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26, 懐かしき故郷

おそらく、他人の里帰りの瞬間に立ち会うのはそうありふれたことではないだろう。エリシア・シュレイルにとってもしかり、加えて今回は、右を見ても左を見ても、獣人(ティール)ばかりの村だった。


客車から降りた瞬間、無数の怪訝そうな視線が彼女を射抜き、それからややむっつりと不機嫌そうなルシアーノ・ケイトを見やって、その後、好奇心いっぱいに辺りを見回すカナリーを一瞥し、御者からいそいそと降りてきたソムドを見て―――おそらく何の集団かと思ったのだろう―――視線の主たちは互いに目配せし、不思議そうに首をひねっていた。その一種異様な光景は、村の奥から一組の男女が現れるまでずっと続いた。






村の名をアルデ。

首都グラスベルと比べると村の外観はそれほど洗練されたものではないが、田舎風のこぢんまりとした家々の明るい色調が暖かな雰囲気を伝え、軒先に咲き乱れる花々は美しく、風は草の匂いがして、どこからか賑やかな子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。

村の中と近くの森に、広い畑と豊富な資源を備えた森があるらしく、村人はほぼ自給自足の生活をしていた。時折間延びした動物の鳴き声が聞こえてくるので、おそらくどこかに家畜も飼っているのだろう。染物でもしてどこかの休憩地で商いをしているのかもしれない。色とりどりの大きな布が風にはためく光景が、村のあちこちで見受けられた。





「……ルシア?」


村人の壁を割って村の奥から現れた背の高い、屈強な男は、どこか呆然とした風にルシアーノの愛称を口にした。もともとの厳めしい顔つきを怪訝そうに顰めるものだから、怒っているようにしか見えない。

エリーはふと、その不機嫌そうな表情と、褪せた深緑の髪、赤茶の瞳、それから髪の間から見える猫のような耳に既視感を覚えた。あれ、誰かに似ている。誰だったっけ、と長く考える必要はなかった。


「……ただいま、父さん」


隣で、むっつりと口をヘの字に曲げ、小さく舌打ちをしたルシアーノが、面倒くさそうに口を開いた。

彼の父らしい屈強な男は、何かとんでもない重要事項を報告されたかのように重々しく頷いて、なぜかちらとエリーを見やった。

悲しいかな、冒険者を相手に受付業をこなしていた彼女には、どこか懐かしささえ覚えるほど険しい視線だった。自然と受付モードに切り替わり、にっこりと微笑んだエリーに、彼はまた重々しく頷き、視線を外した。


(な、なんだったの…?)


内心冷や汗を掻いたエリーであった。


ルシアーノはそれ以上口を開こうとしなかったが、屈強な男の隣にいた小柄な女性――ゆるやかなカーヴを描く亜麻色の髪が美しい――が、おずおずと前に出て、小さく「ルシアさん、おかえりなさい」とはにかんだ。だれもが無条件にホッとしてしまう様な、柔らかで優しい笑みだ。

流石のルシアーノも、彼女を無視することは居心地が悪いらしく、人見知りをする子供の様にちらと視線を向け、軽く頷いて見せる。

その反応にくすくすと笑うと、女性もまたエリーをちらと見やり、何かを閃いたのか目を見張って、それから屈強な男の腕へと取りすがる。男の耳へと何か囁いて、男が重々しく頷いてやると、まるで少女のように嬉しそうに飛び跳ねた。くるりと淡い茶色の尻尾の先が揺れる。レースの帽子を被っているせいで今は見えないが、その下には同色の猫耳が隠れているに違いない。

なにやら彼らの間で自分も話題にされているらしいとは分かったが、深くは考えまいとそう思考を逸らしたエリーであった。




結論から言えば、村の奥から出てきた男はルシアーノの父親で、隣の女性は彼の義母だった。

今回、ルシアーノが村に立ち寄ることは治療師協会から報せがあったらしいが、幾度手紙を出しても無の礫だったことも考え合わせ、半信半疑でいたらしい。もちろん、手紙は私が書いたのよ、となぜか妙に親しげなルシアーノの義母――サリアナに、エリーはそう説明された。


