婚約者
ようやく学園に復帰できたのは、目覚めてから一週間後だった。熱は下がっても全身の節々が痛むし、身体が気怠いし本当につらかった。
…もしかしてあれ、インフルエンザじゃなかったのか。
前世で似たような症状が出る病があったのを思い出す。ワクチンもなくよく無事だったな私。
「リーリエっ」
「おはよう、セイラ」
教室に入ってきた私に駆け寄るのは、綺麗な金髪が特徴のセイラ。一番の友達だ。私が席に座ると同時に、仲良くしてくれる他の友人たちも集まって心配の声をかけてくれる。
「大丈夫なの?」
「ええ、心配かけてごめんなさい」
「重い流行病って聞いて私たち心配で…でも面会謝絶だってザラフィーニ様が…」
挙がった名前に、思わず身が硬くなる。
どうやらラルフォン・ザラフィーニは私が休んだ後もばっちりフォローしてくれていたらしい。
感謝と不安でいっぱいになった私をよそに、周りの友人たちは徐々に興奮した様子を見せる。
「あの時は本当に素敵だったわ」
「倒れたリーリエが床に伏す前に、近くを通ったザラフィーニ様が受け止めたのよ」
「そのまま大切そうに貴女を抱き上げて足早に保健室に向かう様といったら…!」
うわあああ、なにそれ恥ずかしい!!
当人を前にして、まるで恋愛小説が如く語る少女たちに顔を伏せて身悶える。っていうか本当にごめんなさいザラフィーニ伯爵子息!私重かったよね!!
「本当にラルフォン様は優しいんですね」
そんな中、鈴が転がるような声が響き、彼女たちは一気に静まり返った。
腰まで伸びる緩いウェーブのかかった、チェリーブロンド。
蜂蜜色のぱっちり二重。
すらりと伸びた色白の手足。
この人形のような美少女は、シェリー・アンダーソン。庶民として育った男爵令嬢。
すなわち、この世界のヒロインなのである。
「たとえ政略結婚とはいえ、婚約者の女性を手厚く介抱するだなんて、本当にお優しいわ。私が転校してきてからも、ずっと親切にしてくださるし」
……はい、きました!ネット小説定番、性根腐り系女子!!!
私だってヒロインが原作通り、明るくて優しい前向きな子なら不安は一切抱かない。
だが、残念ながらこの子はネット小説、もっと言ってしまえば悪役令嬢もので定番の逆ハー狙いの性悪なのである。
あああ、本当に嫌だ…だってあの手の小説って、必ず何か起こすじゃん。悪役令嬢は当然のこと、モブだって何かしらの形で巻き込まれんじゃん。
幸い、私は悪役令嬢のグループに入っていないし、攻略キャラの血縁者でもないから誰かを庇う・守るなんてことはない。
だがしかし、モブである婚約者がこの性悪ヒロインに惚れてるのだ。
まあ、わかるけど!ヒロイン美少女だしね!私とも政略結婚の為の婚約だしね!好きになるのは自由だ!!でももうちょっと中身見てほしいよね!!
しかも始末が悪いことに、ラルフォン・ザラフィーニは美形だ。
攻略キャラのように目を見張るような、とは言わないが、前世だったら町で肉食系女子に逆ナンされそうなほどにはイケメンだ。
たとえモブであろうが、想いを寄せられるのは嬉しいらしく、美形大好きヒロインちゃんは満更でもなさそうだ。しかも、婚約者の私を前に、わざわざこっちをちら見しながら誰も聞いてないにも関わらず自慢してくるのだ。性悪すぎる。
今だって、『うわあ、ちょっとでも報われて良かったわねえ?ぷーくすくす』と言いたげな笑顔である。なんでこんなやつがヒロインに転生したんだまじで。
「…最低ですわ、この売女」
「恥を知らないにも程がありますわよ」
私以上にお怒りの友人たちが、ぼそぼそと囁き合う。や、やめようよ!悪役令嬢第二号とかなりたくないよ私!
「あら、どうしたんですか?貴族の方って小さい声でお話されるんですね!!」
お前も煽んなやヒロインコラアアア!
くすくすと嘲笑するヒロインに、汗が吹き出る。
一瞬即発。
そんな四文字熟語が頭を掠めた時だった。
「リーリエ嬢」
涼やかな声で、名前を呼ばれる。
一言失礼します、と挨拶すると同時に近寄る、黒髪黒目の青年。
さらりとした黒髪は肩に少し触れる程度。凛とした瞳は涼やかで、薄い唇がどこか日本人を思い出させる。
「あ…ラルフォン様」
そう、私の恩人にしてこの修羅場の元凶、そして婚約者のラルフォン・ザラフィーニ伯爵子息である。
お礼?いや、先に謝ればいい?
