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物心ついた時から私は孤児院にいた。そして物心ついた時から私には前世の記憶があった。
ルーチェ。それが今世の私の名前である。
「こっちの片付けは終わったよ。ルーチェの方はどう?」
そう訊ねてきたのは一つ歳下のアズライトだ。
瑠璃色の髪に紺青色の瞳の美少年である。
血は繋がっていないが、長年一緒に育ったアズは私にとって大事な弟だ。
「こっちも丁度片付いたよ。もう遅いしそろそろ寝ようか。」
そう言うとアズは私の布団に潜り込んできた。
一人分の布団に二人で寝るのは少し窮屈だが今夜は特別だ。
別れを惜しむようにアズはぎゅっと抱き着いてくると
「おやすみルーチェ。」
と瞼を下ろした。
アズの寝顔を見ながら私も瞳を閉じる。
明日で私は十六歳になる。
原則として孤児院は成人とみなされる十六歳になれば出ていかなければならない。
つまり今夜はこの孤児院で過ごす最後の夜になるのだ。
小さな頃から過ごしてきた場所を離れるのは心細いが、然程寂しさは感じなかった。
前世と同じく極度の人見知りである私は、今世に於いても人と話すことが苦手であり、友達が一人もいなかった。
唯一話し相手になってくれるアズは弟である為、友達としてはカウントしていない。
孤児院には数十人の子供達がいる。そのやんちゃ盛りの子供達の面倒を見る為、泊まりがけで女性が何人か雇われている。
彼女達も仕事なので多少情をもって接してくれる人もいるが、手を煩わせる年代の子供が何十人もいると正直全員一人一人を親身に観ることなど不可能である。
故に手を煩わせることのない子供は彼女達と交流する機会はほとんどない。
そういった私のような子供は叱られることもなく、必然的に名前すら呼ばれることもない。
子供達は子供達で仲の良いグループを作り自由に過ごしている。
かく謂う私も、それに倣って友達を作ろうとしたことはある。
何度もあるのだが、如何せん極度の人見知りが発動し言葉を紡げないのである。
いつまで経っても一人でいる私を気遣って、声をかけてくれた子も何人かはいた。
だが話しかけてもおどおどするばかりで、全く会話にならない私に、根気強く話しかけてくれる奇特な子供など一人もいなかった。
一つ歳上のカイルという男の子だけは長年声をかけてくれていたが、その子も昨年成人したと同時にこの孤児院を去っていった。
声をかけてくれたと言うと語弊があるが、
「おいチビ、まだ飯食い終わってないのかよ。」
とか
「早く片付けろよ、鈍臭いな。」
などいつも不機嫌そうにちょっかいをかけてくる程度だった。
その度にビクついて何も言えない私をじれったそうに見ていたのだが、今思えばあれば虐められていたのだろうか。
でも手を出してくることはなかったし、口は悪いが
「相変わらずノロマだな。」
と言いながら掃除を手伝ってくれることも何度かあった。
孤児院を出て行く時もいつもと同じようにちょっかいをかけてきたが、結局会話らしい会話はできなかった。
そんな友達のいない私だが、アズだけはずっと傍にいてくれた。
最初にアズを見かけた時はなんて可愛らしい天使だと驚いたものだ。
しかしそんな悠長なことを考えている場面ではなかった。カイルにちょっかいをかけられて縮こまっていたのだ。
同年代より小柄な私ではあるが、アズも同年代と比べると小柄な部類である。
その為、二つ歳上のカイルと見比べると何とも弱いものいじめさが際立ったのだ。
小心者の私ではあるが、正義感が無いわけではない。ましてやあんな天使が怯えているのだ。
立ち向かわなければならないという衝動に駆られ、一歩足を進めた。
ひざが笑っている気がするが気のせいだ。これは武者震いなのだ。
カイルの目の前に立つと
「何してるの。」
と声をかける。
今世で初めて自分から声をかけた瞬間だった。
かなりか細い声になってしまったが致し方ない。
「なんだお前。」
とカイルが私に注視する気配がした。
目を合わせられないので確認はできないが、恐らく不機嫌でいらっしゃる。
ひざの笑いが止まらない。
天使の方に振り向き
「大丈夫?」
と声をかけると、天使の目が僅かに見開かれた。
長時間目を合わすことが苦手な私はすぐに目を逸らしたが間近で見ると尚更天使だ。眩すぎる。
カイルが再度私に声をかけてきたが、今度こそはっきりと
「いじめちゃだめ。」
と言ってやった。
目を合わせた瞬間、怖すぎて余計にひざが笑ったが。
結局は私の勘違いで、脚を怪我していた天使を気遣ってカイルが声をかけていただけだった。
何だ紛らわしい。私の勇気を返せ。
言われてみれば確かに膝を擦り剥いたようで血が滲んでいる。
私は救急箱を持って傷の手当をし、自己紹介をした。
アズライトと名乗った男の子は5歳で最近孤児院に来たばかりだと言う。
今朝のゴミ捨て当番だった彼は道中犬に追いかけられ転んでしまったそうだ。
これをきっかけに独りぼっちを打破しようと、面倒見の良いお姉さんを装いアズの傍に居続けた。
アズも嫌がる素振りはなく私に懐いてくれた。
同時にカイルからのちょっかいもこの頃から始まり、何かとチビだのノロマだのと声をかけてくるようになった。