遭遇
露天商に売られているものは本当に美味しかった。サンドイッチは具材もパンも絶品で、それを互いに生かした味だったし、紅茶の葉は名産地で入手したもの。そしてアイスキャンディーは硬さもちょうど良く、果汁たっぷりな甘酸っぱさを満喫できた。
食べ歩きができないのが唯一の心残りである。お祭りの醍醐味なんだけどな。
さて、次に覗くのは露天商だ。
ラルフ様は雑貨…画材に目を奪われているようだ。私もそんな彼にそわそわして、声をかける。
「やっぱり、今でも絵を描かれるんですか?」
「ん…まあ、たまにな」
「漫画は?」
期待を込めて見詰めれば、ラルフ様は苦笑を浮かべて首を左右に振る。
えー、もったいない!
しかし私の嘆きを察したらしく、ラルフ様はどこか哀愁漂う後ろ姿でこう言った。
「あの絵柄で漫画を描こうとすると、この世界ではド下手くそって言われることになる…実際、ダグラスに滅茶苦茶笑われた…」
……おう。
たしかに、この世界の絵って、美術の教科書に載ってそうな絵しかないんだよね。漫画絵という概念がない世界からしたら、そうなるのは仕方ないのかもしれない。
しかし、元プロであったラルフ様からしたらわかってても傷付くだろうなあ…。
「私はずっとファンですからね」
「…ありがとう」
私の精一杯の励ましに頷いた彼は眉を下げたまま笑みを浮かべて、画材から離れた。
「わ、これ綺麗…」
思わず手にとったのは、細かい細工を施されたハンターケースの懐中時計だった。銀であしらわれたそれには、深い青のガラス細工と小さな宝石が散りばめられ、表面に夜空が描かれている。
店主に許可をとって中を見ると、中も品のあるシンプルな造りで、静かな音を立てて針を刻んでいる。
「時計はまだ持ってなかったのか?」
「ええ、前のものは壊れてしまって…」
そうか、と頷いたラルフ様は、にこにこと笑う店主に向きあう。
「彼女の持っているあの時計を購入したい」
「…え!?」
「お買い上げありがとうございます」
思わず声をあげる私をよそに、丸眼鏡をかけた初老の店主は恭しく笑顔で請求書を彼に手渡した。ラルフ様は涼しい顔でサインをする。
私はといえば、戻すわけにもいかなくなった懐中時計を手にしたまま狼狽えた。
「ラルフ様、でもそんな、」
「ん?…すまん、気に入ってるように見えたが、違うものが良かったか?」
「いえ!たしかにすごく気に入ったんですけど!」
でもこんなに良い物を、と口に出そうとしたところで、安心したような笑顔を見せられて何も言えなくなった。
「なら良かった。……婚約者なんだし、偶にはいいだろ。どうか受け取ってほしい」
そう言われると、最早大人しく受け取るしかない。
畜生…何かお返ししたい…でも何を返せばいいかわかんないな、年上の男の人相手に贈り物とかしたことなかったし。…お母様に聞いたらアドバイス貰えるかな?
「――ありがとうございます」
お礼を言えば、彼は柔らかい笑顔を浮かべた。
「ラルフ様!」
そんな中、甘さと必死さが綯い交ぜになったような声が聞こえた。
――うげ。
笑顔を浮かべて此方に駆け寄るアンダーソン嬢、ナイトローン様、カンダーレ様、そしてカイル殿下の姿に、心の中で令嬢にあるまじき声を漏らし、表情が引きつった。
隣にいるラルフ様はといえば、落ち着いた動作で貴族の礼を取る。…表情がちょっと硬いけど、私に比べたら全く問題ないだろう。
私も慌ててドレスの裾を軽く摘まんでお辞儀をした。
「これはこれは…カイル殿下、カンダーレ殿やナイトローン殿…それからアンダーソン嬢。このような場でも皆様にお会いできて光栄です」
「ああ、俺もです、ザラフィーニ殿」
そこで最初に反応を示したのは、ナイトローン様だ。その表情は生き生きとしている。
「今度の大会、貴方と当たるのを楽しみにしています」
「ナイトローン殿にそうおっしゃっていただけるとは…どうぞお手柔らかに」
…そういや、二人の力は同等ぐらいなんだよね。そっか、だからこんなにナイトローン様の食いつきがいいのか。
それにしても、ナイトローン様を始め、こうして見ると三人共全然狂ってるようには見えないな。
殿下やカンダーレ様は静かにこちらを見ているだけだし、ナイトローン様は親しげだし。
「ねえ、ラルフ様!良かったらご一緒に回りませんかっ?」
するっと腕を絡ませるアンダーソン嬢…を華麗に避けるラルフ様。おぉ…あからさまでない動作で静かに一歩後ろに下がるタイミングが素晴らしい。
っていうか、ラルフ様って愛称で呼んできましたねアンダーソン嬢。前まではラルフォン様呼びだったよね?
