20, トマトトマト(2)
トマト柄のワンピースが可愛らしい、箒とちりとりを持ってリビングをぱたぱたと駆け回る少女を見つめ、すでにどれくらいの時間が経ったのか。
ルシアーノ・ケイトがその手に持つカップの中身はすっかり冷めてしまっていたが、当人は全く気付いていないようだ。
その様子を同じくリビングテーブルの一席に落ち着き、眺めているのは、家主のカイル・レイランドと同居人エリシア・シュレイルである。
「……ねぇ、ホント、なにあれ」
ようやくルシアーノが口を開き、エリーはホッとしつつニコニコと答える。
「トマですよ」
どうしようもない説明にルシアーノは、黙々とイチゴジャムのクッキーを口に運ぶカイルに視線で助けを求めた。彼も同様に清々しい休日に起った珍事に疲れ切っているようで、げんなりとしながら説明する。
「私もまだ事態を把握していないのですが、そこにいる当人曰く、地妖精からトマトの精霊になったそうです」
「ご主人様のおかげですの!」
トマは踊り出さんばかりの上機嫌でそう付け加えると、エリーの膝元へ駆け寄って、小鳥のようにクッキーを強請った。親鳥さながらその口元に運んでやるエリーをちらと見やって、ルシアーノはカイルを気の毒そうに見やる。
「………なんでおれを呼んだのか、ちょっとわかった気がするよ」
返ってきたのは重々しいため息だった。
ルシアーノ・ケイトが呼ばれた理由――それは、カイル・レイランドの知識をもってしても、清々しい休日に起った奇想天外な事態をどう収拾していいか分からなかったからだ。
「……なんで、部屋の中に木が生えてるわけ」
ギルド支部を訪れたルシアーノは、一階オフィス部分の一角に巨大な木が生えているのを呆然と見やった後、開口一番そう言った。
二階部分に置いてあったトマトの鉢が成長してこのようになったとカイルが説明すると、ちらと入口の扉に視線を走らせる。今すぐにでも帰りたくなったに違いないと、さすがのエリーにも察することができた。
アンティークな外見に似合ったオシャレなオフィス空間は、木が生えたことでひょっこりと動物たちが姿を現しそうなメルヘンチックなそれへと変貌している。天井付近に広がった枝枝には、見慣れた赤いトマトが鈴生りになっており、エリーの目の錯覚でなければ、仄かに光を放っている。根は煉瓦の床を押しのけ、地面へと根付いていた。
「なんでトマトなわけ」
「と、トマはトマトの精霊だそうですよ」
エリーの説明を聞いて、ルシアーノは怪訝そうに顔を歪め、カイルを見やる。“あんたの部下大丈夫なわけ?”とその目は問うていた。
「冗談でもなんでもなく、本人がそう言ったんです。なんでも、地妖精からトマトの精霊になったと」
「なに、じゃああのトマトは、ホントにエリーの《伝達》?」
「トマト?」
とカイル。エリーも訳が分からず目をぱちぱちとさせている。
「カナリーが言うには、いきなり現れたらしいよ」
「トマトが、ですか?」
「そう。おれの名前が書いてあって、しばらくするとワンピース姿の小さいのが出てきて、ご主人様が呼んでるから来い、ってね。――何、もしかしてどんなのか知らないで《伝達》使ったわけ?」
後半はエリーに向かって聞いたようだ。
「いえ、《伝達》は私が指示をしました。エリーは命じただけですよ。そもそも、術のじの字も知りませんしね。まさか、相手にトマトを送りつけるとは思いもよりませんでしたが」
カイルの言葉に、ルシアーノは得心の行った顔をする。
「なるほど。《伝達》は聖力でも使えるんだっけ。まあいいや、トマトはカナリーが引き取ったし。それよりも、ホントに精霊なの? あの大きさだと、妖精の間違いじゃない?」
「“あの大きさ”がどの大きさかは分かりませんが、彼女は二階にいますよ。床に葉っぱが散乱していましたので、その片づけをさせています。命じたのはエリーですが」
