血を啜る者(調査編)
秋山さん家の家畜小屋。特筆すべきことはない。
小屋のドアは不用心に開け放たれており、中で繋がれている豚達が逃げ出すようなことはないにしても、盗難や今回のチュパカブラのような事件に巻き込まれて当然だろう。
昼間に出会った――――あの怪しい二人組、今はまだ来ていないが、本当に来るのだろうか。そもそも一人は素性すら怪しい女性だ。
秋山さんの家畜小屋の前で、腕を組んでそんなことを考えていると、バイクのエンジン音がどこからか聞こえてくる。
「あれは……」
赤いバイクが、ピタリと俺の前で止まった。
「こんばんは。久々津君……。ちゃんと来てくれたのね」
ヘルメットを外し、頭を振ってこちらを見たのはボスと呼ばれる女性――――藤堂鞘子だった。
バイクの後ろで不安気にボスへしがみついているのは、恐らく詩安だろう。ヘルメットを付けていて顔がよく見えないが、あの長い黒髪は詩安の物だろう。
「チュパカブラ、いるのかどうか確かめたいんです」
「……いるわ。多分ね」
微笑み、ボスはバイクから降りた。それに続き、後ろに乗っていた人物もヘルメットを外す。やはり詩安だった。
「ボス……やっぱり、帰りません?」
「駄目よ詩安。ここまで来て帰ったら、何をしに来たのかわからないわ」
「……ですよね」
嘆息し、詩安もバイクから降りた。
「久々津君……えっと、こんばんは」
「おう、こんばんは」
「べ、別にアンタに挨拶した訳じゃないんだからねっ!」
「意味がわからん」
ボスの提案はこうだった。
チュパカブラが出現するまでの間、家畜小屋の陰に隠れて様子を見る。出現し次第……どうするんだ?
「あの、チュパカブラが出たらどうするんスか?」
「その点なら心配ないわ」
クスリと笑い、ボスは着ている上着のポケットからゴソゴソと何かを取り出した。
黒光りする、まるで銃のような……
「銃で撃つわ」
「本物ですか!?」
「愚問ね久々津君。これは本物よ」
「何で持ってんスか!?」
「ネットオークションで競り落としたわ」※逮捕されます。
「銃刀法違反だー!」
良い子は絶対真似しちゃ駄目。例え買える値段でも、競り落としちゃ駄目だぞ。久々津弘人と約束だ。
得意気な顔で僕らの反面教師ボスは銃を上着のポケットの中へ戻した。アンタアメリカで暮らせよ。
「それにしても……チュパカブラって結局何なんだろうな……」
「チュパカブラ……。一九九五年前後、突如としてプエルトリコに出没した未確認生物……。宇宙生物説、宇宙人説、未確認生物説、実験動物説……そして、キャトルミューティレーション説。色々と説はあるけれど、結局どうなのかはわからないわね……」
「キャトルミューティレーション?」
俺が問うと、ボスはコクリと頷き、説明を始めた。
「キャトルミューティレーション。家畜が血を抜かれたりして異常死する現象のことよ。宇宙人によるものだという説が強いわね。今回の家畜も、血を抜かれていることなどキャトルミューティレーションと酷似している部分があるわ。もしかしたら、今晩現れるのはチュパカブラではなく、UFOかも知れないわね」
「まさか……UFOなんて、チュパカブラよりあり得ませんよ」
俺はボスの言葉に笑ってそう答えた。
「私個人としてはチュパカブラが見たいわね。わりと奇抜な姿をしているらしいし」
「奇抜な姿?」
俺が問うと、ボスはコクリと頷き、上着のポケットから赤い携帯(ホント赤好きだなこの人)を取り出し、画像を俺に見せてくれた。
背中にトサカのような物がついた……まるで宇宙人のようなイラストだった。俺は初めて見るのだが、これが噂のチュパカブラのイラストらしい。
「これは流石にいないんじゃないですかねえ……」
「どうかしら……。いないと断言したいけれど、この町なら存在してもおかしくはないわね……」
ビックリする程震えながらそう言ったのは詩安であった。肩を抱き、不安気な表情で辺りを警戒している。小動物かお前は。
「なあ、河瀬――――」
