消えた偶像(調査編)
蝶上神社。全く使われていない、神主も巫女も存在しない廃神社。蝶上町民達は、どうも隣町の神社へお参りしているのだとか。何故蝶上神社に誰もいないのか、前に一度神社を掃除していたお婆さんに聞いてみたことがある。
「この神社の人達はねぇ、神様を信じていないから、バチが当たったんだよ」
その時点では具体的なことは聞けず、どうしても気になった俺は図書館等で入念に調べてみた。すると、この神社の神主が事故死していることが判明した。
金に困っていた神主は、神社の神具を勝手に売り払い、自分の利益にしたのだという。そしてそれから数日後、その神主は交通事故で命を落とした。
事故後、神主のしたことは全て明るみに出、町中で「バチが当たったんじゃないか」と噂されるようになった。
それが真実だったのかはわからない。だが、気味悪がった人々は次第にその神社を避けるようになった……というのが、蝶上神社が現在の状態に至るまでの経緯。
そんな神社の偶像が、何故姿を消したのか。
そんなことを考えつつ、俺とシロは石段をひたすら上っていた。
この神社の石段は無駄に長いことで有名で、往復で十五分くらいかかる。野球部等がトレーニング等で使っているところがよく見かけられる程に、この石段を登るのは体力が必要になるのだ。
運動不足な俺がゼェゼェ言いながら歩いているのに、対して、シロは相変わらずの無表情だった。まあ、当然だろうな。
「降ろして良いか……?」
「嫌」
石段の一段目から、ぶっちぎりでシロをおんぶしっ放し。
「あのな、運動せずに菓子ばっか食ってると太るぞ」
「太らない」
「何を根拠に!?」
「ご飯食べないから」
「滅茶苦茶身体に悪いじゃねえか!」
「お菓子イズご飯。ノープロブレム」
「プロブレムしかねえよ! 偏った食生活は身を滅ぼすぞ!」
「お前は保険の教科書かー」
「妙に無気力だし、ツッコミを入れられるとこじゃねえよ今のは!」
「愛読書は保険の教科書かー」
「半端に不健全だな!」
「主にスポーツに関する部分」
「すごく健全だった!」
「の女性アスリートの写真」
「やっぱり不健全!?」
「流石弘人」
「俺は別に保険の教科書なんか愛読してねえよ!」
「りゅうせきひろと」
「小学生みたいな読み間違いだな!」
「りゅうせきひろしじん」
「どんな人種だそれは!」
「つまり弘人」
「違ぇよ! 間違いなく日本人だよ俺は!」
「お前は日本人かー」
「ええそうですとも!」
不毛な会話だった。
偶像の消えた、本当に何もなくなってしまったような神社。いつもなら調査になんてあまり行きたがらないシロが、何故この神社へ行きたがったのか……。この石段に来るまでの間、何度か本人に訊いてみたのだが、答えようとしない。ただ、意味深に首を横に振るだけだった。
ただでさえ謎が多いシロ。もしかすると、この神社の件と何か関係があるのだろうか、と勘繰ってしまう。実際の所はどうかわからないが。
「まだあんのかよ……」
石段の上に腰掛け、呼吸を整えつつ石段の果てへと視線を向ける。長い石段は、まだまだ続きそうな様子だ。
「疲れた」
「お前は一歩も歩いてねえだろ!」
「疲れまくり」
「俺の台詞だ!」
「休みたい」
「休みっ放しだろお前は!」
「足がきんぴらごぼうのよう」
「調理されている!?」
「甘辛く炒めてあります。お一つどうぞ」
「それ食べちゃうと食人文化だよねえ!?」
「シロ足きんぴらごぼう。時価七億」
「滅茶苦茶高ぇ!」
「神の足だから」
「いつの間に神格化!?」
「…………」
「……シロ?」
今のはボケ――――のハズだ。しかし、こちらを見るシロの目は真剣そのものだった。
「行こう」
しばらく沈黙した後、シロはそう呟いた。
「早く、神社に」
「……わかった」
釈然としない気分のまま、俺はおんぶしているシロの位置を両手で調整し、ゆっくりとまた石段を上り始めた。
長い長い石段の末、俺達はやっとのことで蝶上神社へと到着した。早速中を調査するべきなのだが、俺は石段の一番上へ腰掛け、ゆっくりと呼吸を整える。
「……長かった」
「そうですね」
「テレフォンショッキング……?」
「そうですね」
「それにしても疲れたな」
「そうですね」
「お前は疲れてないだろ!」
「そうですね」
