16, 覚醒の儀
いつもありがとうございます~!
なにやら不穏な会話が交わされている。その話題の中心は、察するところ自分らしい。エリシア・シュレイルはそう結論付けた。
「あの、お話し中すみません、できれば私にも分かるように話していただけると、その、ありがたいんですが…」
恐る恐る願い出ると、隣の青年から呆れたような溜息が返ってきた。
「よいではないか。この娘が知らねば、何も始まらぬ」
向かいのソファには、薄紅のベールをかぶった老婆が一人座っていた。膝の上に揃えた爪先は、花模様の装飾が施されている。その指には五指すべてに厳めしい作りの指輪がはまっていた。ひび割れた唇がゆっくりと弧を描く。
「ふむ、しばし待つがよい。我がいとし子、ルシアーノよ。儀はいずれ行われるからの」
青年――ルシアーノ・ケイトは、訝しげなエリーを一瞥し、小さく笑った。
話は、“治療師第二”を訪れた直後へとさかのぼる。
奥へと駆けた少年は、カイルの要望通り“おじちゃん”と呼ばない者を連れて戻ってきた。
襟ぐりの深いTシャツに七分丈のズボン姿の青年――特筆すべき特徴は、茶色の猫のような耳と、同色の尻尾。サンダルを履いてむき出しになった爪先は真っ黒に染められている。
「あれ、エリーじゃん」
ゆらり、と尻尾が揺れる。
「え、ルシアーノさん?」
青海で知り合った猫の獣人-ルシアーノ・ケイトその人が目の前にいた。ちらとカイルを見やって、怪訝そうな顔をする。
「それでえっと、そっちの人はなんて言ったっけ。やたらピカピカした人」
“おじちゃん”ではなかったが、こちらもまたなかなか言えない言葉だ。唖然としたカイルに代わり、ここは自分が紹介するべきだろうかとエリーはぐるぐる考える。
そんなエリーをちらと見やって、ルシアーノは人知れず口角を釣り上げた。
「なんてね、レイナンドさん。ちゃんと覚えているよ。――それで? 人員がどうとかこの子が言ってたけど。何、まさか治療師に仕事頼みに来たの? 困るね、そういうの。いきなり来られてもおれ対処できないよ」
「え、ルシアーノさま、いつもは…」
何か言いかけた少年の口に、ルシアーノはそっと掌を当て、黙らせる。
「カナリー。お客様にお茶用意」
早口に命じると、沈黙の縛りから解放された少年は「ぎょい!」と応じて、再び奥へと駆けて行った。
その背を見送って、ルシアーノはすぅっと目を細めた。
「さ、戻ってこないうちに出るよ。うかうかしているとあの子が手伝いに行っちゃうから。それでもいいなら止めないけど?」
エリーの脳裏に、「ぎょい!」と甲高い声が響くギルドの様子が思い浮かんだ。可愛らしいが、少し元気が良すぎるかもしれない。
カイルも同意見だったようだ。二人は素直に扉の外へと出て行く。
ルシアーノが後ろ手に扉を閉めたところで、向こう側から「あれっ?」と訝る声が聞こえた。
「さーてと、歩きながら話すけど、いい? こっちで商売始めるんだったっけ? バイトでも雇うの?」
「ええまあ。事務その他といったところでしょうか。私と彼女二人だけなので。募集もかけたのですが、状況は芳しくなく」
「あー、もしかしてギルドなんとかってやつ? カナリーが一枚剥がしてた。ミミズの絵が描いてあるやつでしょ? ミミズのせわはしたことないけどがんばる、って意気込んでたような…」
ミミズ…。エリーは大変落ち込んだ。カイルは思わず笑ってしまった。
蜥蜴だと訂正しないのは、部長なりの優しさなのだろうか。いや、部長も同じように思っていたのかもしれない。エリーは思考を放棄した。
「ふーん、“冒険者”に依頼ねえ…」
エリーがぼんやりしている間に、カイルはギルドについて簡単に説明をした。大人しく聞いていた辺り、少しはルシアーノの興味を引いたのかもしれないが、軽薄な笑みを湛えたその表情からは詳細は読み取れない。
「なら、一人か二人、暇そうな奴をつれていけば? “第二”のやつは生活費稼ぐのに忙しいから、本部の奴引っ張って行けばいいよ」
