第五話【無限の刃製】
あまりに長くなり過ぎたので分割しました。この続きは明日投稿します。
本日の鍛錬を終えた僕は、侯爵邸に帰宅し、入浴と食事を済ませ、さっさと床に就こうとしていた。
「あれを理想に近づけるためには、もっと剣身を細く、鋭くしないと……」
鍛冶師として身を立てるため、鍛錬に集中する様になってから半年。
あくまでガト爺の元でだが屋号を名乗る事も、自分の名を武器に刻む事も許された。
これなら、王都でも十分やっていけるだろう。
毎日毎夜烈火にさらされ続けた肌は浅黒く、髪は白く煤けた。
客以外は人が誰も寄り付かなくなった。
最近は、姉さんともあまり口を利かなくなった。
……それがどうした。
全ては、理想のためだ。
それに邪魔だというなら、邪魔なものは全て削ぎ落としてしまえばいい。
そう、念じながら眠りについた。
早朝。
ガト爺よりも早く工房に入り、炉に火を入れる。
昨日から取り掛かっていた注文の品を十本ほど仕上げてしまい、後は自己の修練の時間にする。
自分で購入した様々なインゴットで、様々な武器を鍛える。
剣を打つ。
剣を打つ。
剣を打つ。
だが、決まって最後はそこに帰着する。
一本の剣が打ちたかった。
飾り気など要らず、ただ剣としての性能を追い求めた至高の、究極の一振り。
理想の劣化品など何本打っても満足しなかった。
理想の一本が打ちたかった。
剣としての機能の頂点。
それを望んだ。
この半年で、いったい何百と作ったか分からない。
そのうちで、それだと思える一振りは一度も作れなかった。
自分では、死ぬまで至れないのか。
そう、思う事もあった。
もしかしたら本当にそうなのかもしれない。
だが、それでも手を止めはしなかった。
それが、やめる理由にはならなかった。
ただ、続けた理由を敢えて挙げるなら。
純粋に、己の理想を捨てられなかった。
そんな、人間臭くて青臭い下らない事だ。
その為なら、それを成す為なら己の捨てられるものすべてを捨てられる。
その結果が、これなのだろう。
ナギーニャ・ヴィ・ノクターという人間の成れの果てだ。
あまりにも不細工、不格好も良いところだ。
それだけ捨てておきながら、理想には届かず、その理想があるのかさえ分かりはしない。
見えないゴールを探している様なものだ。
下らない理想に憧れて、それを目指すために環境だけは整っていて、自分に出来る事を全てやれば手が届くと信じて疑わなくて、そして本当に自分に出来る事を全てやって、そこまでやってようやくそこまでやっても届かない理想がある事を知り、それでも自分がいつか酔いしれた理想だけは捨てきれず、今日も届かない壁を登ろうとしている。
どこまでも、救えない人間。
絶対に自分では辿り着けないと分かっている癖に、ここまでの犠牲が無駄になるとのたまい、更なる犠牲と共に高みへと登ろうとする。
燐とは、何とも皮肉の効いた屋号だ。
もう長い事、心は冷え切っている。
いつかみた地獄の中にいた時の様に、酷く乾いている。
誰かとすれ違う度、どうか貶してくれと願ってやまない。
こんな自分を許さないで欲しかった。
この半年で、今まで積み上げてきた十五年を捨てた。
それは、きっと誰かを傷つけただろう。
許されてはいけない。報われてはいけない。
後悔してはならない、懺悔してはならない。
それを己の過ちと認めれば、全てを投げ出してしまいたくなるから。
だが、贖罪したかった。
謝りたかったし、放り出して胸の内を晒け出してしまいたかった。
だが、結局この身体は己の理想を優先した。
だから、許しを請う事は終生許されないし、本当の自分を晒す事もあってはならない。
そう、自分に言い聞かせ続けなければ、折れてしまいそうだった。
このまま、苦しみ続けながら死ぬのだろうか。
―――身体は武器で出来ている。
肉は鎖で骨は棍。
血潮は鉄粉で、心は鏡。
ただの一度の仕損じもなく、ただの一度の高揚もない。
ただの一度の敗北もなく、ただの一度の勝利もない。
作り手は此処に一人、今日も荒野で鉄を打つ。
ならばその生涯に意味は不要。
その身に他に意義はなく。
ただ作り、試し、一人剣の丘で理想に酔う。
ただその旅路を示すとするならば。
この身体は、無限の刃で出来ていた。
「―――『無限の刃製』」
それが、ナギーニャの根源のカタチ。
己の理想を目指し精進を重ねた軌跡。