一瞬悩んだ私だが、その隙を突くのがこの性悪ちゃんである。
「ラルフォン様!よかったですね、リーリエ様が復帰して!」
語尾にハートマークでもつきそうな甘い声で、私と彼の間に割り込む。ええ可愛いてですよ、その笑顔と仕草で攻略キャラを骨抜きにするんだもん、可愛いよ。
ただ、お前本当にいい加減にしろよ!
せっかく和らいだ友人たちの空気が、また殺伐としたものと化した。
ああ、でもこのままヒロインと話し込んでくれれば、彼女たちの愚痴を聞くことができる……。
「…いや、まだ具合が悪そうだ。大丈夫か?」
――ん!?
てっきり骨抜きになったと思った婚約者だが、何故かその想い人を避けて、再び私と対面する。
これには私は勿論、ヒロインと友人たちも唖然としている。
「リーリエ嬢?…保健室に、」
「あ、い、いえ、大丈夫ですわ!その、ラルフォン様にはなんとお礼を申し上げればいいか……私を保健室に運んでくださったそうですし……」
慌てて取り繕う私に、ラルフォン様は小さく首を左右に振る。
「お礼なんていらない。…貴女が回復して元気な姿を見せてくださるなら、それで充分だ」
そう言って微笑む。
無表情、という訳ではないが、普段あまり感情を表に出さない彼の笑顔をきちんと見たのは、これが初めてだ。
例えるならば、夏の夕暮れに吹き抜ける風。
そんな笑顔に、私は言葉を失った。
――――いやいやいや!にこぽしてる場合か!!彼はヒロインが好きなのだ。
だってヒロインが攻略キャラの元に行こうとすれば声をかけて少しでも自分の傍から離れないようにするし、ヒロインによく話しかけるし!!
今はこうして優しいけど、この先ヒロインに唆されて私と婚約破棄、果てには断罪、なんてことになったら……。
「――ラルフォン様っ」
ほら、ほら!つまんねえって顔上手く隠してヒロインちゃんがアピールしてますよ!!
しかしラルフォン様は彼女を見て、あ、と呟く。まるで、たった今彼女の存在を思い出したかのようだ。
「何か?アンダーソン嬢」
「え……」
ぷ、と隣にいるセイラが吹き出した。やめて。そしてセイラに引き続き、くすくすと笑う他の友人。いや、ぶっちゃけ私も結構すっきりしたから強く言えないけど!
ヒロイン――アンダーソン嬢といえば、渾身のアピールを無視されて固まっている。次第に顔は赤くなり、私達全員を睨みつけた。
「っ…カイルのとこ行ってくる!」
そして誰も聞いてないにも関わらず、攻略キャラの名前をあげて教室を出て行った。多分、精一杯の反抗なんだろう。…そろそろ授業始まるけど、怒られても知らないぞ。
「……今回は仕方ないか」
ため息まじりに呟く声。他の子には聞こえなかったようだが、私の耳にはしっかり入った。…やっぱり、ラルフォン様はアンダーソン嬢が好きなのか?いやでも、だったらさっきの反応はないよなあ……。
「……では、俺も失礼する」
「わざわざありがとうございました。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「謝らないでくれ。――皆さんも、どうか病み上がりの彼女を支えていただきたい」
はい!と全員の元気な声が響く。
「……見まして!?さっきのアンダーソンさんのお顔!」
「ふふ、とってもすっきりしましたわ!」
ラルフォン様が完全に教室を離れると、全員が興奮気味に囁き合う。
「安心したわ」
「え?」
セイラにこっそりと囁かれ、そちらを見れば悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。
「貴女には黙っていたけれど、ザラフィーニ様はアンダーソン嬢に好意を寄せていると思ったの。……ほら、ナイトローン様やカンダーレ様も彼女に夢中、だなんて噂があるでしょ?さっきの彼女の言葉から、きっとカイル殿下まで……」
…セイラの言葉は何も間違っていない。私だってラルフォン様はアンダーソン嬢に片思いしてると思っていたし、他の男性の方々は攻略キャラたちだ。
「……でも、貴女の婚約者は大丈夫みたいね」
安心したように笑う大人っぽい親友に、何も言わずに苦笑する。
…でも、何か引っかかるんだよなあ。