27, 異文化交流?
賑やかな夕食での話題は途切れることなく、話し上手なサリアナの興味の向かう方へと、次から次に変わっていった。それは別にかまわない。しかし、目の前の息子――ルシアーノ・ケイトの近況でさえ「エリーさんはどう思う?」などと言って自分に水を向けてくるのは果たしてどういうわけか。
正直に言えば、ルシアーノのことを訊かれてもエリシア・シュレイルに答えられることはそう多くない。しかし、訊かれた以上何か答えなければならないと思うのが“受付係の習性”というものだ。
幸い、無理に世辞をひねり出す必要もなく、「頼りになる」とか「(私よりずっと)物知りだ」と答えていると、アスラルは重々しく納得の頷きを繰り返してはルシアーノの頭を撫でようと手を伸ばし、ルシアーノは忌々しそうにその手を避けつつ、満面の笑みで「よかったわね」と言うサリアナの言葉に「ばかじゃん!」と言い返していた。
久方ぶりにあった息子の成長を垣間見て喜ぶ両親と、素直になれない十七歳の図。
そういうことでいいのかな、とエリーは一人、蚊帳の外だった。
食後、片付けに立ったサリアナとそれを追って洗い場に並んだアスラルの背中を眺めながら、エリーはルシアーノとともに食後のコーヒーを飲んでいた。推測するに、村長宅では食後の片づけは夫婦の仕事になっているようだ。
時折ゆるゆると揺れては、互いの尻尾が軽く触れあうその様に、何か意味があるのだろうかとふと疑問に思う。そのままの疑問をルシアーノにぶつけてみると、彼は飲んでいたコーヒーを噴き出しかけた。
「す、すいません、ルシアーノさん。だ、大丈夫ですか」
おろおろとそう尋ねて帰ってきたのは、忌々しげな視線だった。しかしその威力は、頬がほんのり色づいているせいか半減している。
おしゃべりに興じている村長夫婦は気づいていないのか、振り返りもしなかった。
「…尻尾のある彼氏でもできれば、わかるんじゃないの」
ルシアーノはそうもごもごと呟いて、苦い何かを誤魔化す様にコーヒーカップを傾けた。
指摘されようやく、愚問だったとエリーは反省した。あの仕草を見て、愛情表現の一種だと察せないほうがどうかしている。
質問の相手も悪かった。せめて同じ獣人でも同性に訊いていれば、こんな恥ずかしい思いはしないで済んだだろう。しかし、腐っても一乙女。ロマンティックな話題には多少なりとも興味があった。今度、シルビア辺りに聞いてみようか。なるほど、彼女の期待する地に足のついていない話題とはこれに違いない。―――その思考の流れのままに、エリーは言った。
「そうですね、今度訊いてみます」
「は? ちょっと訊くって誰に。尻尾のある奴に訊いとくって?」
「え、あ、はい。予め知っておけば、と、って、あれ? ルシアーノさん?」
飲みかけのコーヒーはそのままに、ルシアーノはすっくと立ち上がり、瞬きを繰り返すエリーのコーヒーを奪い取って机に置き、それから彼女の手首をぐいと掴んだ。ほとんど無理やりに立たされて、エリーは恐る恐る背の高い彼を見上げてみた。
(ヒッ!)
