とある貴族の家庭事情 ― 真実の愛の結晶のボヤキ
何となく思い浮かんだ情景を書いたものです。起承転結、序破急無し。登場人物の背景説明みたいなものですが、暇潰しにでもなれば幸いです。
――私もです――
お前を愛することはない、そんなクズな言葉に、その女性はそう返したという。
「酷いです! どうしてミーナはよくてレーネはダメなんですか?!」
うん、他人様の前で娘を愛称で呼ぶところがまずいけないんじゃないかと私は思いますがどうでしょう、母様? なんとなく現実逃避をしながらそんなことを思う。
まぁ、母は相手を他人様とは思っていないだろうし、それもあながち間違いではない。相手は私たちの父のご正室様だ。単純に他人とは言えない。言えないが、複雑な感情を伴う関係だと私は思う。少なくとも私たちはもっとこの方に対して腰低くあらねばならないと、私は思うのだけどどうでしょうか。
「そうだ。ミーナは良くてレーネはダメだなど、レーネがかわいそうだろう」
父様は黙っていてください、と強く思いながらも私は口をつぐむ。何故なら私はこの件について発言権がない。黙っている以外に何ができようか。なのに何故私をこの場に呼んだ、父よ。
「お前も妹がかわいそうだと思うだろう、ミーナ」
やーん、味方が欲しかったのね。ヤメテイタダキタカッタ。私がスンと表情を消したのがわかったのか、横から異母兄が笑いを噛み殺したような音が聞こえた。そう言えば異母兄はもっと関係ないんだった。どうしてここに異母兄もいるんだろう。そんなことを考えながら気を紛らわしていると、その異母兄が口を開いた。
「ヘルミーナに聞くのはかわいそうでしょう、父上。姉妹の情ではどうにもならない、契約の問題なのですから。ね、母上?」
蜂蜜のような金茶色の髪に深い緑色の瞳という、ご正室様と同じ色を持つ異母兄は微笑んでご正室様を見た。異母兄の言葉に、母は怯えたように身を縮ませ、父はそんな母の肩を抱き引き寄せる。関係者しかいないとはいえ、少しは自重していただきたい。なんかこう、いたたまれない……。
「そうですね。ヘルミーナには辛いことでしょう。そもそも何故この場に子供たちを呼んだのです?」
小さく吐息をつきながら、ご正室様――ヴィンフリーデ様――は仰った。
「王命により定められた契約です。貴方とエミーリアさんとの間の子を伯爵家の者とするか否かは、私が決めると」
昔。私が生まれる前の話だ。一人の貴族令息がいた。歴史ある伯爵家の一人息子で銀の髪に紫水晶の瞳を持つ、それはそれは見目麗しい貴公子だった。
眉目秀麗、文武両道、向かうところ敵なしの彼は社交界では銀の君と呼ばれ、ご令嬢方の憧れの君だった。
そしてある日、銀の君は偶々お忍びで町に出て、そこで偶々不埒な輩に絡まれていたお嬢さんを助け、そのお嬢さんと恋に落ちた。すとーんと。
これが私の両親の出会いである。
母は男爵家の娘で、大変可愛らしい容姿をしていた。父によると、可憐と言う言葉は母のためにあるらしい。アアソウデスカ。今でも儚げで庇護欲を刺激する雰囲気を放つ母は高位貴族の常識に疎かった。そして父は高位貴族の令嬢にはない何かを持つ母に心をとらわれてしまった。それまでの銀の君の評判がすとーんと地に落ちるほどに。
私は思う。恋に落ちて評判も落とすとはこれいかに。誰か教えて。だが、この恋がなければ私も妹たちもこの世にいないのだ。人生ままならない。
それはともかく、当時父には婚約者がいた。それも15歳の時に、お互いに了承した上での婚約者が。領地が近く、幼馴染みともいえる婚約者に、母との恋以外は見えなくなった父は婚約の解消を言い渡した。何の落ち度もない婚約者に。
当然揉めた。揉めに揉めた。当時伯爵であった祖父は父を殴り飛ばしたと聞くし、婚約者の家からは猛抗議を受けた。なんなら親族会議も行われたらしい。もう、大騒ぎだ。
けれど、恋に盲目になった父の心には届かない。そして決定的なことが起こる。父が婚約者ではなく、母をエスコートして王家主催の舞踏会に現れたのだ。王家の夜会で義務付けられた婚約者ではなく。ご丁寧にお互いの瞳の色で彩られたアクセサリーを身に着けて。
