0話 つかみはちょっといいシーンから
俺の名は葉庭択斗。どこにでもいる普通の、ごく平凡な、一般男子高校生。
……だった。つい先日までは。
「さぁ、私の身体をよく見るんだ。どうだ、この女体、どう表現したらいいと思う?」
そう言って、師匠はその肌色を惜しげもなく俺に晒す。
とはいっても、服は着ている――着ていると言っていいのかは分からないが――マイクロビキニにエプロンという、背中から見たら紐しかない。髪が結われてアップになっていることもあり、艶やかなうなじも、滑らかな肩甲骨のでっぱりも、すらりとした背筋も、ぷりんと丸い桃のような尻さえも、ほとんど丸見えだ。
「女性的な、この丸みを帯びたフトモモとかそそらないかい? どう言葉にする?」
99%肌色という大変心臓に悪い状態から、横向を向く師匠。75%肌色な状態は月で言えば満月を過ぎた寝待月。しかし、肉付きの良い、むしゃぶりつきたくなるようなフトモモに、俺の視界はくぎ付けになってしまう。
「寝待月とかよく知ってたな。いいぞ、よく勉強している。もっと言葉を想像しろ! 想像して創造するんだ!」
「これヤバい! やたら恥ずかしいです師匠! なんすかこれ!」
俺が思い描いた言葉は、隠されることなく文字となり空間にアウトプットされていく。師匠はふよふよ浮かぶ文字をついとつまみ、手繰り寄せて読む。
「なぁに、夢の世界だからな、できると思って試させてもらった。実際、私のこの装いは想像の産物だろう? 同じようにできるかと思って試したらできたのよ。さすが夢だ、想像次第でなんでもできるな」
「お、俺の夢なのに……」
「夢力が足りないな。はっはっは! おー、この表現もいいな……」
そして、とても嬉しそうにニヤリと、犬歯を見せて笑った。
「やればできるじゃないか弟子ぃ。いやはや、これは中々そそる文章だ。だがまだ足りない、思春期真っ盛りの男子高校生がこの程度で収まるものかよ。もっといやらしい目で私を見ろ!」
そう言ってグラビアアイドルみたいなポーズをとる師匠。
ああもう、恥ずかしくないのかこの人は。と、思っていたら師匠は手で脇腹を隠した。
「ああ、私も不養生な体を見せるのは恥ずかしいのだ。――だから脇腹はあまり見ないでくれ給えよ」
だが指の隙間から見える脇腹にはそんな恥ずかしがるほどには肉がついていない。きめ細やかな白い肌で、女性的なエロ……優しい肉付きだ。吸い付きたい。
「願望が駄々洩れだ。だがそれがいい!」
「あんた恥ずかしいのか恥ずかしくないのかどっちなんだ!?」
「恥ずかしいに決まってるだろう? 見たまえこの私の顔を。熱くて、真っ赤になってるのが見なくても分かるぞ」
ぐいっと顔を掴まれ、鼻息がかかりそうなくらい近くまで顔を寄せてくる。
整った顔で、一言で言ってしまえば美女。師匠は本当に見た目だけはいい。……その頬は、本当は恥ずかしいのを堪えているのか、リンゴのように赤く染まっていた。ああ、キスしたい。師匠、僕のファーストキスをもらってください」
「って、俺の妄想に割り込まないでください!」
いつの間にか思考が誘導されていた。なんて恐ろしい悪霊だ。
「失敬な。こんなに美女で、こんなに丁寧に小説のイロハを教えてくれる悪霊なんているもんか。今だって、その成果でこうして文字がつらつらと生まれているじゃないか。君が成長しているのは私のおかげだろう?」
「別に、俺は小説家になりたいわけじゃ……」
「……弟子ぃ、二の腕はおっぱいと同じ柔らかさだって、有名な話だぞ。触ってみるか? ここは夢の中だから、本物の感触になるかは分からんが」
と、目の前でふにふにと二の腕をつまんで見せる師匠。露骨に話を逸らしやがった。
「そ、そもそも、女性がそんな、はしたなくないですか!?」
「なぁに、そんなことは誰も気にしないさ。裸婦デッサンの小説版と考えればいい。学術的な行為にいやらしいと言う方がいやらしいのだ。まぁ、ここも君の夢の中だし、そもそも私、もう死んでるし。誰に向かってはしたなく思えばいいんだ?」
あっけらかんという師匠。言われてみれば夢の中。俺の記憶にしか残らないため画像ファイルがネットの海に流出する心配も皆無で、その俺の記憶すらも起きたら少しばかり薄れてしまう。
「せいぜい、起きても私の肢体を思い出せるよう、目に焼き付けておくのだな。おっと、この場合は脳内か? まぁ昨日の分は覚えていられなかったようだが」
