図書館での後悔
笑顔のセイラに背中をごりっごりに押され、翌日ラルフォン様に勉強を教えてもらえないかと頼んでみたところ、驚くほどにあっさりと承諾を得られた。
テスト期間はどの学年も一緒なのに…と頼んだ身であるのに一度は逆に遠慮してしまったが、自分たちが今学んでいる所は一年や二年の頃に学んだことの応用が殆どだから、自分の勉強にもなる。だから気にしないでほしい、とのことだった。
そう言われては最早、甘える以外のすべはない。
そんな訳で、本日は図書館にてラルフォン様と勉強会だ。
「お待たせいたしました」
「いや、俺も今来たところだ」
そう言って本を閉ざし、此方を向いて微笑した彼は、そのまま立ち上がると隣の椅子を引いてエスコートしてくださる。
そのスマートな対応に恐縮に感じながらもお礼を言って席に座った。
「…何をお読みになっていたんですか?」
そう聞いてこっそり覗き込んだそれは、本ではなく一冊のノートだった。
「俺が去年の今頃に学んだ内容だ。…すまない、少し書き込み過ぎて読みにくいかもしれないが…」
「まあ…とんでもありません」
そう、本当にそんなことはない。
ぺらり、と彼の手によって開かれたノートにはたしかにびっしりと書き込まれている。しかし一つ一つ丁寧に解説が書かれている為、ちらりと見ただけでも教科書としても使えるのでは、と思うほどの内容だとわかった。
「……去年も学年トップだったのですか?」
「いや…去年の冬まではダグラスだったよ」
「ダグラス様が?」
興味本位で聞いてみると、苦笑と同時に言葉を返される。
ダグラス・アジャジーン様はアジャジーン子爵家の次男。長身で、身体もがっしりとしている彼は、如何にも体育会系といった見た目だ。貴族にしてはワイルドな見た目と、気さくで面倒見のいい兄貴肌な性格で、男子に大人気。そしてこっそりと女子からも人気がある。うんうん、王子様って感じじゃないけど、すごくかっこいいよね。
しかし、ダグラス様は勉強も出来たのか。
学園で二番手のラルフォン様と剣術でなかなか良い勝負をしていたし、文武両道でイケメンとか類友にも程がある。
「ダグラスの次がエイラ、その次が俺だった。今でも気を抜けばすぐ逆転されるだろうな」
エイラ、の名前に、胃が痛くなる。……エイラ・シャイバーン様。ラルフォン様たちの学年で一番の美人と有名で、子爵家の長女。人望も厚い。自業自得とはいえ、そんな彼女を怒らせた身としては恐怖対象以外の何者でもない。
唯一の救いとしては、エイラ様の性格から、私の陰口を言ったりしないこと(尚、本人を前にしたら容赦なく嫌味をぶつけてくる)。そしてラルフォン様がかなり口添えをしてくれている、ということ。
………っていうか、エイラ様ってラルフォン様のこと好きなんじゃないか…?あの日だってラルフォン様の味方感凄かったし……、と、思っていた日が私にもあった。
しかしそれをセイラに相談してみたところ、『馬鹿ね』と一刀両断された。
エイラ様は、ラルフォン様の親友であるダグラス様の婚約者である。その仲は良好で、さらにラルフォン様との関係は従兄弟関係なのだそうだ。
『ダグラス様に対してつっけんどんになりながらも素直になれない姿が可愛らしいって有名よ。それからラルフォン様に対しては姉のように振る舞う姿もね』
と呆れた顔で教えてくれたセイラに、自己嫌悪に陥ったのは言うまでもない。……本当に、攻略キャラとか見てる場合じゃないぞ私。
「……リーリエ嬢?」
「は、はいっ」
思い出してかなり気が滅入っていた私を、ラルフォン様が心配そうに見詰めている。
いかんいかん!私がお願いしたのにぼんやりするとか!!これ以上やらかすと自己嫌悪で死にそう!!
