1話 美女な幽霊はお嫌いですか?
それは、何の変哲もない一日が終わり、眠りに落ちた瞬間だった。
「やぁやぁ元気かぴょーん!? ……あれ?」
目の前に、バニーガールが現れた。
病院みたいな白い部屋の中、黒いバニースーツに網タイツ、何のためにあるのかわからない袖なしカフスと襟。髪をアップにして後ろで留め、黒いうさ耳を模したカチューシャをつけた日本人女性。うん、バニーガールだ。しっぽだけは白いポンポンがついていた。
そして、唐突だが俺はこのバニーガールに恋をした。
黒髪をアップに纏めたうなじ。くりっとした瞳。バニースーツの開けた胸元は谷間がよく見える。たわわに実った2つのお山にはご丁寧にもライターが挟まれて、ぷにょんと柔らかく形を変えて包み込んでいた。
網タイツに包まれたむちっと肉感のある太ももやふくらはぎ。さらけ出された脇の下。どれもが俺の目を惹きつけてやまない。
控えめに言ってどストライク。
おかしな話だが、一目惚れというのはこういうものなのかと。今まで運命とかそういう言葉を下らないと笑っていたが、ごめんなさい。これは運命だ。運命の相手だ、と頭でなく心で理解できる、そんな相手を目の前に俺の胸は高鳴った。
振り返りつつ人差し指を口元に当てたポーズで、バニーガールは笑顔のまま「ん?」と、首をかしげる。
その何でもない仕草が、なんと可愛らしいことか。こちらの顔をじっと見つめられて、俺の顔はかぁっと熱くなる。
ああ、こんな気持ちは初めてだ。心臓が口から飛び出そうな感じだ。こんなにも自分の中で抑えられない気持ちがあるなんて。
この気持ちを、しいて言葉にすると……
「け、結婚してください!!」
俺は思わずそう口にしていた。
何言ってんだ俺。そう我に返ってみると、バニーガールの方も顔を真っ赤にして、驚きに目を見開いていた。
そして。
「……き、気持ちは嬉しいんだが、その、ご、ごめん! 貴殿の今後の幸せと発展をお祈りしております!」
と、頭を下げられ謎のお祈りをされた。ぐほぉ。
「その、い、いきなり変な事を言ってこちらこそごめんなさい……名前も知らない相手に失礼でしたね……」
「あ、いや。こちらこそ君の夢の中に突然失礼だったね……」
と、顔を赤くしたままもじもじと照れるバニーガール。
あれ、ここ俺の夢の中? なんで俺夢の中で初対面のバニーガールにフラれてんの……
「えっと……何? その、夢の中?」
「あー、その。一言で言えば間違えたの」
んん? 間違えた? 何を?
「いやそのね。夢枕って知ってる?」
「夢枕?」
「今どきの子は知らないのか……ほら、死んだ人が夢の中に現れて生前言い残したこととか伝えるのを『夢枕に立つ』って言うんだよね。あ、つまり私はもう死んでるんだ。幽霊だね」
「なるほど……」
ん? ってことは。
「俺、幽霊にプロポーズしたのか……」
「そうなる。驚いたよ。その、出会って1分も経たずに名前も知らない相手にプロポーズとか、私が生前だったらうっかり受けてたかもしれないところだ」
「……生前に会いたかった……!」
俺は嘆く……バニーガールはよしよしと俺の頭を撫でて慰めてくれた。惚れそう。
「ところで君、名前は?」
「あ、俺は葉庭択斗って名前で」
「知らない名前だ……ん? いや、ハニワさん? もしかして君、〇〇高等学校って知ってる?」
「知ってるも何も、そこは俺の今通っている高校だけど」
「マジ? 通ってるの? うっは、後輩じゃーん! 何年生?」
「2年です」
「よし、よしッ! 取り返せる。この失敗はまだ取り返せるぞッ!」
なにやら先輩っぽいので敬語になってしまった。
「おっと、ちょっと着替えるね。この格好は出オチ用に用意しただけだし」
「あ、ハイ」
ぱちん、とバニーガールが指を鳴らすと、カーテンが現れた。バニーガールはその後ろに隠れ、見えなくなる。そうしてゴソゴソと着替え始めた。
「いやー本当は妹の夢に行く予定だったんだよ。それで絶対驚くと思ってさー、気合入れてこんな格好しちゃったよ。たはは、はずかしー……」