ありとあらゆる、自身が認識し心に刻んだものを無限に内包する世界。
そこは砂塵が舞う荒野。
剣の突き立つ丘。
暗雲立ち込める、鉄色の世界。
元々の心象風景である『剣の丘』は、今やありとあらゆるもので溢れていた。
武器で、道具で、金貨で、絵画で、彫刻で、宝石で。
これらを全て再製すれば、莫大な富となるだろう。
だが、彼にとっては理想に近付くための足掛かりでしかなく、それ以上の価値はない。
そんな、彼の心を映した様な世界だった。
「我ながら、随分と未練がましい」
内面の世界から工房へと意識を戻し、壁に立てかけられている過去の作品たちを眺め、呟く。
どうせいつでも再製出来るものだし、処分してしまおうと歩み寄り、その中の一本を手に取った時、彼は気付いた。
それが、彼の理想であると。
飾らない剣。
黒い鋼で作られた、長くはなく短くもない一振りの直剣。
それが、自分が何気なく打った一振りだと、思い出すのにしばらく時間がかかった。
「はは」
乾いた笑いが零れた。
捨てる必要など無かった。
自分の求める理想は、とうに答えを得ていた。
……姉さんとの、修練用に大量に作った内の一振りだ。
素材は抽出し結晶化した自身の魔力。
造りは単純な両刃の直剣。
柄は円筒に削っただけの黒金樫、護拳はただ最低限その機能を満たしたものを被せただけ。
刃渡りは八十五、鍔で二、柄で二十二。
大変オーソドックスな剣。
それが、理想だった。
剣として完成されたもの。
それを既に、自分は得ていた。
簡単な事だった。
自分の歩んで来た道を振り返り、反芻すれば良かったのだ。
ただ前へ前へと進んでも、決して答えは得られなかった。
しばしそれを眺め、陽光に翳し、満足げに口元を歪めた。
「答えは得た」
それで満足だった。
色を失った鉄色の瞳が、少しずつ黒みを宿していく。
老人の様な白髪が、かつての黒を取り戻していく。
すっかり日に焼けた肌が、剥がれ落ちていく。
少年は、己の過ちを認めた。
目的のためならすべてを捨ててしまう鉄の心は未だ健在なり。
されど、それでは辿り着けなかったのならば。
それに固執はしない。
ただそれだけの事。
「謝らないとな、色んな人に」
多分、アーリアは笑って許してくれるだろう。
公爵は、寧ろ安心するだろう。
ガト爺は……多分ひとしきり殴られるだろうな。
姉さんは、多分しばらく許してくれないだろうな。
「ねえアンタ」
「ごめん」
頭の中で謝罪の言葉だけが巡っていた。
だから、声をかけた相手が誰かも確かめず、反射的にその言葉が出た。
「あ。……姉さん」
「そうよ。っていうか、じゃあ誰に謝ってるつもりだったのよ」
「いや、姉さんで合ってるよ。ここのところ、ずっと蔑ろにして、ごめん」
その言葉がよっぽど意外だったみたいだ。
姉さんは、目を丸くして、少し唇を噛んだ。
「そう。……随分マシな顔になったじゃない」
何だ?様子が変だ。
「何でもないわ。はい、これ。屋敷にさっき届いたんだけど、アンタいなかったから。私がわざわざ届けに来てあげたんだから、感謝してよね」
そう早口で言い切り、一通の封筒を僕の胸に押し付けた。
白い羊皮紙に、赤蝋に金文字の封。エメラルドのインクで書かれた宛先は、確かに僕の名前だ。
金文字でSと刻印された封を開け、中身を出す。
一番上の厚めの紙に目を通した。
そこには、次の様に書いてあった。
『拝啓
ナギーニャ・ノクター殿。雪解けも間近のこの頃、貴殿におかれましては、ますますご壮健の事と思われます。この度貴殿が、スヴァローグ聖十字祓魔学園に入学を許可されました事、お喜び申し上げます。つきましては、入学手続きに必要な書類と在学中必要になる物品のリストを同封しました。入学の意思の旨を、3月25日までにふくろう、はと、もしくはからす便にて郵送ください。
敬具 副校長アテネア・ベテルギウス』
……は?
色々と情報が渋滞して、上手く言葉に出来ない。
便箋から顔を上げて姉さんの顔を見るが、凄く嬉しそうと凄く悔しいが同居した様なちょっと他人様にはお見せ出来ない顔になっている。
何なんだこれは一体。
「って、同封?」
慌てて封筒の中を見ると、確かに入学意思証明書と教科書リストと書かれた羊皮紙が入っていた。
ふむ、与太では無いな。
姉さんの手の込んだドッキリでは無いかとちょっと疑ったが、どうもそうでは無さそうだ。
しかし、一体何故だ?
