09, 夏のお嬢さん
前半、エリー視点。後半、若干カイル寄りの視点でお送りします。
心の中で泣いたとして、やはり効果はなかったらしく、さっそく部長との“親睦会”が午後のスケジュールにねじ込まれ、エリシア・シュレイルは現在、呆然として自室の姿見の前に立ち尽くしている。
こぢんまりとしたシングルベッドの上には服や小物が山と積まれていて、その前に陣取り、鼻歌に腰を揺らして物色を続けているのは、一人楽しげな様子のアルメダだった。
なぜだろうとエリーは思う。なぜ、アルメダさんはこんなにもはりきっているのだろう。
考えたところで、それらしい理由は浮かんでこなかった。嫌な予感しかしなかった。
「これなんてどうだい?」
差し出されたのは、蛍光ピンクのミニスカートだった。コンセプトは、下着が見えないギリギリ感、だろうか。エリーは顔を引きつらせる。
「ど、どうだい、というのは、えっと。つまり」
客観的な感想を聞かれているわけではないだろうと察して、絶望した。
「いや、実は客車の中で、エリーの荷物を見ちまってね。おせっかいだとは思うけど、やっぱりデートにジーンズってのはねぇ? これなら、ちょっと地味だが、デザインは悪くないと思うんだよ」
「い、いえ、決して地味では……というか、で、で、デートではなく、親睦会です。ギルドのこれからについて、レイランド部長と討論、いえ、意見を交換する場であって、で、で、デートではないのです」
エリーが自身に言い聞かせるように言うと、アルメダは呆れたように嘆息する。
「あんたたちみたいな若い男女が二人で出かけて、デート以外の何になるって言うんだい?」
悶々と考え込んでいたまさにその内容を訊かれて、エリーは激しく動揺した。
一乙女として、男女の付き合いというものに多少なりとも興味はあるし、それ相応に知識もある。無いのは経験だけだ。それゆえ、一般論に自らの置かれた状況を当てはめて、これはもしや、世間ではデートと呼ばれるものではないか、とぐるぐる考え込んでいたわけだ。
しかし、その相手が部長というのは何とも身の程知らず、かつ的外れな考えだ、とも思う。大体、男女とはいっても、部長と自分はただの上司と部下であって、好き合うそれではない。
「い、いえ、でも、この場合は親睦会なんです」
きっぱりと言ったが、アルメダは合わせる服を選んでいて聞いてはいなかった。「よし」と満足げに頷いて、胸元がざっくりと開いたキャミソールを示してくる。それがアルメダの私物であることは、おそらくエリーが着用すれば残念な仕様になるだろう胸元の形から判断できた。
固まったエリーを見て、アルメダも思い当ったらしい。
「あー…気にするんじゃないよ。好みは人それぞれだしね。なだらかなのもそう悪くない。ああほら、これなんかいいんじゃないかい」
微妙なフォローをして、別な服をあてがってくる。次々に差し出される服を見て、いつこれらを着ているのだろうと、エリーは疑問に思った。
「あの、アルメダさん。気遣っていただいてとっても嬉しいんですが、私が着るよりずっと、アルメダさんが着た方がお似合いだと思います。スカートも、私、そんなに短いのは履いたことがないですし…」
「そうはいっても、やっぱりミニスカートは男のロマンだろう?」
「ろ、ロマン…」
一番上の従兄もそんなことを言っていたけれども、三番目の従兄は短パン推しだった。お尻の形がよく見える・見えないで口論になり、二番目の従兄が「想像力の欠けた愚か者めが」と嘲笑し、結局、エリーはミニスカートの着用を叔父に禁止された。
微妙な反応に、アルメダは「そうかい…」としょんぼりとした。エリーは慌てて口を開く。
「あ、あの、実は一枚、ワンピースがあるんです。ちょっと長めのスカートで、せっかくのお食事だからこれを着てみようかなと迷っていて…。それでその、アルメダさんにスカートがいいって言ってもらえたので、ジーンズは止めてワンピースに決めました。着てみるので、見ていただけますか?」
服装など頭になく、何もなければ普段使いのTシャツにジーンズ、その上にカーディガンをひっかけて行くつもりだったが、荷物の下に押し込んだワンピースの存在をとっさに思い出した。アルメダはみるみるうちに明るい表情を取り戻し、「まかせておきな!」と胸を叩く。
アルメダさんが笑顔になるなら、親睦会に浮かれたワンピース姿で登場し、部長の失笑を買ったとしても後悔はない。いっそ、「神聖なる話し合いの場を何と心得て~云々、ふざけているのですか」と退場を迫られるのも悪くない。
――ま、なるようになるだろう。
「髪もまとめようか」といそいそと弄り始めたアルメダに身を任せ、どこか遠い目をしつつ、エリーはそう思った。
背後でにやりと笑ったアルメダのことなど、気づくはずもなかった。
時刻は正午を少し過ぎた頃、センティーレギルド本部でも愛用していた仕立ての良いローブを身にまとい、カイル・レイランドは宿屋の前に立って、通りの景色を眺めていた。
本格的な夏を控えたこの時期は、行き交う人々の服装も夏仕様のそれに移行していて、きっちりと長袖を着込んだカイルを怪訝そうに眺めては、その美貌に視線を映し、何か納得したように頷いて通り過ぎていく。
とりわけ若い女たちは色めき立ち、ちらちらと意味ありげに視線を送ってきたが、カイルは愛想笑いを浮かべるでもなく、ただただ無表情に見返すだけだった。