この話を、社交デビューの舞踏会でご親切な令嬢に聞かされた時の私の気持ちがわかるだろうか。なんなら穴を深く掘り、その中に両親を放り込み、自分も飛び込んで、上から土をかけて踏み固めて埋めてしまいたかった。貴族としてというより、人としておかしい。恋は盲目というが、せめて手順は踏め。真実の愛は全ての罪を赦す免罪符にはならんぞ。すいません、どこかに真実の愛で盲目になった人のための目薬はありませんか。などと、虚ろな目でぶつぶつ言い出して、ご親切な令嬢を怯えさせた挙げ句、異母兄に会場から連れ出されたのは私の黒歴史だ。
閑話休題。
結果として父の婚約は父の有責で破棄された。婚約者のご令嬢は、会場で自分以外の令嬢をエスコートする父を見て泣き崩れたらしい。自慢であった婚約者の蛮行だ。泣き崩れるのも当然だろう。そんな状態で婚約を続行することはできない。悲嘆にくれた令嬢は神殿に入り、神に仕える修道女になったそうだ。なんかもう、どこに頭を下げていいかわからない。
だが、両親の『恋は盲目、真実の愛の大行進』もここまでだった。2人の結婚はまかりならんと、王家、そして神殿からもストップがかかったのである。
2人の世界の中にいた両親は気がついていなかったが、父の行動で伯爵家の名は地に落ちていた。貴族の契約を疎かにし加えて婚約者を踏みにじる行為は、確実に家名に泥を塗り、貴族としての信用に傷をつけたのだ。このままふわふわと2人にとってだけ美しい世界にいる父を放っておいたら、彼らが現実に戻ってきた頃には没落は完了していた。
しかし王家や神殿は、政治バランスだとか色々な関係もあって、そう簡単に我が家を没落させるわけにはいかなかった。我が家――レーヴェンタール家――は国の成立の頃から武によって王家を支えてきた名家で、与えられている所領も多い。一族には神殿に籍を置く者も多く、神殿騎士団のおよそ6割をレーヴェンタールの出身者が占めていた。豊かな所領を持ち、神殿にも影響力を持つ名家を跡継ぎの心変わりくらいで潰すわけにはいかなかった、らしい。
だが、お咎め無しというわけにもいかない。貴族の婚姻は契約だ。それを疎かにしたことに対して罰は必要だった。それに婚約を祝福した神殿にも泥を塗っている。そんな父に伯爵家を自由にさせるわけにはいかない。そこで不本意ながら登場したのがご正室様なのだ。
「貴様、いつもいつも契約がどうのと楯突いて、エミーリアによく似たレーネが疎ましいだけだろう!」
父の怒声に我にかえる。人間ってごく短い時間でも色々と思考できるものなのだ。走馬灯に近いものかもしれない。そんな私の耳に、再び今度はそれはそれは深いため息が聞こえた。
「もう20年近く前の話ですから忘れておられるのかもしれませんが、私は貴方にもエミーリアさんにも関心はございません。ですから疎ましく思ったこともないのです。貴方たちは普段別邸におられて本邸にはいらっしゃいませんから」
呆れと少しの疲労を含んだ言葉に、母が酷いと泣き出す。ここで泣き出すような性根だから、母は社交界で受け入れられない。何かキツい言葉をかけられる度に泣き出すような者は、例え伯爵の最愛でも受け入れられないのだ。デビューの社交で死んだ魚のような目でぶつぶつ言い出して異母兄に回収された私が、何故社交界に受け入れられたのかは現在も解けない謎である。
「なっ……子供に聞かせる話ではないだろう!」
「この場に子供たちを呼んだ貴方がおっしゃいますか。マルレーネを呼ばなかったことは評価しますが、貴方が伯爵家の家政や子供たちのことに口をはさむ度に、私は貴方の醜聞について口にしなければならないのです。一体何時になったら理解してくださるのか……」
おおぅ、ご正室様、今日は少しキレていらっしゃる? それとなく横に座る異母兄に目を向けると苦笑いを浮かべている。ひぃぃぃ、少しじゃなく、ガチでキレている?
