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インターフォンの音、ノックの音。携帯電話が鳴っている。誰だ? 携帯のディスプレイにはシホ、と表示されていた。僕は揺り椅子から立ち上がり玄関へと向かう、そのたびにノックの音は僕に近づき大きくなる。僕が内鍵を摘み回すドアノブが回りドアがすごい勢いで開いたので僕は驚いて尻餅をついた。シホが立っていた。白いカーテンみたいな服を着ていて、綺麗な金髪だった。僕を見下ろしていた。後ろから太陽の光がさし、顔はよく見えなかった。あんたね、急にもういいだなんて飛び出して、ここに居て、あんた、トオルとあたしがどれだけ心配したかわからないの、あんた何してるのよ、怒っているように見えた。何にも、と僕がへらへら笑いながら言うとシホはまた怒り出した。あんたね、またキメてるんでしょ、ドラッグやるのは構わないわよ、あたしをほったらかしてやるのはよしてよ、そう言って泣き出した。何もかも同じだ。うんざりした。なあ、シホ、ここってクソ田舎だよな、コンビニだって歩いて十分はかかるし、カラオケもスタジオも何にもないんだ、電車で六駅は乗り継がないといけない、そんな所でさ、俺はその日また椅子に座ってその日はクリーンだったんだけど煙草だけ吸ってたんだ、インターフォンが鳴って、何だろうと思ってとりあえず玄関を開けたんだよ、受話器を取って話す気分じゃなかったんだ。そしたらギター背負った女子高生とベース背負った女子高生が居てさ、あ、なんでわかったかっていうと、制服を着たままだったからなんだけど、本物だ、本物だ、みたいな事を言ってて、ヒサさんですよね、って言って、俺はなんだこいつら、と思ってそうだけど、何? みたいな事を言ったら、ファンなんです、なんつって、二人とも肩からかけたスクールバッグごそごそやってさ、ギターの子はあのちょっと前取材受けたロックってカテゴリの雑誌と、ベースの子は2ndアルバム引っ張り出してさ、サインしてください、なんて言って、マジックインキ持って、キャップまで抜いてあるんだよ。こんな狭い狭い所でしか勝ってない人間がだぜ。でも俺はさ、トオルの、ファンは大事にしろよ、って言葉思い出して、ああそうなんだありがとうなんて言って、そのインキ手に持って、本とCDケースにサインしてやったよ、書き終わってからさ、まだもじもじ立っていやがるから、どの曲が好き? なんて聞いたんだ。笑っちゃうよな。そしたら、片方が、セカンドの、三曲目の、ほら、知ってるだろ、あの曲が好きだっていって、歌詞の、あ、あれには和訳カードがついてるからな、熟れた林檎は腐り地に落ち地面へと伸びていく、みたいな所が、あたしのことを歌ってるって、すごく嬉しくて、あたし一人じゃないんだ、と思えて、それであの曲が好きです、なんていうんだ。俺は内心爆笑モノだったよ、あれはさ、昔芸能界で慣らした女優がおばさんになって、AVに出てるのを適当に表現して、トオルに見せたら、いいじゃん、それっぽいそれっぽい、うまく英訳したら長さ的にもこのメロディに丁度収まりそうじゃん、って言葉で入れただけのものだったのに。俺はあぁ、多分そうなんだと思うよ、って言ったら、キャーなんてチムチムみたいに手を叩き始めて、それで俺はもう我慢できなくなって、ごめん、眠いから、帰ってもらえるかな、そう言ったら二人とももじもじ、あ、すみません、なんていって、それでも帰らなくて、俺はドアを閉めたんだ。ほっといて欲しかったからだ。あんた、何が言いたいのよ。シホはそう言って、鼻をすすり、涙をぬぐっている。あんた、疲れてるのよ、あんた自然でも見たらいいのよ、繊細なのよあんたは、都会のあんな所に居ると、病気になるタイプよ、そうだ、海なんかどう? 海になんか行きたくない! 僕は大声を出した。思わず出た、反射的に出た。僕もびっくりしたぐらいだった。シホは一瞬身を震わせた。頼むから、放っておいてくれ。頼むから、放っておいてくれ! そう言ってドアを閉めた。ドアは静かになった。もう、ノックはなかった。