「シロがおぶさってなきゃもっと楽だったんだが……」
「そうですね」
「認めんのかよ!」
自覚はあったそうです。
一休みした後、俺はシロと共に神社の中を調査することにした。
左右に灯籠の並ぶ参道を、ゆっくりと歩いて行く。
偶像が消えていることを発見した日、とりあえず掃除だけはしたらしく、辺りはまるで今も使われているかのように小奇麗だった。何も、ないのに。
どれだけ綺麗でも、人がいなければ……ここはただの虚無な空間。何もないことに変わりはない。
忘れられた神社、忘れられた神。
もしかすると偶像は、この寂しい場所から抜けだしただけなのかも知れない。と、そこまで考えて俺はかぶりを振る。いくら蝶上町とは言え、考えにくい。
賽銭箱付近まで近付くと、狛犬が二体並んでいるのが見えた。
ギロリと。狛犬達はこちらを睨んでいるようにも見えた。
――――今更、何の用なのか? と。
狛犬の視線を避けるかのように、俺は狛犬から目を逸らし、賽銭箱へ視線を向ける。
「何も、入ってないんだな」
賽銭箱の中を覗き込み、そう呟く。
「空っぽ。何もない」
シロはそう呟き、俺と同じように賽銭箱を覗き込む。
この中に、賽銭が入っていた頃はこの神社にも人間がいて、こんな寂しい場所じゃなかったんだろうな……。
ポケットに手を突っ込み、中から小銭入れを取り出す。
「弘人?」
シロの問いには答えず、俺は小銭入れから百円玉を一個取り出すと、賽銭箱の中へゆっくりと放った。
賽銭箱の中へと入っていく百円玉を、シロは不思議そうに目で追いかけている。
コトリと。音がした。本当なら、他にも硬貨が入っていて、チリンとかチャリンとか金属のぶつかる音が聞こえるハズなのに。
「弘人……」
「これで、少しは寂しくないかもな」
そう言って、俺は胸の前で両手を合わせ、ゆっくりとお時儀する。俺に倣い、シロも同じようにお辞儀した後、二人で顔を見合わせた。
「たまに来ような」
「……うん」
そう言って嬉しげに、シロは微笑んだ。
「偶像って、つまりこの神社の御神体が消えたってことだよな?」
俺の問いに、シロは小さく頷く。
「本殿の中に」
「ああ」
頷き、俺が本殿へ向かって歩き出そうとした時だった。
「……シロ?」
ピタリと。シロは止まったまま動こうとしなかった。
「超常現象」
呟くように言い、そのままシロは言葉を続ける。
「この町、蝶上町では超常現象が頻繁に起こる」
「それが……どうしたんだよ……?」
超会が活動する際の大前提。それを何故、今シロが?
「何故だか、考えたことある?」
俺の方へ視線を向け、真っ直ぐに俺の目を見据えてシロはそう問うた。
「何故って……」
蝶上町だから? 否、それは正しい解答ではない。それは理由にはならない。具体的な理由、蝶上町で超常現象が起こる、理由。
「チュパカブラ。花子さん。ネッシー。鈴鳴らし。キョンシー。人面犬。口裂け女」
ゆっくりと。まるで反芻するかのように、シロはこれまで俺達が出会った超常的な存在の一部を、羅列していく。
「全てに共通することは」
「共通点……?」
「そう」
頷き、シロは一言。
「噂」
そう、言ったのだ。
「噂……?」
噂。人々の間で囁かれる、真偽不明の情報。
電話、メール、掲示板、口コミ。様々な伝達手段で、まるで病のように伝達していく、情報。それが、噂。
誰かの善意か、はたまた悪意か。噂は、今も昔も変わらず、どこにだって存在り続ける。人さえいれば、いつまでも。
「噂は、時に真実となり得る。空想の存在も、信じる者にとっては実在する存在」
――――噂や都市伝説、信じている人がいるなら、それは事実。
あの時、鈴鳴らし事件の時、確かにシロはそう言った。
蝶上小学校の旧校舎女子トイレに、花子さんが出るらしい。
蝶上湖に、ネッシーが出没するらしい。
雨の日に鳴る鈴の音、それを鳴らす「鈴鳴らし」に出会うと、死ぬらしい。
血を抜かれている女性死体、犯人は吸血鬼らしい。
最近、この町には人の顔をした犬、人面犬が出るらしい。
口裂け女が、蝶上町に出没するらしい。
いつだってそうだ。俺達が調査した事件は、必ず町内での噂を伴っていた。般若さんだって、そうだ。般若さんを題材にしたドラマ、あれが噂になってから、般若さんは犯行を始めた。
