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 あ、矢作くん、デンモク取って、と言われ、しかし僕は何の事だかわからず、指でさされた方を見ると携帯ゲーム機の親玉みたいなものがあり、それを渡した。

 お、ありがとうとトムソンガゼルは言った。キュウちゃんさ、カラオケ初めてって本当なの? とトオルが僕に話しかけてくる。

 そうなんだ、俺本当に初めてだよ。マイクはこれ? と手に取るとトムソンガゼルが手を出してきたので、僕はその手にマイクを握らせた。

 僕の部屋より少し狭いぐらいの煙草臭い部屋に人が六人入って、安っぽい革張りのソファにこしかけ、めいめい好き勝手なジュースをゴクゴク飲んでいる。受付からここに来るまでに101、102、103と同じような部屋があるのを見て、今ここである事と同じような事が同じ建物で一緒に起きていて、それって少しヘンな感じがするな、と僕は思った。

 シオリとシノブは鼠やリスの鳴き声みたいな声でクスクス笑っている。何が面白いのだろう? 

 ねぇ、カジくん、採点入れようよ、と男のクラスメイトがトムソンガゼルに言う。あ、良いね、俺さ、皆わかってると思うけど、マジでうまいからな、とカジくんが言うとシノブとシオリは手を叩いて笑った。何が面白いのだろう?

 

 それでは、カジくんの、なんとかかんとかです、どうぞ。

 

 歌は白い花畑で肩組みをしている人達のCDの、一曲目の曲だった。

 イントロが流れ始める。CDの音より安っぽい。カジくんがソファから立ち上がり部屋に備え付けられた大きいテレビ画面に目を向ける。

 おっ、これかぁ、懐かしいなあ とトオルが言うと、クラスメイトがいきなり拍手をして、いよっ待ってました、と言った。

 イントロが終わり、画面に白い文字が現れる。覚えた歌詞と同じ歌詞だ。カジくんは文字を見つめている。文字の後ろの画面ではどこかの男女が苦しそうな顔をして背中を向け合っている、お互いの顔を交互に映すようにカメラが移動している。

 名前も知らないクラスメイトはデンモクを触るのをやめた。電子音が鳴り画面の右上に題名だけ聞いた事のあるような曲の頭の文字七文字が表示された。

 クラスメイトがデンモクを机の上に置く。そうすると食べ物のメニュー表がデンモクに押されて僕の方にせり出してきた。

 歌が始まると白い花畑で肩組みをしている人達の声は出ず、安っぽい音の伴奏だけが流れ続けた。白い文字は歌が進むのにつれて少しずつ緑色に染まっていく、カジくんは文字にあわせて歌っている。子供の声だけど、音の高さもリズムもCDで聞いた声と良く似ている。

 シオリとシノブとトオルとクラスメイトはさざ波のように揺れている、皆、緩い笑みを浮かべ目を細めている。僕はどうしていいのかわからず、オレンジジュースを啜っていた。

 歌が終わり、画面は切り替わった。画面には、87点と表示されている。クラスメイトとトオルはすごい、さすがと言う。シオリとシノブはやるぅ、と言いながら手を叩いている。シンバルを叩くチンパンジーのおもちゃ、チムチムみたいだ。僕も少しだけカラオケがわかってきて、カジくんすごい、うまいね、と言った。カジくんはありがとう、ありがとう、皆ありがとうと大げさに右に左に礼をしながら言う。そうすると、またチムチムが動き出した。画面が切り替わり、どこかで見た名前の歌の名前が表示される。また画面は切り替わる。

 

 それでは、なんとかかんとかくんの、なんとかかんとかです、どうぞ。

 

 それが四回続いた。変わった事が一つだけあった。シオリが歌い終わり、シノブが歌い始める時、あ、キュウちゃんも入れなきゃとトオルが言い、僕にデンモクを差し出して来た。僕は、そうなんだと言い、トオルに動かし方を教わりながら曲を一曲予約した。聞いた事ない曲だなぁ、とトオルは言った。

 

 それでは、聞いた事もない人達の、聞いた事もない曲です、どうぞ。

 

  あの女とは終わったよ。

  俺の中身の助けにはなかったから。

 