「ややこしいね」
「まったくです」
「す、すみません」
思わず謝ってしまったエリーであった。
二階部分に案内されたルシアーノに、箒を持って掃除中らしい件の精霊――トマはパッと顔を上げ、にっこりと笑みを浮かべた。
「先ほどぶりですの、ルシアーノ・ケイトさま」
箒を持ったまま、いつもの上品な礼をするトマに、ルシアーノは信じられないとばかりに目を見開いている。
彼が見た“大きさ”がどの程度かは知らないが、おそらくずっと小さかったのだろうとエリーは思う。未知との遭遇を果たした旅人のようだ。
「……なに、この大きさ」
振り返ってカイルに話しかける。
「洞からこの子が出てきたところを目撃した私の驚きを想像してみてください」
「…絶するね」
行使する力は違っても、術者たる二人には共通の驚きがあるらしい。
すっかり仲間外れのエリーだが、別段気にすることもない。お客様もいることだし、初心者は蚊帳の外でお茶の準備でもしていようとキッチンへ向かう。
その行動に、やはり彼女を主人と呼ぶだけあって、トマは目ざとく近寄ってくる。持っていた箒はいつの間にかどこかへ消えていた。
「ご主人様、それは何ですの?あまぁい匂いがしますの!」
「クッキーですよ。お1つどうぞ」
親鳥さながら口に一枚入れてやると、ほっと幸せそうに頬を緩ませた。
「美味しいですの!」
「…なんで精霊がクッキー食べてるわけ」
ルシアーノは呆然として言った。カイルはため息をつき、首を振るだけだ。
「あ、お二人もよろしければいかがですか?」
二人の視線に気が付いたエリーにそう誘われて、互いに顔を見合わせる。
「なに、あれって、食べさせてくれるってこと?」
真顔でそう尋ねたルシアーノに、カイルはにっこりと口角を上げる。
「何か今仰いました?」
その目は笑っていなかった。
一見すると和やかなお茶の時間をとりあえず終えて、トマは再び掃除用具を手に部屋の中を行ったり来たりしはじめた。
ルシアーノはそんな彼女を具に観察し、カイルとエリーはそんな彼を見つめている。
「……まあ、おれを呼んだのはいい判断だと思う。あれは、ホント、言われないと精霊だってわかんないし。もうエリーの妹ってことにしなよ。《伝達》してくれる妹。いいじゃんそれで」
観察の結果、そう判断を下したのだろう。ぐったりとしながら、ルシアーノはそう述べた。反論しないところ、カイルも同じ意見だったようだ。
「そうですね。一方的ながら、この地に留まることになった以上、離れて暮らすわけにもいきませんし」
いつの間にか、エリーの知らないところでトマが一緒に暮らすことになっていた。
それにしても、妹。
あの美少女と姉妹になるにはかなり無理がある気がする。見た目においても、成人している自分と連れ立って歩けば、親子に見られそうな気がした。
「妹というより、娘に見られませんか?」
思わず声に出した途端、カイルは盛大に咳き込み、ルシアーノはぎょっとしてエリーを見やった。その反応から、やはり無理があるのだと判断する。
何にしろ、血縁関係を主張するにはあまりにも似ていないのだ。エリーは紺色の髪に茶色の瞳、トマは金髪にルビー色の瞳。清々しいほどに似ているところが一つもない。
「そういえば、トマは金髪で、部長も…」
その美少女ぶりも、部長の娘ならありうるなと一人納得する。
ちらとカイルを見やると、彼もまたじっと見つめ返してきた。その頬はほんのりと赤い。酷く咳き込んだからに違いない、変なことを言って申し訳なかったなとエリーは思う。
「エリー、それはつまり、私とあなたが」
カイルが何か言いかけたが、
「なに妄想してんだか」
吐き捨てるようなルシアーノの言葉に阻まれた。
