心のいった様子だ。

ルシアーノはじろりと睨み返す。


「あんたに言われたくないけど。…ていうか、エリーを友達だと勘違いして歓待してたって思うと、我が親ながら、なんかじわじわ恥ずかしい。おれ、もう17なんだけどなあ」

「勘違いじゃないですよ。私、ルシアーノさんのお友達です」


励ますようなその言葉に、ルシアーノはフイっと顔を背けた。その耳は赤い。


「あんたも相当恥ずかしいよ…」


そう呟き、怪訝そうにするエリーをおいて、歩調を速めた。





長い間ご無沙汰してしまって本当に申し訳ありません。オフが立て込んでいたのと、あとちょっと、物語の方向性に悩んでしまい…こんなにも遅くなってしまいました。

拙作を楽しみにしてくださっている方には、本当に、何の音さたもなく、申し訳ありません。相変わらずの遅筆ですが、少しずつでも完結に向けて頑張ります。

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