大陸の南方に位置するグラスベルは、初夏からじわじわと気温が上がり、秋の終わりまで30度を超す気温が続くらしい。別料金となる朝食の支払いの際、天空からやってきたと聞いて興味を引かれたのだろう、宿の店主は世間話のついでにそう語った。
朝から忙しく働いているからか、逞しい肉体に薄いTシャツが汗で張り付いていて、この頃は日に三度は水を浴びるのだと笑い、カイルの服装を見て「おまえさん、暑くないのかい?」と不思議そうにしていた。
ハイルエルフであるカイルにとって、夏の暑さよりも強い日差しの方が問題だった。白磁の肌を特徴の一つとする彼らは、“日焼けをすれば向こう十年は幸運である”という言い伝えがあるほど、陽に晒されても赤く痛みを発するだけで、色が変わることは珍しい。
美白ブームの昨今、焼けないハイルエルフの女性は他種族の女性たちの羨望の的となっていたが、彼らにしてみれば、小麦色の肌こそ憧れだった。
大地においても、流行はそれほど変わらないようだ。腕や足は当然ながら、腹まで際どい露出をした女たちは、同族かと見まがうほどに白い肌を晒している。どこの世界でも、日焼け防止商品は必需品となっているのだろう。もちろん、大地の民が愛用している“日焼け止め薬”は、天空の女性たちが使う聖力を多量に使用したものと異なるだろうけれども。
高聖力保持者であるカイルは、需要が生産者の聖力供給限度を上回った際、生産を手伝ってほしいと熱心に乞われたが、多忙を理由に断ったことがある。いっそ聖力を使わないものを開発すればと助言してみたが、今さら効力を落とすわけにもいかないと言うのが彼らの答えだった。
彼らの言葉からも察することができるように、今日日の化粧品のほとんどには聖力の術が応用され、天空のロングセラー商品の地位を占めている。ただ、それらに見放された者がいることを、カイルは知っていた。
「あ、あの、部長。お待たせしてすみません」
ふとそう声を掛けられて、カイルはそちらを振り返る。同時に、その怜悧な美貌にはそぐわない、ぽかんとした驚きの表情を浮かべた。
「部長?」
声の主――エリーは、小首を傾げ、不自然に固まったカイルの顔を覗き込む。濃紺の髪は緩く編まれ、レモンイエローのリボンで飾られていた。唇は普段よりもやや艶があり、色づいている。その隙間から見えた赤い舌に、カイルは息を呑んだ。
「……部長? どうかされましたか?」
淡いオレンジのワンピースの裾が、ふと通りに吹いた風にはためいた。華奢な肩はフリルで飾った袖に覆われ、そこから初夏の日差しに焼けた細い腕が伸びている。やや広めにとられた襟ぐりからは形の良い鎖骨が見え、なだらかな胸部には涼やかなレースがあしらわれていた。膝下あたりで揺れる裾からは、少し派手目のサンダルが覗いている。
「あ、あの、部長。お待たせしてしまって本当に申し訳ありません。えっと、えっと…」
返事がないことにいたたまれなくなったのか、叱られた幼子のようにぎゅっとスカートを掴み俯いてしまったエリーに、カイルはようやく我に返った。
「あ、いえ、問題ありません、ただ…」
続きを言いかけ、躊躇った。
エリーは顔を上げ、取り繕うように明るい笑みを浮かべる。
「こんな格好で、その、すみません。スカートなんて、似合いませんよね。でもその、アルメダさんが勧めて下さったので、調子に乗って着てきてしまいました。色々と、着飾ってくださって…でも、着替えてきます。あの、暑いので中でお待ちいただくか、……あ、それとも、やっぱりお食事はやめておきますか? アルメダさんには、私の気分が悪くなって、部長に取りやめていただいたと言っておきますね」
つらつらとそう言って宿へと踵を返したエリーだったが、その腕を掴まれ、阻まれる。そろりと振り返ると、カイルは怒っているわけでも、それでいて喜んでいる訳でもない、複雑な表情を浮かべていた。
「…すみません」
その言葉をぽつりぽつり、二度ほど繰り返して、くいとエリーの腕を引く。思わず逃げ出そうと身を引いたエリーに、今度はその手を取り、指を絡めた。ぽかんと呆けた顔のエリーを見つめ返すことほんの数秒、ふっと視線を背けて、不機嫌そうな声色で言った。
「待っている時間などありません。さっさと行きますよ」
ぎゅっと力を込めて握られた手に、汗がにじんでいる。
「っ…」
エリーは何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。
いつもありがとうございます。誤字指摘、感想をいただき本当に励まされております。
そういえばエリーの外見描写をあまりしていないなと気づいた回でした。他の登場人物も、詳しい描写はないんですが…。ぼんやりとこう、想像してください。それがあなたのエリーです。
それはともかく、私の中ではエリーは平凡なりにかわいい子、を想定して書いています。化粧っ気のない子で、見栄えよりも機能性を重んじるといえば聞こえは良いですが、櫻子同様地味目です。こういう子って、飾ると化けますよねえ…という妄想をしてにやついています。はたしてこれ、ギャップ萌えって言うんでしょうか。
ウサ耳おやじにコメントいただき、うれしいです。ありだ、とのご意見。にやりとしてしまって…。うふふ、ありがとうございます。




