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トオルは偉いよ、僕はそういう我慢すらしてない、僕は学校に行ってずっと座って休憩の時間は寝たふりをするかうろうろしている、時々知っているメタルバンドの曲の事を話している連中が居る、でもそういう奴らは気持ちが悪い、なんだか変な笑い方をするから嫌だ、僕が好きな野球チームの話をしている連中も居る、でもそいつらは何だかカジくんに似てるんだ、僕は一度軽音部に入ろうと思った、部室の前を通った時、僕が嫌いな、センチメンタルなキーボードのイントロ、そしてカッティングがチャカチャカ悪目立ちするリフ、それから、よくわからない事を、マイクの生音の位置から、ギターだろうね、部屋の中は見ていなかったけど、うん、ギターだと思う。そいつが、よくわからない事を、歌い出した時に、例え僕と趣味の合う奴が一人居たとしても、僕は絶対に恥ずかしくなってしまうと思って、そのまま部室の前を通り過ぎて、でも通りすぎてすぐくるっと回って戻るのは、誰かに見られてるかもしれないと思うと恥ずかしくて、男子トイレでほとんど出なかった小便を済ませてから戻った、それで家に帰って、疲れて、疲れて、ギターを弾いて、トオルもやった事あるだろう、薬局で売ってる風邪薬をオーバードーズする奴だ、それで陶酔して、いい気分になって、寝て、また同じ一日を繰り返してただけなんだ。トオルは偉いよ……
そうだ確かに僕が悪かった。何も考えちゃいなかった。僕は高校に行った、とんでもない馬鹿高校だった。アルファベットのAからZを書けない奴がクラスに一人は居た。そんな馬鹿高校の中で僕はいくらかマシな方だった。学年で上から一番か二番だった。二年生の冬休み前、僕達は進路のことについて話し合っていた。僕は本当は進学したかった、アルファベットのAからZを書けないような奴ですら進学すると言ったからだ。しかし僕はあんたがそう言うから就職する事にした。僕は進路相談の先生に連れられ会社訪問へと行った、土建の仕事だった。作業服を着た下腹の出た眼鏡をかけた白髪頭の親父が僕と進路相談の先生を出迎えた、僕はどうでもいいと思っていた、僕は適当に話していた、入るにしても愛想の良い方がいいと思った。ふとした時、その親父がこの仕事はしんどいよ、と言った時、ビジョンが見えたんだ、僕も白髪頭になり小汚い作業服を着て下腹を出しいやぁ今日は暑くてたまらんねえなんていいながら同じような同僚に毎日同じ事を言い臭い仕事が終わった後同じような生物二三匹と連れ合い酒を飲みじゃあまた明日なんて言ってそれを三十年続ける生活が突然脳に浮かび上がったんだ、俺昔ギターなんか弾いててね、なんて言って、親父バンドなんか作ってさ、だから僕はやっぱり嫌だと言った、あんたは酷くガッカリした。俺はあんたが小康状態になっていると思っていた。もうメシを作らなくて良かった、もうクソを垂れ流していなかった、もう幻覚を見ていなかった、だから俺は普通の家に生まれたかったと怒鳴った。だからって、死んじまう事はないだろう?
そしてザクロの実が木から落ち、砕けた。そのザクロの実を、僕は食べていない。だからおいしいかどうかは知らない。
その真っ赤なザクロの実はとても柔らかそうだった。地面に、薄く、薄く、ヘラで伸ばしていったような、そういう広がり方をしていた。
そういうドラッグ・レースだ。
僕は何もかもわからないまま黒い革のジャケットを着ていた、僕の通っていた高校の制服はおおよそ黒い服という感じではなかったし、そういう所に制服を着て行きたくなかったからだ。だから僕は黒い革のジャケット、フードつきの、4800円の安物、それにジーンズと、黒いスニーカーを履いてそこに行った。
ヒサくん、早まった事したらあかんで、親戚のおばさんがそう言う、僕に何をして欲しいんだろう、本当に意味がわからなくて、大丈夫だよと言うとおばさんは安心していた。
親戚のおじさんは黙って僕にお金をくれた、それは白い封筒に包まれていてあけると十万円が入っていた、僕はこれでギターのピックアップが交換できる、と思った。
僕はどんどん遠い所へ行った、何もかもがわからなかった、僕の蝿は完全な形になった、全てを網膜の向こうに持っていってしまった、蝿は蛹から羽化し、変わって僕がその蛹に入れられてしまった。どうやったら出れるのかわからなかったし、また出る気もなかった。何もかもがどうでも良くなるような感じがした、アルトラだっていつかは死ぬ、だから、何をしても、どうしても、無駄だから、蝿に何もかも任せて、僕は粘液にまみれた蛹の中、大きな海に浮かんでゆらゆら揺られている方が得なんだと思った。
黒い額縁に知った顔の写真が入っていた、お経が流れていた、鈴と木魚の音がそれに合わせて時々鳴り、お坊さんの声はメロディを奏でていた。白い花畑で肩組みをしている人たちの音楽よりはよっぽど聴けるな、と僕は思った。きっと遠い昔の人たちは人が死んで気分が変わった時、何かを思い出すためにお経を作って、それが気持ち良かったから、何度も何度も唱えて、叩いて、洗練させたんだ、と思った。鈴の音が頭に深く低く響くたび、僕は何かを思い出しそうになった、いや、違う、わかりそうになった、しかしそれが何なのかは結局、わからなかった。
僕は高校を出てすぐ働くようになった、みじめな暮らしだった。アルバイトで、時給は850円、僕より何倍も幸せそうな連中にペコペコへりくだり、靴を舐めろと言われれば舐めなければならないのかもしれない、そういう何かが充満した仕事だった。
僕は誰の靴を舐める可能性もあった、顧客のものはもちろん、その店舗の仕切り屋の靴、仕切り屋よりもっと偉いなんとかさんの靴、同僚のものまで、僕は舐めろと言われれば、舐めていたかもしれない、そういう仕事だった。
しかし、その仕事場の一番目につく位置に貼られていたポスターは、僕と同じ服を着た人たちが同じ服を着た人達同士で肩組みをしているポスターだった。それが嫌だった、僕は肩組みなんてしたくなかった、それなら靴を舐める方がマシだと思ったし、何なら実際に舐めろと言わない事は、卑怯だと思った。