初めは怪訝そうな視線を向けていた村人たちは、村長でもあるルシアーノの父の説明を受けると一転、まるで遠くからやって来た友人を持て成すかのような態度になった。動物に目がないらしいソムドと、見るものすべてが輝いて見えるらしいカナリーは、村の案内役を仰せつかった若者に家畜のいる方へと案内されていった。


残されたエリーは、面倒くさそうに頭を掻くルシアーノに縋るような視線を向けた。村人のほとんどが散開し、通常業務に戻った今、村長夫妻とその息子と赤の他人の自分がいるこの状況は、自分が遠慮しなければならない場面にちがいない。しかし、エリーをロックオンし、義理の息子の不義理を語るサリアナのやんわりとした拘束から逃れる術を彼女は知らなかった。名を訊かれてからずっと、親しげに「エリーさん」と呼ばれて話を振られれば、答える以外の選択肢はない。


「………ねぇ、おれたち疲れてるんだけど」


エリーが何度か視線で助けを求めた後、ようやくルシアーノはげんなりとした口調でそう言った。


「あら、私ったら、ごめんなさい。エリーさんに会えたのが嬉しくって」


サリアナはそう言って舌を出した。

その行動に違和感がないことに、エリーは変に感心しつつ、ようやく帰ってきた息子より赤の他人を歓待するその心とは、この村のおもてなし精神のなせる技か、と頭の端で考える。当然のように村長宅に案内されていく道すがら、きっとそうなのだろうと自身を納得させた。













「あのー……、ルシアーノさん」


サリアナ特製の美味しいクッキーと紅茶を頂きつつ、一枚板で出来た立派なリビングテーブルの向かい側に腰掛けるルシアーノに向かって、エリーは小声で呼びかけた。


「なに?」


長く離れていたものの、やはりこの家の息子である彼に、緊張に体を堅くする理由など何一つない。柔らかいソファ仕様の椅子の、予想外の反発にいちいち驚いている小市民のエリーとは違い、すっかりくつろいでいる様子だ。


「いえ、その、私、ここにいていいんでしょうか」

「なんで?」

「いえ、その、もし宿があるのならばそちらに移るべきかと思いまして…」

「まあ、ないことはないけど。いいんじゃないの、もう荷物も運んだし。それに、サナさんと約束してたのは、いいわけ?」

「う…」


サナさんとは、サリアナの呼び名の一つらしい。

彼女は今、夫とともに夕飯の買い出し中だ。帰ってきたら一緒にお料理しましょうね、と柔らかな笑みに流されて、エリーは頷いてしまっていた。

何もせずにいたれりつくせりよりも、手伝えるならばそれに越したことはないのだが、家族の団らんに割り込んだ感はどうしても拭えない。しかし今更ごねて宿を取りたいなどというのも迷惑な話かもしれない。ぐるぐると考え続け、ふと思いつく。


「そ、そういえば、カナリーくんたちもここに泊るんですよね?」


そうだ、自分が泊るのだから、あの二人もここに来るはず。それならば団らん云々はそれほど気にならないはずだ。

期待を込めてそう訊いてみたが、帰ってきた答えがそれをあっさりと打ち砕いてくれた。


「カナリーは仲良くなった子供の所に泊るってさ、ソムドは案内役の男と妙に気が合ったからってそっちに行くって、カナリーから《伝達》が来たけど?」

「え」


すっかり固まってしまったエリーを不思議そうに見てから、ルシアーノはクッキーを一つ口に入れた。










もうぐるぐるするのはやめよう。


そんな考えに至ったのは、村長夫妻が帰宅し、約束通りサリアナと二人、広いキッチンに並んだ頃だった。それというのも、どう穿って考えてみても、サリアナが仕方なくエリーを応対している感じはなく、むしろその滞在を楽しんでくれていると思えたからだ。それならば、この際一緒に料理を楽しもうと、そのくらいの順応性はもともと備えている。


