7話 神原伊万里と本庄汐里
2巻まで借りた師匠の本だが、結局その日のうちに読んでしまった。
「……普通に面白かったんですけど」
『だぁーるぉぉぉおう?』
そんな俺を見て、師匠は巻き舌のドヤ顔だった。ウザい。
で、翌日。師匠は外に出かけて疲れたとのことで今日は部屋でお休みだ。
正直、師匠と離れられて少し助かる。四六時中一緒に居たら、未練を断ち切れなくなりそうだからな。『話ができる』という事実で、師匠が『死んでいる』という現実を忘れてしまいそうになる。
ああ、これはやっぱり師匠にとり憑かれてるって事なんだろうな……なんか最近は師匠のことばっかり考えてる気がする……いや、読書中は忘れて没頭できてたか。その本が師匠の書いた本だという事を除けばだけど。
しかし思わず深夜までかかって読んでしまった。ああ寝不足でつらい。だが授業はネタの宝庫。真面目に寝ることなく受け切っての昼休みを迎えた。俺は妹が作ってくれた弁当を食べ――ふぁあぁ。
「今日は眠そうだな」
「ああ……ちょっと本読んでたら寝不足になっちまってさ」
「へぇ、昨日図書室で借りたヤツ?」
「面白いから読んでみるといいよ。今日も図書室にいって返してくるから、そのあとで」
「おー。覚えてたら読んどく」
光円と飯を食べつつそんな話をして、今日も放課後図書室行くかなー、と考え事をしていた時だった。……ふと、教室の出入り口で見覚えのあるメカクレ顔がちらりちらりと中を覗いているのが見えた。
そう、本庄汐里さんである。
あ、こっち向いた。あ、顔逸らされた。なんなのだろうか……
……ん? あの手に持ってるのは……『凸マジ』3巻!?
まさか昨日の今日でもう持ってきてくれたというのだろうか。ありがたい、続き気になってたんだよね。
「汐里? 何してるの? 私に用?」
「あっ……伊万里ちゃ、そのっ……」
と、そこに師匠の妹、伊万里さんがやってきた。どうやら二人は面識があるらしい。本庄さんは伊万里さんの姉が憧れの名倉ばっこ先生だと知っているのだろうか。
「……それ」
「あっ、これ、その、ちがうの、ちがうんです」
手に持っていた『凸マジ』3巻を見て、軽く睨む伊万里さん、そして見るからに慌てる本庄さん。俺の方をちらちらと見ている……
「あいつ……! ちょっと! えーっと……名前なんだっけ」
「あ、その、葉庭……先輩」
「……葉庭! ちょっと来なさい!」
ご指名されてしまった。ちょっと本庄さんコレ個人情報流出では? あー、はいはい。行くって。行きますよ。
光円に「何したのさ?」と見送られ、俺は教室の外に連れ出された。なお近づいた時点で手首をつかまれたので逃亡権は無いものとする。
本庄さんもそんな俺たちについてきて……
……そして、人通りの少ない廊下の端にて。
「何のつもりよ!」
「えぇっと」
ドン! と壁を背に、追い詰められてしまった。……壁ドン! これはまさに壁ドンでは!? 俺の方が身長ちょっと高いから若干の上目遣いだしドンされてるのが脇腹と腕の隙間だけどこれはまごうことなき壁ドンなのではなかろうか。
「質問に答えて!」
「おぉう!?」
ドドン! 反対の脇スペースにも!? これは逃げられない。昆虫採集の標本のように釘付けにされてしまった。ダブル壁ドンとはやりおるさすが師匠の妹! ふわりと良い香りが漂ってくる。制汗スプレーの香料とも違う、女の子特有の甘い匂い。どこから、と言われると目の前の伊万里さんからで、迫られている現状もあってドキドキしてしまう。あと、鎖骨が色っぽい。あれ? 胸のところの布つけてないのかな。谷間がよく見え――と、さすがに不味いかと思って顔を逸らす。
「よそ見しないで」
いや、でもそんな、正面向いたら谷間見えますやん……師匠ほどじゃないけど結構立派なものが見えてますやん……となぜか妙な関西地方チックな言葉遣いで戸惑いつつも俺は伊万里さんの要求通り正面を向く。あ、なるべく顔をみるようにするけど。
「というか、俺は何について答えればいいんだ……?」
「企みについてよ」
「企みと言われても、何も企んでないから心当たりがないな」
「……私の、姉の手紙とか言ってふざけたノートの切れ端を持ってきたじゃない?」
ギロリと刺すような眼差しを向ける伊万里さん。ああ、うん、師匠に頼まれて。
でも結局あれを伊万里さんに渡してそれっきり、俺は以後特に接触していなかったはずである。まぁ、師匠の妹ということもあって多少気になってちらちらと眺めることがあった程度だ。俺から見て斜め前の席だから、どうしても視界に入るし。
「調べたんでしょう、私の姉が死んでるって。それで、次はこの小説よ? 私の周りを調べて、なにを企んでるの? それともただの冗談? 葉庭君。私はね、冗談が嫌いなの。特に死者を冒涜するような冗談は最低最悪だと思うわ」
「ご、誤解、誤解です! 伊万里ちゃん!」
「何よ汐里。あんた、その本をこいつに持ってこいって言われたんでしょ?」
「そ、それ、は、私が、お勧めしてっ」
昨日の饒舌な説明が影も形もない本庄さん。むしろこっちが素なのだろうか。
と、疑いのこもった視線を向けられる俺。
「……そうなの?」
「え、ああ。うん。昨日図書室でオススメの本を聞いて、それで本庄さんが個人的に貸してくれるって。凄く面白かったから借してもらおうかと……」
「……確かに、2巻までは図書室に置いてあるけれど。それがなんで汐里が3巻を貸すことになるのよ」
「い、伊万里ちゃん、ふ、布教用! 布教用ですから!」
ぶんぶんと『凸マジ』3巻を振り回す本庄さん。
「そう。そうだったの。なんだ、私の考えすぎだったみたいね……」
伊万里さんがダブル壁ドンをやめて俺を開放してくれた。……ふぅ、ドキドキした。良い匂いがしっぱなしなのもあったけど、恐怖的な意味でも。怒った女子は怖い……
と思ってたら伊万里さんは俺の方に改めて顔を向けてさらに再度ドン! ひぃ! サード壁ドンインパクト! ナニ、なんなの!? 吊り橋効果もあって恋に落ちるよ!?
