娘の誕生日会に誰も来なかった
それは娘が10歳の誕生日を迎える数日前のことだった。
突然「誕生日会をしたい」と言った彼女の言葉に、私と妻は耳を疑う。
もともと引っ込み思案で友達も少なく、家では本を読んで過ごすことがほとんどで、めったに外へ遊びに行くこともなかった。
私も子供の頃はよく本を読んでいたがここまで夢中にはなっていない。
学校へ行くのが嫌なわけではないようで、毎朝決まった時間に家を出ている。
そのうち、友達の一人や二人できるだろうと気軽に構えてはいたが、やはり心配にはなる。
都合がつく時には早めに仕事を切り上げて家族との時間を作り、学校や友達のことを聞いたりもした。返って来るのは「大丈夫」だとか「平気」だとか、あいまいな言葉ばかり。
親としては心配してしまう。
そんな状況だったので、娘が誕生日会をしたいと言った時は嬉しかった。反対する理由なんてないので、妻と共に全面的に協力することに。
妻は娘と一緒に部屋を飾るグッズを買いに100円ショップへ。私も当日に合わせて休みを取り、準備を手伝うことにした。招待状も人数分手作りでそろえる。
住んでいるのはマンションの一室なので、何人も友達が来たら入れなくなってしまう。
なので、本当に仲のいい友達だけを招待するようにと伝える。
娘は「分かった」とそれだけ答えた。
当日。
私は不安だった。
もしかしたら誰も誕生日会に顔を出さないのではと不安で仕方がなかったのだが、その心配は杞憂に終わり、クラスメートの女の子が5人もやって来た。
次々に家を訪れる少女たちの姿を見るたびに、私は心の中でガッツポーズをする。
リビングに招き入れた彼女たちはそれぞれ席に着き、お誕生日席に座る娘にお祝いの言葉を伝える。持ち寄ったプレゼントを受け取った娘は少しだけ嬉しそうに微笑んでいた。
普段からあまり感情を表に出さないので、本当に喜んでいるのだと分かる。
誕生日会は何事もなく終わり、最後はみんなで一緒に流行の曲を歌って終わった。歌詞カードも妻が事前に用意しておいたのだ。
誕生日会が終わると、クラスメートたちは礼儀正しくお礼を言って帰って行った。
娘は彼らを見送りに一緒に家を出て行く。
残された私たちはホッとした心持で後片付けをする。
「誰も来ないと思った」
と妻がぽつりとつぶやいたので、そんなはずないだろと肩を抱き寄せて伝える。
同じように思っていたなどと、口が裂けても言えなかった。
それから……月日が経ち。
娘は中学生になった。
相変わらず家で本を読んで過ごし、暇があれば図書館へ本を借りに行き、お小遣いは漫画や小説に当てていた。
ゲームやテレビなどにはあまり興味を示さず、ネットで動画サイトなどもあまり見ない。
完全に本の虫と化している。
不可解なのは……あれ以来、一度も誕生日会をしたいと言わないことだ。
自宅に友人を招いたのもあれっきり。
それでも毎日学校に通っているし成績もそれほど悪くない。
学校でのことは話を聞かせてくれないが、いじめなどの問題は抱えていないように感じる。家族と食事をするときは楽しそうにしているし、問題はないかと。
中学に上がった彼女がPCが欲しいというので、妻と話し合って買い与えることにした。
変なサイトを見ないようにと注意してはあるが……果たしてどうなのだろうか。
娘も年頃だし、その手のサイトを見たいと思うかもしれない。
「下手に詮索したら嫌われちゃうかもよ」
妻がそう言うので、PCを確認することはできない。
でも心配なものは心配だ。
ネットにはいろんな人がいるから、妙な輩と出会わないと良いのだが……。
その日、私は残業のために帰りが遅くなり、終電で帰宅することになった。
若いころは泊りこみも平気だったが、家族ができるとそうもいかない。どんなに忙しくても、やむを得ない事情がない限りは必ず帰宅するようにしている。
妻と娘に心配をかけたくないからだ。
「あっ、すみません」
駅前の雑踏を歩いていると、中年の女性と肩がぶつかってしまった。軽く会釈して立ち去ろうとすると、その顔に見覚えがあることに気づく。
娘が小学生だったころに担任を務めていた女性だったのだ。
「お久しぶりです、娘がお世話になりました」
「あの……もしかして……」
どうやら向こうも私のことを覚えていたようで、ぺこりと頭を下げる。
彼女が「○○さんのお父さんですか?」と尋ねて来たので、「そうです」と答える。
覚えていてもらえて嬉しかった。
「○○さん、お元気ですか?」
「ええ……まぁ。相変わらず本ばかり読んでますよ」
「そうですか……あの……。
どうしても謝らないといけないことがあって……」
急に深刻そうな顔をする先生。
「謝らないといけないこと、ですか?」
「はい……○○さん、お誕生日会を開きましたよね」
「ええ、確かに」
何か嫌な予感がする。
彼女が次に何を言うか、不安で仕方がない。
「あの誕生日会、開くように言ったの私だったんです」
「……え?」
「お父さんが友達はいるのかって心配するから、
安心させてあげたいって相談されて。
それで……」
「そうだったんですか……」
しまったなと思った。
心配してあれこれと聞きすぎたせいで、娘に気を使わせてしまったのか。
しかし……それは謝るようなことなのだろうか?