「詩安で良いわ」
「詩安、お前……」
怖いのか? 俺がそう問うと、詩安は一瞬戸惑ったがすぐにコクリと頷いた。
「悪かったわね……怖がりで」
「いや、悪いとは言ってないが……。昼間の様子と違うからさ」
「裏の私は、強いから」
「二重人格設定!?」
「昼間の私のことは、闇詩安って呼んでも良いわ。もしくはもう一人のボク」
「千年パズルでも解いたのか!?」
「諦めるな城之内君! まだ勝機はある!」
「俺は城之内じゃねえし今誰ともデュエルしてねえ!」
「相手のシールドは五枚……! これをどう破るか……!」
「それは別のカードだろ! 遊○王で通せよ!」
ボケる元気はあるらしい。
「チュパカブラ、本当に来るんですか?」
俺が問うと、ボスは静かにわからないと答えた。
「可能性としては十分にあるわ。でも、来るとも思えないし……。こうでもしないと、担当さんが……」
「担当さん?」
「〆切から逃げてる訳じゃないわ。断じて違うわ。勝手に勘違いしないで」
「俺は何も言ってねえ!」
「まだほとんど白紙に近いけど、明後日までにはなんとかなるわ。〆切今日だけど」
「アウトです!」
ボスは〆切から逃げるために今日ここへ来たようだ。
しかし、意味がないとは思わない。確かに今晩ここへ、チュパカブラが出現する可能性は十分にある。
昨日、一昨日と続けてチュパカブラは現れ、日比野さん、山中さんと続いている。既に被害のあった日比野さんの家を除いて山中さんの家から最も近い、家畜小屋のある家はこの秋山さんの家だ。今晩ここにチュパカブラが現れても、何らおかしくはない。
おかしくはないのだが、俺にはまずチュパカブラの存在が信じられない。世の中に、そんな生き物が存在するハズがない。あんなイラストのようなふざけた生き物が、存在するハズがないのだ。
故に、確かめるのだ。今晩ここに現れるのは、チュパカブラか――――変質者か。
「超常現象の起こる町……蝶上町ねえ……」
「久々津君は、超常現象を見たことがないの?」
「普通はないんじゃないか?」
問うてくる詩安に、俺は逆に問い返す。
「そうね……。でも、私は超会に入る前にも、一度超常現象と関わったことがあるわ」
「……超会?」
聞き慣れない名前を繰り返し、問うてみる。
「そういえば、久々津君には超会のこと、説明してなかったわね」
コクリと俺が頷くと、ボスは説明を始めた。
「この町、蝶上町では超常現象が頻繁に起こる――――自由に動けない警察の代わりに、超常現象を調査し、解決する。それが私達超常現象解決委員会、通称――――超会よ」
「超常現象……解決委員会……」
「どう? 久々津君も、入ってみない?」
ボスの問いに、俺は首を横に振った。
「まさか。俺は超常現象否定派ですよ。その俺が、超常現象が起こることを前提とした会に入る訳がないじゃないですか」
「確かに、それもそうね……」
ボスはしばらく考え込むような仕草をたが、すぐに胸の前で両手を叩いた。
「なら、今晩ここにチュパカブラが現れたら、超会に入ってくれるかしら?」
「良いですよ。チュパカブラが現れたら……ですね」
「何も現れなかった場合は延期。変質者が現れる……もしくは現代科学で説明出来る現象や生物の仕業であった場合は、久々津君の勝ちよ。超会に入りなさい」
「勝っても負けても超会に入ることは確定!?」
「ツッコミいないのよ。お願い、久々津君」
「ツッコミ係かよ! 尚更お断りだ!」
「トライアルコースで入会すれば良いじゃない。今なら天才の脳波になれるCDをプレゼントするわ」
「何ですかトライアルコースって! その上悪徳商法の臭いがプンプンしますよ!?」
「今なら入会金五千円。ちょっと高いけど心配しないで久々津君。貴方が超会を三人に広めて、その三人を入会させるだけで、いずれ貴方には五百万円の収入が得られるわ」
「ネズミ講だそれ! 完全に悪徳商法じゃないですか!」
ボスの隣では詩安がまあ素敵! などと合いの手を入れている。
