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ギルド受付嬢左遷物語  作者: 貴遊あきら
グラスベル編
23/40

19, トマトトマト(1)

ギルドグラスベル支部二階。

暖かな日の差し込むリビングの一角に、世にも珍しい黄色いミニトマトの苗があった。真新しい蔦模様のポットの中、陽の光と水をたっぷり浴びてすくすくと育っていたが、鈴なりになった実はまだ収穫されてはいない。

やや緑がかった黄色い実は、目の錯覚だろうか、老婆から譲り受けて数日経った今では、黄金色を帯びていた。収穫するのがもったいない、というのがエリシア・シュレイルの現在の心境だ。



「……あの、部長。このトマトって」


鈍色のじょうろを片手に、エリーはふと思案顔でミニトマトを注視する。リビングテーブルに並んだ書類を睨みつけていたカイル・レイランドは、怪訝そうに彼女を振り向いた。


「トマトがどうかしましたか」


二人が治療師協会を訪れたのはつい昨日のこと。思いのほか疲れたこともあり、今日はのんびりと過ごすことに決めていた。朝はたっぷりと惰眠をむさぼり、軽いブランチを食べたのがつい先ほどのことだ。


特に外出の用事も浮かばなかったので、エリーは細々とした家事に勤しんでいる。

カイルはギルドの雑務を片付けているようだ。支部は開店休業中だが、相変わらず構成員の応募は続いているようで、その審査や、王城への報告書もまとめなければならないらしい。


結局のところ、二人とも休日にそれ以外することがないのだろうとエリーは思う。部長の趣味は仕事だと決めつけているし、エリー自身、蜥蜴と戯れること以外には大した趣味はない。手慰みにクッキーを作ったが、熟れた作業のためあっという間に終わり、あとは焼けるのを待つだけだ。夕方には蜥蜴たちは来てくれるだろうか。朝は至極残念なことに、誰も来てくれなかったのだ。


「あ、いえ…なんだかその、昨日も思ったんですが…」


正確に言えば、治療師協会から帰宅したあと。ただいまの挨拶もかねてトマトの様子を見ると、実の色が一層輝いているようだった。金粉を振りかけた、と言っても過言ではないほどだ。


「なんだか、キラキラしてません?」


躊躇いつつそう聞いた。カイルは嘆息し、椅子から立ち上がる。エリーの背後から苗を覗き込み、怪訝顔で観察し始めた。


「黄色いとは思いますが…輝いていると形容するほどではないかと思いますよ。光の加減じゃないですか」


観察の結果を述べ、再びテーブルに着く。


(…光の加減?)


エリーは目をごしごしと擦って、まじまじとトマトを見つめる。何度見ても不思議なほどに煌めいていて、角度を変えてみても同じ様子だった。おそるおそる実の一つに触れてみると、水を浴びて冷たいはずの表面はなぜかほんのりと温かい。その瞬間怖気が走り、情けない悲鳴を上げて尻餅をついたエリーに、カイルはあきれ顔だ。


「何をやっているんですか」

「ぶ、ぶ、ぶちょう…! な、なん、なんだかほわっと、」

「よくわかりませんが、突然大きな声を出すのはやめなさい」

「す、すみません…い、以後気を付けます…」


カイルのつれない反応はいつものことだが、今ほどこの驚きを共有して欲しかったことはない。エリーは好き勝手に跳ねまわる心臓の音を抑え込むように、深く深呼吸し、胸を拳で打った。


どうやら、このキラキラ現象は私にしか見えないらしい。

もしや幻覚? 疲れているのかな。

自分の目より部長のそれを信じそうになるのは、なんとも悲しい現実だ。


チンとクッキーの焼ける音が聞こえてきて、のろのろと立ち上がる。甘さをたっぷり含んだ熱気を浴びてどこかホッとしたのは、やはり疲れているからだろう。ミトンを装着し、鉄板を取り出して、熱さましの台に乗せた。


「良い香りですね」


カイルが目を細め、ふとそんなことを言ったので、冷めたらお茶にしましょうかと提案した。黒蜥蜴のために用意したイチゴジャムのクッキーだが、大量に焼いたので部長に少しくらい分けても問題ない。