「す、すみません。そうですよね、トマと私じゃ、あまりにも似ていないですもんね」
「い、いや、あんたに言ったわけじゃないんだけど」
ばつが悪そうに顔を背けるルシアーノの瞳は、赤みの強い茶色だ。見様によっては、トマのそれに見えなくもない、様な気がする。
「そういえば、瞳はルシアーノさんに似ています」
「は?」
「いえ、トマの瞳ですよ」
「…っ! ば、ばかじゃん!」
「ば、ばか?」
カッと顔を赤くしたルシアーノは、手の甲で口元を覆い――おそらく直視できないほど呆れられたのだろうとエリーは解釈した。美少女と血縁関係は、平平凡凡な自分には冗談でも口にしてはいけないことだったようだ。肝に銘じよう。
「お二人の子どもだったら、完璧ですね」
美青年の二人ならば問題はない。そう思って言えば、今度は本気で怒られた。
なぜ怒られたのだろうと疑問顔のエリーを放置し、カイルは話を先に進める。
「……なんだかものすごく疲れましたが、本題はあの子の能力についてです。実はあなたが来る前にギルドについて説明したところ、――いえ、その前にこの支部が抱える問題をお話ししなければいけませんね」
と、宰相から依頼された“騎士以外の情報伝達手段”の構築について説明した。ルシアーノはその難易度の高さに驚きを通り越し、呆れた表情を浮かべている。
「察するところ、つまりその手段の構築にあの子を使おうってわけ?」
「その表現は外聞が悪いですが。本人の希望ですよ。なぜかエリーに心酔していましてね。私はその気持ちをくみ取っただけのことです」
「ま、精霊ってのは、主人のために力を使うたび代償として力をもらえるからね。聖力の場合は、契約についてはどうなってるの?」
「契約は一時的なものですよ。近くにいるものを呼び寄せ、使役するのが一般的です。ですから今回の件については、どう理解してよいか迷いまして。あなたにお越しいただいたというわけです」
申し訳なさそうに肩を落としたカイルの言葉に、ルシアーノは顎の下に手を当て、ふと思案に耽る。
「……それじゃ、こっちのやり方とは真逆だね。契約は特定の精霊と常時契約を結ぶんだ。一定量の力を代償に、いつでも召喚できる仕組みだよ。こっちが命じて精霊が力を使えば、上乗せして力を与える。まあ、魅力的な力じゃなければ、そう熱心に役に立とうとはしないはず、なんだよねえ」
言って、高度な内容の会話にきょとんとするだけのエリーを見やった。
「彼女の力が、あの子にとってはその、魅力的だと?」
「ま、性格的に波長が合って、懐いたっていうのもあるんだろうけどね。そう解釈して間違いないよ。問題は、あの子との契約に使う魔力がどこから捻出されてるかってこと。パッと見た感じでも、おれにはあの子は扱えないよ。一定量を賄うだけで、常時魔力切れ状態だね」
「は?」
唖然としたカイルにルシアーノは苦笑し、腕を宙に差し出すと小さく何かを呟いた。すると彼の周りが一瞬仄かに光り、次の瞬間にはどこからともなく彼の精霊らしき女性体が現れ、差し出した腕の上に座る。
全長30センチほどだが、その等身は大人のそれだ。薄緑の長い髪に淡い水色の瞳、細くのびやかな肢体には白いワンピースを纏っている。
「おれの契約精霊、ノルヴァだよ」
主に紹介され、にっこりと美しい顔に笑みを乗せ、ノルヴァは何事かを口にした。
「“よろしくお願いします”だってさ」
どうやらその声はルシアーノには聞こえているようだ。エリーはふと、“しがないトンボ”の声も自分にしか聞こえなかったことを思い出す。
「これでエリーもわかったでしょ。契約者以外と話せることも、幼体の段階ですでにノルより大きいってことも、あの子は規格外だよ」
「な、なるほど、わかりました」
