15, 治療師協会
ギルド現地構成員の募集状況は、あまり芳しくない。
「なかなかに手ごわそうだ。まあここは一つ、とろふわシュークリームを食べ、日ごろの疲れを癒そうではないか」
水羊通り“喫茶夢羊”。午前十時。
今日も今日とて張り紙を手に募集活動に精を出していたエリシア・シュレイルは現在、城下大通りにて偶然会ったシルビア・ヘイリースランとともにいた。
奇遇だな、エリシア。お茶でもどうだろうか。仕事? いや、問題ない。ちょうど今から休憩時間なのだ。
そう言って強引に連れ込まれた、とも言える。
どうやら“喫茶夢羊”はシルビアのお気に入りの店のようだ。聞いてもいないのに、“とろふわシリーズ”はこの世の奇跡だと大仰に説明してくれた。
エリーは定番のカスタードクリームを食べたが、なるほど一押しだけあってとても美味しい。もくもくと一口食べて顔を上げると、シルビアの皿は空になっていた。
(あれ…確か三つあったような…?)
むぐむぐとリスのように頬を膨らませたシルビアは、とても幸せそうな顔をしていた。灰褐色の耳は感動にぷるぷると震え、同色の尻尾はゆらゆらとご機嫌に揺れていた。
「むぐむぐ、それで、ギルド構成員だったな。むぐむぐ。一応、応募はいくつかあったのだろう?」
「は、はい。一応何人か来て下さったのですが、…」
いずれも支部長であるカイルとの面接で不合格の烙印を押されてしまった。詳細は明かされていないが、彼女たちのカイルを見る目から理由は大体推察できた。
「なるほど、支部長殿の外見の美しさに惑わされた阿呆どもであったと。嘆かわしいな」
シルビアは嘆息し、近くを通った店員に追加注文をする。
エリーはギルドの説明をするにあたって、カイルのことを「美人なできる人」と説明しておいた。嫌味製造機などと悪口を言って、この正直すぎる女性の口からいつ何時部長の耳に入るか知れないのだ。
「不特定多数に募集するよりも、的を絞ったほうがいいかもしれないな。ひ弱そうな近衛を一人二人脅せば、転職を考えるだろう。うむ、悪くない考えだ」
シルビアとの再会は、第一回エルドラ支部運営会議からそれほど時を経ずに起った。確信をもって尋ねれば、彼女の職業はやはり近衛騎士だった。所属は色々と問題のある部署だと苦々しい表情を浮かべていたので、深く尋ねることはしなかった。
「そ、それはちょっと。なんていうか、騎士の方を引き抜いたとあっては別な問題が起りそうです」
「確かに、少し脅して転職を考えるような軟弱な者を、エリシアのもとにやるわけにはいかないな」
「え、いえ、そういう意味じゃあ」
追加注文したシュークリームがテーブルに運ばれてきた。先ほどの物と比べて小ぶりな一口サイズである。ぽんと一つ口に放りこみ、シルビアは恍惚のため息をついた。孤高の剣士と甘い物のギャップに、周囲の常連客は特に驚きもしない。
「ふむ。他に体よく人材確保ができる場所か。そういえば、治療師協会には行ってみたか? まともな人材が見つからない場合は、しばらくあそこから派遣してもらうのも一手段として検討してみるといい。所属する者のほとんどが貴族だと聞くが、中には庶民の出の者もいる。そういう者たちは生活のために」
「あ、あの、シルビアさん、ちょっといいですか?」
「ん、何か問題でも?」
問題、というほどのものではない。ある言葉が引っ掛かっただけだ。
――治療師協会。確か、青海で出会った獣人ルシアーノ・ケイトが、詳しいことを知りたければそこへ行けと言っていたことを思い出す。今この場で、シルビアに質問すればきっと答えてくれるだろう。しかし、暗黙の了解がエリーを思いとどまらせた。
「いえ、その、訪ねてみようと思っていたんですが、場所とか色々、調べていなくて」
「そうだったのか。私で良ければ紹介状を書こう。形式にこだわる者が多いと、形式さえ守れば侵入は容易いぞ」
申し出は有難い。だけど素直に喜べないのはどうしてだろう。
ははは、と愉快気に笑うシルビアを見て、エリーは遠い目をした。
「治療師協会?」
夕食の席で、カイルはエリーの言葉に怪訝そうに首をかしげる。
「はい、明日行ってみようと思って」
チーズハンバーグを一口食べて、エリーはそう言った。
あのあと、シルビアはさっそく紹介状を書いてくれた。“喫茶夢羊”の店主に借りた便箋に、さらさらと何か文言を綴り、署名しただけの簡単なものだが、十分通用するらしい。
「なるほど。まあ体裁はこれで、別段問題はなさそうですね。それで、シルビア・ヘイリースラン? 近衛騎士といつ知り合ったのです?」
「え、ええと、道を歩いていて、声をかけて、自己紹介をして…」
あれ、なんだかナンパの常套手段のようだ。
カイルも同じように感じたらしく、微妙な顔をしていた。
「まあ、いいでしょう。深くは考えないことです」
「そ、そうですね」
「彼女の言葉から推測すると、治療師協会も一般の依頼を受ける機関と考えてよいのでしょうか。ただし、協会が大地におけるギルドという立場ならば、人員の派遣は微妙な気もします。気になるのは、宰相が協会について何も触れなかったことですね」
「それも含めて明日聞いてみようと思います。あとは何か質問事項があればメモして」
ごそごそとポケットを探りメモ帳を取り出したエリーに、カイルは呆れたように半眼した。
「誤解があるようですので言っておきますが、明日は私も同行しますよ。この目で見て判断すれば、二度手間になりません」