しゅる、しゅる、とカーテンの向こうで布の擦れる音がする。今このカーテンを捲ったら、裸だったりするのだろうか。下着は付けてるだろうか? ヤバい、ドキドキする。
「でも他の衣装も考えたんだけどやっぱバニーだよね。非日常的な、不健全だけど健全なエロスがバニーガールにはある。首元だけ襟で隠して肩のラインが完全に露出してるのはとても素晴らしいデザインだ。現代日本人ともなればバニーガールと言われて大体同じような恰好を想像できるし、この手のツカミが良い衣装は中々ない。いやはやどうして、よくできた服さ……っと、これでよし」
謎の語りと布のすれる音が止み、着替え終わったところでカーテンが上がる。
そこにはスーツ姿の女性が居た。正確には上はブラウスのみで、スカートもタイトで短い黒いやつ。膝上丈でストッキングに包まれた脚が映える。むちっとしたフトモモといい、えっちな女教師、といった風情がある恰好だった。
あと、脱ぎ捨てられたバニースーツも落ちていた。
「えーっと。それでなんなんですかね、これ」
「ふむ。なんなんですかね、と聞かれては、単刀直入に答えよう。私は幽霊だ!」
「それはさっき聞きましたけど。夢枕で間違えたって」
「そうなんだよ! 幽霊の権利として夢枕に立ったんだけど、うっかり! 妹と間違えて君の夢に立ってしまったようだ……!」
「そういうことってあるんですか……」
「私も夢枕に立つのは初めてだったからね、そういうこともあるんだろう」
ちなみに生霊とかで夢枕に立つ人もいるらしいけど、この人は完全に死んでいるそうだ。しかも一年前で、葬式も火葬も済んでいる。家族も今年の正月は喪に服して年賀状だってださなかったはずだとのこと。
「そういう事情だから君のプロポーズは受けられないんだ。ごめんね?」
「さらば俺の初恋……」
「やっぱり人間は子孫を残すために生きてる人間としっかりラブするべきだと思うよ。いや、いや、私も生きてたらよかったんだけどね。実に残念だ……」
はぁぁ、とため息がシンクロした。
「あ、そういえば名前も聞いてませんでした」
「おお。忘れてたよ。私の名前は名倉ばっこ。通りすがりの小説家さ……あ、ちがうちがう。名倉はペンネームだ。本名は神原加古。たぶんこの近所に実家があるはずさ」
神原……と、そういえばクラスメイトに一人、神原という苗字のヤツが居たな。この人の妹かもしれない。
「それでさぁ、君にはちょーっと頼みたいことがあるんだけど、いいかい? その、袖振り合ったも何かの縁と言うだろう? 夢枕に立ったんだからそれ以上さ。どう?」
「はぁ。まぁいいですけど」
「本当かい!」
と、神原さんはにこっとまぶしいほどの笑顔を浮かべた。
夢枕、つまりメッセージを伝えるのに間違えた、となれば、その頼みはこの人に代わって俺にメッセージを届けてほしいといったところだろう。……変な目をされたら、その時はただの冗談と言って誤魔化そうかな。
「やった! じゃあ今日から君は私の弟子だ! さぁ小説家を目指そうじゃないか!」
「はいはい、今日から弟子……ん?」
「君には私の遺志を受け継いで小説家になってもらおう!」
「なんで!? ちょ、ちょっと待って、伝言とかじゃないの?!」
俺がそう言うと、神原さんは人差し指をたてて、チッチッチ、とメトロノームのように揺らして見せた。
「私は小説家だぜ? ほらぁ、よくあるだろ。幽霊の師匠がとり憑いて弟子を育てるヤツ。折角幽霊になったんだし、アレやりたい」
「どういう神経してんですか。普通こういうのってメッセンジャーをやるもんでしょ。前言撤回してお断りします」
「前言撤回をお断りしますー。ちょっと記憶覗かせてもらったけど帰宅部でしょ君。あぁ折角の高校生活、部活動も堪能せずにダラダラ過ごす日々……自分に何か、そう、特別な何かがあれば……! そう思いつつも自分からは決して行動に起こさない大多数的帰宅部じゃないか!」
「うぐっ!?」
何さりげなく記憶覗いてんの!? そういうことできるの!?
