鬼が来る(中編)
――――般若さん。数週間前から蝶上町を騒がせている、連続殺人鬼。
その犯行は凶悪かつ残忍、その上神出鬼没。ここ最近、既に五人を同じ方法で殺害している。
「でも般若さんっても、ただの犯罪者だろ? 俺達超会とは、関係ないハズだぜ?」
俺の言葉に、ボスは首を横に振った。
「いいえ。確かにただの犯罪者に見えるけど、私が超常現象として扱うのには理由があるのよ」
理由? そう問うた理安に、ボスはコクリと頷く。
「般若さんって言うのはね、この蝶上町で伝承され続けている伝説なのよ」
「伝説……。じゃあ、般若さんってのは昔からあった話なのか?」
小さく、ボスは頷くと、取り出した用紙の内一枚を、机の上で俺の方へと滑らせた。
「これ……」
「蝶上町の郷土館で借りた、古い文献の一ページをコピーしたものよ」
そこに描かれていたのは、般若の面を付けた屈強な男だった。右手には太い鉈を持ち、左手に持っているのは……。
「ボス、この……般若さんが左手に持ってる物って……」
「……工藤君、ちょっと見せて」
そう言って身を乗り出し、詩安は俺から用紙を奪い取る。
「おい、馬鹿――――」
言いかけた時には既に遅く、詩安は用紙の方へと目を落とし……絶句。詩安の手からハラリと用紙が畳の上へ落ちて行く。
「何? どうしたの?」
興味津津な様子で理安は問うたが、詩安は答えない。プルプルと震え、顔は青ざめている。
「――――っ!」
甲高い悲鳴が、超会本部及びその近所に響いた。
「怖がりの癖に興味本位で見るなよな……」
呟きつつ、俺は詩安の元まで行き、傍に落ちている用紙を拾い上げる。
描かれているのは、右手に鉈を持つ般若さんと思しき男……。彼の足元には、一人の人間が倒れている。どういう訳かその顔は黒く塗り潰されており、その傍には、般若さんが付けている物と同じ般若の面が置かれている。
そして、般若さんが左手に持っているソレは。
「人の顔。般若さんは、鉈で人間の顔を切り裂くのよ……表面だけ、まるで顔を奪うみたいに……」
ボスがそう言うと、小さく悲鳴を上げて詩安が素早くその場に蹲り、耳を塞いだ。何でこの子は超会にいるんだろう。
嘆息し、再び用紙へ視線を戻す。
般若さんが左手に持っている顔は、紛れもなく人間の物だ。コピーが粗いため見えにくいが、その表情は苦痛と恐怖に歪んでいるように見えた。
「ねえ、見せて」
「ん、ああ……」
少し心配だったが、理安なら大丈夫だろう。俺は用紙を理安へと手渡す。
理安は数秒、用紙を凝視したが、見るに堪えなかったのかすぐにこちらへ用紙を返した。
「この殺し方って……」
「ええ。今蝶上町で起きている『般若さん事件』と同じ殺し方よ」
険しい表情でボスはそう言うと、今度は新聞紙をバッグから取り出した。最近の物らしく、見出しに大きく「般若さん、多発」と書かれている。あまり上手い見出しとは思えないが、「般若さん」という単語だけでも目を引くだろう。
写されているのは被害者の写真、十五、六歳程度の少年の写真で、金色に染めた髪を短く刈り上げており、耳にはピアスが付いている。風貌からして、彼の素行が悪いのは明白だった。
「犯人――――般若さんは、伝説と同じように鉈を凶器として使っているらしいわ。あくまで噂だけれどね……。そして必ず被害者から――――」
「顔を、奪うんだな」
ゴクリと。俺は唾を飲み込んだ。
顔を奪うという猟奇性……聞いただけでも恐怖を感じることが出来る。
過去に、全米を震撼させた殺人鬼……エド・ゲイン。彼もまた、般若さんと同じく猟奇的な殺人を行っていた。彼の場合は、般若さん以上の異常者で、殺害した被害者を解体し、その身体を家具や日用品に加工して扱っていたという……。考えただけで胸糞悪くなるような殺人鬼だ。この般若さんも、エド・ゲインと同じような異常者ではないか。そんな仮説が、俺の中で浮上する。
「エド・ゲイン……ね」
そのことをボスへ伝えると、ボスは考え込むような表情を見せた。
「違うと思うわ」
「じゃあ、何で般若さんはこんなことを……?」
「伝承の模倣、もしくは……伝承の復活」
「復活……か」
道理でボスが般若さんを超会で扱った訳だ。
「これまで般若さんは、伝承通りに犯行を繰り返したわ」
