私、キレイ?(調査編)
「ねえボス……。大丈夫かな……」
不安げに、理安が問う。
「あの二人のこと?」
資料から目を離さず、ボスがそう答えると、理安は小さく、うんと答えた。
「『口裂け女』って、襲い掛かってくるハズだし……殺されちゃうかも知れないよ……?」
いつもの陽気な姿からは想像出来ない程、理安は不安げな様子だった。
「なんだかんだで、貴女と詩安、似てるわね」
「……え?」
「心配性なのよ。貴女も詩安も」
そう言い、ボスはクスリと笑った。
「大丈夫よ。今回は」
夕方の真っ赤に染まっている。夕日に照らされ、真っ赤に染まった蝶上町――――美しくもあり、怖くもある。
そんな真っ赤な蝶上町をゆっくりと歩きつつ、俺達は蝶上第一公園へと向かっていた。
蝶上第三公園、そここそが現在流行中の「口裂け女」多発地帯らしいのだ。
資料によれば、「口裂け女」は三という数字を好む、という噂があるらしい。蝶上第三公園に多発するのはそれが理由……かも知れない。
「なあ、詩安」
歩きつつ、詩安に言う。
「なぁに久々津君」
「歩きにくいから、いい加減離れてくれ」
ベッタリだった。
それはもうベッタリで、まるでカップルなんじゃないかと勘違いされてしまう程に、詩安はベッタリと俺にくっついていた。若干震えつつ。
最初の内は大目に見ていたのだが、流石にいい加減歩き辛い。
「えー」
「えー、じゃねえよ!」
「だって怖いじゃない。空飛ぶ傘」
「あくまでそっちが怖いのか!」
「傘飛ぶ空」
「入れ替わってる入れ替わってる!」
「カトラブサソ」
「最早何だよそれは!」
謎の呪文はさておき、俺達は蝶上第三公園へと到着。「口裂け女」の噂のせいか、公園には俺達しかいなかった。
何も作られていない砂場は、灰色の砂漠のようで、どこか物寂しかった。ブランコや滑り台も、遊ぶ者がおらず空しく放置されている。
「ここが『口裂け女』多発地帯……か」
呟き、ベンチの上へゆっくりと座る。するとその隣へ寄り添うように、詩安がベンチへ座った。
「出るの……かな。ホントに」
不安げに、詩安はそう問うた。
出ないから安心しろ、そう言ってやりたいのは山々なのだが、そういう訳にはいかない。そもそも、俺達はここへ「口裂け女」を調査するために来た訳だし。
「……さあな。でもこの町は――――」
「蝶上町、よね」
そう呟き、詩安は嘆息する。
「それにしてもお前、ホントに怖がりだな……」
「……悪かったわね」
ムッと顔をしかめ、詩安はプイッとそっぽを向く。
「いや、別に悪いとかじゃないんだが……」
「久々津君は……強い人の方が、好き?」
「……え?」
上手く聞き取れず、俺は聞き返したが、詩安は何でもない、と答えるとまたそっぽを向いてしまった。俺、何か悪いことしたっけ……。
「なあ詩安、お前はどうして超会に?」
「……私が、超会に入った理由?」
コクリと。詩安の問いに俺は頷いて答える。
「超常現象なんて、基本的に怖いことばっかだってのに……怖がりのお前が超会に入った理由って、一体何なんだ?」
それは、前から気になっていたことだった。
極度の怖がりである詩安が、何故超会なんかに入ろうと思ったのか……。俺が詩安なら、超会に入ろうなんて絶対に考えない。怖い思いをするのが目に見えているのに、わざわざ超常現象に関わろうなんて……。
故に、何か理由があるのだと思う。超常現象へ関わろうとする、その理由が。
「ねえ久々津君。『妖精事件』って知ってる?」
「『妖精事件』……?」
詩安の言葉を繰り返した俺に、詩安は小さく頷いた。
――――妖精事件。聞いたことがない訳ではない。
今から五年程前に起きた事件で、小学生五人が突如として姿を消し、五日後、一斉に帰って来るという奇妙な事件だ。ニュースで随分と騒がれていたし、彼らが消えていた五日間の新聞は「妖精事件」のことばかり書かれていた。
「五年前に起きた、児童集団失踪事件、それが『妖精事件』」
そこで一瞬、彼女は険しい表情を見せたが、すぐに言葉を続ける。
「久々津君、この事件が『妖精事件』と呼ばれている理由、わかる?」
「……いや。覚えてない」