満足そうに頷いたカイルがそんな脳内計算を知れば瞬く間に不機嫌になっただろうが、幸い、我らが部長殿に心を読む能力はなかった。


クッキーが冷めるまでにお茶の準備をしようと思い立ったが、ふとトマトの傍に置き忘れたじょうろが視界に映った。尻餅をついたとき水がこぼれていたらしく、床の所々に水滴が落ちている。滑って転ぶのは自分くらいだろうけれど、と思いつつ、雑巾を片手にそちらへ向かう。

苗の傍にしゃがみ込み、ひと通り拭き掃除を終えたところでちらとトマトを見やって、驚愕に目を見開いた。危うく悲鳴をあげそうになったが、「突然大きな声を出すな」との部長の命令が生きていたらしい。


(な、な、な、なに、あれ!)


思わず部長を振り向いたが、声を出していないのだから当然のことであるものの、その背は非情なほどに無関心を決め込んでいるように映った。


(ま、また幻覚かもしれないし…)


ここはまず自分の目でしっかりと確かめてから部長に報告するべきだろう。ごくりとつばを飲み込んで、おそるおそる四足歩行でトマトの苗に近づいた。


(……い、いる)


何かいる。確かにいる。


蔦模様のポットの中、苗の根元の所で何かが必死に跳ねていた。両手を一杯伸ばして掴もうとしているのは、黄金色のトマトの実だ。しがないトンボの背より少し小さい人型の何かが、一生懸命跳ねている。


(そうかなるほど、背に羽根はないからジャンプするしかないんだなあ)


微笑ましい考えが浮かんだのも束の間、小さなそれが突然振り向いて、視線が痛いほどに合致した。

驚愕に目を見開いた小さなそれは、慌てて苗の幹に姿を隠そうとするが、トマトの実を諦めることはできないらしく、ときおり物欲しそうな視線をそちらに向けつつ、じぃっとエリーを見つめてきた。


肩のあたりで波のようにゆらめく金色の髪に、大きなルビー色の瞳。上目遣いで見つめてくるその顔は愛らしく、ふわりと身にまとった生成り色のワンピースも含め、見た目は少女のようだ。

キラキラに憧れる年ごろなのかな、と的外れな感想を抱き、エリーは実を一つ収穫し、少女の前に置いてやった。


とたん、少女はその頬を桜色に染め、嬉しそうにエリーを見上げてくる。背丈の半分ほどある実をぎゅっと抱きしめ、つるりとしたその表面にかぶりついた。なかなか豪快な食べ方である。

一口齧りついたその瞬間、少女の身体が目も眩むほどの光を放つ。眩しさに直視を避けたその瞬間、視界から少女の姿は消えていた。


「……?」


あれ、やっぱり幻覚だった?


そう思った矢先、パリンと蔦模様のポットが割れ、見る見るうちに根が床へと伸びだし、幹はぐんぐん大きく太く育ち、そのまま天井へと近づいていく。


「今、何かが―――」


ふと、カイルがそう尋ねる声が聞こえたが、目の前で起こる現象にエリーはただただ目を見張るばかりだ。


「ぶ、部長…、トマトがとても、とても大きく育っているように、見えるんですけど」

「奇遇ですね、私にも、そのように見えます」


ズズン、と床が揺れて、どうやら根が床を突き破り、一階へと向かったのだと知れた。再び部屋が揺れ、今度は一階の天井を突き破ったらしい。もはやトマトのそれとは思えない枝枝が部屋の壁を這うように伸びて、細く伸びたその先から順に、ポポンッと弾けるように金色の実がついた。


「部長、これは夢、でしょうか」

「つねりましょうか」

「え」

「いえ、ですから頬を」

「い、いいです。なんだか痛そうですし」

「痛くはしませんが、無理にとは言いません。自分でつねりなさい」


言われた通りつねってみると、痛かった。


二人にできることは呆然とトマトの成長を見守ることだけだ。支部が崩壊するのではと懸念されたが、その心配は杞憂に終わる。ポットがあったリビングの一角に大きな穴が開き、苗が胴回り三メートルほどの木に成長したところでその成長は止まった。


根の部分は一階部分へと下がっており、一見すると、床から太い幹が生えているような不思議な光景が広がっている。

幹には大きな洞が空いていて、その縁に小さな手がかかり、二人が目を見開いた直後、勢いよく何かが飛び出し、エリーに抱き着いた。ふわりとトマト柄のワンピースがはためくのが、エリーの視界の端に映った。