僕も時々、ノーザンライトのライブを見に行った。隅っこでじっとしていた。シホを見ていた。シホのベースは、よくわからなかった。僕達とはあまりにジャンルが違っていたし、単純にとても複雑だったからだ。しかし左手の運指の動きは早く、正確で、何より、指が長くて、綺麗だった。
1stアルバムは、陳腐な表現だけど、飛ぶように、売れた。コンドルが飛んでいく、という曲がある。コンドルは飛んでいった。トオルは一週間に一度、練習とは別に僕を呼び出し、ほら、と言って封筒を渡した。毎回、すごい厚みだった。
その後僕達は酒を飲む所に行くかトオルの家に行くかして朝まで酒を飲んだ。そのたび、トオルは泣きながら言った。キュウちゃん、俺、絶対、キュウちゃんはやる奴だって、他の奴らとは違うって、ずっと思ってたんだよ、ずっと、ずっと、ずっと。纏ってる空気が、違うよ。すごいよ、キュウちゃんは、すごいよ。俺、キュウちゃんと会えて、良かったよ。僕はそのたび、トオル、飲みすぎだよ、と回らない舌で言った。
アルトラ、すごいじゃない。シホはそう言う、僕はシホのアパートに居る。二人で毛布に包まって映画を見ている。フランスのよくわからない映画だ。シホが見たいと言ったから一緒に、毛布に包まって見ている。
僕にはよくわからなかったが、テレビに映る色が薄くて、綺麗だなと思った。
僕達は時々、揃ってドラッグをやった。とは言っても、腕をベルトで縛り浮き出た血管に注射を刺して二人で息も切れ切れにハアハア言いながらセックスをする、というものではなく、精々が錠剤の抗うつ剤や咳止め薬を規定量以上飲む、というものだった。
ヒサ、あんた、ヤラないの? とシホは僕に聞いてくる。毛布に包まっていて、僕の肩とシホの肩は触れ合っている。それはとても暖かい。
シホが頭を僕の肩に預けてくる。フランスの映画を観ている僕達の頭の中身は冴えている、それでいて、何かが嬉しい。僕達は恋をしていた。ダウナーとアッパーの効果を同時にもたらす薬の効能によって。
出来ないんだ、僕はシホの顔を見て言った。あら、あんたゲイなの? シホは僕の目を見て言う。わからない、出来ないんだよ、やろうとすると、気持ち悪くなる、何かに包まれて、もうそこから、一生、出れなくなる気がするんだよ。
僕がそう言うとインポなのね、とシホは笑った。僕も笑った。何故笑っているのかは、わからなかった。ひとしきり笑いあった後、僕達は不意に目が合った。
でもあんた、綺麗な目してるわよ。シホはそう言って僕の目を見つめた。それは光を反射し、僕が映っていた。
僕は仕事をやめた。おい矢作、今の時期やめられたら困るよ、とその店の仕切り屋は僕にいう。いつ言っても、今の時期、とは言う。
もう靴を舐めたくないんです、とは言えず、バンドが忙しくなってきたので、と言った。
なんだお前、そんなもん、趣味だろ、趣味。仕事とどっちが大事だと思ってるんだ、せめてな、代わり見つけて来い。仕切り屋はそう言って僕の方をちらりとも見ずその日の日報をまとめている。月間クレームファイルがまた分厚くなる、靴の舐め方にも流儀があるのだ。
そんな事言ったら、僕の代わりに歌ってギターを弾く、代わりの人、見つけて下さいよ。僕がそう言うと、仕切り屋は勝手にしろ、と言った。僕はその二週間後に仕事をやめた。