「あ、あの…改めまして、本日はよろしくお願い致します」
私が頭を下げると、「此方こそ」と柔らかい声色で返事が返ってきた。
ラルフォン様の教え方は本当に上手だった。
まず私が理解している範囲を把握し、そこに合わせて丁寧に解説してくれる。
更に、一度行き詰まるとあれこれと手法を変えた暗記の仕方を教えてくれる。
「…このようにして、ジーン博士の弟子、ハロルドは師匠を魔法連盟から永久追放することに成功した。だからこの魔法陣はハロルドのイニシャルがジーン博士のイニシャルに上書きされたように描かれている」
「なんというか、ドロドロですわね」
「しかしそれから数年後、ジーン博士はかつての弟子に復讐すべく偽名を使い、他国に亡命。」
「ええ!?」
「その時弟子の暗殺の為に作られたとされる魔法陣が、こちらだ」
魔法陣の方式について、まるでサスペンスドラマ仕立てに解説してくれるとは思わなかった。しかも面白い。
更に、私が疲れを感じると素晴らしいタイミングで雑談を挟んでは息抜きをしてくれる。
……ラルフォン様、もしかして教師が天職なんじゃ?と思うほどの手腕を発揮してくださった。
これはもう、何が何でも絶対に成績を上げなければ。
「――これぐらいにしておこうか」
「はい、ありがとうございました」
窓から夕日が差し込み、図書館を橙色に染める。
懐中時計を見たラルフォン様の言葉に頷いて頭を下げると、彼は微笑んで首を左右に振った。
「リーリエ嬢は飲み込みが早い。それにこれだけの時間、よく集中していたな。その努力は必ずテストの結果にも表れるだろう」
誉められて顔が熱くなる。
……うん、言うならば今だ私!!
「あ、あの、ラルフォン様!」
「ん?」
「その……私の呼び名、なのですが」
きょとんとする彼を前に、手をきつく握りしめて言う。
「出来れば、リーリエ、と呼んでいただきたいのです!…私は年下ですし、その…貴方様の婚約者ですから」
い、言えた…!
ほら、仲良くなるには名前の呼び名からかなって思って…!従兄弟でご学友のエイラ様のことは名前でフランクに呼んでるし、ちょっと羨ましかったというか……!
「――いいのか?」
「へ?」
返ってきたのは、控えめすぎる言葉だった。その表情は本当にいいのか?と困惑した表情だ。
え…いいも何も、私たちは家柄は同じくらいだし、私の方が年下だし。何もラルフォン様が遠慮すること、は――。
そこでふと、脳裏に一つの光景が横切った。あれはザラフィーニ伯爵家で、婚約者として初めてラルフォン様にお会いしたことだ。
『これからよろしく頼む、リーリエ』
『…お言葉ですがラルフォン様。いくら婚約する相手といえど、いきなり女性を呼び捨てにするのは如何なものかしら』
『…は?』
……と、鼻を鳴らして吐き捨てる私と、それに顔をひきつらせるラルフォン様。
……敢えて言うが、前世の記憶を取り戻した今の私とそれ以前の私は、同じ人格だ。
ただ、世間知らずで恋に夢見るちょっと我が儘なお嬢様のリーリエ・アラウンに、庶民で恋愛相手は何だかんだ勢いと将来性と性格を重視するべきだと学んだ三十路手前の独身OLの記憶が突っ込まれたことにより、視野が物凄く広がって感性が変わった、と思う。
そんな私が昔の自分について思うこと。
ないわ。
ねーーわーーー!!!
そうだ!思い出した!恋愛に夢見てたのに政略結婚の為に婚約させられて、八つ当たりにラルフォン様に難癖付けまくったんだった!!
名前もそうだし、社交界では『まだ結婚前ですもの。家族との挨拶まわりを終えた後くらい、貴方とではなく友達と息抜きしてもいいですわよね?』とか、夫面しないでいただけます?みたいなこと宣うし!!
それでラルフォン様がご友人の元に行ったら行ったで、『やっぱりその程度しか私を想っていなかったのね』とか愚痴るし!!
うっぜえ!私うっっざい!なんだこの面倒くさい女!!お前それラルフォン様がアンダーソン嬢に肩入れしても文句言う資格ないからな!!!
「……その、なんと申し上げればいいのか…あの時の私、本当にどうかしていましたわ…申し訳ありません」
しどろもどろに謝罪すると、緩く首を振った彼が私の手を取る。
「突然の話だったし、仕方ない。……では、帰ろうか、リーリエ」
「っ…はい!」
名前を呼ばれ、勢いよく返事をすれば、彼は楽しそうにくすくすと笑った。また知らない表情だ。
「ああそうだ、どうせなら俺のことも気軽に呼んでほしい」
「え?」
「そうだな、友人にはラルフと呼ばれてるし、その辺にするか」
「ええ…?!」
…意外と押しが強いのも、今初めて知った。