「はじめましてご主人様! トマですの!」


勢いに押されてそのまま尻餅をついたエリーは、あまりに予想外の出来事に目を白黒させ、呆然とカイルを見上げた。


「部長、何か、出ました」


カイルは深いため息をつくだけで、何も言わなかった。











「改めまして、トマと申しますの。ご主人様のおかげで、このたび地妖精からトマトの精霊へとなりましたの。よろしくおねがいしますの!」


元気いっぱいな自己紹介のあと、小さなレディ然としてワンピースの裾を掴んでお辞儀をした少女は、懐っこい表情でエリーを見上げた。

ポットの中で飛び跳ねていた少女と同じ容姿をしているので、同一人物と考えていいだろう。違うのは身に着けているワンピースの色と模様、その背丈だけだ。舌足らずながら丁寧な口調を差し引けば、通りを駆け回る少女たちに混ざっても違和感はないだろう。思わず頬が緩むほど可愛らしいせいもあり、エリーはへらりと笑ってしまう。


「な、なるほど、トマトの精霊だからトマなんですね」

「木から突然現れた子供について最初に訊くべきことがそれですか」


カイルは呆れた様子でため息を一つ落とした後、不審そうに少女を見下ろす。トマはカイルをまじまじと見返し、どこか恥ずかしそうな面持ちでエリーに尋ねた。


「ご主人様、この美しい方は、ご主人様の旦那様でしょうか。お二人、とってもお似合いで、トマなんだか照れちゃいますの」


きゃっ、と頬を赤らめるトマは殺人的に可愛い。一瞬思考を飛ばしかけたエリーだが、質問内容にぎょっとした。


「えっ、いえ、まさか、ぶ、部長は部長であって、だ、だ、旦那様だなんて、と、とんでもないですよ!」


大仰に否定してみせた直後鋭い視線が突き刺さるのを感じ、そろりとそちらを振り向けば目を眇めたカイルがじっと自分を見つめている。視線がかち合うと、


「…別に、そこまで一生懸命否定することでもないのでは?」


どことなくふて腐れたような口調で言われた。

なるほど、絶世の美男子たる自分を、平凡代表のお前が否定する権利はない、ということだろうか。ここは夫婦に間違われて光栄だと、そういう態度を取らなければならなかったらしいとエリーは解釈した。


「す、すみません。部長が旦那様だなんて、びっくりするほど光栄なことで思わず心の内と真逆を言ってしまいました…!」


びしっと敬礼を決めて叫んだエリーに、カイルはふいっと顔を背ける。


「し、しらじらしいですよ…」

「わーっ、ご主人様の旦那様、お顔が紅いですの!」


楽しそうなトマの言葉にエリーはぎょっとし、カイルは怒りに眉を吊り上げた。


「光の加減ですよ! 黙りなさい!」


厳しい叱責の声にもトマは嬉しそうに笑っている。鈴のような笑い声を零し、「ご主人様助けて~」とエリーの服の裾に縋った。


「た、た、助けてと言われましても、私は紙も同然の装甲しか持ちえていませんし…」


動揺のあまり意味不明なことを口走りつつ、エリーは怒りの形相のカイルからトマを庇うように抱きしめる。


「中々見る目がある子供だと思えば、少々口が過ぎるようですね。さあエリシア・シュレイル。その子を渡しなさい」


カイルが腕を差し出すと、トマはエリーの後ろに隠れてしまう。ぎゅっと自分に縋りつくトマの心細げな様子に、エリーは切なげな視線をカイルに向ける。

もう一つか二つ小言を言う予定だっただろうに、カイルは盛大なため息をついたあと、仕方なく手をおろした。


「……まあ、今回にかぎり許してあげましょう」


ちらとエリーに視線を送るカイルであったが、その目配せが何を意味するのか分かるはずもなく、エリーはきょとんとするだけだ。


「愛の力ですの!」


目をキラキラと輝かせたトマが勢い飛び出してきて、そう叫んだ。

一人怪訝そうな顔をするエリーに、カイルはまたため息を落とし、トマをじろりと睨みつける。


「煮込みにされたくなければ黙りなさい」


効果はてきめんだった。


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