試験受けた覚え無いんだが。
「お父様が、掛け合って捻じ込んでくれたのよ。祓魔だなんて銘打ってはいるけど、現代じゃ実質魔剣を扱える騎士を育成するだけの学校よ。本来ならアンタはもう試験来年まで受けられなかったけど、私とお父様から相応の能力はあるって言った事で、相応の実力を示した上で入学を許可されたのよ」
「……つまり?」
「とっとと入学の用意をしなさい。今のアンタなら遅れは取らないでしょうけど、稽古はするわよ!」
……まったく、姉さんはいつもこうだ。
でも、これはつまり就職までエスカレーター式の大学にほぼ試験なしで入学させてもらったって事だ。
やっぱり、姉さんは僕を―――
「分かったよ、それにしてももう少し早く教えてくれても良かったんじゃない?」
「あんなアンタに切り出す話じゃなかったし、しょうがないでしょう。あのままだと、言っても興味なかっただろうし」
それを突かれると痛いなあ。
こうして、僕たちは半年前に戻った。
正直、二千年後の祓魔体系がどのようになっているか気になるし、それにアイツもいるはずだ。
行けるなら是非行ってみたい。
僕の口元は、知らず知らずの内に緩んでいた。
***一月後***
朝。
「ん、ふあー……」
「おはよう。待つ?」
「あ、うんちょっと待ってて。今用意するから」
「早くしなさいよ、いくら扉渡りがあるからって」
「んー……」
「まったく、この子は……」
僕たちは無事入学して、そろそろ一か月が経とうとしている。
しかし、授業開始は八時半だろ。
今六時だぞ。
「朝ごはん、作るなら待つわよ」
「そりゃ、待っててくれると助かるね……」
朝飯僕に丸投げの癖して、今出てく気だったのか。
我が姉ながらよく分からん。
「昼も作るー?」
「お願い」
「あーい」
どうせ片手間で済ませるのだろうから、シンプルにサンドイッチを詰めれば良いか?
いや、姉さんの事だ。世間体もあるし、友達と食べたりするに違いない。
つまり、この場合の正解は。
一口サイズにカッティングしたサンドイッチを四切れほど、昨日から作り置きのポテトサラダと今焼いた肉類、果物も入れた方が色合いが良いな。あと飲み物も用意してあげるか。今飲む分も合わせて、紅茶を淹れて保温の魔術が刻まれた水筒に半分ほど注ぐ。
朝ごはんは、適当にバター醤油で炒めたご飯で握ったおにぎりだ。
何故か、定期的に米が無性に食べたくなるんだよね。
「はい、出来たよ。あとこれ昼の分」
「ん。いただきます」
このジャンクで濃い醤油とバターの味がたまらん。
三個食べて、紅茶で目を覚まし、歯を磨いて、寮の部屋を出る。
しかし、二コンロのキッチンがついてくるとは。料理好きとしては嬉しい限りだ。
僕たちは、学園が用意した敷地内の寮で寝泊まりしている。
食堂もあるから、夜は大体ここで食べている。
そして、扉渡りの鍵を使わないとまともに目的地に辿り着けないほど広く高く巨大なこの城こそが、僕たちが通うスヴァローグ聖十字祓魔学園。
まあ長いので、みんなスヴァローグだとか聖十字だとか呼んでいる。
どこに何があるのか、説明するのが困難なほどこの城は広い。
どうやらこの迷宮の様な城は二千年前と変わりないらしい。
懐かしいものだ、かつてはここで講師をしていた時期もあった。
入学した当初、僕はまずこの城の主であるソイツに会いに行った。
問い詰めてやろうと思っていたのに、気付けば追い返されていた。
流石はうん千年歳の悪魔、気を抜けば手のひらの上だ。
降魔剣に関しては、決して抜かないようにと釘を刺された。
しかし、何故だろうね。
僕の根源が封じられているなら、それを開放する事に何の問題があるんだか。
まあ、破ると契約の代償が怖いので鍵で隠して決して抜かない様にしてあるけど。
「神隠しの鍵、ねえ」
どっかで聞き覚えがあるんだけど、思い出せないなあ。
「ブツブツ独り言言ってないで、行くわよ」
ああ、次実習か。
正直、姉さんに鍛えられたから剣は人並程度には使えるけど。
僕に剣の才はない。前世から。
射撃と詠唱、ナイフと体術のがずっと性に合っていた。
だけど、才能がなくても。
到達出来る高みがある。
基本の動きを源流に、様々な剣術を吸収して完成させた僕だけの流派。
陰身流。
それは身を立てる剣に非ず。
ただどれだけ、凡人が殺されずに人を効率よく殺せるかを突き詰めた剣術。
姉さんからは合格点を貰った。
ただ、これを実習では使いたくない。
そもそもが秘剣だという点。
付け加えるなら、一対一よりも乱戦混戦に有利な剣術なので実習における勝率は低くなりがちだ。
ま、無難に北部の剣術である北陰流使うか。
え、さらっと新しい流派を出すな?