身体の接触を地味に避けられ、一瞬だけアンダーソン嬢の表情が歪んだ。
しかし、ラルフ様はお構いなしに柔らかい声色で言葉を続ける。
「申し訳ないが、今日は婚約者との交流を深めると決めていたので…」
「じゃ、じゃあ、アラウン様も一緒に、」
「シェリー」
私を睨みつけ、尚も引き下がらないアンダーソン嬢の言葉を遮るのは、カイル殿下だった。
「婚約者との触れ合いの間に入り込むのはマナー違反だ。…それぐらい、わかるだろう?」
優しく諭すような声が、重々しく響く。彼女の肩に置かれた手に、強い力が加わったのだろう。
痛みに表情を歪めたアンダーソン嬢。そしてそれを恍惚な笑みを浮かべて見つめるナイトローン様と、彼女の腰に手を添えて穴が開くんじゃないかと思うほどに見つめるカンダーレ様。
……前言撤回!やっぱりおかしいこの人達!!
「か、カイル…わかった、わかったからっ」
「いい子だ」
彼女の肩から手を離した殿下は、私を見つめてくすりと笑う。
え!?な、なに?なんですか?!思わず背筋が伸びて身体が硬くなる。
「許せ、こいつは天真爛漫でな。別にお前の婚約者との時間を邪魔したかったわけじゃない」
…いや、100パーセント邪魔したがってたと思いますけどね。しかし、そんなこと思っていても口に出せない。結果、大人しく頷くことにした。
「存じ上げております」
「ご安心を。シェリーが蝶のように彼方此方舞わないよう、今のようによく見つめていますから」
カンダーレ様が彼女の前髪に口付けて言う。いや…貴方様のそれ、ガチで24時間365日体制のやつですよね?比喩表現でも何でもないですよね?
現に腕の中のアンダーソン嬢は冷や汗でびっしょりだ。私はといえば、やっぱり余裕なんてなくて、曖昧な愛想笑いを浮かべるだけ。
「っなによ……そんな余裕そうな顔して…」
ぼそりと、アンダーソン嬢が呟く。
嫌な予感がしたらしいラルフ様に手を引かれたが、あと一歩遅かった。
「そんなにラルフ様のこと好きじゃないくせに!ずっとこの三人のこと意味深く見つめてたくせに!」
今度は、私が冷や汗を掻く番だ。
目の前にいる三人の視線が一斉に降り注ぐ。
周囲の貴族たちの中でも、此方を見ている人がちらほらいる。
こんな大勢の前で不貞を疑われるとか…!
嘲笑うアンダーソン嬢に目眩と吐き気を覚えた。手の指先は氷水で冷やしたようだ。
どうしよう。
どうすればいい?
