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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

咳煙

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 う~ん、今日はあんまり星が見えないなあ。

 月はないし、そんなに雲が出ているわけじゃないと思うのだけど……ひょっとして、視力落ちちゃったのかな。

 まあ、たまには広々とした夜空を、のんびり眺めるのもありか。ごろんと、横になってね。

 見渡す限りの空、空、空……実感していくと、自分の小ささもまた思い知らされる。

 この宇宙において、僕たち人はチリのような存在に過ぎない。でも、そういうチリのような存在だからこそ、宇宙にいるとてつもなくやっかいな連中からは無視され、手を下されていない。ゆえに人間は生きながらえていることができているんだ。

 ちょくちょく耳に入れる機会があるかもしれない、「宇宙的恐怖」ってやつさ。

 なにかのきっかけで、そいつらの関心をひいてしまったならば十中八九、破滅的運命が待ち受ける。たとえ特別なアクションをこちらが取らずとも、事故による出会いはあるものだ。


 だから、人は知りたがる。

 万が一でも、億が一でも、そのような事態に自分が出くわした際、生き残る目を把握せんがために、遺伝子が動く。

 僕も実は、危ないんじゃないかっていう体験が以前にあってさ。

 こーちゃんも、これからのために聞いておかない?



 その年は、花粉症がひどいものと思われていた。

 僕自身、花粉症の気配はなかったのだけど、学校のクラスではちらほらマスクなり、ゴーグルっぽいものなりを身に着ける子が増え始めていたんだよ。

 その辛さを、僕はまだ話で聞く程度にしか知らない。せきや鼻水、止まらない涙などを見るたび「大変だなあ」と、のんきに他人事として構えていた。

 そうしてゴールデンウィークが終わった直後の授業日。クラスの大半がマスクを身に着けていた、午前中最後のコマのことだった。


 かりかりと、鉛筆やシャーペンの音が教室中にこだまする。

 先生が板書したものを書く時間で、僕もノートへ字を連ねていったものの、前日に少しばかり夜更かししてしまっていた。

 徹夜に近いことをやると、たいてい起きてしばらくは異様に目が冴えたまま。昼前後から夕方のいずれかあたりで、激烈な眠気が襲ってくると経験で分かっている。

 それに押されるがまま、うつむきながら大口開けて、あくびをしてしまったんだ。

 つい涙がにじんでしまうほど、無防備なものをね。


 とたん、僕は盛大に咳き込む。

 思わず、くしゃみと同じように肩を口にあてがうけど、簡単には止まらない。

 十連発以上は出ただろうか。みんなにちらちら見られるほどで、僕自身も出きったあとには、のどが若干いがらっぽくなった。

 夏日が続いていたこともあるし、汗っかきかつ、家でうたた寝もしばしばする僕だ。夏風邪でも引いたんだろうかと、ぐずつく鼻先をおさえながら、鉛筆を握り直す。


 そこを皮切りに、やたらと僕は咳が出るようになってしまった。

 食事や水分補給のときに重なると最悪で、口を無理やり閉じようとするものだから鼻へとまわり、つんと奥が辛くて、切なくなってくる。

 おのずと涙もこぼれてきて、「なんで自分ばかりこんな目に……」と身の不幸を呪いたくもなった。

 でも、夜も深まってきて。僕はこいつがただの咳なんかじゃないことを、ほのめかされてしまったんだ。



 夜食といったら、人の認める甘美な禁忌のひとつだろう。

 夕飯も咳き込むままに邪魔されて、満足に食べられなかった僕は、ついみんなが風呂へ入り終わり、もぬけの殻となっただろう一階の台所へ降りていった。家族を起こさないよう、そろりそろりとね。

 固形物だと、咳が出た際に大惨事だ。少しでも被害をおさえようと、ゼリー用食品を用意してはいたのだけど。

 最初は調子がよかったものだから、気を抜いてしまったんだと思う。

 終わり際を絞り出そうと、袋を外から強く握り、それを勢いよく吸い込んだところで、ほぼむせるようにせき込んでしまった。

 口を閉じるゆとりなどない。口内をせりあがる勢いのまま、あふれ出したゼリーに台所が汚れてしまう……と思った。


 が、その咳きこみで僕が吐き出したゼリーとつばたちは、いずれも真っ赤に染まっていたんだ。

 驚く間すら与えてもらえず、さらなる咳き込み。

 口を割り、外へ出てくるのは赤黒い色をした肉の塊たちばかりだった。皿もなくテーブルの上へ無造作に転がされていくそれを、僕は見たことがある。

 人体模型、あるいは図鑑の中に出てくるようなもの。

 人の身体の中にしまってあるはずの臓器の数々だった。それが誰の者かなど、状況からして……。

 またひとつ咳き込む。

 その瞬間、右目がいきなり見えなくなった。そして勢いのまま吐き出したのは、どこに収まっていたのかも分からない、人の持つ目玉だったんだ。

 矢継早に咳き込む僕の口に、また新たな球体の感触が生まれるのと、左目も見えなくなるのは同時だったよ。


 その暗闇は、決して長く続いたものじゃなかった。

 ちょうど、いま見上げている夜空みたいでさ。立っていたはずの僕には、床の感覚もなくなっているように感じられた。

 水の中にいるみたいだけど、手足を動かしてみても手ごたえも抵抗も、満足に感じられない。何かに触れるようなこともない。

 いや、本当に僕はここにいるのだろうか。もし、見えている間に確認できたものが現実であったなら、今の僕は……。


 そう考え始めたとき、上下左右より白い煙が湧き出した。

 一方より一筋ずつ。中央へ彼らは集っていき、僕はそれをただ見守るのみ。

 それぞれの筋が、やがてひとつの形を作っていく。

 情報が頭から胸にかけて、左右がその方向に適した腕と腹、下が両足から腰にかけて。

 そう、煙たちはその身をもって、人の身体の形を作っていたのさ。ちょうど、相対する僕と合致するほどの大きさの。

 完全に形が整うと、煙の噴出は止まってしまう。そうしてできた、僕の図体と同じ煙の塊はまっすぐこちらへ向かってきた。

 先ほどから変わらず、僕は動いている手ごたえを感じられず……そのまま、煙に体当たりされる羽目になったんだよ。



 それからどうなったって?

 僕は視界を失ったときと同じ、台所で目覚めた。

 机の上の見本市は、血らしきものの一滴さえ残っていなくてさ。最初は夢かと思ったよ。

 でも……はああ~。


 ほら、寒くないのに口から白いものが出るっしょ? あの時からずっとこうなのさ。

 なんだったら、腕とかつねってみてよ……ほら、ちょっと力入れると肉をつかむ感触が薄れて、煙が出てくるっしょ。

 お医者さんに診てもらっても、健康体そのもので異状はないとの診断。しかも、とがめられそうな場面において、こいつらはいつも身を隠すと来ている。

 ひょっとしたら僕の身体は、あのときに作り替えられ……いや、取り換えられてしまっているのかもしれない。いまの技術じゃとうてい判別がつかない、精巧な偽物にさ。

 正直、怖いな。これからどのようなまずいことがあるか、ちゃんと生きて死ねるのか……さえね。

 こーちゃんも、咳が止まらないことがあったら気を付けるといい。

 咳と一緒に、自分を手放してしまわないように、さ。

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