思わぬ窮地
衝撃の事実を目の当たりにし、二日が経過した。
アンダーソン嬢といえば、相変わらずイケメンに囲まれて幸せそうだ。………だが、よく観察すると、彼女がアシス・ナイトローン様を避けていることがわかる。といってもそれはあまり意味を成さないようで、彼女が避けようが何だろうが、ナイトローン様はいつも通り親密な距離感で彼女に接する。誠実で騎士道を重んじるその態度は、もしやあれは白昼夢だったのでは、と思ってしまうほどだ。私がそうなのだから、彼女にとったら気が狂いそうなほどの話なのだろう。
現にナイトローン様が何かしらのアクションを起こす度、身体がか細く震えているし顔色も悪い。
それから、私はもう一つのゲームとの相違点に気が付いた。
ゲームでは王子の婚約者であり、最大のライバルである悪役令嬢、キャロライナ・アシュベリー公爵令嬢。
“悪役”と呼ぶのに相応しいヒロインへの嫌がらせを日々繰り返している。
そんな彼女だが………なんと、この学園には“いない”のだ。
曰わく、アシュベリー公爵令嬢は幼い頃に病にかかり、視力を奪われてしまったそうだ。家柄は申し分なくとも、盲目の女性を王族に娶る訳にはいかない、と殿下と公爵令嬢がかなり幼い頃に婚約は破棄されてしまったらしい。
それ以来、アシュベリー公爵令嬢は公の場に姿を現さない。当然、この学園にも籍はない、というわけだ。
………転生者?と思ったが、本人に会えない以上確認するすべはないし、会えたところで、『婚約破棄が嫌だったから盲目になったんですか?』とか言える訳がない。なんだその問い掛け、真実がどっちであろうが無神経すぎる。
……しかし、それでこの前のナイトローン様豹変事件の告発内容が、悪役令嬢でなく私たちが加害者になっていたのも頷ける。
この学園にいない…もっと言えば公の場に姿を現さない、婚約破棄済みの盲目の女性に嫌がらせされた、だなんて、無理がある。そこで恥を掻いた原因の私達にその代役がいったのだ。…いやだからあれはあんたが勝手に喧嘩売ってきて勝手に自滅したんじゃん。
理不尽さにげっそりしていたところ、セイラに声をかけられた。
「リーリエ」
「ごめんなさい、すぐに行くわ」
いけないいけない、次は移動教室だった。
次の授業は男女別の授業で、女子はピアノの時間だ。……ピアノって、弾くのはちょっと苦手なんだよね。聴くのはすごく好きなんだけど。
「あら、上級生も選択授業だったようね」
言われて窓から見える屋外演習場を見下ろす。女子がピアノを弾いている間、男子はここで剣術を学んでいる。
ふと、その中でまだ手合わせをしているペアを見つけた。
「ザラフィーニ様よ」
セイラの言うとおり、決着が着いていないのか、未だに手合わせを続けている二人組のうち一人は、私の婚約者であるラルフォン・ザラフィーニ様だった。
ラルフォン様と組んだ、彼より高身長の生徒が攻めの姿勢に入っている。演習用の剣は何度もぶつかり合い、一見押されているのはラルフォン様。…だがしかし、身を低くしたラルフォン様は大振りの剣を避ける。突然獲物が逃げたことで一瞬相手の動きが止まった。
ラルフォン様はその隙を逃さず、身をくるりと翻すと、喉元に剣の刃先を突きつけていた。――勝負あり、だ。
華麗な身のこなしに、思わず嘆息する。
…すごい、舞っていたみたいだ。動く度に軽く乱れた黒髪や、しなやかな動きに惹きつけられた。
組んでいた生徒から剣を離せば、思い切り肩を組まれた。ふざけて笑うその人の手を軽く払うも、楽しそうに笑っている。…あんな、年相応な笑い方もする人なんだ。
と、ラルフォン様と組んでいた生徒がこちらに気付き、彼の耳元で何か囁いた。それに応じて彼の目線が上に上がり、私と目があう。
どきりと胸が跳ねるが、彼はそんなことお構いなしに小さく微笑してこちらに手を振る。ぎこちなく手を振り返すと同時に、ちょうど剣術を担当する教師から声がかかったようで、彼は私に一礼してからその場を離れていった。
「すごかった……」
ぽつり、と呟けば、隣の親友はくすくすと笑う。
「そうでしょうね。ザラフィーニ様って学園で二番目の剣の遣い手だもの」
「…………え!?」
あっさりと話される婚約者の評判に、私は思わず目を見開いた。
え?え?二番目の剣の遣い手?ザラフィーニ様が?