なんだかすごく、怖い顔をしていた。
なるほど村長宅とあって、広々としたリビング以外にもいくつかの部屋があるらしい。
しっかりと手首を握られ、まるで連行されていくいたずらっ子のようなわが身を省みつつ――反省すべき悪戯に心当たりがないので、エリーは無言のままそう現実逃避をしつつ、黙々と廊下を歩くルシアーノのあとに続くしかなかった。
ふと視線を落としたその先には、自分の手首をしかと掴むルシアーノの手があった。羨ましいほどの細く長い指が、くるりと巻き付いている。まだそれほどごつごつしておらず、若木のような瑞々しい肌は、自分の陽に焼けたそれと比べても、色味に大した違いはなかった。
こうして誰かの手をまじまじと見下ろすのは二度目のことだった。あのときは、彼の人とのそれと、コントラストの違いに驚き、それから、何を思ったか。どきりと心臓が跳ねたのを覚えている。
(あのときは、繋ぎ方が問題だったから…)
内心、よく分からない言い訳じみた言葉を繰り返し自身に言い聞かせる。
まざまざと呼び起こされる記憶。――自分の指と、部長の指が交差して、酷く落ち着かなかった、あのときのことを思い出して、なぜだかカァっと頬が熱くなった。
「余所事を考えてるなんて、ムカつくくらい余裕だね」
ガチャ、とドアを閉める音がして、エリーはハッと我に返った。憎々しげなルシアーノの言葉が落ちてきて、おずおずと手に向けられた視線を上げる。
予想を裏切って、彼は楽しそうな――そう、愉悦に満ちた笑み、捕食者のそれを浮かべていた。猫が獲物を追い詰めた瞬間など見たことがなかったが、まさしく同じ様な表情をしているのだろうと他人事のように思う。
知らない部屋のドアは、ルシアーノの後方にあった。
背の高い彼に見下ろされ、思わず一歩後退る。
「すみません、ルシアーノさん、私、失礼な質問をして…それで、怒ってらっしゃるんですよね…?」
そう言いつつも、何か別のことで怒っているだろうということは、エリーにも分かっていた。質問については確かに失礼だっただろう。しかし、こうして別の部屋に――そういえば、リビングとは雰囲気の違う部屋だが、誰の部屋なのだろう――連れてくるほどではないと思う。
「縄張りだよ。尻尾のある奴の話を聞くと、荒らされたって気がするんだよね」
「な、なるほど、そうなんですね」
とエリーは答えつつ、尻尾の話――尻尾に関する質問はタブーだと解釈すればいいのだろうか、と間抜けな考えを巡らせる。
ルシアーノは曖昧な笑みを浮かべるエリーに、スッと目を眇めた。
「おれに訊けばいいよ」
「はい?」
「だから、前に言ったでしょ。なんか分からなかったら、おれに聞きなよってさ」
「え、あの、でもええと…」
先ほど訊いたら、可哀そうなほどに動揺したではないかと思い返す。
自分もそれほど知識豊富なほうではないが、おそらく多感な年ごろにそういった質問を受けるのは恥ずかしいものなのではないかと、年上風を吹かせた考えを抱いていた。
「おれがいるのに、他の奴に訊くとかどういう神経なわけ」
はっきりしないエリーに対し、不機嫌そうに言葉を重ねる。
なるほど、とエリーは思う。
恥ずかしいものの、獣人特有の文化を紹介するにあたり、頼りにされないのは腹立たしいという、いわばプライドの問題なのだろう。そうに違いない。
そういった思考は、年頃の男の子とそう変わらないのだなあ。普段は頼りになる青年然としているが、まだ十七歳、そういった年相応の言動が現れても全く可笑しいことではないのだ。
的外れの“知ったか思考”に取りつかれたエリーは、うんうんと一人納得して、それならばここは頼りにしようではないかと、あっさりと頷いてしまった。
「じゃあ、その、お言葉に甘えて。――ルシアーノさん、尻尾の使い方、教えてください」
身長差から致し方ないことだが、上目遣いにそう頼んだエリーに、ルシアーノはぐ、と目を見張った。背後の尻尾もぴんと伸びて、面白いことになっている。
「な、な、な…」
「な?」
「な、何言ってんのか分かってるわけ! ホントあんたばかじゃん! ばかじゃん!」
二度も「ばか」呼ばわりされたが、あまりのルシアーノの動揺っぷりにへこむ暇もない。
「お、お、おれ以外のやつに言っちゃだめだから! あんたホント、なんなわけ!」
「え、あの、す、すみません?」
あれ、おかしいな。訊けと言われたからそうしただけなのに。
そう思ったが、そもそもエリーは言い返すような性格をしていない。今更ながら恥ずかしくなったのかな、と適当に納得した。
いや、そもそも自分に尻尾はないわけだから、使い方を教えてくださいと頼むのは間違っていたのだろう。
「ええと、すみません。言い方が駄目だったんですよね。その、ええと、ルシアーノさんは、尻尾をどうやって使うんですか」