「そちらには先に訪れましたが、あまり歓迎されているようには思えませんでしたよ」
「あー、大丈夫。その辺はおれがなんとかするから。レイランドさんは良さ気な奴を誑し込めばいいよ。その顔で」
にぃっと唇を引き伸ばし、ルシアーノは可笑しそうに笑った。カイルは眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに目を眇める。
剣呑な雰囲気に、エリーは慌てて間に入り、適当な激励の言葉を送る。
「すっ、素敵な方をぜひ! 頑張ってくださいね、部長!」
その甲斐あって危うげな雰囲気は一時霧散したが、矛先がエリーに向けられたに過ぎない。
「――素敵な方? どんな人物を意図しての発言かたいへん興味がありますね」
「――へぇ、エリーって、相当な面食いなわけ?」
美男子二人に詰め寄られ、エリーは冷や汗を掻きつつ否定の言葉を口にする。
「え?いえ、あの、そういう意味じゃあ…」
「もうカナリーでいいんじゃない?」
「ええ、そんな気もしてきました。もしくは、引退間際の方が好ましいですね」
「理事のじじいとか? うぞうぞいるから、一人くらい浚っても誰も気づかない」
「多少気位が高いのは目をつむりましょう。教育は割と得意な方です」
「調教じゃん」
「そうともいいますね」
急に意気投合し始めた二人の恐ろしい会話は、エリーが涙目で「すべてお二人にお任せします!」と叫び、ようやく終息した。
二度目となる治療師協会本部への訪問は、ルシアーノのこんな一言から始まった。
「どうも、“三流”治療師がお客様とともに戻ってきたよっと」
ラフすぎる敬礼ポーズを決めた彼に、受付の男は椅子から飛び上がると、おろおろと駆け寄ってきた。
「け、ケイト様…、」
「“第二”にはおれとカナリーだけだったっていう話。“三流”はどっちだ。もしや二人ともってわけ?」
「も、もうしわけ…っ!」
蒼白となった男の額にひた、と人差し指を当てて、ルシアーノは嫣然と微笑む。
「ばーん」
次の瞬間、豪奢な玄関ホールの壁に向かって男の身体が吹っ飛んだ。
ルシアーノはちりちりと細かな火花を放つ指先をズボンで拭い、倒れ伏した男を冷たい目で見下ろす。
「か、過激なお仕置きですね…」
思わずこぼれたエリーの言葉に、ルシアーノは満足げに頷く。
「おれ的教育、みたいな」
とカイルを見やる。話を振られた当人は短く嘆息しただけで何も言わなかった。
「あ、悪いけど彼に応対してよ」
騒ぎを聞きつけ、ぞろぞろと集まってきた野次馬にルシアーノはそう呼びかけた。色めき立った群衆の中から先んじたのは、真っ赤なローブを羽織った金髪美女だ。カイルの顔を認めると、媚びるような甘い笑みをその美しい顔に乗せる。
ちらとエリーを見やったその目には嘲笑の色が滲んでいた。
美女からのこういった反応には、悲しいかな、慣れてしまっている。エリーがへら、と愛想笑いを浮かべると、美女は気分を害したように眉を顰めたが、すぐに気を取り直したらしい、カイルの腕を強引に抱いた。
「さぁ、参りましょう。こちらですわ」
カイルは彼女の腕に視線を落としたが、眉を顰めただけで特に咎めることはしなかった。
(そういえば、部長と女の人のツーショットって珍しいかも…)
エリーの目に、美貌のカイルと美女はたいへんお似合いに見えた。部長もまんざらでもなさそうだし、と訳もなくムッとする。
清廉潔白、仕事一筋で俗っぽさの欠片もないイメージがあるため、女性と腕を組んでいるだけでひどく生々しい感じがした。部長は部長で、異性ではないと思っていたかったのかもしれない。当たり前の事実を認めることに、漠然とした恐怖があった。
「ぜひお名前を伺いたいですわ」
着飾った令嬢らしき美女たちが一人二人、次々と取り巻いていくその光景に、カイル・レイランドという人物がひどく遠い存在に思えた。実際、ただの上司と部下で、そう近しい存在ではないのだろう。
分かっているのに、胸に湧き上がる寂寥感はどうして拭えない?