――――人の思いは存在を変質させる力があるのです。
脳裏を過る、インキュバスと名乗る男から聞いた言葉。思いは、存在を変質させる。いや、それだけじゃない。
「強い思いは――――存在そのものを、生み出す……」
そう呟いた俺を見、シロは小さく頷いた。
「信じる人間にとっては、噂であろうとなかろうと、確かにソレはそこに存在る」
架空は、事実となり得る。
「待ってくれ。もしそうなら、何で蝶上町でだけ起こるんだ? この町以外にも、超常現象の存在を信じている人間はごまんといるハズだぞ」
「そう。だからこの町は、異常」
そう言って、シロは俺に背を向け、スタスタと歩き始めた。
「どこ行くんだよ?」
「本殿。付いて来て」
振り向きもせず、そう言ったシロの後ろを、俺はゆっくりと付いて行った。
本殿の中。厳かに飾り付けられた空間の奥に、偶像は確かに存在するハズだった。
しかし、そこにあるのは空虚な空間。何もない、ただただ虚無な。
崇めるべき存在を、失っている。
「ホントに、消えてるんだな」
俺の言葉に頷き、シロは御神体が飾られていたのであろう囲いの中へ、ゆっくりと入って行く。
「おい、入っちゃまずいだろ!」
俺の忠告を聞かず、シロは中へ入ると、俺の方を向いた。
「これが、あるべき姿」
「え……?」
「私は、白ノ神」
しろのかみ……白の神、白い神。
「私が、この神社に祀られていた、神」
いつものように無表情で、シロは平然と告げた。
「嘘……だろ……?」
信じられなくて、俺はそう問うた。いつものボケだから、つっこめば良いとも思った。だが、シロは静かに、首を横へ振った。
「神としての私の力が、人々の思いを具現化させる」
人々の思いを、具現化させる。
――――確かに貴様なら、わかるだろうな。
吸血鬼と名乗る少女、ルナがシロに対して告げた言葉。
シロが神なら、キョンシーがどこにいるのかわかっていても、何ら不思議ではない。
「私は、忘れられていた」
寂しげにそう言って、シロは言葉を続ける。
「忘れ去られた神に、何の価値がある?」
「だから、消えたのか」
「そう。寂しかった」
でも、と付け足し、更にシロは言葉を続ける。
「貴方達に、会えた」
「超会……に?」
「……そう」
突如として超会に現れたシロ。
毎日のように本部へ現れたシロ。
――――寂しかった。
だからシロは、人を求めていた。触れあえる人間を、求めていた。
超会に出会ったのは、偶然かも知れない。でも「超会」と言うその空間は、誰もいないこの神社より、シロにとって何倍も居心地の良い場所だったに違いない。
「でも、『般若さん』の事件から、ずっと考えていた。私の存在が、弘明を殺した」
工藤弘明。俺が超会に入る前に、般若さんの手によって命を落とした青年。彼の死を、シロは自分のせいだと言うのか。
「それは……!」
「私がいなければ、この町に超常現象は起こらない。なのに私は、未練がましく貴方達の元に残っていた」
間違っては、いない。超常現象を現実のものとする力の源が、シロにあるのだとしたら――――
でもそれは、あまりにも寂しい解決策。
「だから、俺達の前からも消えるって……そう言いたいのか……?」
「そう」
淡々と、シロはそう答えた。本人は、いつもと変わらない表情のつもりなのだろう。だが、シロの目は明らかに潤んでいた。今にも泣き出しそうな、見かけの年齢相応の、少女の表情。
「でも、まだやり残したことがある」
「やり残したこと……?」
俺がシロの言葉を繰り返した、その瞬間だった。
「――――ッ!?」
閃光弾が如き眩い光が、本殿を包み込み、俺の視界は奪われた。
「シロ……ッ!」
目を閉じつつも、シロの名前を呼ぶ。返って来た返事は――――
「ありがとう」
さよならじゃなくて、ありがとう。
光が収まり、俺の視界が戻った頃には、そこにシロの姿はなかった。
「シロ……?」
答えはない。返って来るのは、静寂のみ。
俺以外に誰もいない、空虚な空間。
「おい、いるんだろ……? 返事しろよ! おい!」
辺りをキョロキョロと見回しつつ、シロの姿を捜す。が、どこにもシロの姿はなくて。
直感的にわかった。
シロは――――俺達の前から姿を消した。
「シロォォォォォッ!」
俺の叫びは、空しく響くだけだった。
未解決。