「それはそうだろう」
しかし、しっかりした手が私の手を握ることで、それらは霧散した。
静かで平坦な声に、ラルフ様を見れば彼は優しく目を細める。大丈夫、と唇が小さく動くのを見て、全身の体温が戻ってくるのを感じた。
「アンダーソン嬢のように純粋で可愛らしい少女と、殿下達のように見目麗しく有能な男性たちが仲睦まじく過ごす。貴族の女性にとっては、まさにロマンス小説のよう光景だからな。憧れを抱き、好奇心から目を離せなくなっても不思議じゃない。…そうだな?リーリエ」
「は、はい…無礼な行為だとは思いながらも、皆様が素敵な恋愛小説の人物のようでつい目が離せず…申し訳ありませんでした」
ラルフ様の言葉に乗っかって頭を下げれば、三人はまんざらでもない顔をする。好きな子との関係が恋愛小説みたい、と第三者に言われたら悪い気はしないのだろう。
アンダーソン嬢は、口をはくはくと動かした後、私を睨みつけた。
「いや、お気になさらず。…此方こそ、シェリーが失礼した。正義感が強い反面、向こう見ずな面がありまして、…ほら、アラウン嬢に謝った方がいいぞ?」
そう言って目を細めるナイトローン様は、異様な近さと張り付いた笑顔で彼女の顔を覗き込む。ひ、と声を漏らしたアンダーソン嬢は、「も…うし訳ありませんでした」と絞り出したような声で謝罪する。けれど、その目はきつく閉ざされて誰も見ていない。そんな彼女を愛しげに見つめるナイトローン様に、私もそっと目を背けた。
「…では、我々はこれにて失礼します」
「ああ、ゆっくり祭りを楽しむといい」
「は、ありがたきお言葉。…それと、アンダーソン嬢」
ラルフ様に名を呼ばれ、縋るように彼を見るアンダーソン嬢。ニッコリ、と笑ったラルフ様は既に背を向けた姿勢で、顔だけ振り向かせて彼女を見やる。
「申し訳ないが私のことは、愛称ではない呼び方で呼んでいただきたい。我が婚約者に愛想を尽かされたらきっと立ち直れないから。それに必要以上の親密さは、貴女の周囲の男性に対して恐れ多い」
「なん…!」
何か言いかけたアンダーソン嬢を華麗に無視し、それでは、と私の手を引いてその場を軽やかに立ち去るラルフ様。
「――ごきげんよう、皆様」
私も振り返って挨拶をするが、その途中、ちょっと吹き出してしまった。まあ、先程のラルフ様の冗談みたいな言葉で笑ったってことで誤魔化しが利くだろう。
「ありがとうございました。…でも、いいんですか?」
あの四人と別れ、大分離れたところで問いかけると、ラルフ様はあっさりと頷いた。
「もう作戦は変えたから、彼女との関係はどうでもいいしな。…正直、アンダーソン嬢のご機嫌とりも限界だったし…それに、ああいう子苦手なんだよ」
「それは…そうでしょうね」
むしろあの性格を知って「ああいう子めっちゃタイプ」とか言われたらどうしたらいいかわかんない。しかしラルフ様にとってそんな簡単な問題ではないらしく、眉間に深い皺が刻まれた。
「あの手のタイプには前世でもロクな思い出ないし…」
「そう、なんですか?」
「勝手に付き合ってることにされたり、勝手に俺が片思いしてることにされたり、告白断ったら俺にストーカーされてるってクラス中にデマ流されたり、家まで押しかけられて危うく布団にまで潜り込まれたり」
ずーん、とラルフ様の周りの空気が重くなる。…この人、よく女性不信にならなかったな。あと最後のは犯罪じゃないのか。
「だから、正直君のことは天使か何かだと思ってる」
「すみません、その人達と比べて言われても…多分、世の大抵の女性は天使か女神か聖母になりますよ」
真顔で誉められてもあまり嬉しくない。
そんな中、背後から、あら、と小さな声が聞こえた。
「リーリエさん」
「え…あら、ラグンジェ伯爵夫人」
キャラメルブラウンの髪を高く結い上げた上品そうな長身の美人に声をかけられ、思わず声が弾む。
夜会で出会ったシシー・ラグンジェ伯爵夫人は、20代後半ぐらいの貴族の女性だ。
会場で具合が悪そうにしていて、そんな彼女を私が介抱してから、それなりに交流が続いている。
「ご機嫌よう。…そちらの殿方は…」
「私の婚約者です。」
「……お会いできて光栄です、マダム。私はラルフォン・ザラフィーニと申します」
「まあ…リーリエさんの。はじめまして、私はシシー・ラグンジェと申します」
それから、二、三言会話をし、彼女とは別れた。
…なんだろう、ラルフ様の様子がおかしい。夫人を見た時、目を大きく見開いていたし、今もそわそわとして落ち着きがない。
どうかいたしました?と声をかけようとしたところで、ラルフ様の方が先に口を開いた。
「…リーリエ、あのお方と仲は良いのか?」
「ええ、それなりに目をかけていただいてますわ」
正直に答えれば、彼は珍しく興奮した様子で頬を赤らめた。
「女神か君は……!!!」
「ーーーはい?」
……ええと、どういうこと?




