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 僕は床にばら撒かれた薬のシートへと歩いていった。それを全部集め、台所へと向かった。茶碗がある、その茶碗に一つ一つ薬を指で押し出していった。押し出された錠剤と茶碗がぶつかり乾いた、カラカラという音が鳴る。まるで猫か犬の餌だなと思った。茶碗が山盛りになった後、台所で殺虫剤を探し、それと茶碗を持って、揺り椅子へと戻った。揺り椅子の傍らにはウォッカとグラス、灰皿が置かれている。灰皿は煙草の吸殻で一杯になっていて、不恰好な山みたいになっている。ふと、ニコチンは水溶性である、という話を思い出した。ニコチンも殺虫剤として使われていた歴史がある。灰皿からフィルタから先の葉が残っている吸殻をニ三本集め、グラスにウォッカを注ぎ、そこに吸殻を入れた。それからレコードプレイヤーへと歩き、再生ボタンを押した。針が動き曲が流れる、パンクロックだ。あるパンクロックスターが死ぬ前に映画に出て、その映画で歌った歌。俺は存分に生きた……そんな歌だ。しかしその歌詞を聴いていると、あまりにトラジティぶったコメディみたいで、僕は笑ってしまった。それが嫌だった、シリアスさにかけると思った。だから、停止ボタンを押した。針はまた動き、元の位置へと帰って行った。揺り椅子に戻り、そろそろいいだろう、と吸殻をウォッカから取り出した。指で吸殻をつまむと、フィルタに染み込んだウォッカが雫になってぽたぽたと落ちた。甘い物は溶け出す、僕は吸殻をフローリングの床に投げつけた。そして、甘い物の溶け出したウォッカに殺虫剤をかけた。殺虫剤はウォッカには溶けきらず、表面に膜を作っていた。薄い薄い虹色の膜だ。蝿は死ぬだろう。僕も死ぬだろう。それで良い、僕が僕だと思っていたものは、蝿だった。僕の体は借り物だった。元々体に入っていた魂というか、脳味噌というか、理性に、本当に申し訳ない気持ちになり、涙が出た。僕のような生物がこの体を奪ってしまい、あまつさえ身勝手にも死のうとしている事が申し訳なかった。この体の母親にも申し訳なかった。ごめんなさいと何度もつぶやいた。そして僕は薬を飲んだ。噛むと中から苦い味が出る事を知っていた、だから噛まずに三回に分けて飲んだ。ニコチンの溶けたウォッカで、三回に分けて流し込んだ。三回目が終わったとき、僕は、やってしまったと思った。これで僕は、居なくなるんだと思った。僕は子供の頃夢で見た、暗い暗い何もない所へと行けるんだと思った。本当に安心できる何か暖かいぬるぬるした場所ではないが、それでも、光のある場所よりはマシだ。暗い場所に行く前に何かを見ておきたいと思った。ポラロイドカメラで撮った夕日の写真を手に持ち、それを見た。最後の光を目に焼き付けておきたかった。直接見る事は、光と、僕の体に、申し訳なかった。


 僕はゴッホの絵を思い出していた。夜空に浮かぶ星の光がうねっているような絵だ。僕はああいうものをずっと見たかったのだと思った、ずっと見続けていたかったのだと思った。


 ねえヒサ、とシホが僕に声をかける。僕はシリアルを口に運んでいる、甘いものが溶け出した牛乳を啜っている。その甘い味がなんとなく口に広がる。

 窓からは太陽の光が、優しく差し込んでいる。シホは僕の向かいに座っていて、時々シリアルを啜る音が聞こえる。僕が何? と言いシホの顔を見るとシホは僕の顔をじっと見つめていた。

 シホの髪の毛は金色だけど、その根元は黒い。そういうものを見ると嫌な気分になる、嘘をついているからだ。金髪を生やす必要もないのに、いじらしく努力をしているシホの姿、ビニールの肩掛けみたいなもので体に染料がつかないようにして髪の毛に色素が沈着するまでじっと椅子に座っているシホが想像できるからだ。それはみじめで、悲しくなる。

 あんたさ、なんであたしと一緒に居るわけ? ヤるわけでもないし、かと言って、よくあるミュージシャン的な付き合いでもないし、なんで一緒に居るのよ? シホはそう言った。僕は、さぁ、なんとなくだと思うよ、と言った。