誕生日会には友達がちゃんと来てくれたし、娘にとって嫌な思い出にはなっていないはずだ。
それなのに……何故……。
「でも……どうして謝る必要があるんです?
お友達はちゃんと来てくれましたよ」
「違うんです……私が皆にお願いしたんです」
「……え?」
「○○ちゃんのお誕生日に行ってあげてって伝えたんです。
クラスの子の中からお願いを聞いてくれそうな子を選んで」
「そんな……」
彼女の言葉に頭が真っ白になる。
さらに続けてこんなことも言った。
「その後で、○○ちゃんからお礼を言われました。
彼女……ありがとうって言いながら、泣いていたんです。
最初は嬉しくて泣いていたのかなって思ったんですけど……」
その後の言葉は聞きたくなかった。
「みんな、私と友達になってくれなかった。
私とは違う世界の人たちだった。
お誕生日会が終わったら私の世界から出て行ってしまった。
そう言ったんです……」
その後、彼女が何を言ったのか覚えていない。
それから数日。
私はそのことを妻に伝えるかどうか迷った。
迷った末にきちんと伝えることにした。
「そうだったの……」
妻は努めて冷静にふるまおうとしたが、やがて肩を震わせてポロポロと泣いた。
私もあの日のことを思い出しながら一緒になって涙を流した。
娘と一緒に作った招待状。
明るい雰囲気を作ろうと頑張った飾りつけ。
手作りの料理と名前入りのケーキ。
何から何まで特別だった想い出が途端に色褪せ、悲しみへと変わっていく。
辛くて、苦しくて、悲しい。
娘の誕生日会に誰も来なかった。
少なくとも、友達と呼べる者は誰一人。
「ただいまー」
リビングへ娘が入って来て、慌てて目元をぬぐう。
妻も嗚咽をかみ殺して普段通りにふるまおうとする。
「どうしたの? なにかあったの?」
ただならぬ雰囲気を感じたのか、娘は小首をかしげて心配そうに尋ねる。
何もない、大丈夫だとだけ言って、テレビをつけてごまかした。
「そっか……」
娘は何か言いたそうにしていたが、ソファに座ってスマホをいじり始める。
いつになく真剣な表情で画面とにらめっこをしている彼女を横目に、私は新聞を読んで気を紛らわせようとした。
妻は逃げ込むようにキッチンへ行って、無言で夕食の準備をしている。
「ねぇ……お父さん」
不意に娘が声をかけて来た。
「なっ、なんだ」
「私、誕生日会がしたい」
「……え?」
「聞こえなかった?」
娘はじっと私を見つめながら言う。
「私、誕生日会がしたいんだ」
その日、私も妻も気が気ではなかった。
あの時とは違う、戦々恐々とした心持で準備をする。
飾りつけは最小限。
しかし、料理は気合を入れる。
娘は事細かに献立や材料まで指定してきたのだ。
いったいどんな人たちが来るのか全く予想できない。
娘が誕生日会に招待したのは、正体不明の連中だった。
死神先生。
草野球マイスター。
あい まい。
ムーンスター猫。
暴走特級999。
佐藤 洋子。
まともな名前の人が一人しかいない。
いったいなんだこの連中は⁉
娘に招待客の人柄を尋ねると事細かに教えてくれるのだが、年齢や性別などを聞いても曖昧にしか答えない。
なんでも秘密にしている人もいるとか。
意味が分からない。
最初は何かの冗談かと思ったが、娘は本気だった。
本気でこいつらを家に呼ぶ気でいるらしい。
不可解に思う私と妻だが、娘の気持ちを無下にすることもできず、彼女の言うとおりに準備をすることにした。
招待状はすでに送ってしまったという。
いったい我が家はどうなってしまうのか。
心配で、心配で、心配で……。
ぴんぽーん。
玄関のベルが鳴る。
ついに来てしまったのだ。
「あっ……あなた……」
不安そうに妻が私を見る。
意を決して玄関へと向かう。
「はい……」
扉を開けるとそこには、スーツを着た長身の男性がいた。
目元がくぼんで生気がない。
黒縁の眼鏡をかけている。
ネクタイがアニメキャラの柄。
なんなんだコイツ……。
「あの……どなたですか?」
「しっ……先生です……」
「え?」
「死神先生です!」
どうやらこの男が死神先生というらしい。
こんな奴を家に上げるのか⁉
「あっ、来てくれたんですね! 入って下さい!」
奥から娘が飛び出してきて、死神先生とやらを家の中へと招き入れる。
「あっ……あの……『たんぽぽ』さんですか?」
「はい! そうです! お待ちしてました!