何か理由があったのは覚えているのだが、もう五年も前のことだし、当時の俺は世間を騒がせている事件よりも、テレビゲームに夢中だった。なんて子供らしい。
「何をしていたのかと問うと、帰って来た児童が全員、『妖精と遊んでいた』と答えたことから、この事件は『妖精事件』と呼ばれているの」
「妖精と遊んでいた……って……」
俺が怪訝そうな表情を見せると、詩安はかぶりを振る。
「結局、原因はわからず仕舞いだったわ。失踪中に見た白昼夢か何かなんじゃないかって、ニュースでは報道されてた」
でも、と詩安は付け足して、言葉を続ける。
「絶対におかしい。失踪した五人が、五人共同じ白昼夢を見るなんて、絶対にあり得ない。けど、だからって妖精と遊んでいたなんて突飛な話が、真実だとも思えないの」
「その五人の中に、詩安の知り合いでもいるのか?」
俺がそう問うと、詩安はコクリと頷いた。
「理安よ。あの子は、『妖精事件』の被害者なの」
「――――ッ!?」
動揺を隠せなかった。
あの理安が、そんな事件に巻き込まれていたなんて、想像もつかなかった。ただ驚愕に表情を歪める俺の隣で、詩安は嘆息する。
「私が超会にいる理由は、理安が消えた理由を――――『妖精事件』の真相を突き止めるため。理安が超会に入ったのは、面白半分みたいだけどね」
そう言って、詩安はクスリと笑う。
ボスと、似ている。勿論、状況は違うのだろうけど、詩安の理由とボスの理由は、よく似ていた。
失踪した妹。わからない原因。無力への苛立ち。
「詩安、俺で良ければ力に――――」
言いかけた、その時だった。
そっと。俺の唇へ詩安の人差し指が乗せられる。
「え……?」
間抜けな声を上げた俺の顔を真っ直ぐに見、詩安は微笑んだ。
「ありがとう久々津君。気持ちだけで嬉しい……。でもこれは、私が……私の力で解決したいの。どうしても私だけじゃダメそうなら、その時は久々津君の力を貸してくれると嬉しい」
そう言い、ゆっくりと俺の唇から指を離す。
「……ああ」
短く答えつつ、唇に残る詩安の指の感触を反芻し、恐らく俺は赤面していた。
しばしの沈黙の後、俺と詩安は他愛もない雑談で暇を潰した。「口裂け女」が現れる気配はなく、夕日に染まった真っ赤な景色を眺めつつ、俺と詩安は雑談を楽しんだ。
「にしても、現れねえな……『口裂け女』……」
「そうね。爆死したんじゃないかしら」
「何故に爆死!?」
「ライダーキックでもモロに喰らったんじゃないかしら」
「確かにそれだと爆死するだろうけども!」
「仮面ライダー……良い仕事したわね」
「さらっと帰ろうとすんな!」
ベンチから腰を上げ、帰ろうとする詩安の腕を引っ張る。
「まだ時間もあるし、もう少し待って――――」
詩安の腕が、小刻みに震えている。冗談などではなく、正真正銘恐怖による震え。
「……詩安?」
立ち上がり、詩安が凝視する方向へ、俺も視線を向ける。
「――――!」
と同時に、絶句。
その視線の先にいるのは、一人の女だった。
詩安程の長さではないが、長い黒髪。赤いロングコート。そして口元を覆う――――白いマスク。
直感的に理解する、「口裂け女」が現れたのだ、と。
ゆっくりと。「口裂け女」は俺と詩安の方へと歩み寄って来る。
掴んだままの詩安の右腕から伝わる震え。それに呼応するかのように、俺自身も震えていた。あまりの恐怖に、動くことすら出来ずに硬直してしまっている。
逃げなければならない。彼女の容姿を見れば、「口裂け女」であることは明白。逃げなければならないハズだというのに、恐怖に震える俺と詩安の足は、一向に動き出そうとしない。
気が付けば、彼女は俺達の目の前まで来ていた。
「あ……あ……」
言葉にならない声を上げ、詩安はより一層激しく震える。
彼女の方は、マスクで口元が隠れているため、一切表情が読めない。瞳からも表情を察することが出来ないが、確かに俺達を真っ直ぐに見つめている。
「ねえ」
マスクの奥から聞こえる、彼女のくぐもった声。
次の言葉は聞かなくてもわかる。
「私、キレイ?」
そこで、詩安が声にならない悲鳴を上げた。
「……?」
だが、俺は、目の前の「口裂け女」に対し、違和感を抱いていた。
どういうことだ?
