遠距離恋愛
武 頼庵 様の『すれ違い企画』参加作品です。
わたしたちの時間はすれ違ってばかりでした。
それでも、わたしはあなたを愛していたのです。そして今でも愛しています。自信を持ってそう言うことができます。
* * *
わたしたちの時間はいつもすれ違っていました。
彼は技術系の仕事で、朝早くから夜遅くまで精力的に働いていました。その世界でも有望視される優秀な技術者で、最先端の技術を扱う企業で重要な仕事を任されていました。
一方わたしは看護師で、昼夜を問わず勤務時間が不規則なのです。
わたしたちは恋に落ちてすぐ1つの部屋で暮らし始めたのですが、わたしたちが2人で一緒に過ごせる時間はそれほど多くはありませんでした。
『お誕生日おめでとう。ケーキ作りました。蝋燭は2本立ててあります。半分に切って片方の蝋燭にだけ火をつけて吹き消してから食べてくださいね。わたしの分は帰ってから同じようにして食べます。味の感想残しておいてくれると嬉しいな。』
『ケーキありがとう。すごく美味しかったよ。君の愛情が感じられて嬉しい。明日も仕事頑張れる。洗濯物はやっておいたから、夜勤明け無理はしないで。体やすめてください。君が蝋燭吹き消す動画も残しておいてね。』
わたしたちの日常はたいていこんな感じで、伝言パッドを介した会話になっているのが普通でした。
わたしの友人たちは「そんな恋愛、長くは続かない」と言いましたが、わたしたちの愛が薄れることはありませんでした。
わたしたちは貴重なすれ違わない時間をとても大切に使っていたのです。
休日が合ったとき、時間の合ったとき、わたしたちは2人だけの時間を本当に楽しむことができました。
一緒に旅をして、一緒に食事をして、一緒に映画を観ました。
そんな日々の中で、彼に会社の‥‥いえ、全人類の希望を託すような話が持ち上がったのです。
彼はすごく悩んだようです。
はるか遠くに行く任務です。
わたしだって悩みました。
わたしたちのこのささやかな日々が終わってしまう‥‥。
遠距離恋愛が難しいのはわかっています。でもこれは‥‥。なまなかな遠距離ではありません。
「遠く離れてしまえば愛は終わってしまう‥‥。」
彼はそう言いました。
「わたしの想いは変わらないわ。わたしのためにあなたの輝かしい未来と人類の希望を犠牲にはしないで。あなたは行くべきよ。」
考え抜いた末に、わたしは彼を引き止めないことにしたのです。
わたしの心が距離で変わることはありません。
わたしは彼を愛しています。彼の存在そのものを愛しているんですから。
それでも彼はわたしにこう言いました。
「君も一緒に行こう。」
「無理よ、わたしには‥‥。」
「医療枠があるんだ。」
彼の勧めに従ってわたしも一応試験は受けてみましたが、案の上「選外」となりました。現実は小説のようにはいきません。
「僕も辞退する。」
「だめよ。あなたにしかできないことがあるんだから。離れていても、わたしの心は決して変わらないから。」
そして、出発の日がやってきました。
宙港まで見送りにやってきたわたしは彼に大きく手を振ります。
彼も手を振り返してくれました。
30光年のかなた。
限界がきた地球から人類が移住できる可能性のある星を精密探査するために派遣される『コロンブス計画』のクルーとして選ばれた彼。
その任務の重要性は何にも代え難いものでしょう。
量子論的には「今」という時間はわたしの周辺にしか存在しません。
少し距離が離れるだけでも、「今」という時間は微妙にズレているのです。
地球上で生活している限りは、それは無視できるほど小さなズレです。
わたしと彼の職場が離れていても、地球上であるならば無視しても構わないほどのものです。2人が近づきさえすれば簡単に修復できるほどのものです。
しかし太陽と地球ほどの距離になると、それは少し変わってきます。
太陽と地球は約0.000015566光年の距離にあります。光が進む時間にして約8分です。わたしたちが見る日の出は、8分前の太陽の姿なのです。
では「今」の太陽はわたしたちが見ているものとは違うの? と子どもなら聞くかもしれません。
違わないのです。
今わたしたちが見ている太陽が、わたしたちにとっての「今」の太陽なのです。
反対に太陽から地球を見ても観測される地球は8分前の地球の姿であり、それが太陽にとっての地球の「今」です。
太陽と地球の「今」には8分の時間のズレ、すれ違いが起きているのです。
それが量子論の指し示すところです。
距離が離れるほど、わたしたちの「今」という時間は別のものになってしまうのです。
わたしと彼との通信は、次第に時間がかかるようになってゆきました。
初めはわたしが「今」送った言葉に、彼が「彼の今」で返した言葉が届くのに1時間くらいかかるような感じでした。
それが次第に2時間、5時間、数日‥‥と伸びてゆき、ついには1年を超えるようにになった頃、彼から『当番まで5年間のコールドスリープに入る』と連絡が届きました。
わたしはすぐに返事を送ります。
その返事は、彼のどういう「今」に届くのでしょうか。
わたしと彼の「今」は大きくズレてしまい、それぞれの時間は文字通り別々のものになってしまいました。
とうとう彼の「今」がわたしの「今」に届くのに30年がかかるようになりました。
もはやこの先、わたしと彼の「今」が出会うことはないでしょう。
送った通信に彼が「今すぐ」返事をしたとしても、それが地球に届く頃わたしはたぶんこの世にいないのですから。
それでもわたしの心は変わりませんよ。約束どおり。
だって、それはもうあのときに覚悟していたことですもの。
わたしは最後の通信を彼に送りました。
『さよなら。あなたの時間が素敵なものでありますように。無事に任務を終えられますように。変わらない愛と共に。』
了
やっぱりSFになりました。(^◇^;)
ちょっとわかりにくかった人のために解説。
量子論では「今」という時間は距離が離れるとズレます。
極端なことを言うと、脳が認識している「今」は厳密には足の「今」ではありません。わずかですが光が届くまで(観測できるまで)に時間がかかるからです。
そのズレは地球上で生活している限り無視して構わないほどのものです。
しかし、月と地球くらい離れるとこれは意識できるくらいになります。
したがって、月着陸船を「リアルタイム」で操縦するためには、この時間のズレを計算しないといけません。
なので、どんなに愛があっても30光年も離れてしまえば「遠距離恋愛」は物理的に成立しないだろう——という発想から、このお話は誕生しました。
それでも‥‥
存在そのものへの愛ならば、時空が違ってしまっても変わらないのかもしれません。
もしも将来、光速よりも速い粒子による通信技術が開発されれば、遠く離れた過去との遠距離恋愛も可能になるかもしれませんね。