ぼんやりとそう考えていると、誰かにどんっと突き飛ばされた。バランスを崩し、後ろにいた誰かに支えられる。
「ああいうのが、“わたくし猫ちゃん大好きですの”って抱き着いてくるわけ」
ルシアーノはそう、エリーの耳に囁きこむ。
「ドジったね」
足首に違和感を覚え、確かめるように触れたエリーに続けてそう言った。
「お茶でもしながら待てば? ばあちゃんも、エリーに会ってみたいって言ってたし」
「おばあさま?」
そう返すと、ルシアーノは小さく笑ってエリーの手首を掴んだ。ぐいと引き寄せられた体を抱き留め、その額をエリーのそれと突き合わせる。
こつんと音がして、エリーは視界が揺れるのを感じた。
ゆらりと意識が渦巻いて、抗いがたい眠気に襲われる。
「――おやすみ、エリー」
女たちの壁の向こう、カイルがエリーを探して四方を見回している姿が見え、ルシアーノはくすりと笑みをこぼし、静かにその場を後にする。赤い舌が、ぺろりとその唇を舐めあげた。
おもりを失ったグラスは、分厚い蓋を少しずつ持ち上げていく。
水はどこからともなくグラスの中へと注がれ続ける。
グラスはだんだんと大きくなっていく。
ときおりその蓋を開け、水をすする者がいた。一体誰だろう。
その姿は靄に包まれ、窺い知れない。
――エリー
誰かに呼ばれ、エリーの意識は夢の世界からゆっくりと浮上を始めた。
「そろそろ起きなよ」
ぱちりと目を開く。視界いっぱいに見えたのはルシアーノの顔だった。
「足、どう?」
「え…? あ、足、そういえば、全然痛くない…。ありがとうございます」
別に、とルシアーノはそっけない返事をする。
「さっさと起き上がってくれる? 重い」
ぎょっとしたのも当然だ。エリーはルシアーノの膝を枕にしていた。
「す、すすすすみません!」
慌てて飛び起き、ソファの上から転げ落ちた。地味に痛い。くすくすと別の方から笑いが聞こえてきて、おろおろと振り向くと、向かい側のソファに薄紅色のベールをかぶった老婆が座っていた。
「よく眠っておったな。――さすが我がいとし子、ルシアーノ」
「褒めても何も出ないから」
「ははは、口も達者で何より。ささ、その娘に紹介しておくれ」
ルシアーノは面倒くさそうにエリーに向き直り、ソファの上に座り直すように言った。
「こちら、ここの協会長。ルミちゃんって呼ぶと喜ぶ」
淡々と告げるルシアーノに、エリーはぎこちない笑みを返した。協会長を“ちゃん”付けできるわけがない。
「は、はじめまして。ルミ様。エリシア・シュレイルと申します」
協会長は目を細め、大儀そうに頷いた。
「出身は天空と聞いたが、まるで信じがたい。あちらに蔓延るは聖力であったか。不思議なこともあるものだの」
「やっぱりばあちゃんもそう思った? なんか、押し込まれてる感じ」
「うむ。我らにはない巨大なる器が見える。それに封じて生きてきたのか。よくもまあこれまで無事に生きてこられたものだの。悪くすればパンとはじけておったかも知れぬよ」
「どうすればいいわけ?」
「儀がまだらしい」
「覚醒の?」
じろじろと観察されながら頭上で交わされる物騒な会話に、エリーはおずおずと質問の手を上げた。
「あの、お話し中すみません、できれば私にも分かるように話していただけると、その、ありがたいんですが…」
ここで話は冒頭へ戻る。
ルシアーノは呆れたような溜息をつき、協会長はそれを宥める。
「よいではないか。この娘が知らねば、何も始まらぬ」
ベールの下の灰色の目が、じっとエリーを注視する。
「しばし待つがよい。我がいとし子、ルシアーノよ。儀はいずれ行われるからの」
その意図するところを察して、ルシアーノは訝しげなエリーを一瞥し、小さく笑った。
「あの、儀って一体…?」
「覚醒の儀。大地に生まれた者は、みんなこの儀を受けるわけ」
「…かくせいの、ぎ」
「その身に宿る魔力を解き放ち、外界への作用を促すものと言われておる」
「な、なるほど」
分かった風に頷いたエリーだったが、当然ながら理解は追いついていない。
部長は今頃どうしているだろう。ああこの場に部長がいたら。そう願ってやまない。
聖力のこともよくわかっていないのに、魔力の話をされても混乱するだけだ。
「そこで、今からおぬしに儀を受けてもらうことにした」
「は?」
突然聞こえた言葉に、エリーは目を瞠って聞き返した。
「え、えっと、今なんて?」
「何度も言わないでいいよ。ほらばあちゃん、さっさとやっちゃって」
ルシアーノの言葉に、協会長は「うむ」と鷹揚に頷く。どこからともなく古びた手鏡を取り出して、狼狽えるエリーの頭に押し当てた。
ぴたりとエリーの身体が停止する。
ウゥンウゥンウゥンウゥンウゥン…
幾重もの見えない波動が、古鐘のように低い音を立てて部屋全体に響き渡る。
「“宙を舞う者”をとらえよ、エリシア・シュレイル。契約を成せ。さすればおぬしの魔力は解き放たれようぞ」
マナ?
マナって、あの魔力?
色々と確認したいことはあったが、間に合わない。
エリーの意識は、鏡の中へと吸い込まれていった。
ルシアーノ再登場の巻、でした。
読了ありがとうございました!




