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俺は本当にこんな事を言いたいのか?
違う。
だから何だ?
蝿が僕を乗っ取ろうとしているからだ。
僕に入り込み僕の思考アウトプットコンソールにカタカタカタカタとタイプライターを打ち込んでいる。
お前は特別に繊細なんだからこういう夢を子供の頃から見ていてそれはお前の心に傷を作ってお前はその傷が癒されないまま大人になったのだからそういう風に感じるのは特別な事で繊細な事なんだ。
そう蝿は俺に言わせたがっている。
気がつくと子供達は僕から離れた親達の所に居た。
僕が小児愛者の性的倒錯者に見えたのかもしれない。
あるいは何日も風呂に入っていない汚らしいホームレスに見えたのかも。
ホームはあったが確かに風呂には入っていなかった。
彼らは皆枯れ葉と同じような色をしていた。
僕は家に帰った。
僕は揺り椅子にしばらく座っていた。十分ほど宙に浮き太陽の光を反射する埃を見ていた。ふと、一度深くもたれかかってから、勢いをつけて立ち上がり、ギターのところまで歩き、手に取った。必要だと思ったからだ。ギターを抱え、再び揺り椅子に深く腰掛けてから、伴奏になるコードを弾き、鼻歌でメロディを歌った。
そうだ、わかってるだろ、こういう繊細な気分の時こそ、運命の曲、良い曲、歴史に残る曲ってのは出来るもんだ。わかるだろう、お前は繊細だ、天才だ。お前はシド・ヴィシャスやカート・コバーンに似てるよ。だから出来るんだ。ジョン・レノンにだって似てる。お前は努力なんてしなくていいんだ。お前は繊細で不幸で彼らと生い立ちが似てるんだから何もしなくたっていいんだ。むっつりした顔で不機嫌そうにギターを弾いてろ、そうすりゃ天才らしく見えて空から地から海から神の啓示が降りてくる……
何かに縋りたい気分の時ほど蝿の声は大きくなる。僕はウォッカの瓶を掴み口を開け一口流し込んだ。透明な瓶に入った透明のアルコール、それは天井の光を通す、それが口の中に入ると火が点いたように感じる。我慢してぐっと飲み込めば腹の中にまで熱さを感じる。唾を吐きたい気分になる。だから僕は唾を吐いた。フローリングの床に散った唾はいくつもの小さな泡をたてていた。
僕はギターを弾き続けた、むきになって、鼻歌を歌った。強く息を吐いたのでウォッカで焼けた喉が少し切れたように感じた。もう一度唾をはくと、血が混じっていた。ふとした時、酒を飲んで意識がボウッとしている時、薬をやって何もかもがどうでもよくなっている時、良い曲が出来た時、ライブでとんでもなく、その空間の、その空気と、その一帯と溶け合えたと思えた時、僕は蝿の声が聞こえなくなる。蝿に追われ追い詰められたここでもそれが出来ると思った。そうしなければいけないと思った。
おや、そのコード進行は有名な"あの曲"のものだね! お前ほどの人間がその程度で良いのか? お前の混乱した内面性、それを隠す野獣的な外面、そして厭世観、そういうものがそのクソみたいなメロディとクソみたいな伴奏で成せると思っているのか? ほら、今はそういう事をするべきじゃない、運命はお前と共にあるんだ、お前は成功するはずじゃないか、お前はもっともっとデカくなる、お前はもっともっと有名になる、お前はもっともっと皆から好かれるようになる……だから今日はギターを弾く事なんかやめちまえ、薬を打って27クラブの奴らみたいに世の中を憎みながらむっつりしてればいいんだから……
僕の頭の中は混乱する。蝿と僕は戦っている。僕の頭の中には黒い靄がある。山羊の形をしてぐるぐるぐるぐると僕の頭の中を引っ掻き回している。黒豹のようにも見える。黒猫のようにも見える。または黒い闘犬のようにも見える。よく見ると二匹居る、そいつらは取っ組みあいをしている。お互いの頭でお互いの尻を噛み合っている。そうしてぐるぐるぐるぐると回っている。うんざりだ。
僕は蝿を頭の中に入れたままどんどん大きくなった。