「ねぇ、エリーさん。ルシアさんは、まだチーズが嫌いなのかしら」


手際よく調理をする中で、サリアナはふとそう尋ねた。

そういえば、チーズはあまり好きではないと言っていたなと思い出して、エリーは苦笑を浮かべつつ、小さく頷く。するとサリアナは胸のあたりで両手を合わせ、「まぁまぁまぁ」となぜか嬉しげだった。

よく分からなかったので、エリーは曖昧に笑っておいた。


ちらとリビングを振り返ると、広いテーブルの向かい合わせに、ルシアーノとその父――アスラルが座っていた。何かぽつりぽつりと会話しているようだが、生憎と広い部屋なので、何を話しているかは聞こえなかった。

アスラルのほうは相変わらず重々しい雰囲気で、どちらかと言えば彼がルシアーノに質問を繰り返しているようだ。ルシアーノは適当に頷き返している。

長い不義理を叱られているようにも見える。父親と十七歳の息子。なるほど、その可能性もあるな。などと思っていたら、ルシアーノと視線が合致した。ぐ、とその眉間にしわが寄るのを見て、慌てて背を向けた。



「ねぇ、エリーさん。ルシアさんの大好物を教えてあげるわ。ぜひ作ってあげてね」


サリアナが歌うように言った。


「え、あ、はい、ありがとうございます?」


慌てたままそう返事をして、教わったレシピが、野菜をふんだんにトマトベースのスープで煮込んだものだった。肉より野菜、生より煮込んだものが好きだということで考案した一品だそうだ。


もう何年も作ってあげていないが、きっと好みはそう変わっていなはずだということで、今夜の献立に加えることに決めた。よければあなたが作ってあげて。


そういう流れから、ルシアーノスペシャルなるその煮物料理をエリーが担当することになった。あれ、これミネストローネじゃないのかな。作りながら、そう思ったエリーがいた。









「ねぇ、ルシアさん、今日のスペシャルはエリーさんが作ってくれたのよ」


ご機嫌な様子で料理の説明するサリアナに、「さすがにもう、ミネストローネだって知ってるよ」とルシアーノは呟き、それから「ふーん」と感心した風に大なべのまま食卓に置かれたそれを覗き込んだ。


「エリーさん、手際がいいのよ。味見もさせてもらったけど、美味しかったわ」

「知ってるよ。これとは別のだけど、食べたし」


別の、とはこの間のトマトパスタのことだろうか。まぁまぁだとお褒めの言葉を頂いていたが、改めて言われると嬉しいやら照れるやら、である。


「あ、ありがとうございます」


恐縮するエリーに、ルシアーノはぎょっとして、前回と同じセリフ「まぁまぁって意味だよ」で訂正した。


「まあ、ルシアさん照れちゃって! あらあら!」

「て、照れてないし!」


まるで子供の様に――いや、片方は十代だが――はしゃぐ二人に、静かに説明を聞いていたアスラルが落ち着くようにと注意した。そして一呼吸空いた後、静かになったところで再び口を開く。


「で、照れていたのか、ルシア」

「あんたもかよ」



その後も続く家族の会話に耳を傾けながら、エリーは故郷のことを思い出していた。叔母夫婦と、従兄たちと。エリーの描く家族像は、いつだって彼らだけだった。父は写真の中の人になったし、母は顔さえ知らない。楽しく、幸せな思い出は、叔母たちと。どこか悲しく、寂しい思い出は、今は亡き父親と。


ああでも、もし。

こんな食卓を、父と、母と、それから私で囲むことができていたら。


「あら、エリーさん、ぼんやりしてどうかした?」

「いえ、なんだか、こういう賑やかな食卓って、久しぶりだなと思って」

「そう。そういえば、ルシアさんは自分からおしゃべりするタイプじゃないものね」


サリアナがそう言うと、アスラルが「ふむ」と頷いた。


「ルシア。何か楽しい話をしなさい」

「あんた、それ無茶振りだってしってる?」


ああ、とエリーは思う。

今は何も振り返りたくない。楽しい思い出だけ。

それだけでいいじゃないか。


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