 シホの瞳は光を反射しそこには僕が映っている。

 あたしね、子供の頃に両親が離婚しちゃってさ、なんだかそれから、すごく、なんていうのかな、周りにそういう子が居なくて、すごく寂しかった時期があるのよ、あたしはお母さんに引き取られて、新しいお父さんが中学の時来たんだけど、それからすごい、お母さんが汚いものみたいに見えちゃって、どうしていいのかわからなくて、あ、両親の再婚で養父から性的虐待を受けたとか、そういう話がドラマなんかだとよくあるけど、そういうワケじゃないのよ。ただ、同じものが居ない、って事なのかも。新しいお父さんにもお母さんにも全然うまく接する事ができなくて、あたしすごい荒れちゃって、リストカットとかするようになってさ、ピアスもあけて、それまでは、マジメってほどでもなかったけど、普通の子だったのに、ってお母さんが毎晩泣くようになって、そのすすり泣きの声が家に響いて、それがまたもう、惨めで、余計にあたしはそういう方向に向かっちゃって。あのままだと、あたし、家出して、売春でもして食っていってたかもしれない。でもその時、ロックと出会ってさ、あたし、その最初のコードが弾かれて、人生が変わったような気がするのよ、あたしが容認されたっていうか、世界にもあたしの居場所があったんだ、みたいな。あんたさ、なんか、そういう同じような、臭いがする、だからじゃないかなぁ。

シホはそう言った。

 僕、臭いかな? と聞くとシホはケラケラ笑った。そして、目瞑って、手、出して。と言った。

 僕はスプーンを置き、目を瞑り、テーブルの上に手のひらを差し出した。違う、甲の方。というシホの声がしたので裏返した。そうすると手の甲に強くつままれたような痛みを感じた。僕は目を開いて、何するんだよ、と言った。

 僕が目を開けると、シホは僕の方へ向かって手の甲を差し出していた。顔を横に背けて、目を瞑っていた。

 僕はシホの手を取り、手の甲にキスをした。シホは目を開いて、僕の方を向き、何するのよ、と言った。僕はシホの目を見て、この方が良いよ、と言った。シホは何も言わず、僕を見つめていた。その晩、僕は夢を見た。僕が眠っていると、外から物音がした。僕は怖くて、体の末端を中心に集めるようにして丸まった。何かが居る気配がした。僕がそっと外を覗くと、そこには月明かりに照らされた、僕と似たような動物が居た。何度も何度もどこかで見た事のある顔だった。彼はただ僕の顔を見つめていた。その顎鬚があまりに伸びていたので、僕はおかしくて、彼の顎鬚を指して笑った。そうすると彼も僕の顎鬚をさして、笑った。僕が自分の右手を顎にあてると、髭がぼうぼうに伸びていて、僕がまた笑うと、彼もまた、にっこりと笑った。そして彼は顎で彼の背後に広がる森をしゃくり、そのまま振り返り、歩いて行った。僕は慌てて立ち上がり、彼の歩く方向に着いて行こうとした。そこで目が覚めた。冷たいフローリングの床が頬に当たっていて、腕を変な方向に伸ばして眠っていたので、末端に血流が行かなくなっていたのか痺れて動かなくなっていた。固い床の上で眠ったせいで、体中が痛かった。


 僕は揺り椅子に座り、夕日の写真を眺めていた。二三十分が過ぎた。なんともなかった。僕はまたこういう事をやろうとしてるんだと思った。ドラッグをやると、自分の体をひょいと誰かに貸しているような感じ、そういう気分になれる。また、そういうごっこ遊びをしているんだと思い、情けなかった。その時吐き気がした、あまりにも唐突で、僕は抑える事が出来ず、床に嘔吐した。夕日の写真をその時落としてしまい、それは僕の吐瀉物にまみれた。吐瀉物は汚い茶色い色をしていた。そういう色のゲロを見る事は始めてだった。これでごっこ遊びも終わりだ。そう思った。経口摂取のドラッグでもそうだが、吐くと大抵はマシになる。そういうものだと思った。また唐突に吐き気がした。そして、また、床に嘔吐した。様子が違っていた。顎が震えだし、歯同士がぶつかりガチガチと音をたてた。今までに経験した事のない事だった。毛布に包まり、その蛹に顔を埋めた、眠ろうと思った。吐き気が治まる事はなかった。ともかく、眠れば、死ぬにしても生きるにしても、吐き気はどこかに行くと思った。


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