表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/30

2

 僕は郊外のベッドダウンにある市立病院で生まれた。高齢出産で初産の僕を孕んだ母親はブクブクに太ってしまい、おまんこから僕を引きずり出せなくなった。それで、腹を掻っ捌いて、言う所、帝王切開をして、僕を外に引きずりだす羽目になった。部分麻酔が効いて来て、しかしそれでも妊娠中毒の頭痛と倦怠感と全身の痛みとありもしない幻覚が見えている時、母はもう死んでしまうと思ったらしい。その時医者がおっ、と驚嘆の声をあげ、しかし母は何も言う事は出来ず、医者は続いて袈裟懸だ、と言った。それで母親は、生きていけると思ったらしい。僕の母親は物知りだった。袈裟懸、が仏陀と同じだと知っていた。僕は子宮の中に居た頃から黒いふわふわのファーコートを羽織ったフレディ・マーキュリー、つまりはKiller QueenのPVみたいな感じだけど、それみたいに着飾って、偉そうに、臍の尾を肩にかけ、王様気取りで居たってわけ。カエサルも同じだった。きっと彼らも高齢出産の生まれだったのだろう。

 違う。

 こんな事を言いたいんじゃない。

 こんな事は嘘だ。

 まやかしだ。

 どうでもいい事だ。

 僕は育った。

 幼稚園に行くようになった。

 そこには子供がたくさん居た。

 僕もその中で遊んだ。

 遊びの中で流行っていた事があった。

 幼稚園にある三輪車に乗る。幼稚園の建物を取り囲むグラウンドからスタートし、グラウンドの隅から入れる、狭い路地のようになっている裏庭に入り、その裏庭は幼稚園の建物をぐるりと一周するようになっていて、入り口の反対側が出口になっている。

 裏庭にはザクロが生っていて、そのザクロはおいしかった。

 そういうドラッグ・レースだ。

 僕は体が弱い子供だったから、そのレースにも弱かった。

 三周、一番最初に回った男が勝つ。

 女はやらなかった。

 僕はその日、いつも通り周回遅れで、でも皆と遊べるのが楽しくて、グラウンドに居る皆から、おい、ヒサッチ、周回遅れ、のろま、のろまと言われても、嬉しくて、ニヤニヤして、ヘラヘラしていた。

 僕が二週目に入り、裏庭のザクロの木の横を通った時、黒い点が飛んできた。

 それが蝿だった。

 蝿は僕の左の眼球にぶつかった。

 僕は驚いて左の眼球を平手で叩き、止まった。三輪車は三輪なので、倒れない。

 左の瞼をかいた。後ろから三輪車の来る音がしたので、自分の三輪車をわきにどかした。

 ヒサっち、どうしたの? 後ろから来た子供が俺にそういう事を言うが、蝿がぶつかったんだ、と言うと、不思議そうな顔をして、レースに戻っていった。

 俺はそのまま三輪車を押して逆走し、グラウンドに戻り、ごめん、やめる。と言って、目を洗いに洗面所へ向かった。

 何度も洗った気がする。

 ヘンな音が聞こえた。

 カサカサカサカサという音、不快な音、蝿が足を擦り合わせる音が聞こえた。

 その音は俺の頭の中から聞こえてきた。

 先生、蝿が僕の頭の中に入っちゃった、と言うと、先生は笑って、大丈夫よ、と言った。

 大丈夫ではなかった。

 家に帰っても蝿の音は聞こえた。

 頭の中からも聞こえたし関節からも聞こえた。関節では特に右肘からよく聞こえた。何かが這いずり回る感覚、足をこすりあわせる音、そいつらが体の中から聞こえてきて、寝る前にも聞こえるので、ちっとも眠れないし、恐ろしい夢ばかり見るようになった。それまで夢というものはほとんど見なかった。

 夏に行ったプール、そこにあるウォータースライダーの頂上、そこから金属の枝が伸びていて、僕はそこにぶらさがった鳥かごの中に入れられ、揺られている。

 下には皆が居る。

 母親も居るし、見知った友達も居る。

 しかしもっとも多いのは知らない人間だ。

 誰か、助けて、と僕は叫ぶが、誰にも聞こえている様子はない。

 かごの扉を押すと蝶番が周り、外側に開き、かごはぐらぐら揺れた。

 向こうに、うまく飛べば届きそうな所に、ウォータースライダーの頂上があった。

 僕は飛んだ。

 そうして、落ちた。

 宙を落ちる感覚もあった。

 痛みはなかった。

 ただ頭に何か当たり、全身が何かにぶつかったという事はわかった。

 そこからは起きるまでの三時間、ずうっと真っ暗なまま過ごした。

 退屈でしょうがなかった。

 死ぬって退屈な事だなと思った。

 そうして死ぬ夢を何度も見た。

 半透明で、大きな白い顔だけの眼の赤い女の幽霊に廃墟となったホテルで追われ、ぬいぐるみみたいな羊の女の子とお経を唱えてるんだけど、それは効かなくて、眼の赤い女に重なられ、死ぬ夢。

 どこかのジャングル、たくさん居る狒々の動く死体、僕は女の子と一緒に居る。僕は銃を持っていて、自分の身を守る事で精一杯で、女の子は死んでしまう、僕は、狒々が許せなくて、いや、罪滅ぼしか、自分が許されないと思ったのかもしれない。それで、銃を持って、狒々の住処に行く。狒々を一匹、二匹、三匹撃ち殺した所で、後ろから掴まえられ、仰向けに押し倒され、何匹もの狒々の死体、顔がぐずぐずに爛れて皮膚の垂れ下がった狒々、目だけはギラギラ光っている、そいつらがかかってくる。腹を切り裂かれ、内臓を引きずり出され、僕はジャングルの木々、その葉が作り出す不思議な模様に切り取られた空、その空を眺めながら、死んでいく。

 

 そんな夢を何度も見た。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