「いや嘘だよ、カマかけさ。でも帰宅部だってのは当たっていたようだね? 私もそうだったからよく分かるんだ」
「な、なんだよ一体……」
「いいことを教えてあげよう……来たんだよ、特別が! 君に! 今、私がそうさ!」
そう言って胸を、立派な胸をどんと張る神原さん。
「……確かに、これほどまでのは中々ない……」
「どこ見てるんだね。まぁ減るもんじゃないし良いけども……ああ。今更断ってもすでに頼みごとを受け入れるって言ったから撤回はできないんだけどね」
「……」
「弟子ぃ、契約書はしっかり読んでからサインしなきゃダメだぞ? えへっ☆」
ウザい笑みを浮かべ、肩をぽんぽん叩いてくる神原さん。
何が「えへっ☆」だ、美人だから絵になるけど腹も立つ。
「おいおいどうした弟子よ、こんな美人の師匠で不満かぁ? ほれ、君の視線をがっつり集めていたこの胸のふくらみ。こんな師匠とマンツーマンだぞ? 嬉しくないのか?」
「うぐ……」
「それに私は幽霊だからな。なんならあれだぜ? テスト中に周囲の回答を見てこっそりお前に教えるくらいできるんだぜ……!?」
「カンニングじゃないですか。しかもアンタが成仏したら頼り切ってた馬鹿が残るやつ」
「おっと鋭い。いい先読みだ、小説家の才能あるよ!」
幽霊じゃなくて悪魔か何かなんじゃないかコイツ。
「わかったわかった。そんじゃ趣味程度に小説書いてみよ? 私が教えるからさー」
「なんでそんな……俺、読書感想文くらいしか書いたことないっすよ」
「いーじゃんいーじゃん、あんな宿題よりよっぽど楽しいよぉ小説って!」
ぐいぐいと遠慮なく圧をかけてくる神原さん。
……ふわりと良い匂いがする。俺の夢の中なのになんでこんな良い匂いがするのこの人。
「いや、それに、才能が無いと思います」
「いやいや、才能なんてのは努力を楽しめるかどうかと環境だからね。私の持論だと、物語のある娯楽――漫画やアニメ、ゲームや小説とかだな。これを好き好んで摂取する人間にはもれなく小説家の素質がある。そして環境はいい師匠がいればいいから私がいれば問題なしだ」
「努力を楽しめるかとか、判断できないじゃないですか」
「……んー、そうだな。想像してみてごらん? 世界は広く――そうだな、青空に草原が広がっているとしよう」
神原さんがパチンを指を鳴らすと、夢の世界が青空と草原が広がった。
「その草原に家を建てよう。建て方はわかるかな? 木を切って組み立てる? いいや違う。君は魔法使いだ、ただ『そこに家があった』と書くだけで草原には家が建つ。なんならログハウスみたいな丸太を組み合わせた感じがいいかな?」
もう一度指を鳴らすと、そこに家があった。さも最初からあったように、木造の、ログハウスのような家がぽんっと産まれた。
「家にはどんな人がいるかな? うーん、ここはエルフの美人姉妹なんてどうだろう。スッキリした顔立ちの、金髪エルフさんだ。おっと、姉は胸が大きいぞ? あんまりジロジロみるんじゃない。顔を赤くして恥ずかしがってるじゃないか」
今度は玄関の扉を開けて、エルフの姉妹が顔を出す。……胸は確かにデカ……手で隠された。見ないように顔を逸らす。
「そう、人体錬成なんてしなくても君は人を作り出せるんだ。うん? それじゃあもう神様って言ったほうが良いね。君は神様、『世界』を好きに作って遊べる神様だ」
「神、様……」
「小説を書くってのは、そういうことさ。どんなゲームよりも自由度が高く、そして自分の思い通りにできる。天候すら、時間すら思いのままさ」
神原さんが手にした時計の針を指で回すと、太陽と月がぐるぐると入れ替わる。こんなこと、確かに神様でもなきゃできやしない。
「じゃ、次はエルフ姉妹を凌辱する触手スライムを――」
「まてまてまてまて」
「ん、どうしたんだい? これからが良いところじゃないか。服だけを溶かす都合のいいスライムは嫌いか?」
「アンタ、官能小説家だったのかよ!?」
「いやぁ、ごく普通のラノベ作家だけど。君みたいな思春期男子にはエロ方面から誘いをかけたほうが効果的かなって」
「うぐ、なんて冷静で的確な判断力なんだ……」
ぱちん、と神原さんが指を鳴らすと、世界が白い部屋に戻った。
なんだか疲れた。しかし胸の中にドキドキとした感覚が残っている。
「どうやら君は創ることを楽しいと思える人間のようだ。ふふふ、なんだ。小説家としての才能もあるという事ではないか。ン?」
神原さんは、俺の胸に手を当ててそう言った。……なんか騙されてるような気がしなくもないが、胸に当てられた温かい手の感触に、なんでか騙されてもいいかなと思わなくもなかった。
「どうだい? 君も小説家にならないか?」
「そ、そうですねぇ……」
「まぁ、私だって鬼じゃない。嫌がる人に無理やり教えてもつまらないだろうしね、先ほどは説明不足もあったし。……だから、君がもう一度『うん』って言うまで毎晩夢に出て、夕方くらいにはラップ音で16ビート刻んであげよう! どうだい!」
「どうだい、じゃねぇ、なにその悪霊!? 完全に脅し!……ああもう、わかりましたよ、いいっすよ。暇潰しくらいでいいならやります」
「お! やったぁ!」
にこっ! と、神原さんは子供のような無邪気な笑顔を浮かべた。
夢の世界だからか、俺も神原さんも感情が表に出やすくなってるのかもしれない。
「それじゃあ今後、私の事は師匠と呼びたまえ、私は弟子と呼ぶ!」
「なんすかそれ。つーか、さっきから弟子とか君としか呼ばれてませんけど?」
「良いだろ別に。私は君としか話せないんだから……それにこーゆーのは形から入るのが大事なんだよ! 覚えておきたまえ」
「はぁ。まぁいいっすけどね。……師匠」
「くぅぅ~! おう! これだよこれ!」
こうして、俺に師匠ができた。夢の中で。