あっ、その前に初めましてですね。
ごめんなさい」
「いえ……その……本当に上がってもよろしいのですか?」
遠慮気味に俺の方を見やる死神先生。
娘は「遠慮しないでください」と元気に答える。
こんなに楽しそうな娘の姿を見るのは久しぶりだ。
「しっ……失礼します……」
へこへこと頭を下げながら靴を脱いで端に寄せ、カバンを抱えながら廊下を歩いて行く死神先生。
ずっと猫背のままだ。
ぴんぽーん。
次なる来客。
扉を開けるとそこにいたのは黒いワンピースに黒い日傘をさした若い女性。
紫色の口紅を塗り、にっこりとほほ笑んでいる。
カラーコンタクトをしているのか瞳が青い。
「あの……あなたは?」
「あいまい」
「へ?」
「あいまいと申します。
あなた様がたんぽぽ様でしょうか?」
「いっ……いえ……私は父で」
「あらっ、たんぽぽ様のお父様でしたか。
これは失礼いたしました。
私の名は『あい まい』。
まいちゃんとお呼びください」
彼女は日傘を折りたたみ、スカートの端をつまんでカーテシーのポーズをする。
なんなんだ……この人。
本当になんなんだ。
狼狽を隠せない私と妻をよそに、次から次へと来訪者がやって来る。
「ちわーっす! ムーンスター猫でーす!」
金髪のいかにもチャラい感じの男。
肌寒い時期なのにタンクトップを着ている。
ビックリするくらいにイケメン。
「どうも初めまして。
よろしくお願いいたします。
草野球マイスターと言います」
着物姿の品のよさそうな高齢の女性。
名前とのギャップがスゴイ。
「こんにちは……暴走特級です……。
あの、通報とかされないですよね?」
そう言ったのは恰幅の良いおっさん。
ジーパンにTシャツというラフすぎる格好。
無精ひげを伸ばし放題。
頭には白いタオルを巻いている。
「こんにちは! 佐藤洋子です!」
最後は小学生の女の子だった。
有名私立の制服を着ている。
どうやらこの子だけ本名らしい。
あれよあれよと集まった謎の集団。
彼らの正体は一体なんなのか。
私にはまったく理解できない。
「かんぱーい!」
誕生日席に座った娘が音頭をとると、ジュースが注がれたコップで一同は乾杯をする。
そして、料理に手を付けながら楽しそうに話し始めるのだ。
「先生のあの新作すごくよかったです」
「そう? あなたのもよかったわよ」
「俺もあれは最高にしびれました」
「私もスキー!」
年齢も性別もバラバラのその集団は大いに盛り上がっている。
その中心に娘がいると思うと、なんだか不思議な気分だ。
「あの、お父さんたちもこっちへ来て下さいよ!」
暴走特級とかいうおっさんが手招きをする。
私と妻は顔を見合わせながらも、端の方に並んで腰かけた。
「いやぁ、それにしても娘さんはすごいっスよね!」
ムーンスター猫とかいう若者がなれなれしく話しかけてくる。
「え? 何がですか?」
「あれ? ご存知ないんですか?
娘さん、小説を書いて投稿してるんですよ。
『小説家になっちゃおう』っていうサイトに」
「……え?」
彼らの話を聞くと、どうやら娘は小説を書いているようで、コツコツと作品をネットのサイトに投稿しているらしい。
そこそこ人気があるらしいが、実際の所、どうなのだろうか?