これならどうだ、と言い方を変えてみた。
「~~~~~っ!ばかじゃん!」
やっぱり駄目だった。
とくに重要な情報ではないかもしれないが、その部屋はルシアーノの自室だったらしい。再びリビングに戻ってきた二人を見て、サリアナが「ルシアさんのお部屋、ちゃんと整えてあったでしょう」と言ったのでそうとわかった。アスラルが「シーツは洗濯場に出しておけばいい」と脈略もなく言うと、サリアナが「キャーもう、やめなさいよ」とはしゃいでいた。ルシアーノはそっぽを向き、力なく「…ばかじゃん」と零していた。
エリーは残っていたコーヒーを飲んでいたせいか、まるで聞いていなかった。
ひと騒動終えて、風呂もいただき、エリーはサリアナに案内された本日の宿――村長宅の客室にて、備え付けの書き物机に向かっていた。
二枚目となった部長への手紙は、今度はきちんとした報告書の体裁を整え、今の所上手く書いてある。現状については、二日目の宿泊は村長宅にて、とだけ書いた。自分でも理解できない騒動を部長に綴っても仕方がないし、食卓風景を綴ってはおのずと感傷的な文面も書き連ねてしまいそうに思ったからだ。
素っ気ない文面だが、報告書なのだから構わないはずだ。ある程度分量がたまったら、カナリーに渡して送ってもらえばいいだろう。
書き終わった手紙をカバンの中へと戻し、寝間着の上に羽織った上着を脱ごうと手を掛けたちょうどそのとき、やや遠慮がちなノックの音が耳に入った。
怪訝に思いつつ返事をすると、
「おれだけど」
とルシアーノの声がした。
ルシアーノさんか、どうしたのだろう。
エリーは単純にそう思い、躊躇いもせずドアを開ける。見えたのはルシアーノの、戸惑ったような、やや不満げな顔だった。
「あの、どうかされました?」
「……別に。入っていい?」
「あ、はい。失礼しました。どうぞ」
にっこりと笑って入り口正面から体をずらすエリーに、ルシアーノはため息を禁じ得ない。一言物申そうと口を開いたようだが、きょとんとするエリーに深いため息を吐くにとどめた。
「…冗談。入るほどの用事じゃないし」
「はあ、そうですか」
それで? と言いたげにエリーは首を傾げる。
「挨拶くらいは、教えてあげられるかと思ってさ」
「あいさつ、ですか」
「そう、獣人式の。ちょっとじっとしててよ」
じっとしろと言われて、素直にそうするのがエリーのいいところなのか、危ない所なのかよく分からない。とにかく彼女はそうした。じっとして、不思議そうにルシアーノを見つめるばかりだ。緩く肩を掴まれて、やや怪訝そうにしたものの、やはりじっとしていた。
「――あんた、やっぱりずるいよ」
ルシアーノはため息のごとくそう言って、無防備にさらされたエリーの額に顔を寄せ、軽く唇で触れた。
「おやすみ、エリー」
身を引く瞬間、ぽかんとした彼女の耳に囁きこむ。
「あ、え、あ、あの、い、いま」
今更おろおろと視線を彷徨わせるエリーに、ルシアーノはくつりと笑った。
「あいさつだよ。おやすみって意味」
「あ、あいさつ。あいさつ、な、なるほど…」
額に唇で触れる。それはつまり額にキスをされたということだが、「あいさつ」と言ってしまえば、なるほどそれはもうキスではなく、あいさつなのだ。――とは分かっているものの、額に触れた柔らかな感触は、そう簡単に忘れられるものではない。あいさつで変に動揺するのは失礼なことだと自分に言い聞かせるも、なにせそういった文化圏の出身ではないために、非情に反応に困るのだがどうすればいい…!
エリーの心境はこんなところだ。
「おれには?」
「は?」
「あいさつなんだから、あいさつし返してくれないと、だめじゃん」
「お、おやすみなさい?」
「やだなあ。獣人式のやつだよ」
「む、無理です!」
きっぱりと断ったエリーに、ルシアーノは面白くなさそうに唇を突きだしたが――すぐに目を眇め、口角を上げた。
「じゃあ、ここにしていい?」
視界の下の方で、ルシアーノの人差し指が自らの唇をまっすぐに指しているのを確認して。
「え」
「いい?」
「は、え、あの、意味がよく分からないんですけど…」
「ケチ」
「は」
「おれをさんざん誘ったくせに」
「え」
カチンと固まったエリーを満足げに見下ろして、ルシアーノは踵を返した。
「エリーのケーチ」
そんな捨て台詞を残して去って行った彼を、エリーは呆然と見送った。パタンとドアを閉めて、とぼとぼとベッドに歩み寄り、そのままダイブする。
「なんだったの、今の」
頭の中で、「ケーチ」との言葉がこだまする。
「………寝よう」
深く考えないことにしたエリーだった。
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