11話 当然の言及
『はっははは、しかし中々の良問だったな! さすがhakuちゃん!』
「相当楽しんでましたね、師匠」
ちなみにサイン色紙とペンはしっかりなかったので、橋本さんが持って行ったのだろう。もしかしたら後日サインして返してくれるかも。
『折角だから記念にこの黒板、写真とっておいたらどうだ? 生hakuちゃんの生問題だし。生パンツを添えてぱしゃりと一枚』
「生々しい。……パンツはともかく問題は撮っておきますか」
と、スマホで黒板に書かれた『ウミガメのスープ』問題を写真に収めてから、黒板消しで丁寧に消した。
橋本さんのパンツは……とりあえず鞄にいれておくか。今度会ったときに返そう。家に置いといて妹に見つかったら何て言ったらいいか困ることになるからな……
『んで、弟子的にはアリなのあの子? お尻すごかったね。指がむにゅんって沈み込んでておっぱいみたいだったよ?』
「いやまぁ。確かに……凄かったですけど。おっぱい本体はスットンですし」
『メカクレ図書委員ちゃんも良いけど、hakuちゃんの中の人もアリだな……弟子、やっぱり現実の女の方が良いって分かってきたんじゃないか? ン?』
「ハハハ、そうですね」
とは言ってみたものの……師匠のお尻はどうなんだろう、とか思っちゃったし。やっぱり未練たらたらだなぁ俺。はやく吹っ切れないと……うん。
このまま話していても何かボロが出そうなので、俺は話を変えることにした。
「しかし師匠は凄いですね。あんなにすいすいと答えにたどり着くなんて」
『もっと褒め称えたまえ。ふふん。あ、そうだ。いいことを教えてあげよう、小説家にとっては「ウミガメのスープ」の誤答こそが大事なのだ』
「間違える方が大事なんですか?」
『ああ。出題者の用意した回答はひとつだが、誤答はそれこそ無限にあると言っていい。この無限にある誤答がネタの宝庫なんだ。例えば、さっきの問題』
聖剣が折ることで役立たずになる、という条件を途中で出したので消えた誤答だが、出題からは『魔王戦において相棒のように大事にしていた聖剣を破壊し、最強の一撃を繰り出した』というドラマチックなシーンだった、という回答もありえたとのこと。
『後から見直す場合は、あえてYESとNOを入れ替えて別解を探しても楽しいぞ。「ここがこうだったら、こういう回答もアリだったな!」って』
「ほぉー、そういう風に考えるんですね」
『そうして独自の回答ができたら、あとはそれにたっぷり肉付けすれば小説が出来上がる。コップを落として割って片付けただけの話よりも、よっぽど面白みに富んだ小説になると私は思うよ』
これも一つの書き方さ、と師匠はニヤリと笑った。
見えなかったけど、師匠の得意げな笑顔が想像できた。
と、そこに教室の引き戸をガシャンと音を立てて開ける存在が現れた。
橋本さんがパンツを回収しにきてくれたのかとそちらを向くと、そこには、
『あ、伊万里』
「えっ」
なぜか怒りの感情を浮かべる神原伊万里が立っていた。
そして何気に師匠、俺に憑りついてから初めて伊万里さん――自分の妹を確認したのではなかろうか。本人確認ができたようでなによりです。
「……また、葉庭君。……あなた、エーデと何してたのよ、泣きながら走ってったわよ」
エーデ、ああ、橋本さんか。エーデルガルド、だと長いもんな。文字数増やすならお得な名前だと思う。
しかし何してたかとか聞かれても、『hakuちゃん』については秘密にしてくれと頼まれている。ここは約束通り秘密にしないとな。『ウミガメのスープ』についても黙っておくべきだろう。
「いや、何もしてない。少し話をしたくらいだよ」
「話をしただけで泣くなんて、いったいどんな話をしたのかしら?」
腕を組んで、こちらを睨みつけてくる伊万里さん。師匠には及ばないがそれなりにある胸が強調される。
「顔を真っ赤にして内股で走ってったわね。ただ事じゃないと思うのだけど」
それはノーパンだったからだろうな、間違いない。
「あー……デリケートな話だから、あまり聞かないでくれると助かる」
「へぇ、言うじゃない。私は親友が何で泣いてたのか聞きたいのだけど」
「親友なら、なおさら俺なんかに聞かないで橋本さんに直接聞いた方がいいよ。多分」
「……確かにその通り、正論ね」
と、しかし。そう言いつつ伊万里さんはこつ、こつ、と足音を立てて俺に近寄る。
「ただし、親友にも言えない辱めを受けていた場合は、その限りではないと思わない?」
伊万里さんが指さすと、そこには――なんと、俺のカバン。そしてカバンの口からは縞々のパンツが覗いていた。
「……!」
ここで『ウミガメのスープ』ではないが、状況を整理してみよう。
・恥ずかしそうに泣きながらこの教室から去っていった橋本さん
・鞄の中に残された橋本さんのパンツ
・親友にも言えない辱めを受けたのでは? と疑う伊万里さん
さて、このヒントから推測される真実とは――?