「あら、知らなかったの?ザラフィーニ様はナイトローン様に次ぐ剣術の成績よ。そのナイトローン様ですら、四割以上の確率で負けるとおっしゃるもの」
ええええ……!私の婚約者ってそんなすごい人だったの?!
っていうかそれって…ゲーム中にも出てこなかった?
たしか、ナイトローン様ルートだと、剣術を競い合う大会があるんだよね。それで、その決勝相手が“学園で二番目の剣術の遣い手”で、“これまでナイトローン様も五割近い確率で負けている”、そして“男女分け隔てなく人気な上級生”。
…………うん、名前も立ち絵もなかったモブだけど、そんなハイスペックな人だったはずだ。
「――セイラ、もしかして、ラルフォン様って人気者だったりする…?」
「まあ、リーリアったら…」
彼女は私の問い掛けに対し、大人っぽくくすりと笑うセイラ。その言葉の続きが、『貴女、本当にザラフィーニ様が好きなのね』とか、そんな暗に否定を意味する言葉を期待していた。
…しかし、現実はそう甘くはなかった。
「随分今更な話ね。ザラフィーニ様の人気は凄まじいわよ」
………まじか。
開いた口が塞がらない。多分今の私は、貴族の娘に相応しくない顔をしている。それにも関わらず、セイラは話を続けた。
「ザラフィーニ様の見た目は凛とした美しさがあるでしょう?それから剣術も今ご覧になった通りだけど、成績も学年トップ。それに誰にでも優しくて……アンダーソン嬢とのやりとりで少し評判は落ちていたけど、この間の教室の一件で、“長年の庶民暮らしで馴染めない後輩の女子生徒を気遣ってただけ”ってことですぐに元に戻ったわ。むしろ、その優しさで人気は余計に上がったみたい」
「あの話もうそんなに有名になってるの!?」
「貴族の女性のお話だもの。……だからね、リーリエ」
まっすぐに、真摯な目で私を見つめるセイラに背筋が伸びる。
「貴女も、…その、殿下やナイトローン様、それにカンダーレ様に憧れてばかりいないで、きちんと婚約者と交流した方がいいわ」
「……………は?」
はああああああ!!??
とんでもない忠告に悲鳴と疑問が脳内に満ち溢れていた。
セイラが言うにはこんな噂が一部で流行っているそうだ。
ラルフォン・ザラフィーニの婚約者、リーリエ・アラウンは、シェリー・アンダーソンを気にかける婚約者に不満を抱いている。その不満は次第に大きくなり、学園屈指の美しい権力者に憧れを抱くようになる。その証拠に、すれ違うふりをして彼らを熱い眼差しで見つめている、と――。
……凄く、自業自得ですね……!!
ああそうか!そりゃあね!あんなじっと観察してたら勘ぐるよね!もはやストーカーじゃねーか!
「幸い、貴女がよく見ていた御三方はそういう視線に慣れているから特にお気になさらないそうよ。……ただ、ラルフォン様と仲のよろしい上級生がね……」
……その先は聞かなくてもわかる。
学年で男女問わず人気があるラルフォン様。そのラルフォン様の婚約者である下級生が、婚約者をほっぽりだして学園トップの複数人の美形にお熱……だなんて、どう考えても彼のご学友達に喧嘩を売ってるとしか思えない。
「――そんなんじゃないの」
「私に言っても仕方ないでしょう」
何とか絞り出した言葉を一刀両断された。おっしゃる通りだ。それでも俯く私の頭を撫でてくれるあたりセイラは優しい。
「……明日、夜会があるでしょ?貴女はザラフィーニ様と踊るだろうし、そこで謝りなさいな」
ほら、本当に遅刻するわ、と手を引っ張る彼女に、私はふらふらと着いていく。……その日の授業は、ほとんど頭に入ってこなかった。