栄養管理をしっかりして大きくしてあげるのが私の役目というわけだ。体の大きさも相まって、他の子よりたくさんご飯を食べるだろうから、食費についてもきちんと考えないといけないな、とエリーは理解した。
未だに精霊が何たるかは分かっていないのだが、その事実に気づき、指摘する者はいなかった。
「話は逸れましたが、トマ曰く、苗さえあれば遠方でも《伝達》可能だそうです。距離による代償への上乗せはなく、相手からの《伝達》も請け負うことができると言っています。確認しますが、魔力による《伝達》では、これが一般的…、ではなさそうですね。ええそんな気がしていました」
驚きを超してもはや呆れ顔のルシアーノを見やり、カイルはそう結論付けた。
「そんなことができたら、宰相がわざわざあんたに頼むわけないじゃん。おれ、明日からトマト育てようかな」
遠い目をするルシアーノの頭を、ノルヴァがぽかりと叩く。馬鹿なこと言わないで、しっかりしなさいよね。エリーはそうアテレコした。
「私にも何がどうしてこんなことになっているのかわかりませんが、本人がやるといっているので、連絡手段についてはトマに任せてみようと思います。まあ、試験的に遠方との連絡実験を行わないといけないですけれどね」
「ま、やってみて損はないよ。ただし、城への報告は適当に誤魔化したほうがいいね。苗を使っていることはすぐに知れるだろうから、その原動力は聖力を使っているとか、独自の方法を編み出したとか、ま、そんな感じに。……あーあ、なんかおれ、がっつり“ギルド”ってやつに関わってる気がするんだけど」
こんなつもりはなかったのに、と零すルシアーノに、カイルはうっすらと笑う。
「おや、エリシア・シュレイルに色々と教えて下さるのだと聞いていますが。彼女に関わるならば、ギルドだって無関係じゃないでしょう?」
「…レイランドさん、あんた、思ったよりいい性格してるね」
じとりとカイルを睨みつけるルシアーノに、エリーは申し訳なさそうに眉を下げる。
「す、すみません、ルシアーノさん。私が不甲斐ないばっかりに、その、でも本当にご迷惑だったら、」
教師役はもともとエリーが願い出たわけではないのだが、漂う雰囲気の悪さにおずおずとそう申し出る。しかし部長も彼を頼りにしている今、勝手にこんなことを言えばあとで叱られるかもしれないと過ぎり、怯えるあまり涙目になっていた。
「……ホント、あんたすっごいムカつく」
ぽつりと、ルシアーノは低く重々しい言葉を吐いた。眉間のしわがその不機嫌さを物語っている。
「す、すみませ」
「あー、もうわかった。いいよ。がっつり関わってやるから、その、もう、ったくあんたホント卑怯だぞそれ!」
「え、あ、あの、すみません?」
困惑し、きょとりと首をかしげるエリーに、ルシアーノは困ったように頭を掻いた。ノルヴァは肩をすくめ、意味深な笑みを残し音もなく消える。
「ああああ! もうおれ帰る! 今日はもう用事ないよね?!」
勢い椅子から立ち上がると、カイルを振り返ってそう訊いた。
「ええ、まあ、そうですね。御足労ありがとうございました」
「あ、ありがとうございました!」
慌てて立ち上がり、エリーはぺこりと頭を下げる。ちらとその所作を見て、ルシアーノはむくれたように唇を尖らせた。
「……あんた、なんか分かんなかったら、おれに訊きなよ」
「へ? あ、はい、ありがとうございます!」
その返答に満足したのか、無言で部屋を出て行ったルシアーノの背が見えなくなると、カイルが短くエリーを呼んだ。
「は、はい、なんでしょうか部長」
「さきほど彼はああ言いましたが、なにか分からないことがあれば、まずは私に訊ねなさい」
「は?」
「わかりましたね」
その笑みはまるで嵐の前の静けさのように感じた。
「は、はい。了解です」
一船員は、風の向くまま帆の向きを変えた。
読了ありがとうございました。