「その般若さんの伝承っての、そろそろ教えてくれないか?」
ボスが小さく頷いた時だった。
ガチャリと。ドアが開かれる。それと同時に、全員の視線が、ドアの方へと向けられた。
「右手には鉈、顔には般若の面。般若さんは悪い子供の顔を奪う。そして顔の代わりに、般若の面を置いて行くんです」
そう言って、彼女は俺の隣にちょこんと座った。長い茶髪を、一つに結わえて肩にかけている。おっとりとした優しそうな顔付きのわりに、その瞳には確かな意思が感じられる(と思う)。
日比野美耶が、俺の隣に座っている。
「美耶。遅かったな」
「ええと、ちょっと時間かかっちゃったんです」
そう言って彼女がポーチから取り出したのは、古びた一冊の本だった。
「ボスが、般若さんについて調べるって言ってたので、図書館へ借りに行ってたんですが……探すのに時間かかっちゃいまして」
本を机の上に置き、美耶はふぅ、と息を吐いた。
「般若さんのことなら、私が調べたのに……。まあ良いわ。続きは貴女が話して頂戴」
ボスの言葉に、美耶ははい、と頷き、チラリと蹲った詩安の方へ視線を向けた。
「あの、詩安ちゃん……どうしたんですか?」
「ああ、気にすんな。いつものことだ」
俺がそう答えると、美耶はクスリと笑い、立ち上がると詩安の元へと歩いて行く。
「詩安ちゃん、大丈夫?」
美耶が問いかけると、詩安は顔を上げ、涙目で美耶を見つめる。
「……美耶さぁん……」
その様子を見、美耶はニコリと微笑んで詩安の頭を撫で始めた。
「もう、ダメですよ皆さん。詩安ちゃんに怖い物見せちゃ」
ホント何であの子超会にいるんだろ。
「もう怖くないですよー」
何か母性本能くすぐられまくったらしく、美耶は詩安をそっと抱き締めた。
何これレズい。
思いの外脱線。
美耶は俺の隣へ戻ると、今度こそ般若さんの伝承について説明すると言う。詩安は美耶から警告を既に受けたらしく、耳を塞いで蹲っている。ホント何でこの子(以下略)。
「それじゃ、続きを話しますね」
おおそうしてくれ。っつか緊迫してた雰囲気が美耶のおかげで台無しだ。まあ緊迫してる必要性もまりないんだが……。
「般若さんは、さっきも言ったように、悪い子供を襲うんです。そして、その鉈で顔の皮を引き剥がし、奪って行くんです」
「……どうしてそんなことを?」
理安が問うと、美耶は一瞬答えにくそうな顔をした。
「彼、般若さんは、日本版『オペラ座の怪人』なんです」
「『オペラ座の怪人』って……あの?」
コクリと。俺の問いに美耶は頷く。
オペラ座の怪人――――生まれつき醜悪な顔に生まれてしまった、悲劇の男エリック。怪人ことエリックの葛藤と悲劇を描いた作品だ。
般若さんが、その「オペラ座の怪人」の日本版、とは一体どういうことなのか。
「般若さんは伝承によると、『オペラ座の怪人』――――エリックと同じように、醜悪な顔に生まれていたんです」
「それで、般若の面を?」
しかし、その問いに美耶は首を横に振った。
「いいえ。彼は外に出ないようにしていたそうです。彼が般若の面を身に付けたのは……ある事件の後なんです」
「ある、事件?」
美耶の話はこうだった。
蝶上町が、まだ村だった頃。
林業を営む般若さんの家、般若さんは夜中に仕事をしていた。だがある日、自宅から出てきた般若さんを、偶然出歩いていた村民に見つかってしまった。その上、顔を見られてしまったのだ。
般若さんの噂は、瞬く間に村中へ広がって行った。あの家には怪人がいる、と。
毎日のように般若さんの家には石や木片が投げ入れられた。村の子供達の仕業だった。罵倒し、蔑み、石を投げ入れたのだ。
そして、投げ込まれた石は、老衰している般若さんの母親へと直撃したのだ。
その衝撃を原因に、般若さんの母は命を落とした。父のいなかった般若さんを、女手一つで、林業と両立させながら般若さんを育て続けていた母を失った般若さんは――――激昂した。
鉈を持ち、顔には般若の面を付け、夜の村へと飛び出した。
狙うのは――――子供。般若さんの母を殺す要因となった、村の子供だ。
彼は子供を殺害し、顔の皮を剥ぎ取り、持ち帰った。子供の死体には、顔の代わりに般若の面を置いて行く。
――――綺麗な顔が、そんなに偉いのか!