「まずこれを先にはっきりさせておきますが、貴方がどなたをご鍾愛されようと、私はどうでもいいのです。私と貴方の結婚は王命で、エミーリアさんに現を抜かす貴方がレーヴェンタールを潰さないように、王族の血を入れて管理するためですから」
おー、ご正室様、言い切った。父様、顔を真っ赤にしてぶるぶるしてるな。 でも、これは本当のことだ。貴族の跡継ぎは正室の子でなければならない。神殿に認められた婚姻で生まれた子でなければ、その家の子とはならないのだ。
ご正室様は先の王の姪で今の王の従姉妹だ。仲の良い婚約者がいらしたが、その方は病を得てなくなられた。哀しみに窶れていく姿に、先代の王はご正室様の神殿入りを拒めなかったという。王弟の娘という立場を考えれば許されないことだ。けれど愛する者を亡くし窶れ果てた姿に社交界の貴婦人たちは涙し、ご正室様の神殿入りを後押しした。社交界の貴婦人を味方につけると道理もひっくり返るという、良い例である。
さて、そんな貴婦人たちの後押しもあり神殿で修道女として穏やかに暮らしていたご正室様は当然、泣き濡れて神殿に来た父の婚約者殿からことの経緯を聞いたらしい。割りと大きな騒動であったし、神殿と社交界は無関係ではない。そもそも神殿への寄付に表だって動くのは夫人や令嬢たちだ。大なり小なり、噂は俗世と離れている神殿にも流れてきていた。
ただ、その時点ではご正室様にとって他人事だった。それはそうだろう。ご正室様が神殿に入ったのは父が社交界で銀の君と呼ばれ始める少し前の頃だ。それに亡くなった婚約者に一途であられたから、父なんか格下の貴族の1人に過ぎなかっただろう。軽佻浮薄な男に振り回されて気の毒な方だと、ありがちな同情を寄せる程度だったと言う。
まさか自分がその軽佻浮薄な男に嫁ぐことになるとは思わなかったと、ご正室様が自嘲するように仰ったことを、今でも覚えている。
「王家とて、好き好んで貴族の色恋に口を挟んでいるのではありません。エミーリアさんに骨抜きにされて、婚約者を蔑ろにする者にレーヴェンタールという名家を任せるわけにはいかなかった。同格の貴族の娘では貴方は蔑ろになさる。けれど侯爵家のご令嬢で婚約していない方々は貴方に嫁ぐのを嫌がりました」
「だが貴様が嫁いできたではないか。神殿に隠れていた公女が!」
もう、別邸に帰りたい。父様、何だか自信満々だけど、ご正室様も別に望んで父様に嫁いできたわけではないからね。むしろご正室様には、覚えのない罪の罰ゲームにしかなってないからね。あと、ご生家は今は公爵家だけど、当時は王族です。横目で見ると異母兄もうんざりした顔をしている。お互い困った人を父に持ったよね。同一人物なところが泣けるけど。
「陛下や神殿長に伏して頼まれては、断われないでしょう。レーヴェンタールの民のため、王国の民のために頼むと言われては」
俗世と距離を置き、神殿で過ごされていてもご正室様は王族で王女様だった。深い哀しみと喪失感の中でも、民の血税で育ちながら神殿に入った自分を責めてもいた。それ故に神殿では率先して働き、質素に過ごされていたと聞く。そんな風に過ごして5年も過ぎた頃、当時の国王陛下が神殿を訪れた。神殿長の応接室で数刻話された後で、ご正室様が呼ばれた。そしてレーヴェンタール伯爵家への嫁入りを頼まれた。ご正室様が19歳の時だった。辛いことだが、酷いことだが、14歳のお前には無理でも、19歳のお前ならわきまえることができるだろうと、頭を下げられたそうだ。
その時のご正室様の気持ちを考えると苦しくなる。ただ嫁げば良いというのではない。子を、跡継ぎを生まねばならない。好いてもいない、好かれてもいない男の子供を。それも、成人までの生存率を考えて、最低でも2人の男子を。
「そこまでです。それ以上は本当に僕たちに聞かせる話ではない」
隣から異母兄の静かな声が聞こえた。場が静まり、私は横に座る異母兄を見る。異母兄は優しく笑うと私の肩を軽く叩いた。
「……そう、ですね。少しのぼせたようです。フリードリヒ、ヘルミーナ、ごめんなさいね」
「そうだ、貴様が醜い嫉妬で……」
「父様、黙って」
というか、父様も謝れ。じとっと恨みがましい目で見ると、父はたじろぐようにして口をつぐんだ。
「ミーナ、酷いわ。お父様に……」
「母様も黙って」
「ミーナ、エミー……」
「黙って」
話が進まなくなるから静かにしていただきたい。どうせご正室様を前にするとこの2人は酷いしか言わないのだ。騎士として、領主として期待され優秀であった父は、母に恋して愚か者に成り果てた。
「ありがとう、ヘルミーナ。フロリアン殿、先日もお話ししたように、マルレーネは伯爵家に必要な素養や教養を身につけておりません。私の猶子とし、伯爵家の娘としてデビューさせることはできません」
両親がまた騒ぎ始めた。
そして話は振り出しにもどる。
フリードリヒとヘルミーナはちゃんと脱出しました。
◇お礼◇
誤字報告をありがとうございます。文章表現上、あえて表記した部分以外は訂正いたしました。