「ねえ、キレイ?」
そう問うてくる彼女――――「口裂け女」の声は、どうしようもなく不安げだったのだ。
いつの間にか、俺の震えは止まっていた。
「アンタ……」
彼女に声をかけ、そっとそのマスクへ手をかける。
「く、久々津君っ!?」
隣で、詩安は素っ頓狂な声を上げる。それには答えず、俺はそのまま一気にマスクを引き剥がす。
「あ――――」
短く、彼女は声を上げた。
彼女の口は、耳まで裂けていた。
紛れもない、「口裂け女」だ。しかし、彼女の様子はおかしかった。
「あ、ああ……」
今にも泣き出しそうな表情で、彼女は懸命に両手で裂けた口を隠す。しかし、彼女の小さな両手で、耳まで裂けた口が隠れ切る訳もなく。
「返……して」
泣きそうな声で、俺の右手にあるマスクへ、彼女は右手を伸ばす。
「え……?」
先程まで震えていた詩安も、彼女の異変に気づいたらしく、短く驚愕の声を上げる。
「そういうことか」
人の思いは、存在を変質させる力がある。
前に、インキュバスと名乗る男が言った言葉。
彼女――――「口裂け女」もそういうパターンだ。
「アンタは、『口裂け女』なんかじゃない」
そう、俺は言い放った。
「久々津君、それって……どういうこと?」
落ち着きを取り戻した詩安が、俺に問う。
「彼女は多分、普通の……女性の霊だ。ただマスクを付けているだけのね」
「それじゃあ、何で口が裂けて……」
「人の思いは、存在を変質させる。彼女もその一例ってことだ」
ただ、マスクを付けているだけの女性の霊。その姿はあまりに「口裂け女」にそっくりで、たまたま「口裂け女」の噂が広まっているこの時期に目撃され、彼女の存在は「口裂け女」として広まった。それ故に、彼女という存在は変質した。「口裂け女」として、口が耳まで裂けた化け物として、変質したのだ。
――――私、キレイ?
どうしようもなく不安げなあの言葉。
「綺麗だよ」
優しく、そう告げた。
「口元を隠す必要なんてない。アンタの口は、裂けてなんかないんだ」
「裂けて……ない……?」
呆気に取られたような表情で、彼女は問うた。それに、俺はコクリと頷く。
恐る恐る、彼女は自分の頬へ手をやった。彼女が触れたのは、口ではなく、「頬」。
――――彼女の口は、裂けていない。
「あ……」
驚嘆の声を上げ、彼女は俺を凝視する。
「ありがとう」
そう一言告げ、彼女は俺へ抱き付いた。けれど彼女の両腕が、俺の背中に回されることはなかった。まるで霧のように、彼女の姿は消えて行く。
消える寸前、彼女が俺に見せた表情は――――
驚く程に、キレイだった。
あれから、「口裂け女」の噂を聞くことはなかった。
彼女が成仏したためか、それとも、単に飽きてしまったのか。それを判断する術はないが、あんな噂はもう、広まらなくて良い。
「で、ボスはわかってて俺と詩安を行かせたんですね?」
俺の問いに、ボスは微笑する。
「少し前に……蝶上町である女優がなくなったわ。マスクを付けた状態でね」
そう言って、ボスは俺へ昔の新聞記事を手渡す。掲載されている写真に写っているのは、紛れもなく彼女だった。
「彼女、初主演のドラマの撮影日の前日に亡くなったのよ。ドラマの撮影のために、マスクを付けて風邪対策、ロングコートで防寒対策をして、ね。でも、彼女は交通事故で運悪く命を落とした……」
「その女優の霊が、彼女だった訳ですね」
コクリと。ボスは頷く。
「それにしても抱き付かれるなんて……。久々津君はモテまくりね」
「モテまくりって……。彼女一人に抱き付かれただけですし……」
そう言った俺を見、ボスは含み笑いをすると、詩安と理安の方へ視線を向ける。
「お姉ちゃんこれ見てー!」
理安が詩安に差し出したのは、ホラー映画のDVDのパッケージ。
「ちょっと! やめてよ理安!」
それに怯え、詩安は机の下へ潜り込んだ。
克服……出来てないな結局。
「いいえ、久々津君はモテまくりよ。気付かない方が面白いかも知れないわね」
クスリと。ボスは再度微笑した。
口裂け女事件、解決。