そんな言葉を、残したこともあるらしい。
美耶は話し終えると、どこか居心地悪そうな顔をし、嘆息した。他のメンバー(詩安を除く)も、険しい表情のまま黙っている。
「それと同じことが、今蝶上町で起こってるんだね」
沈黙を破り、理安が呟く。
この話で、先程新聞に載っていた被害者……あの少年が殺された理由がわかった。恐らく、素行の悪さ。
ここからは俺の立てた仮説だが、般若さんはあれから悪い子供をひたすら殺す、ただの猟奇殺人鬼と化してしまったのだろう。その顔を面で隠し、林業に使われるハズだった鉈で、顔の皮を剥いでいく。
霊なのか、妖怪なのか、それともまだ……人間なのか。
「般若さんの事件が起き始めたのは、一ヶ月前からね……。関係があるかどうかはわからないけど、般若さんの伝承が、蝶上町のローカル番組でドラマ化された時期よ」
そういや録画したまま見てないな、アレ。
「伝承だと、般若さんは犯行予告なんかしていないわよね?」
ボスが問うと、美耶はコクリと頷いた。
「今蝶上町で犯行を繰り返す般若さん、彼は殺害する前日に、被害者の家の玄関に般若の面を置いて行くそうよ。そう言えばドラマ版ではそうだったわね」
うわ、急に胡散臭くなった。
「じゃあ、ただの模倣犯じゃねえかよ」
「かも、知れないわね」
そう言って、ボスは嘆息すると同時に、バン! と机が勢いよく叩かれた。
「許せません! いくら相手が素行の悪い子供だからって、それは殺して良い理由にはなりません!」
「美耶……」
見ると、美耶は本気で起こっているらしく、顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。
「模倣犯なら尚更許せません! ボス、調査させて下さい!」
「お、おい美耶……!」
ボスは呆れたような表情を見せたが、すぐにニコリと微笑んだ。
「仕方ないわね。超常現象とは関係なさそうだけど、良いわ。工藤君、一緒に行きなさい」
「な、何で俺が……?」
「女の子一人、殺人鬼が現れる場所へ行かせる気? 空手二段の貴方なら、イカれた殺人鬼くらい対抗出来るハズよ」
空手二段っても、別に俺組手が強い訳じゃないからな。組手は並みだからな。などと言い訳をしたところで、美耶は止まらないし、ボスも聞かないだろう。
「蝶上小学校付近の花霧さんの家に、般若さんの犯行予告があったそうよ。行ってみる?」
ボスの問いに、何ら躊躇することなく、美耶ははい! と答えた。そして俺の方へ視線を移し、ジッと見つめる……ああ、わかったよ。
「しょうがねえな……。俺も行くよ。確かに、美耶一人で行かせる訳にはいかないからな」
そう言って嘆息すると、美耶は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、弘明さん!」
それにしても、何でコイツはこんなに燃えているのか……。
「そして行為に及ぶ、と」
「及ばねえよ!」
いつの間にか起き上がっている詩安にツッコミを入れ、再び嘆息する。
今夜は多分、花霧さん家に泊まり込みだな…………。
後編へ続く。