俺は、たらりと冷たい汗が流れるのを感じた。
まるで俺が何かいかがわしいことを橋本さんに強要したかのようである!
「ちょっと貸しなさい!」
「あっ! だめぇっ!?」
俺のカバンから見事橋本さんのパンツを抜き取る伊万里さん。取り返そうにも、すでに確保されたパンツに俺は手を伸ばしかけて固まるのみ。伊万里さんはびろーんと広げたり、鼻を近づけてくんくん、と匂いを嗅いだりして、伊万里さんは「うん」と頷いた。
「このゴムの伸び具合と匂いは間違いないわ。エーデのパンツよ」
「それで分かるんすか……」
俺はがっくりと肩を落とした。
「見損なったわ葉庭君。いえ、先日の嘘といい、見下げ果てたが正しいかしら」
「誤解だ。神原さん君は今物凄い誤解をしていると思う。……正直に話そう。そのパンツは頭をぶつけた俺に、橋本さんが包帯にしてくれと脱いで行ったんだ」
「パンツを包帯代わりにとか、その言い訳は頭おかしいんじゃないの」
だよね俺もそう思う!
「……え、被るの?」
「被らないよ! というか本当だって。橋本さんに聞いてくれればすぐ分かる」
「本当かしら?」
「こんなしょうもない嘘つかないだろ……俺だって驚いてるんだ。ほら、俺の後頭部みてくれ。たんこぶできてないか?」
「……まぁ……確かに。それにたんこぶもあるわね」
俺の後頭部を触って確かめる伊万里さん。痛い。たんこぶつつかれて痛い。けどこれも誤解を解くためである……
「それで、パンツを俺に渡して返す間もなく橋本さんは去っていったんだ、泣きながら」
「……パンツを渡すとか、どういう事かしら?」
「それは俺にも分からない。橋本さん、かなり慌ててたからね……顔が赤かったのはパンツ履いてないことに気づいたからじゃないかな」
「辻褄は合わなくもないわね……」
パンツを握ったままふむ、と考える伊万里さん。
「まって、なんでエーデが泣いてたのよ」
「俺にも訳が分からない。詳しい事情は俺から聞くより橋本さんから聞いた方が良いだろう。というわけで、そのパンツは神原さんに託すから橋本さんにしっかり返してついでに事情を聞き出してくれ」
「わ、分かったわ」
ふぅ、どうにか分かってもらえたようだ。
「そうだ、スマホを見せてもらえるかしら……脅迫写真とか撮ってたりしていないなら見せられるでしょう? むしろ、ここで見逃して証拠隠滅やバックアップをとられたりする可能性を考えると、今このタイミングで確認しておかないと不安が残るわ。誤解、っていうなら、しっかり解消しておいた方がお互いのためだと思うのだけど」
確かに。伊万里さんの言う通りだ。よくそこまで頭が回るものだ、さすが師匠の妹。
「ああうん、それで誤解が解けるなら。いい――」
――って、そういえばさっき『ウミガメのスープ』の問題を写真に収めてた。
そう思い至ったところで、俺はそっとスマホを仕舞った。
「……何してるのかしら?」
「橋本さんとの約束で、見せられない写真が入ってるんだ……」
「や、やっぱりエーデに何かしたの!? ちょっと、貸しなさいそのスマホ!」
「だ、ダメだ! これは約束! 俺は約束を守る男だから橋本さんの許可なく写真を見せることはできない!」
「言うじゃないの! 一体何を、どんな恥ずかしい写真を撮ったのよ!」
「恥ずかしくない、恥ずかしくないけど秘密に関わる写真だから!」
スマホを必死で奪い合う俺と伊万里さん。石鹸のいい匂いがするが、ぷにぷに体が当たってるが、今は、今はちょっとそんな、あああ集中力が乱れる!