「ところで葉庭君。そういえば私、一つ葉庭君に聞きたいことがあったの」
「な、なんでございましょう?」
「あの手紙、『頼まれた』って言ってたわよね? 誰に、頼まれたの?」
「……えーっと」
「何も企んでないなら、答えられるでしょ? 誰に、頼まれたの? その人の名前は? 特徴は? 性別くらいは分かるわよね?」
改めてぐいぐい来る伊万里さん。この圧力、師匠を彷彿とさせる……さすが妹。
「えーっと、そんな一度に聞かれても」
「ねぇ。ほら……私の目を見て正直に答えて?」
言われて、まつ毛の長い伊万里さんの目を見る……ドキッ、威圧感半端ないです。あと妹なだけあって、やっぱり師匠に顔つきが似てる。それと、ここ廊下の端で少し暗いからかハイライトがないように見えるんですよコレ。うん。これ多分、正直に師匠の名前出したら絶対アカンやつ……でも無回答もダメ。俺は慎重に回答を選ぶ。
「通りすがりの女の人に頼まれたんだよ」
「……へぇ、どんな人?」
「どんな人と言われても、なんて言ったらいいかな……」
「そう……」
と、伊万里さんはニコリと笑う。しかしその視線は、俺の目をがっちりとらえている。
「ならYESかNOで答えて? その人は、高校生?」
「え?」
「YESかNO。2択よ、簡単に答えられるでしょ。考えを整理したいから正直に答えてくれる? 協力してくれるわよね? ……その人は、高校生?」
威圧感のある、それでも確かに簡単に答えられる2択の質問。
これで答えないのは不自然か。
「の、NO」
「年上だった?」
「YES……」
「その人は、私の姉のことを知っている?」
「YES、だ」
「葉庭君は、私の姉の事を知ってる?」
「…………YES」
突然俺についての質問が出て、少しだけ戸惑ってしまった。
「葉庭君に頼んだその人に聞いたの?」
「YES」
な、なんだろうこれ。俺は何をさせられているんだ?
伊万里さんに目を覗き込まれていて、なんかくらくらしてきた。助けて師匠。
「今正直に言うなら許してあげるけれど。あの手紙は、葉庭君の冗談で用意したモノ?」
「い、いや。NOだ」
「へぇ。そう。そうなの、あくまでもアレを、私の姉からの手紙と言うのね?」
「ああ、YES」
「葉庭君は、幽霊に知り合いでもいるの?」
「YES。実は、そうなんだ」
……あれ、なんか伊万里さんすごく怒ってらっしゃらない? 俺嘘なんてついてないよ。と思ったけど、よく考えたら普通は幽霊なんてありえない。師匠が当たり前のように部屋にいるからすっかり忘れてたけど。そりゃ怒りますよね、ハイ。
「あー、その……神原伊万里さん?」
と、ここで「きーん、こーん、かーん、こーん」と昼休み終了を告げる予鈴が鳴る。
「ひとつ教えてあげる。……私の姉は、犬派よ」
「え、あ、うん?」
いきなり何を言ってるのかと首をかしげていると、伊万里さんは俺から離れて教室に戻っていった。威圧の壁ドンから解放され、俺はほっと一息つく。
「あ、あの、葉庭、先輩……」
「あ、ああ、本庄さん」
「い、伊万里ちゃんは、その……わ、私がちゃんとっ、誤解を解きます、からっ」
「う、うん? そう、だね?」
差し出された『凸マジ』3巻を受け取りつつ、俺たちも午後の授業に間に合うよう急いで教室に戻った。
……ん? でもまてよ。確かあの手紙って中身も読まれずに破り捨てられたと思ったんだけど。内容が死者からの手紙って、伊万里さんはいつの間に内容を確認したんだ?
ひょっとして、あのあと回収してから貼り合わせて読んだとか? まさかね。