ネズミ講は参加するだけでも犯罪です。絶対に参加しちゃ駄目だぞ。
携帯で時刻を確認すると、既に二十一時三十分。俺がここに来てから既に三十分が経過していることになる。チュパカブラも変質者も、一向に現れる気配がない。
「ボス……そろそろ帰りません?」
眠そうにあくびをしつつ詩安が言うと、ボスは首を横に振った。
「後三十分くらいで担当さんも諦めるハズよ。もう少しだけ待って」
「〆切から逃げるためかよ!」
「逃げているのではないわ。これは勇気ある撤退よ」
「勇気があろうがなかろうが撤退は逃げだ!」
そんなやりとりをしている時だった。
ガサリと。近くで音がする。
「ッ!?」
慌てて家畜小屋の入り口を見るが、チュパカブラの姿はない。
「今の間に、入ったのかしら……」
わからないわ。ボスは詩安にそう告げると、家畜小屋の入り口へと向かった。
「中を確認するわ。二人共、ついて来て」
ボスの言葉に、俺と詩安はコクリと頷き、ボスの後をついて行った。
家畜小屋の中は、特に異常がなかった。豚が襲われた様子もない。チュパカブラは中に入っていないようだ。
先程の物音は気のせいだったのだろうか……。
俺の隣で詩安が安堵の溜息を吐いた――――その時だった。
たまたま背後を振りかえった俺の視界に、あり得ない光景が映っていた。
鋭く光る赤い眼光、体毛に覆われた身体、そして背中に生えるトサカのような刺状の物。
その姿は正しく、先程ボスの携帯で見せてもらった画像そのもの――――チュパカブラだった。
驚愕で、声も出ない。
ボスと詩安はまだ気付いていないらしく、家畜小屋の中の方を見ている。
そしてチュパカブラは、その大きく赤い目でこちらをジッと見ていた。
そして素早く、チュパカブラは跳躍した。こちらへ目掛けて。
「詩安ッ! 危ないッ!」
「え――――」
チュパカブラの跳ぶ先へいたのは詩安だった。俺は素早く詩安を押し倒し、チュパカブラを回避する。
「チュパカブラ――――!?」
ボスは素早くポケットから銃を取り出し、目の前で着地するチュパカブラへと向けた。
「だ、大丈夫か……詩安」
「うん。一応……ありがとう」
礼を言い、すぐに詩安は顔を真っ赤にして俺から顔を背けた。
「どうした?」
「は、早く退いてよ……」
「え、あ……!」
俺は今、詩安を押し倒すような状態になっていた。というか押し倒している。
慌てて俺が立ち上がると、詩安も同じようにして立ち上がり、二人で頬を赤く染める。
「ご、ごめん……」
「いや、まあ助けてくれたんだし……良いわ」
そんな俺と詩安を、ボスはジト目で見ていた。
「アンタ達……よくこんな非常時にラブコメ展開なんか出来るわね」
呆れたようにそう言いつつも、ボスは銃口をチュパカブラへ向けたままだ。
チュパカブラは、銃口を向けているボスをジッと見つめている。俺と詩安はボスの後ろへ隠れるようにしてチュパカブラを見つめた。
「ルーンヤ! ルーンヤ!」
謎の奇声を発し、チュパカブラがボス目掛けて跳びかかる。と、同時に家畜小屋に銃声が響いた。
ボスの持つ銃からは弾が発射されており、チュパカブラは血を流しながらピクピクと痙攣していた。
ボスは安堵の溜息を吐くと、銃を上着のポケットの中へと戻す。やっぱそれ、本物だったんですね。
俺は未だに驚愕の表情でチュパカブラを見つめているが、詩安とボスはこういうのには慣れているらしい。俺程の驚愕はないようだ。
「久々津君」
ボスはチュパカブラから俺へと視線を移す。
「あるのよ。この町――――いえ、この世界には。こういう不思議なことがね」
「そう……みたいですね」
「もう、否定しないわね?」
コクリと。ボスの問いに俺は頷いた。
目の前で痙攣しているチュパカブラは、俺の考えを覆すには十分過ぎた。
「久々津君、ようこそ超会へ」
差し出されたボスの手を、俺はそっと握った。
チュパカブラ事件、解決。余談だが、あのチュパカブラの死体は適当に埋葬したらしい。いや、埋葬じゃなくて警察持ってって鑑識にでも回せよ。