 イントロが流れ始める。ビニールを裂くようなギターの音、シオリとシノブが眉をひそめる、それまでいきなりギターから始まるような歌はなかったからかもしれない。または、ビニールを裂くようなギターの音が入っている歌はなかったからかもしれない。歌詞が画面に出る、英語の歌詞だったが、読み仮名が振られていて、便利だなあ、と思った。誰も揺れてはいない。笑っている、トオルとカジくんとクラスメイトは笑っている、シオリとシノブは顔を見合わせて笑っている。何が面白いのだろう? 歌の出だし僕はうまく歌えなかった、英語がわからないからではない、何度も歌詞カードを見ながらCDと一緒に歌っていたから、英語はわからなかったが、その音は覚えていた、それが叫んでいる事はわかっていた、何かを伝えたい事はわかっていた。そして僕はその曲が好きで、その曲は良い曲だと言う事もわかっていた。しかし、ドラムもギターもベースも音の感じが全然違うし、何より歌詞と文字の色が変わるリズムが全然違い、それに戸惑った。僕は歌が始まった後の、三度目のリフから入ろうと思った。それで僕が黙っていると、トオルはキュウちゃん、止めるか? と聞いてきたが、丁度三度目のリフが始まる所で、なんとなく感じが掴めていたし、目を瞑って歌えば無理に歌詞に追われる事もない事に気づいたので、そのまま歌った。今度はうまく歌えた。途中で、何か面白い。という声と、英語って。という声が聞こえて不思議と少し嫌な気分になったが、ギターソロまで歌った。そこで一度目を開けた。画面には間奏40秒と表示されていた。クラスメイトが間奏長いよ、と笑った。 どうしてこんなに格好良くて聞いてて気持ちよくなるソロを、長いと思うんだろう? そうして目を閉じ、最後まで歌った。また目を開けると画面には76点、と表示されていた。カジくんが、カラオケ初めてにしてはうまいうまい、ドンマイドンマイ、と言った。そうしたらシオリとシノブのどちらかが、そうそう、ウチら、この歌知らないから、うまいか下手かわからないし、と言った。僕はカラオケ、がどういうもので、どういう集まりで、どういう目的のものなのかが、やっと、完全に、わかった気がした。


 カラオケ、は曲を歌う会ではなくて、自分はこういう歌を知っていて、それはあなたたちも知っている歌で、私はあなたたちと同じですよ、違う動物ではないですよ、と言い合う、報告会なのだ。だから、元の曲をうまくなぞる事、真似をする事が上手い人間は、好かれる。それを皆で話すため、そのために、歌を仕方なく聞いているんだろうと思った。その日、僕が好かれる事はなかった。


 僕達は自転車を取りに駅前に戻った。今日楽しかったね、とシオリとシノブは話し合っている。

 カジくんは矢作楽しかったか? と僕に聞いてくる。うん、楽しかったよ、と僕は答えると、カジくんはそうか、今日来てくれてありがとうな、と言った。僕は、楽しいという言葉が少し、わからなくなった気がした。

 駅前で僕らは解散した。カジくんとクラスメイト、シオリとシノブ、そして僕とトオルは帰り道が同じで、また明日、と言い合い家に帰る。


 そうだ、僕達はカラオケ、それが終わったあと、家に帰っている所だった。

 でもさキュウちゃん、トオルが言う。皆が居る所では、皆が知っている歌の方がいいよ、皆、盛り下がっちゃうよ。

 何で? 僕はそう聞く。トオルは音の鳴らないベルをガチャガチャ弄っている。何で? 良い曲じゃない。

 僕がそう言うと、トオルは難しい顔をして僕の方を見る。何で、なんか俺もわからないよ、とにかく、そうなんだよ、同じじゃないと、駄目なんだ。俺にだってそんな事、わからないよ。やめよう、この話。そう言ってトオルはまた前を向き、黙って自転車を押し続ける。

 僕はその背中をじっと見ている。トオルはずっと音の鳴らないベルを弄っている。電車が僕らのすぐ横にある線路を何度も、行ったり来たりしている。そのたびに僕は電車の方を向く。

 電車にはたくさんの人が乗っている。ほとんどの人は下を向いてつまらなさそうにしている。時々、男と女が楽しそうにしている、いや、嘘だろう、フリだろうな。あんな所に居て、楽しいわけがない。

 トオルが急に立ち止まった。僕も一緒に立ち止まる、キュウちゃん、あれってさ、ロックっていうの? トオルが振り向く、僕にそう聞いてくる。僕がどれ? と聞くとトオルはキュウちゃんが歌った奴だよ、と言った。

 僕がうん、と言うとトオルは何かを考えるような表情になった。キュウちゃん、キュウちゃんはさ、ちょっとヘンだよ。だからさ、ロックやれよ、その方が、いいよ。と、トオルは言った。一人じゃ出来ないよ、ギターとか、ベースとか、ドラムも要るし。俺、ギターはちょっと、弾けるけどさ。

 僕がそう言うと、トオルはそうなの? と意外そうな顔をし、何かを思いついたように、こう言った。

 それってさ、もしだよ、ちょっとでもいいんだけどさ、俺にも、出来るかな? トオルが弄っていた自転車のベルが鳴った。その音は僕の頭の中に深く低く、響いた。

 


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