もっともな意見をきっぱりと言って、カイルは最後のチーズハンバーグを口に運ぶ。噛んだ瞬間、とろりと中のチーズが溶けだしたのだろう。
満足げに微笑む上司に、エリーも思わず笑ってしまった。
治療師協会本部の所在地は、城下東小路二番からすぐの月狼通り。
グラスベルの街は、北中央に王城、その正門からまっすぐに城下大通りが伸び、東西へ派生する何本もの城下小路から、それぞれ動物の名前を冠した通りに出ることができる。
城下大通りを挟んで東西には、月狼と水羊と呼ばれる通りがあり、エリーとカイルが宿泊した“羊亭”や、シルビアのお気に入りの“喫茶夢羊”はメルヘンな街並みの水羊通りにある。
水羊の西隣りが金獅子通りで、その間をつなぐのが、水金小路――ギルド支部はその第三番目に位置していた。
月狼通りは、貴族主体の機関である治療師協会がその居を構えるだけに、厳かな雰囲気のある貴族屋敷が多く軒を連ねていた。通りすがるのは地味な衣装をまとった使用人が多く、時折客車を引いた毛並みの良い馬が石畳を駆けていく。
「センティーレを思い出しますね」
少し前を歩くカイルがそうぽつりと呟いた。後ろからはその表情は窺い知れない。エリーは早足になり、その横顔を覗き込む。
「こんな風だったんですか? こんなに広いとお掃除大変そうですね」
暗に、カイルの実家について問う。
カイルはちらとエリーを見やって、逡巡ののち口を開く。
「…確かに掃除は大変ですが、前にも言ったように私も多少はできますからね。何も一人でやることはないですし、その点の不安要素はどうとでもなりますよ。もちろん使用人もいますし、いえ、使用人が不要だと言うのならばそれはそれで…」
「ええと、つまり、部長はお掃除が好きってこと、ですね」
御屋敷でもメイドさんのお掃除を手伝っていたのか…?
驚嘆に値するな、とエリーは思う。そしてその考えは、ぽかんとした表情からも読み取れた。
「ばかですか…!」
軽く叱りつけ、カイルは早足に先を行く。
なんで怒られたんだろう。エリーはしばらくその場に立ち尽くした。
センティーレギルド本部とは異なり、治療師協会本部は一見するとそれとは分からない外観を呈していた。石造りの正面玄関をくぐり、石階段を上ると木製の扉に行き当る。鈍色のノッカーは、花冠を模っていた。目立った看板はなく、依頼者を切望する雰囲気はみじんも感じられない。
豪奢な玄関ホールにいた受付係は、見知らぬ二人の訪問者に誰だといわんばかり眉を顰め、シルビアの紹介状を見てようやく中に招く気になったらしい。
事務その他を請け負ってくれる人員を探していると伝えると、馬鹿にしたような笑いを浮かべ、受け取った紹介状をカイルの胸元に押し付けた。
「お尋ねの場所は、木月小路二番に。すぐ見つかりますよ。“治療師第二”。三流はすべてそちらにいますよ」
嫌味たらしい説明に、カイルはにっこりと笑って見せる。
「それはご丁寧に」
ぞっとするような声色に、男は蒼白となった。
踵を返したカイルに続き、エリーも表情を消し去り、屋敷を後にした。
木月小路は、その名の通り、月狼とその東隣りに通う木馬をつなぐものだ。二つの通りをつなぐ小路はいくつかあるので、個々を識別するため、王城に近い方から若い番号が振られている。
二番といえば、治療師協会のすぐ先の角を曲がってすぐであった。
“治療師第二”はすぐに見つかった。
月狼では見られない一般的な住宅に紛れるような石造りの建物、そのこぢんまりとした玄関扉にかかる錆色の看板に、その文字は刻印してあった。小さく、「御用の方はノックどうぞ」と親しみのある文言が付記されている。
エリーは思わず吹き出してしまった。
「お言葉に甘えてノックしてみましょうか」
口角を上げ、カイルは軽く拳を握る。二度ほどノックしたところで、中からか細い返事が返ってきた。そおっと開いた扉の隙間から窺うように見上げてくるのは、灰色のローブを引きずるように纏った少年だった。
「ど、どちらさまですか?」
カイルはちらとエリーを見やる。
エリーは少年の視線に合わせてしゃがみこんだ。
「事務その他を請け負う人員は、こちらで依頼を出すと良いと、そう聞いた者です」
「わ! ごいらいですか!」
ぱっと頬を赤らめ、少年は勢い扉を引くと、どうぞどうぞと二人を中に招き入れた。
カイルは不用心な対応に苦笑を隠せないようで、誤魔化す様に少年の肩を叩いた。
「?」
きょとり、と少年は首をかしげる。
「…次からはもっと用心しなさい」
「きれーなおじちゃんはこわいひとなの?」
「…おじちゃんではありません。怖い人でもありません」
「?」
「もういいですから、誰か呼んできてもらえますか。私を“おじちゃん”と呼ばない方だとなお良いですね」
にっこりとして言えば、少年は「ぎょい!」と答えて奥へ駆けて行った。
「えーと、えっと、ぎょ、御意って誰が教えたんでしょうね」
黙り込んだカイル(24)に、エリーは気を紛らせようとそう声をかける。しかし返ってきたのは呪いの言葉だった。
「……私が“おじちゃん”ならば、エリシア・シュレイル、あなたが“おばちゃん”の称号を得るのも近いですよ。いつまでも高みの見物とはいかないものです」
意外と気にしているんだな。
エリーは明後日の方を向いた。
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