では、軽く北陰流の説明もしておこう。
北陰流は、源流となる陰流が、魔物の脅威の多い北部で独自に発展、進化した剣術である。
陰流が、弱者が強者から身を守る受け身主体のカウンターを多用する剣術だったのに比べ、北陰流は防御の型多め、返し技や相手の攻撃から身を守る『簡易領域』を奥義とするなど防御に特化している。
これは、ひとえに北部が魔物との境界に位置するからである。
自分たちよりも遥かに強大な相手に対し、身を守るのではなく対等に闘う必要があったため非常に高度かつ堅実な型が多い。
それに、複数で連携して動く事で真価を発揮する剣術でもあり、実戦向きである。
かと言って実習では弱いかというとそんな事はなく、王国の剣術の中で最も攻めにくい剣術と王族の指南役が口にするほど、一対一でも強い。
まあ、とにかく一番無難な流派である。
しかし、何故か知らんが銃火器が衰退しているな。
出来れば前世と同じく竜騎士を専攻したかったのだが、どうもこの時代だと扱いが悪い様で泣く泣く諦めた。
魔術で強化すれば銃の方が剣よりも圧倒的に簡単で協力だろうに。
よく分からんな、これは。
で、僕の実習相手は……うげ。
王女様かー。
そういえばクラス隣だったなー。
ていうか通ってたんだー。
見てくれは文句なし満点の美少女なんだが、国家権力者の娘と木剣とは言え武器で殴り合えって。
やる気が起きねー。元よりやる気ないけど。
「よろしくお願いしゃーす」
「……よろしく」
えーと、名前は確か……
「アー、アレクシア?」
「それは私の母の名前ね」
「えーとじゃあ、アレックス」
「間違ってるし、しかも男性形ね」
「ならー、ア!アストレアだ。思い出した」
「そう。そこまでかかるなら私に聞いた方が早かったわね、ナギ・ノクター君」
フルネームを愛称で呼ばれると何か気持ち悪いな。
いやまあ、明らかに今のあてつけだろうけど。
「名前を何度も間違えてごめん。じゃあ、いい加減始めようか?」
「ええ。そうしましょう」
僕は最初から受けの型。
彼女は、それに合わせる様にそれと対になる攻めの型を構える。
意外だ。
相手が受けの姿勢なら攻めの型を選択するのは当然だが、それと対になる型を即座に選択出来るのは一年生がする事ではない。
ああ、そういや王族だから剣は前から習っていたんだったな。
考え事はそこで終わりにして、目の前の剣士に全神経を集中させる。
気が変わった。というかやる気が出た。
彼女の本気を受けてみたい。
受け太刀とは、ただ攻撃を防御していればいいモノではない。
見た目ほど簡単ではないのだ、実習といえども。
突き出された剣先が走った瞬間、僕は全力で前へ出た。
速い。
姉さんの様な魔力による法外な加速ではなく、人間の成せる範疇での高速の突き。
それを、剣の腹で弾く様に流し、返す太刀で下から突き上げる。
彼女は冷静に三歩下がり、突き上げる僕の剣を打ち落とし、剣を上から抑えにかかる。
このまま抑え込まれると不味い。
上から押し付ける力に逆らわず、そのまま重心の移動で剣を回し上段に構え、全力で打ち下ろす。
ギリギリで防がれ、弾かれる。
そこに派手さはなく、才能の片鱗を感じる事はなく、だが凡人の努力の跡が見えた。
力押しでは押し切れない。
その程度の技はある。
鍔迫り合いに持ち込まれると中々押し返せない。
その程度の腕力はある。
なるほど、これは厄介だ。
北陰流の弱点は、決め手にかける事だ。
北陰流における敵の倒し方は、攻めの型で堅実になます斬りにするだけだ。
つまり、通常攻撃の積み重ねしかない。
なかなか堅牢な敵を一気呵成に攻め落とす技は持っていない。
それが、北陰流が王都では流行らない理由だ。
魔物と戦わないのであれば、対人戦で決め手に欠ける剣術など使う理由がない。
だっつーのに。
ここまで北陰流を使いこなすか。
使っている技はどれも中級までだが、とにかく技の出が早い。
一つ一つの挙動の練度が違う。
恐らく何度も型を繰り返したのだろう。
北陰流の弱点は、同じ北陰流の使い手なのだ。
まさか、王族が使うとは思わなかった!しかも、北陰流の攻めの型はあまり種類が多くない。
その上で、ここまで苛烈に攻められるとは思わなんだ。
この王女、思った以上に強い。
途中から、僕は彼女に合わせる事に集中していた。
終了の鐘が鳴るまで、僕たちは剣と剣で語り合った。
こういう学生生活、送りたかったなあ……としみじみ思う今日この頃。