そう言って、師匠は空中に浮かんでくるりと一回転。エプロンのすそがスカートのようにふわりと上がった。重力は無視してるのに遠心力は適用されるんだな、と、どうでもいいことが頭に浮かぶ。
そう、師匠は幽霊。生前は小説家――ラノベ作家だった幽霊なのだ。
そして、俺にとり憑いて小説のノウハウを俺に叩き込み、小説家として後を継がせようとか画策している幽霊だった。
「さぁ弟子。夜は思いのほか短いぞ。どんどん書こうか、体に文章を吐き出させる感覚を染み込ませるのだ!」
「あああ……吐き出す(物理)じゃないですか。これ本当に効果あるんですか?」
「わからん。だが、そもそも創作とは自分の頭の内を晒け出す行為。羞恥心に悶えるのはいいが、出すこと自体を恥ずかしがっていては話にならん、小説なだけにな!」
まぁ確かに師匠相手とはいえこうして頭の中の文章をつらつら読み込まれて、強烈な恥ずかしさがある。これは起きても中々忘れそうにない、だろう。
「おっと、ここら辺は……『おっぱいおっぱいおっぱいいぇーい! おっぱいに挟まれたい触りたい』……好きすぎて文章にできないのか? ふーむ、そういうのもあるのか」
「! や、そ、それは見なくていいじゃないですか!?」
「弟子はおっぱいが好きなんだな。おっぱいいぇーい!」
「うわぁあああ!?」
と、師匠はまたひとつの文字列を拾い上げる。あ、それは。
「……おいおい弟子ぃ、まだ私と結婚したいなんてほざいてるのか? 寝言は寝て言え……っと、そうだったな。ここは夢の中だった。というか、いい加減諦めろよ。私は死んでるんだぞ?」
「うぐ……わ、分かってはいるんですけど、師匠、可愛いし……」
俺がそう言うと、師匠の顔も赤くなる。まるでリンゴのようだ。
「ふ、不毛だと言ってるだろ! ちゃんと生きてる人間と付き合って子孫を残しなさい! 馬鹿弟子! あほ弟子! 変態弟子! 幽霊フェチか君は、この死体愛好家さんめ!」
「そこまで言いますか! ああもう、師匠の馬鹿! 師匠が悪いんですよ、そういう可愛い事言うから!」
ああもう、師匠は好き勝手に俺をかき乱しすぎる。
と、師匠は豊満な胸を手で隠した。
「ふん! 今日はもう弟子の大好きなおっぱいは終了だ。教育的指導だ、性癖を開拓してやるぞこの変態弟子め」
「えっ」
そんな師匠は、ふわふわと浮かびながら、ポーズを変える。
「ほれほれ、幽霊だけどここなら足の裏なんてのも見せられるぞ、ほら」
「ちょ、やめてくださいよ」
「いいから見ろ。貴重な機会だぞ?」
浮いたまま、足裏を俺に突き付けてくる師匠。くにくにと赤みを帯びた足指が、目の前で艶めかしく動く。
「足の裏ってのはな、普段隠されてるんだ。靴下、靴、そして床、大地に。家族でもない異性の足裏は、ぶっちゃけおっぱいよりも見たり触れたりする機会が少ないと言ってもいい。私のおススメは犬や猫でいう肉球の部分でな、触ると少しだけ硬くもふにふにで――おお! 文字がぶわっと出てきたぞ! 弟子ぃ、足フェチに目覚めたか! ふはははは! どんどん開け性癖の扉! それは表現の糧だッ!」
「あんたが余計な事言うからだろぉ!?」
「いいことを教えてやろう――好きなものが多い方が、人生は楽しいぞ?」
にこっと笑う師匠。……でも師匠はそれで死んだんじゃなかったっけ? ねぇ。
と、頭の中で思ったソレが、カタカタと文章になって師匠の手元に流れて行った。あっやばい。
「……ほぉー、そういう事言う? じゃあ次は腋フェチに目覚めてもらおうか。腋は重要な神経や血管が集中している。触るとくすぐったいのはそれだな。で、そんな大事な腋をこう、持ち上げたときに……ぷっくりと膨れるこのラインが、あたかも大切な宝物を差し出しているかのようで、すごくいじらしく可愛いと思わないか? それに触るとまるで胎内に指を入れたかのように温かくて――あっはっは! 夢の中は深層意識にダイレクトアタックするようだな、効果はばつぐんだ! 文章にならない言葉が溢れてるぞ!」
「し、師匠ッ! マジやめてください、弟子に特殊性癖を擦り込むのはやめてください! 俺が悪かったんで!」
「なぁーにが特殊か。この程度まだまだ一般向けの範疇よ! 排泄物も小までなら少年誌にだって書けるわ! ん? ギャグテイストにすれば大もいけるな?」
「だ、だめぇええ!?」
まったく、つい先日まで俺は本当にただの、何の変哲もない、一般高校生男子だったのに。それがなぜこんなことになったのか――それは、数日前に遡る。