「娘はどんな作品を書くんですか?」
「ふふふ……彼女の紡ぐ作品はまさに芸術作品。
唯一無二の傑作ばかりなのです」
あいまいさんが不敵に笑いながら言う。
「ええっと……唯一無二?」
「誰もまねできないという意味ですよ。
誰もが一目置いているのです」
にこりと笑顔を浮かべて草野球マイスターさんが言う。
「私ね! 私ね! たんぽぽさんの作品大好きなの!」
大はしゃぎの佐藤洋子さん。
椅子の上でぴょんぴょんするのはやめてもらえないだろうか。
「…………」
死神先生がじっと私を見ている。
「あの、何か?」
「いえ……その……失礼なんですが。
たんぽぽさんのお父様はいたって平凡だなと」
「いや、本当に失礼ですね」
「すみません……でも……彼女があまりに天才的なので。
てっきりお父様もその……非凡な方なのかと」
ううむ……娘の評価が高すぎる。
いったいどんな小説を書いているというのだ。
「お父様はたんぽぽ様の作品をお読みになったことは?」
「いえ、まだ一度も」
「「「「「ええええええっ⁉」」」」」
一斉に声を上げる一同。
「早く読んだ方がいいっスよ! 人生損してるッス!」
ムーンスター猫が言う。
「はぁ……時間がある時にでも……。
で、どんな小説を書いてるんだ?」
私が尋ねると娘は……。
「えっと……ひみつ……」
俯いてしまった。
恥ずかしいのか顔が赤く染まっている。
「そうか……でもそのサイトで検索すればいいんだろ。
ペンネームも分かったし……」
「読みたければ読めばいいよ。
でも、ポイントは入れないでね」
「ポイント?」
「詳しくは利用規約を読んで」
どうやらかなり重要な問題らしく、娘は真剣な顔で訴える。
ポイントとやらは入れないようにしよう。
「あのね……お父さん、お母さん。
誕生日会をしたいっていったのはね……。
二人を安心させる為だったんだ」
「「え?」」
私は隣にいる妻と顔を見合わせる。
「どっ、どういうことだ?」
「あのね……」
娘はあの誕生日会のことについて話し始める。
あの日、クラスメイトを見送りに行った彼女は、自分がノートに物語を書いていることを伝えた。
私の書いた物語を読んで欲しい。
そう伝えると、クラスメイト達は面倒くさそうに答える。
『なにそれ、気持ち悪い』
そう言って彼女たちはさっさと帰宅して、学校でも話しかけてくることはなかった。
ずっと一人で本を読んでいて娘は自分でも作品を作りたいと思い、オリジナルの物語を書いていたのだが……その日以降、自分の作品を誰かに読んでもらおうとは思わなくなったという。
しかし……年月が過ぎ、スマホでネットを閲覧中にあるサイトの存在を知る。
それが『小説家になっちゃおう』というサイトだったのだ。
そのサイトでは誰もが自由に小説を投稿できる。
娘は会ったこともない知らない人なら自分の作品を読んでもらえるかもしれないと考え、作品の投稿を始めた。
最初は誰にも読んでもらえなかったが、交流を重ねていくにつれ感想がもらえるようになり、友達もできたという。
それが――
「今日招待したのは、サイトで私が交流してる仲間たちなんだ。
ずっと友達が出来なくて学校でも一人ぼっちだったけど、
私の作品を読んでくれる仲間が沢山出来たの。
だから……もう心配しなくて大丈夫だよって、
お父さんとお母さんに伝えたかったんだ」
「まさかお前……」
「うん、この前の話、聞いちゃったんだよね」
担任の女性から聞いた話を妻に伝えた時の会話を、娘は聞いていたのだ。
だから急に誕生日会をやりたいだなんて……。
「今日は私のわがままに付き合ってくれてありがとう。
私のことを大切に思ってくれる二人のことが大好きです。
これからもよろしくお願いします」
娘は立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
胸にこみあげてくる思いが涙腺を緩ませる。
「そうだ! まだお祝いの歌を歌ってないよな!」
ムーンスター猫が音頭を取り、誕生日のお祝いの歌を一同が歌い始める。
妻は目に一杯の涙を浮かべながらケーキを持ってきた。
「「「「「ハッピーバースデートゥーユー♪」」」」」
にぎやかな歌声と、いまいち揃わない手拍子。
ケーキの上に灯された蝋燭の光。
私が部屋の照明を消すと、娘の顔がぼんやりと浮かび上がる。
その表情がとても嬉しそうで、嬉しそうで……。
私は口元を押さえながら涙を流す。
彼女が一気に蝋燭の明かりを吹き消すと、部屋が暗闇に包まれた。
「おめでとう」
誰かが言った。
「おめでとう」
また別の誰かが。
次々と伝えられる「おめでとう」の言葉。
その一つ一つが、優しくて、思いがこもっていた。
部屋の明かりをつける。
娘は目元を手でぬぐっていた。
ぬぐい切れなかった涙が顎を伝ってぽたりとテーブルにしたたり落ちる。
「ありがとう」
しゃくりあげながら娘が言う。
彼女は今日、14歳になった。
お読みいただき、ありがとうございました。