「えーえー分かったわ。葉庭君がとんでもない下種だということがね!」
「誤解だ!」
「ならそのスマホ見せてみなさいよ!」
「それはダメだ!」
話が堂々巡り。完全に行き詰った。二人で掴んでいるスマホがみしみし音を立てている気がする……!
『ふぅ、妹の可愛い姿も堪能したし、そろそろ師匠、解決策を投下しようか?』
そんなんあるなら早く言ってください! 師匠!
『簡単なロジックさ。hakuちゃんの許可がなければスマホを見せられない。なら、hakuちゃんから許可を貰えばいいじゃない。伊万里、親友なら電話番号くらい知ってるだろ?』
「あ、そうか」
「何がそうかよ! 早くスマホ見せなさい変態ハニワ男!」
とんでもない言い草ァ!
「ちょっと神原さんに頼みたいんだけど、橋本さんにこのスマホの写真を見せていいか確認したいんだ。電話で連絡を取ってくれないか?」
『その間、スマホはお互いが手を触れられない教壇にでも置いたらいい』
「俺のスマホはその間ここに置いておく。お互い手も触れない。で、どうだ?」
「……なるほど、考えたわね。いいわよ、それで手を打ちましょう」
と、俺がスマホを教壇に置いて離れるのを確認して、伊万里さんは自分のスマホで橋本さんに連絡をかけた。
「……あ、もしもし。私だけど……大丈夫? さっきすれ違ったとき泣いてたけど。……なんでもないわけないでしょう。今、それで葉庭と一緒にいるんだけ――――まって。耳が痛いわ。物理的な意味で……」
まだだろうか。スマホ越しに橋本さんが叫んだのは分かったけど。
「ちょっと、その、葉庭君がエーデのパンツを……え? あ、そう、なの? え、被らせるつもりだったの?」
伊万里さんから怒気が霧散した。あ、誤解解けたかも。
「それで、えーっと……スマホをね、チェックしようかと……いや、ここは一応確認しておかないと私も。でも葉庭君がエーデとの約束がどうとかって言って見せてくれないのよ……あー」
何やら伊万里さんは納得したような、拍子抜けしたといった顔をする。
それから少しして通話を切る。直後、伊万里さんは俺に向かって頭を下げてきた。
「葉庭君。ごめんなさい、私の早とちりだったわ……」
「あ、うん。その、誤解が解けたようでなにより?」
「その。……『ウミガメのスープ』、してたのね?」
この言い方からして、どうやら伊万里さんも、hakuちゃんのことを知ってるのかもしれない。まぁ、親友というくらいだし知っててもおかしくない。
けれど一応約束だからな、誰にも内緒だって。それは既に知っている親友であろうとも、内緒にしておくべきだろう。
「……あー、うん。橋本さんに問題を出してもらって、その問題を撮っちゃったんだけど……とある約束に関わるから見せられないんだ」
「とある約束、ね。分かったわ。ありがとう」
そう言って、伊万里さんはそっと橋本さんのパンツを俺のカバンに差し入れた。
「え」
「……その、ちょ、ちょっと見直したわ」
伊万里さんはそう言って小走りで去っていった。
……あの。パンツは持って帰ってもらってもよかったんですけど?
『とりあえず……被るか?』
「なんでですか師匠……」
いやホントどうしたらいいのこれ。